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Rachel Chinouriri: What A Devastating Turn of Events

2024 / Parlophone
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R&Bという言葉に内包される差別意識への問いかけ

03 June 2024 | By Kei Sugiyama

アカデミー賞脚色賞を受賞した映画『アメリカン・フィクション』は、人々が人種という見た目によって作品を理解する際に、いかに型にはめて評価しようとしているかを滑稽に描いた社会風刺作品だ。また、このような社会風刺がブラック・ジョーク、あるいはブラック・コメディという言葉で表現されている事自体が、文化の語りの中に内包されてきた差別的視点を浮き彫りにするような作品だとも思う。この映画が指摘したこうした差別は、シルク・ソニックやザ・ウィークエンドなどがグラミー賞をボイコットした問題とも通じる所がある。本稿の主役であるRachel Chinouririのファースト・アルバムも、こうしたエンターテインメント業界における差別的な視線に対して抗いながら作ったという意味で、共通する部分があるのではないだろうかと私は考えている。

彼女はロンドンで生まれ育ったが、両親はジンバブエ出身であり、兄姉もジンバブエで生まれ、家族は移民としてUKにやってきたバックグラウンドを持っている。彼女がブレイクしたのは、「So My Darling」がTikTokで話題を集めたことがきっかけだ。繊細な歌い方とリヴァーブの効いたサウンドは、UKの3人組バンドであるドーターから影響を受けているのではないか。しかし彼女は、ジンバブエにルーツを持っているというだけでR&Bとして紹介されたことに対して、インタヴューなどで不満を吐露していた。後で詳述するが本作では彼女が楽曲からの影響を素直過ぎるほど表現しているのは、そうした視線へのアンチテーゼと捉えられるだろう。

ちょっと話がそれてしまうが、私は10年以上CDショップで働いていると、こうしたジャンルの分類に日々違和感を感じている。しかし、一つ気づいた事がある。それは、CDショップにおいて音楽作品を分類するに当たって、あまり音楽性は関係ない事だ。時代区分であったり、地域区分であったり、人種区分であったり、職業区分であったり、はたまたメーカー側の要望であったり、お店側の無知、多くの人がそう思うであろうという社会的な視線を想定して分類する場合もある。この分類は、管理しやすくするために、最大公約数となるように便宜上分けているに過ぎないだけだ。なぜなら一つの楽曲ならまだしも、アルバム作品を音楽性で分けるという時点で音楽性による分類は難しいからとも言えるだろう。近年はストリーミング・サービスの普及により聴き手個人のプレイリストによる分類が社会的に共有されるようになり変わりつつあるが、音楽性とはあまり関係のない分類がいまも名残として使われていることは確かである。

こうした分類の話を踏まえてRachel Chinouririの話に戻すと、彼女の両親がジンバブエ出身でなく白人のシンガー・ソングライターだったら、ロンドン生まれロンドン育ちの彼女の「So My Darling」はR&Bに分類されていただろうか。彼女がインタヴューなどで語ってきた影響を受けた音楽などから考えると本作は、とても分かりやすくその影響が示されている。例えば、「It Is What It Is」はピーター・ビヨーン・アンド・ジョン「Young Folks」を思わせる口笛、「Cold Call」はコールドプレイ「Politik」、「Robbed」や「My Blood」、「Pocket」も『Parachutes』期のコールドプレイ、「Never Need Me」は80年代リヴァイヴァルを踏襲した時期のフェニックスというように上げられるだろう。本作を作る上で、彼女はR&Bという型にはめられることを避けるために、前作『Four° In Winter』で見られた洗練されたアーバンな色彩を弱め、ギターを全面に押し出すアレンジを主体にしたのだろうと思われる。アルバム全体のイメージを決めるオープニング・トラック「Garden of Eden」は、英国で開催されるブラック・ミュージックの祭典<MOBO Awards>で最優秀女性アーティスト賞と最優秀R&B/ソウル・アーティスト賞を受賞したローラ・マヴーラ「Green Garden」を思わせる。この選曲にも彼女の意図があるように思う。それは、インタヴューなどで彼女が語っているR&Bの型に嵌められた上での評価しか与えられてこなかった先人たちへのリスペクトであると同時に、彼女たちにそうした評価しか与えてこなかったモノに対する批判なのではないだろうか。

そうした彼女の楽曲の特徴は、語りかけるように少し寂しげに響く歌声だろう。特に、「I Hate Myself」と「Pocket」で魅せる彼女の歌声が重なることで広がる清涼感は何者にもかえがたいものがある。彼女は、新人の見本市とも言われ世界中から注目を集めている《SXSW》に出演が決定していたが、出演を辞退した。それはガザでの戦争に関与している米国の防衛大手、BAEシステムズやRTXコーポレーションの子会社が後援として参加していたからだ。ここには彼女の生い立ちが関係していた。彼女の両親は、現在のジンバブエ独立の契機となったローデシア紛争(1965〜1979年)に兵士として参加していたそうだ。そうした背景を持つ家庭で育った彼女は、「結果がどうであれ戦争によって残るトラウマは、私が直接目撃した最悪のものの一つだと思う」と語っている。戦争による影響は終わった後も残り続けることを自身の経験としても理解しているからこそ、ボイコットできたのだろう。そうした彼女の行動力は、決して力強く歌い上げる訳ではないが芯の強いモノを感じる彼女の歌声を支えているように思う。(杉山慧)

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