Review

Nahi Mitti: Aisaund Sings

2022 / Mutualism
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重層的なもののために

11 April 2022 | By Suimoku

過去の音楽を再構築する非凡なDJであり、コンセプチュアルなヴィジュアル/サウンド・アーティストであり、南アジアにルーツを持つトランス女性である……。私は、このレビューの主役であるNahi Mittiの顔もよく知らない(ネット上で公開されている彼女の写真は布で覆われたものだったりぼやけていたりと常に曖昧化され、一つのイメージに統合されることを拒んでいる)。なので知っているのはせいぜいこのぐらいなのだが、それでもいいかと思わせるのがこの『Aisaund Sings』という作品だ。直訳すれば“音が歌う”となるヒンディー語と英語の混ざったタイトルの通り、これはサウンドやリズムが自ら生命をもって変化していく、奇妙な生態系のような音楽だ。



Nahi Mittiの音楽を聴く前に、まず彼女が拠点とするマンチェスターという都市について触れておきたい。この街には80年代以来のクラブ文化があり、《NTS Radio Manchester》をはじめとする独自のメディアやローカルなレーベル、レコード・ストアが拠点を構えていて、そこで生まれる音楽もまたユニークなものだ。文字数の都合上シーンの細かい説明は省くが、昨年各メディアで絶賛されたaya『im hole』とSpace Africa『Honest Labour』が、この地から生まれた音楽ということだけを記しておこう(*1)。そのシーンにおいて重要なハブとなってきたのが《Mutualism》というコレクティヴだ。その活動は、音源やミックスの発表、クラブ・イヴェントの開催など多様なもので、先述したayaに加えてAnz、Air Max ‘97などマンチェスターの、また、ときにはそれを超えた地域の音楽家たちがそこにかかわってきた。クルーの正式なメンバーなどは定まっていないようだが、機械的なヴォイスを駆使するラッパーのIceboy Violet(*2)、マーティン・ハネットが脱構築したディスコのような音楽を生み出すClemencyのほか、 BFTT、Hesska…といった奇妙な名前の、しかもそれぞれ興味深いミュージシャンたちの結びつきが中核にある。また「相利共生」を意味するクルー名に表われている通り、Mutualismにかかわる人々はayaやIceboy Violetを筆頭にLGBTQや人種的マイノリティも多く、その包摂(inclusivity)がテーマに掲げられている。こうしたどこか社会プロジェクト的でもあるコレクティヴの一員として、Nahi Mittiも自らのルーツやジェンダーをモチーフとした音楽制作を行なってきた。

*1  マンチェスターのシーンについてはayaやAnzのインタビューから断片的にその様相が窺えるほか、このUKガラージ・リバイバルについての優れた記事がその雰囲気をよく捉えている。また『ミュージック・マガジン』2022年2月号の《2022年はこれを聴け!》では坂本哲哉が「深化するマンチェスターの実験/電子音楽」としてかの地の電子音楽をまとめて紹介していて参考になる。ほか、hiwatt(@kalopsia___3)氏はマンチェスターの音楽情報を日本語で発信している貴重なアカウントで、本稿の内容もかなりの部分彼の情報に拠っている。
*2 1月にリリースされたソロ・アルバム『The Vanity Project』は必聴。aya、Space Afrikaなどがプロデューサーとして参加している。



彼女がこれまで発表してきたトラックはダブステップやUKベース・ミュージックの影響を感じさせるものが多かったが、『Aisaund Sings』ではそれに加えて、パンジャブ地方のダンス音楽・ギッダの影響を受けたという「リズム」の面白さが前面に出ている。シンセやベース、パーカッションがアクセントの異なるループを描き、様々なリズムが同居する。たとえば「Wakened Water」ではレゲトンのようなビートが中心に置かれるが、それはつねに細かく三連のパーカッションやアクセントのズレたキック、ベースに引っ張られて揺らいでいる。後半部ではそれまでのリズムとアクセントの異なる3拍子系のシンセ・フレーズが現れ、その3拍子を核にして次曲の「Vision(s) Of Sabheda」へとなめらかに繋がっていく。アクセントや刻みを変えることでBPMを保ったまま異なるリズム構造へと移行する手法はメトリック・モジュレーションと呼ばれるものだが、本作では同様の手法が多用されている。グルーヴを保ったまま、これまで潜在していたリズムを“顕在化”させるようにトラックは変化していく。たとえば「Aaand Beside Who Has A Party At The Temple」には一瞬のうちに4拍子から3拍子へと変化し、その後また4拍子に移行する鮮やかなパートがあるが、こうした箇所でも断絶よりはなめらかな連続性が印象に残る。こうした特異な構造のなかで聴き手は中核にあるリズムのみを聴くのではなく、つねに隣在する、あるいは潜在するリズムを意識させられることになる。作品の印象は一つに統合されるのではなく(Nahi Mitti自身の写真のように)何重にも重層化されていく。



高橋勇人がaya「dis yacky」について行なったポリリズムとクィア・アイデンティティについての興味深い読みを参照するならば(*3)、この音楽は、アイデンティティを弁証法的に統合された単一のものではなく、つねに揺らぎをもって二重化・三重化されたものとして捉えることと結びつけられるかもしれない(ジャケットの通り、仮面を外した先にも「真の顔」はないのだ)。また、異なるリズム同士が共存し、変化を繰り返していく音楽構造からは、彼女の属するクルーの名である“mutualism”(共生)という語がとっさに思い浮かぶ。そうすると作品からは一種の共同体論的な予感も漂うのだが、単一の「意味」を見出そうとするような真似はこの辺にしておこう。仮に『Aisaund Sings』を定義するならば第一に「リズムやサウンドの実験に満ちた超刺激的なダンス・ミュージック」とされるべきだし、逆に言えば、複雑さに満ちている「にもかかわらず」快楽的なダンス・ミュージックであることが重要なのだろう。その細部が孕む快楽は再生時にしか現前しない。願わくは、多様なリスニングとダンスが行なわれんことを! (吸い雲)

*3  高橋勇人×野田努「talking about Hyperdub:UKエレクトロニック・ミュージックの新局面」(http://www.ele-king.net/columns/008543/



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