肉体性を伴った蜃気楼
細々ながらも長いこと音楽を聴いていると、なんとも不思議な事象に遭遇することがある。なぜこの時代にこんな作品が現れたのか、なぜこの人はこんな作品を作ることができたのか、なぜこんな作品が人知れず眠り続けていたのか、など。浅井直樹というミュージシャンは、そうしたあらゆる種類の不可思議を、その短いとも長いとも言えるキャリアの中に凝縮したミュージシャンと言えるだろう。
1988年、グリム童話の世界にドゥルッティ・コラムやモノクローム・セットを封じ込めたような名盤『アバ・ハイジ』を若干20歳の大学生が作り上げたこと。わずか200枚のみしかプレスされなかったその作品が、海外のレコードマニアに発見され、32年後の2020年にリイシューされたこと。そしてそれをきっかけに2021年にセカンド・アルバム『ギタリシア』をリリースしたこと。いくつかの事実を並べてみただけでも、彼が数奇とも言えるキャリアを歩んできたことは間違いない。
しかしその稀有な物語は、この新作『BEATDELIC』においていよいよ極まったという感がある。この作品を端的に言い表すなら、1988年と2022年に横たわる34年という年月をなかったものにして、偉大なる幽霊たちと無邪気に戯れる音楽、ということになる。初めて耳にした時はこんな音楽が存在していいのかとすら思ってしまった。
『アバ・ハイジ』や『ギタリシア』ではロックンロールの定石から自由に逸脱する独創性、狂気すらも透けて見えそうな繊細な美しさが強く印象に残ったが、今作の真ん中を貫いているのは、清流のように爽やかなネオ・アコースティック、ギター・ポップの輝きである。冒頭を飾る「ジャグリング・ボーイ」のギターのカッティングやトランペットの音色を聴けばすぐにピンとくるように、ペイル・ファウンテンズ、ヘアカット100、アズテック・カメラにスタイル・カウンシルにザ・スミス。80年代を彩ったバンドの影響を強く感じさせるバンド・サウンドは、ポップ・ミュージックを聴くことの大いなる喜びを我々にもたらしてくれる。しかし、積み重なった長い年月をまったく感じさせない少年のような歌声、眩いほどの生命力を放つ演奏を聴いていると、今はもう存在しないバンドの幻影が、浅井と共にセッションを楽しんでいる姿が目に浮かんでくるのである。前作のインタビューで彼は「もう死んじゃったミュージシャンとかこの世にはないバンド。そういう蜃気楼のような存在に憧れる」と語っていたが、この作品においてその“蜃気楼”はより肉体性を伴った存在として、私たちの前に現れている。
そしてこれまでの作品に深淵をもたらしてきた歌詞も、躍動するサウンドに呼応するように大きく趣きを変えた。ルイス・キャロルや澁澤龍彦を引き合いに語られてきた幻想的な世界から、サリンジャーやマーク・トゥエインを彷彿させる、青年期特有の向こう見ずな疾走感、愛すべき不遜さやユーモアに満ちた表現への跳躍。文学作品のごとき味わい深さと共に、カウンター・カルチャーとしての反骨精神を感じさせる歌詞に触れて私が真っ先に思い浮かべたソングライターは、フリッパーズ・ギター時代の小沢健二である。音楽性も踏まえ、より大胆に言ってしまえば、この作品こそが「フリッパーズが『ヘッド博士の世界塔』を作らない平行世界でリリースしたサード・アルバム」だったのでは、なんてことも頭をよぎってしまった(これは「ニック・ヘイワードが脱退しなかった世界におけるヘアカット100のセカンド・アルバム」とも「モリッシーとマーが仲違いしなかったザ・スミスの5作目」と置き換えられるのかもしれない)。こんな私の妄想が果たして正当なものなのか、ぜひ確かめてみてほしいと思う。
なお、このレコーディングには『アバ・ハイジ』の録音にも参加した松澤隆志、芳賀紀夫という二人のミュージシャンが参加しているとのこと。その一方で、米山ミサ(浮)、平沢なつみ(に角すい)といった気鋭のミュージシャンや、エンジニアの中村宗一郎、ディレクターとして柴崎祐二が参加していることも、この作品が2022年のポップ・ミュージックとしての同時代性を獲得する上では忘れてならないポイントである。(ドリーミー刑事)
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