Review

Kate NV: Wow

2023 / RVNG Intl. / Plancha
Back

掴めなさの中に宿る好奇心

03 June 2023 | By Koki Kato

何歳になっても川面で魚が跳ねるあの瞬間に意表をつかれて驚くし、魚の姿をつい目で追いかけようとすることが私にはある。これは私の体験の一つの例にすぎないのだけれど、もし一瞬にして好奇心がわきあがるようなことがあったらいいなと思うとき、『Wow』を聴くことでワクワクすることができるかもしれない。Kate NVことケイト・シロノソヴァ、ロシアのタタールスタン共和国出身の音楽家の最新作『Wow』は、あの瞬間に似た驚きを含んでいる。

《RVNG Intl.》からリリースされた前々作、2020年のアルバム『Room for the Moon』は、歌のメロディ・ラインを耳で追うようなシンガー・ソングライターのエレクトロ・ポップ作品だったが、今作は異なった印象だ。『Wow』は、シンセサイザーやマリンバやパーカッションなどが反復したと思えば、音が不規則に出入りし、リズムのパターンが変わったりすることで、即興音楽やフリー・ジャズ的なアプローチも思わせる。特定の音を耳で追うのではなく、予想外のところからやってくる音が、聴き手の耳に不意に飛び込んでくる。

シロノソヴァは、長年、《Found Sound Nation》(文化的および社会的な分断を越えて人々を結びつけるために音楽制作を使用するクリエイティブ・エージェンシー)のBroken Orchestraサンプルパックを使っていて、そこにはフィラデルフィアの公立学校から集められた老朽化した楽器の音が入っているのだが、今作では、とりわけこれらの音が強調されて聞こえてくるように思える。実際にサンプルパックを取り寄せて音を聞いてみると、そこには決して良い状態とは言えない楽器の音がいくつも入っていて、弦が緩んだヴァイオリンや、強風のような音を発するトロンボーンなど、そのどれもが聞き馴染みがなく、ユニークな音だ。そういった音の素材を用いる一方で「Confessions at the Dinner Table」ではOG Lullabiesがヴァイオリンを、「Early Bird」では『Bouquet』(2022)でのコラボレーターでもあるAndrey Bessonovがクラリネットを演奏している。状態が異なる楽器を用いて、アルバム中に凹凸で不定形な質感がある。

今作のほとんどの曲には歌詞がない。歌詞のない曲にも声は入っているけれど、声が主旋律になるのではなく、曲を構成する楽器のような扱いになっている。例えば「Slon (Elephant) 」で聞こえる声は、エフェクターの〈MIKU STOMP〉を通過したようなボーカロイド風の音で、生身の人間の発声とも異なって、次に一体どんな声が耳に飛び込んでくるか予想がつかない。一方で、歌詞のある曲でもそういった声の扱いは、同じ。歌声の印象が比較的強い「They (Oni) 」を日本語で作詞したのは食品まつりa.k.a foodmanで、オノマトペの「コロコロ」を用いたその擬音が、言葉と音の境界を曖昧にさせる。

そうやって表現された音楽と、Vladimir “Vova” Shlokovがつくるミュージック・ヴィデオの映像が同期していることは、本作をより不明瞭な表現に導いている。「Oni (They) 」、「Early Bird」、「Meow Chat」のどれもが、2000年代前半から中盤のゲームにあったような多角形データのポリゴンで表現されていて、〈シムピープル〉(2000)や〈Nintendogs〉(2005)などのゲームを参照をしたとのこと。シロノソヴァ本人は「それらは馬鹿らしくて未完成に見えるけど、不完全なところが完璧」と話している。明瞭な映像表現を体験できる現在からすれば、2000年代の映像は抽象的すぎるかもしれないが、その不完全さこそが『Wow』に適していて、シロノソヴァの驚きの表現には必要に思える。

Wowとは文字通り、驚きを表す言葉。予定調和ではないから、予想通りの結末や結果にはならないから、思わず声が出る。「わお」とか「おお」とか「うお」とか。イメージ通りでなかったことへの驚きは、自身のこれまでの経験や基準と照らし合わせて、そこから逸脱したものと直面したときの反応だ。シロノソヴァによって作り出された、予想外のところからやってくる音やリズムや表現は、何が起きているか把握できないからこそ、高揚を感じさせる。不規則、不意、不定形、不明瞭、不完全……掴めなさこそが表現の可能性なのだと『Wow』は宣言しているようだ。突然ゆえに、川から跳ねるあの魚の姿は断片的にしか捉えることができないからこそ、その瞬間が魅力的に思えるのと似ているのだ。

最後に、この不安な時代に、ロシア出身の音楽家が驚きのある楽しい音楽を、悩みながら発表したことについて書いておきたい。2022年の『Bouquet』ではその全収益をウクライナからの難民を支援する団体《Helping To Leave》に寄付し、本作『Wow』の収益の一部は、紛争の影響を受けた子どもとその家族を支援する組織《War Child》に寄付される。両作ともにロシアによるウクライナ侵攻前に録音された作品ではあるが、これらの音楽の楽しさが正しいか、間違っているか、考えたとシロノソヴァは話している。それは、シロノソヴァだけではない、聴く人にとっての問いでもある。(加藤孔紀)

More Reviews

The Road To Hell Is Paved With Good Intentions

Vegyn

1 2 3 63