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フッドへと還元されるヒップホップの現在

25 June 2019 | By Daiki Takaku

頭上に広がる晴天。その光を弾くように白い砂浜。そんな美しいビーチのイメージとは裏腹に約4分の1の世帯が貧困に窮する街、マイアミ。そこはリル・パンプやスキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッド、スモークパープといった若手ラッパーを輩出し、ヒップホップの新たな爆心地となったが、その熱気はいずれも《SoundCloud》を中心としたインターネット発のものが多く、サウンドクラウド・ラップと称されもする。メロディアスなフロウから激しいシャウトまでが一緒くたにされたかのような傾向のあるサウス・フロリダのラップ・スタイルもインターネットを通した様々な影響源によるともいえるだろう。オンライン上でレイダー・クラン(フロリダを拠点にしたアーティスト集団)と繋がりチャンスを得たカリーも(そのスタイルも含め)こういった地域性から大きく外れることはない。

“305, we in the house”地元マイアミの市外局番をシャウトアウトし幕を開ける本作は、リズミカルでパワフルなライミングとスムースなフロウによって自らのルーツである街への想いが届けられるカリーのキャリア史上最高傑作であると同時にヒップホップとフッド(地元)の繋がりを考える上でも重要な作品だ。注目したいのはPlayThatBoiZayと共に本作中もっともハードなラップを披露する「P.A.T」にある”I grew up in a city where most people have no goals(俺はほとんどの人が目標を持たない街で育った)”というラインだ。ここには夢を持っていた彼が感じた周囲とのズレが如実に表れ、続く“Just cold-blooded niggas in a place that never snow(雪の降らない場所で冷血な仲間たち)”というラインにも、この街で夢を見ることの難しさが滲んでいる。

さらにいえばカリーは本作中で地元であるマイアミに(生まれ育った、マイアミ・ガーデンズ近くのキャロル・シティに)徹底的に焦点を当てた。タイトルが彼の父の名だという「RICKY」。同郷の今は亡きXXXテンタシオン、そして亡くなった実の兄弟であるTreon “Tree” JohnsonへとR.I.Pを捧げる「WISH」。同じく同郷であるIce Billion Bergをフューチャーしキャロル・シティにあり、2016年に閉鎖され取り壊されたというフリーマーケットの名を取った「CAROLMART」。そしてレイダー・クランの中心メンバーであるスペースゴーストパープ「Fuck Taylor Gang (Not A Diss We Are Just Not Dickriders)」をサンプリングした「BLACKLAND 66.6」などなど…それは枚挙にいとまがないほどだ。

カリーが掴んだオンラインからの成功と、このように本作に詰め込まれたフッドに接続していこうという彼の想いは、一見すると齟齬を感じるかもしれない。しかしここに、フッドの未来を見据える彼の視点が浮かび上がってくる。目標を持てない街、チャンスの少ない街とは、すなわち成功例に乏しい街のことであろう。マイアミという地域はインターネットという非現実からスターを生み出したこともあってか、NYやLAなど名高い先達の多い地域と比べ、ある種過小評価されてきた面がある。それは無自覚の閉塞感に繋がり、子どもたちから徐々に選択肢を奪っていく。彼は自らの(サウス・フロリダのラップ・スタイルをバランスよく取り入れた)ラップを中心にそのルーツを繋ぎ合わせ、レプリゼントすることでフッドに未来を提示してみせたのだ。 人は生まれる環境を選べない。本作は、そんな生まれ落ちた運命を祝うためにある。カリーが成功を掴もうというとき、周囲に覚えた違和感ーーこの街で夢なんて叶えられるはずがないーーそんな冷笑や諦念を、次の世代へと引き継がないために。インターネットに端を発した成功を持ち帰り、フッドをより良い方向へと導こうという、現代的だが実にオーセンティックな側面を持った作品に、これぞヒップホップ!と鼻息が荒くなってしまう。(高久大輝)

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