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映画『ディナー・イン・アメリカ』
漫画のような国、壊れた家族に中指を立てる
パンク精神に貫かれたボーイ・ミーツ・ガール

23 September 2021 | By Yasuo Murao

 昔見たアメリカ映画で、プレートに何種類かのおかずが乗っていて、レンジで温めるだけで夕食になる冷凍食品を「TVディナー」と呼ぶことを知った。手間がかからない安上がりの夕食。それが毎晩、食卓に並ぶのはどんな気分だろう。『ディナー・イン・アメリカ』は、そんな温もりのない夕食に、それを囲む壊れた家庭に中指を立てる物語だ。

 映画の最初のショットは虚ろな目をしてヨダレを垂らしている青年、サイモンのアップ。サイモンは新薬の被験者のバイト中で、薬の副反応で調子が悪い。それなのに約束のバイト料をもらえずにキレたサイモンは、同じバイトをやっていた女の子、ベスに誘われて彼女の家に寄ることに。そこでトラブルを起こしたサイモンは、警察に追われることになってしまう。

 一方、周りから頭が鈍いとバカにされているパティは、部活と女の子にしか興味がない体育会系男子からいじめられ、バイト先のペットショップでは店長に怒鳴られてばかり。彼女にとって唯一のストレス発散は、ハードコア・パンク・バンド、サイオプスを部屋で爆音で聴きながら踊ることだった。そんなある日、パティは警察から逃げていたサイモンと出会い、成り行きで彼を家でかくまうことにする。サイモンの正体がサイオプスの覆面ヴォーカル、ジョンQだとは知らずに。

 アメリカ郊外の街で繰り広げられるボーイ・ミーツ・ガール。それは『俺たちに明日はない』(1967年)や『トゥルー・ロマンス』(1993年)など、社会に適応できない男女が出会って恋に落ち、やがて犯罪を犯していくハリウッドの典型的な破滅型ラヴストーリーの系譜に属するもの。本作の監督・脚本を手掛けたアダム・レーマイヤーはそのフォーマットを引用して、そこにブラックなユーモアを織り交ぜながら今を生きる若者たちの物語を生み出した。サイモンとパティもちょっとした犯罪を犯すが、彼らは拳銃もナイフも持たない。彼らにとって唯一の武器はパンク・ロックだ。

 映画では2人とパンクの関係をしっかりと描いている。部屋でサイオプスを聴きながら踊り狂うパティの姿を監督はひたすら撮り続けるが、そのエモーショナルなダンスを見るだけでパティにとってパンクがどういう音楽なのかが伝わってくる。ダンスが最高潮に達するとパティはベッドにダイヴ。悶えながらセクシーな写真を自撮りして、それに詩を添えてジョンQに熱烈なファンレターを送るのだ。日頃、男子からセクハラ発言をされても目をそらして何も言えないパティだが、パンクのエネルギーが彼女を精神的にも肉体的にも解放してくれた。

 サイモンが新薬の被験者になって金を稼いでいたのはサイオプスのレコードを出すため。ところがバンド・メンバーは業界関係者の甘い言葉にそそのかされて、ティーンネイジャーに人気のパンク・バンドと共演する計画を立てていた。そのバンドはサイモンにとってはニセモノ。共演を断固拒否するサイモンとメンバーの間に亀裂が生まれる。サイモンにとってパンクは生き方そのものであり、1ミリも曲げることができないのだ。

 なぜサイモンがパンクにそこまでのめり込むことになったのかは映画のクライマックスで明らかにされるが、サイモンとパティに通じるのは家庭や社会から弾き出された存在だということ。誰も自分たちの言葉に耳を傾けようとしてくれないし、愛してもくれない。そんな状況に対する怒りと絶望が2人をパンクに向かわせた。本作はトランプ政権下で制作され、「漫画のような国」にうんざりしていたという監督は、パティやサイモンを追い詰めた社会や家庭の歪みも描き出していく。そこで象徴的なのがディナーのシーンだ。

 映画では3つの家族が夕食を囲む様子が描かれる。ベスの家庭、パティの家庭、そして、最後に登場するサイモンの家庭。どの家庭も冷ややかで攻撃的で、TVディナーのように愛情が感じられない。例えばベスの家庭では、サイモンに対して敵意丸出しの父親と弟は、テレビのスポーツ中継を見て目つきを変えて興奮しているし、母親は欲求不満でサイモンに色目を使い、それが家族にバレるとサイモンがセクハラをしたと嘘をつく。そんな一家にうんざりしたサイモンは庭に火を放って姿をくらます。ちなみにベスの母親を演じているのは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズでマーティの母親を演じて人気を得たリー・トンプソンというキャスティングに皮肉を感じさせる。

