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ザ・ナショナルのカヴァー作とデビュー・アルバムからみる
バーティーズ・ストレンジの混成的“ブラック”ミュージック

16 December 2020 | By Yasuyuki Ono

2006年9月12日。アメリカCBSのテレビ番組《Late Show with David Letterman》にて、当時《Pitchfork》が9.1点を叩き出した快作『Return to Cookie Mountain』(2006年)を発表したTV・オン・ザ・レディオは同作に収録された「Wolf Like Me」を激情的で重厚なバンド・サウンドに乗せ演奏した。画面の向こうで自らと同じブラックの若者が躍動するその映像に、自身の世界観を揺さぶるような衝撃を受けた当時17才の少年は、その姿をひとつの指針とし音楽の道を歩んでいくことになる。その彼の音楽的背景について《Rolling Stone》はこうも述べる。

運転免許を取ったことで初めて、彼にはアメリカのティーンネイジャー特有の自由が与えられた。それは、公道なんかではなく、FMラジオ、ベースメントのライブ・ショウ、《LimeWire》からダウンロードした音源を焼いたCDだった。彼の音楽的地平はパンク、ハードコア、中西部のエモにまで広がっていき、それらのすべてが2000年代半ばに数を増やし、急成長を遂げていた数多のインディー・ロック・アクトと結びついていたのである。

その彼こそ、10月にデビュー・フル・アルバム『Live Forever』をリリースしたバーティーズ・ストレンジである。軍人の父親とオペラ歌手の母親のもと、父親の勤務地であるイギリスで生まれ、オクラホマにある85%がホワイトで占められている《Mustang》という地域で育ち、ブルックリンを経由して現在はワシントンD.C.を拠点とする彼による本作は、何よりも自身のブラックとしてのアイデンティティと、横断的な音楽的アイデンティティを一枚のアルバムに見事に昇華した作品になっている。

まずは、自らのブラックとしてのアイデンティティという問題系についてみていこう。彼が本年注目を集めることになったのは、3月に発表したEP『Say Goodbye to Pretty Boy』を《Bandcamp》がフックアップしたことが少なからず影響しているだろう。自身のフェイヴァリット・バンドでもあるザ・ナショナルのカヴァーが大半を占め、デスナー兄弟がオーナーを務める《Brassland》からのリリースとなる同作は彼自身が体験したある出来事が背景をなしているという。

 

2019年6月に開催されたワシントン.D.C.でのコートニー・バーネットをオープニング・アクトに据えたザ・ナショナルのライブ。そのライブに客として訪れたストレンジは、フロアに入るとあることに気づく。その会場にはブラックがほぼいないように彼には見えたのである。それはインディー・ロックに対するブラックの関与を排除するような経験として訪れたと彼は語る。そのような自身のアイデンティティを揺るがすような経験を背景として作成されたそのEPにおいて、パン・アフリカ色のトリコロールと、バッド・ブレインズ『Black Dots』の引用となる黒円を配するアート・ワークはブラック・アイデンティティという同作のテーマを顕著に表しているだろう。破れかけているが最後まで取れていない「ブラック・ドッツ」は、いくら消そうとしても消えないインディー・ロックにおけるブラックの存在を示しているという。さらに、楽曲において秀逸なのは、ジェントリフィケーションの渦中にあったブルックリンにおけるホワイトという「マイノリティ」として、アーロン・デスナーが自身の寄る辺なき思いを綴った「All the Wine」へ、アンビエントR&B的な質感を与えたカヴァー。そこには、マイノリティとしてのストレンジ自身の経験を類似したテーマをもった曲のカヴァーを介して表現するという試みを読み取ることができる。

そして次作となるデビュー・フル・アルバム『Live Forever』においてもそのような彼の音楽に対するスタンスは明確に引き継がれている。TV・オン・ザ・レディオ「Wolf Like Me」のリリックとブロック・パーティー「Helicopter」のサウンドから影響を受けたという「Mustang」は、その名の通り自身が生まれ育った白人が多く居住する地域のことを指す歌。そこで展開するアメリカを批判するリリックが、エモーショナルなヴォーカルと轟くシンセ・ラインが伝える衝動のもとで心を刺す。さらに、インダストリアルなヘヴィ・サウンドが特徴的な「Mossblerd」では、「ジャンル/それが私たちを箱の中に閉じ込める/私たちのカンマから遠ざける/ニガーの絶望に私たちを縛り付ける/私たちを選択肢から遠ざける」というリリックが並ぶ。そこには、ステレオタイプを押し付けるカテゴリーの網がブラックとしての「生きづらさ」や、一方的な先入観や偏見、もしくはキャリア形成における不平等を生み出している状況に対する批判精神が宿っているだろう。

そこで描かれている「ジャンル」や他者からの「カンマ」(≒ラベリング)への違和感は、本作における彼のサウンドの明確な特徴でもある。例えば、解像度を下げたメランコリックなボーカル・エフェクトにミツキの影響があるという「Jealousy」で歌われる「まさに全てがある場所へやって来た」というリリック。そこにはジャンルに縛られない、積極的な線引きを拒むポップ・ミュージックを(ブラックとして)実践しているタイラー・ザ・クリエーター、フェリシア・ダグラス(ダーティー・プロジェクターズなど)、ソランジュへのリスペクトが込められているのだと、ストレンジは言う

加え、ダ・ベイビー「Taking It Out」のイントロなしで始まっていくフローと、ハンク・ウィリアムズ「A Country Boy Can Survive」のメロディー・ラインがインスピレーションとなっているという「Boomer」においては、ラップもカントリーも影響源としながらそれらを自身の音楽的ルーツのひとつでもあるポップ・エモのサウンドに乗せながら表現するという試みがとられている。本作が目指すのは、上述した先達が挑戦してきたような大文字のポップ・ミュージック。それはとってつけたようないびつなパッチ・ワークではなく、ストレンジ自身が思春期から出会ってきたすべてのフェイヴァリット・ミュージックを昇華した彼以外の何物にも代替されない自身のサウンドとして本作につまっている。

もし既存のパラダイムがあなたにとって上手くいっていないものなのなら、自分自身のそれを作り上げよう。ブラック、女性、クイア、トランスジェンダー、産業上過小評価されている、またはあなたに向かい風になるようなシステムの中にいる人々。その誰もが新しいシステムを、新しいものを構築することができる。いつかそこで皆会おう。これがこのレコードのメッセージです。

そのように《Stereogum》でストレンジは語る。一つの音楽のなかで、自らが血肉としてきた音楽に正直に向き合いながら自身のアイデンティティを体現すること。外的なラベリングによる閉鎖性にくさびを入れること。それが自身と似た境遇や経験をしている人びとのエンパワメントにつながること。ともすれば巨視的なシステムに巻き込まれたポップ・ミュージックが忘れてしまうひとつの理想の姿が、この『Live Forever』にははっきりと記されている。(尾野泰幸)

 

Text By Yasuyuki Ono


Bartees Strange

Live Forever

LABEL : Memory Music
RELEASE DATE : 2020.10.02

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