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in the blue shirt: Park With a Pond

2022 / The wonder laundry
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ポップ・クリエイター?マッド・サイエンティスト?
謎の技術”人が歌っている風”楽曲を手がける関西トラックメイカーの現在地

27 October 2022 | By Kei Sugiyama

音楽における歌詞とは何なのだろうか。彼の曲を聴いているとそんな疑問が浮かんでくる。CDショップで働いている私は、仕事柄もあるだろうが口癖というより最早決まりのように(それは沈黙を埋めるためでもあるのだろう)、「どんな音楽を聴くんですか?」と初対面の人には必ず尋ねている。みな口を揃えたように「色々聴きます。ジャンルとか関係なく本当に色々ですね」と決まりきった返答がくる。そこから詳しく聴いていくとほとんどの方は好きなポイントを「歌詞ですね。」とこれまた決まりきった返答がくる。好きな理由は様々だが、共通していることは楽曲において歌詞が重要視されていることだ。そうしたいまの日本の音楽需要のあり方において有村崚によるソロプロジェクトin the blue shirtの音声データを加工して作る楽曲は、音楽において”歌詞の役割って何?”という疑問に対する実証実験のようであり、特異な存在だ。エモーショナルな響きはあれど、何かを言っているようで、何も言っていない。言語さえも分からない。歌っている”風”であることが、逆説的に音楽における歌詞の役割を浮き彫りにしているのではないだろうか。

本作は、そんな彼の3rdアルバムである。人が歌っている”風”ヴォーカル・エディットの技術はより洗練され、何かが確かにこちらに語りかけているようなそれは、擬似言語の域まで到達しているように思う。その謎技術の蓄積は、これまでのメロディーの代用としてのシンセ的な響きではなく、一つ一つの単語を話しているようだ。本作を聴いていると、人が言葉を発する時に如何に複雑な音が鳴っているのかを認識させられる。発する時の入り方と余韻の部分など細かなディレールをデフォルメするように、バックの音ともシンクロさせボーカロイドとは違った手法で”声”を作り上げている。特に「At Heart」は、この手法だからこそ成り立つ楽曲だと思う。後ろで声をなぞるようにシンセを鳴らし、それが息継ぎ部分ともシンクロするなどヴォーカル・サンプリングの境目が曖昧になっているところも面白い。

本人のブログによると大阪城公園に行った際、ぼーっと平穏を絵に書いたような公園を眺めていたところ、ドブみたいな堀を見つけた。梶井基次郎『桜の樹の下には』が好きな彼は、この短編の主人公のように、この下には屍体が沈んでいるかもしれないと思考を巡らしたという。そこが本作の出発点である。確かにそうした伏線が引かれると、『Park With a Pond』では口笛など音の端々に公園でくつろいでいるような感覚になる。楽曲のタイトルも公園を散歩しているかのようだ。後半に入ると「Forward Thinking」~「Be What I am」までタイトルがどんどんと内省へ視線が向かっていく。そうした目線で聴いていると楽曲もエモーショナルになっていくように感じる。何を歌っているかは分からないが、タイトルという文字の記号と音に導かれるかのように、何か良いこと言っている感じがするのだ。文字通り言っている”感じ”であり、それ以下でもそれ以上でもない。しかし、エモーショナルに歌い上げたくなる。内容ではない、口を動かすこと自体に心地よさがあるのではないだろうか。そんな思いがしてくる。この楽曲の面白い所は、私が思ったこうした楽曲への理解も、彼の発言やタイトルからの私の解釈に過ぎないこと。さらに、声に意味を持たせないということは、聴き手が楽曲を解釈する余白の部分が大きいことを意味し、聴いている場所や状況により違う顔を見せることでもある。

そして彼は自身の楽曲に対して、解釈の幅が大きいということに自覚的であると言えるだろう。それは本作の発売に際して、彼自身がYoutubeで公開した「Free Association」という企画からも伺える。映像作家に彼の音楽を使ってビジュアルを連想してもらうというこの企画は、現在10作品ほど公開されている。楽曲のこのような側面に自覚的であるからこそ、それを映像として示す意図の基、企画されたと考えられる。

このように、楽曲における”歌詞”の役割を問うような活動を続けている彼が、新たな実験を始めた。それは、ボーカロイド・ソフトである初音ミクを使った楽曲「ケース・バイ・ケース」だ。エモーショナルな意味のない言葉っぽいモノを並べていた彼が、ここでは意味はあるが感情を極力なくした歌声に挑戦している。ニコニコ動画にアップされている映像もそうだが、シニカルでクスッと笑える歌詞に平坦な歌声は、これまでとは真逆の方法論とも言える。「色々あるけど、ケース・バイ・ケースで」で締められた時、何か日々の生活の色々を頭の中で回想し、歌詞から聴き手の側で物語が作られ、これまでとは違った形で感情を刺激された。彼ほど、音楽における歌詞の役割を分析的に楽曲を使って実証実験しているミュージシャンを私は他に知らない。こうした彼の活動はポップ・ミュージックというフワッとした言葉に対する偏執狂的な分析的視線であると言えるだろう。この他にも、川辺素(ミツメ)との「Swim」など意味のある言葉を歌っている楽曲も作り始めている。次のフェーズに入りつつある彼が歌詞に楽曲の中でどんな役割を与えるのか今後も楽しみだ。(杉山慧)


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