 パティの家庭ではサイモンを迎え入れたことで、パティだけではなく弟のケヴィンにも変化が生まれる。子供たちに新しい価値観がもたらされるのは、サイモンがパンクという若者文化を体現する存在だからだ。ケヴィンとサイモンが屋根の上でマリファナを吸うシーンは、リプレイスメンツの名盤『Let It Be』(1984年)のジャケットを思い出させたりもした。

 サイモンはパティが熱烈なファンレターの送り主だということに気づいて一度は逃げ出そうとするのだが、次第にパティに惹かれるようになっていく。そして、パティに嫌がらせをしていた体育会系男子たちに2人で仕返しをしたことで、距離はいっきに近づくことに。すっかり恋人モードになった2人が、ゲームセンターで楽しんでいる時に流れるのがマック・デマルコ「My Kind Of Woman」。監督の大好きな曲らしい。

 すぐにキレるサイモンとのろまなパティ。不思議な組み合わせだが、映画を見ているうちにサイモンがなぜパティに惹かれるのかがわかってくるし、それと同時にコワモテのサイモンの素顔も見えてくる。パティは人が言われたことをすぐに理解できない。理解しようとしてあれこれ考えている時の奇妙な表情や変な間のおかげで、いじめの標的にされている。そんな彼女を過保護な両親は薬で治そうとしているらしい。サイモンが飲んだら翌朝までぶっ倒れるくらいの強力な薬を、パティが毎日飲まされていることがわかった時、新薬の実験で虚ろな目をしていたサイモンの姿を思い出した。

 周りに馴染めない者は攻撃されるか、薬を与えられて黙らされる。そんな社会でパティとサイモンは辛い日々を送っていた。サイモンはパティに自分と同じ苦しみを見出し、さらに彼女のなかにピュアな輝きを見つける。サイモンはそういう輝きに惹かれる繊細さを持っていたために実は傷つきやすく、怒りを爆発させていたのだ。パティの天然ぶりをキュートに、そして痛みも持って演じたエミリー・スケッグス。激しさのなかにナイーヴな一面を織り込んでサイモンを演じたカイル・ガーナー。2人の息があった共演が光っている。

 そんななか、2人がオリジナル曲「Watermelon」をレコーディングするシーンは胸に迫るものがある。ファンレターを通じてパティの文章の才能を見出したサイモンは、楽器を多重録音してトラックを作り、パティが書いた詩にメロディーをつけて、パティに歌うように提案。曲を歌っている時のパティの表情。それを聴いている時のサイモンの表情の変化をしっかりと見せることで、監督は2人が生きづらさから解放されて大切なものを手に入れたことを伝えている。 サイモンが言うように「Watermelon」は最高のパワー・ポップ・ナンバーだ。

   さらに重要なのは、この物語が単なるラヴロマンスとして終わらないことだ。映画のクライマックス、サイオプスのライヴ・シーンで、サイモンはジェイQとして観客の前に立つ。その目の前にはパティがいる。そこでサイモンが歌うのは、サイオプスの人気曲「ディナー・イン・アメリカ」だ。

 「レンジで温めて無理やり食わせる/毒された野菜と見せかけの肉/食卓を囲む両親の会話が/お前を悲しませる」

 白熱する歌にあわせサイモンとパティの顔が交互に映し出され、2人の間でパンク精神がシェアされていることが伝わってくる。そして、美しくも力強いラストシーンからは、パティはサイモンから「パンク」という光を与えられたことで、世間からバカにされても気にしない強さを手に入れたとがわかる。

 パンクはファッションではない。暴力的な音楽でもない。それは自分らしさを守るための人を傷つけない武器だということを、この映画は教えてくれる。サイモンが劇中でパティに言った一言、「Stay Punk(パンクを貫け)」は本作のテーマであり、世界中にいるパティやサイモンのような若者たちに向けたメッセージなのだ。(村尾泰郎)

Text By Yasuo Murao


『ディナー・イン・アメリカ』

9月24日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国順次公開!

監督:アダム・レーマイヤー
プロデューサー:ベン・スティラー、ニッキー・ウェインストック、ロス・プットマン
出演:カイル・ガルナー、エミリー・スケッグス、グリフィン・グラック、パット・ヒーリー、メアリー・リン・ライスカブ、リー・トンプソン
撮影:ジャン=フィリップ・ベルニエ
音楽:ジョン・スウィハート
配給:ハーク
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公式サイト

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