『softscars』がたずさえる安心とノスタルジア
ユール(yeule)のテーマにはネット上のコミュニケーションへの依存や、クィアとしての出自など、苦悩が通底してきた。前作『Glitch Princess』(2022年)に収録された「My Name is Nat Ćmiel」では(当時)22歳のパーソナリティが0と1のデータに還元されるかのように、「音楽が好きで、食べるのが好きで、猫が好きで、男の子になるのが、そして女の子になるのが好きで…」と、肉体を捨て機械的に読み上げられた。しかし、この作品に収められた声と響きは、紛れもなく傷をたずさえて生きる一人の人間のそれである。
出身であるシンガポールからファッションを学ぶためロンドンへ移住、現在はロサンゼルスを活動拠点としているユールの新作『softscars』は、コロナ渦でのコミュニケーションの切断や友人をオーヴァードーズで亡くすなど、自身の「傷」が背景にあるという。さらに前作と比較するならば、「グリッチ」というヴァーチャルの傷から「柔らかい」=「生身」である現実の身体/精神性へとより軸足を移してトラウマと対峙していると言えるだろうか。それは、ユール自身が述べるように(90年代も射程に収めつつ)2000年代のオルタナティヴ〜シューゲイザーを感じさせるギターサウンドの導入と呼応する。まるで、今までのダークで内省的なエレクトロから、ギターの響きが前景化することで身体性を得ていくようだ。
制作に関しては同郷シンガポール出身の美しいアンビエントを描くキン・レオン、(意外にも)ムラ・マサが前作に引き続き、さらに驚きではあったがイヴ・トゥモア『Praise A Lord 〜』への参加でハード・ロック的成分の旨みを存分に引き立たせたクリス・グレアッティ(Chris Greatti)もクレジットに名を連ねる。(オルタナティヴ・)ロック、エレクトロ、アンビエントに加え、時にアコースティックな響きや「cyber meat」のような力強いポップスなども混然としており、一方で痛快なカタルシスへと安易に終始することのないムードが浮遊感を生み出している。
もちろん、上述のようなギターの意欲的な導入は随所に感じられるだろう。「x w x」や「dazies」など、シューゲイザー的サウンドの炸裂が方向性を決定づける。死と性を匂わせる歌詞はそのままに、時にエモーショナルなシャウトと呼応し、歪みが波打つ。
サウンドの変化は、ユール自身が名を挙げるようにスマッシング・パンプキンズやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどの影響が感じられるが、インタヴューにおけるニュアンスを借りれば「懐かしくて安全な場所のようなもの」として扱われているのが要点だろう。その轟音も瑞々しい歌声にも、どこか安心や郷愁を感じさせ、ティーンエイジャーのような魂が漂うようだ。また、ピアノによるインストではあるが岩井俊二監督『花とアリス』(2004年)の劇中歌「fish in the pool」のカヴァーもあり、パラノウル(Parannoul)「아름다운 세상 (Beautiful World)」における『リリィ・シュシュのすべて』のサンプリングと並べて捉えられるような、ノスタルジアを喚起するピースとなっていることも興味深い。
ハードでナイーヴではあるが、どこか優しさや安心が光の粒子のように満ちる。作品そのものが過去の傷に対する治癒であり、今現在を生きる希望として、ここに刻まれる。(寺尾錬)
関連記事
【REVIEW】
Yves Tumor『Praise A Lord Who Chews But Which Does Not Consume; (Or Simply, Hot Between Worlds)』
http://turntokyo.com/reviews/praise-a-lord-who-chews-but-which-does-not-consume/