Review

Maruja: Connla’s Well

2024 / self-released
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レヴュー・サイトで超人気! それでも世界(インターネット)は殺伐として

10 May 2024 | By Shoya Takahashi

Marujaは、マンチェスターを拠点とする4人組のポストロック・バンドであり、レヴュー・サイトの《Album of The Year》や《Rate Your Music》で高い評価を受けるアクト。この手の「英語圏のネット民に話題」とされる作家たちにはいくつか共通したムードがあって、サイケデリックあるいはプログレッシヴで大作志向な作品が好まれる傾向は一貫しているように思う。クアデカ、Cindy Lee、Bladeeとかね。日本語圏のアクトだとbetcover!!やLampが好まれるのもそれに通ずるし、フィッシュマンズ『LONG SEASON』やBorisの国外評価が高いのもそう。

わたしは年始のシューゲイザー記事でも書いた通り大作志向から距離のあるリスナーではあるのだが、Marujaはちょっと違った。5曲21分というコンパクトな作りもそうだし、メンバーにアルト・サクソフォンを擁したポストパンク風味な音楽性なのもいい。連想されるのは、スクイッドや初期ブラック・ミディ的な最新型のポストパンク~マスロックに、ザ・ポップ・グループやデブリスのような70年代エクスペリメンタル~ノー・ウェイヴ、さらに2020年代以降にアジア圏やカナダなどグローバル・メインストリームを外れた地点から様々なジャンルを巻き込みその渦を広げているポストハードコア勢……。それらの不穏でまがまがしく騒々しい旋風の終着点として回収するがごとく、高密度だが、軽さもあるEPとしてまとまっている。

例えば「The Invisible Man」では、スネアの位置のずれを強調するようなドラムビートと、ボリューム調節によってストリング・シンセサイザーのような効果を持ったギターから始まる。その後もジョニー・グリーンウッドを思わせるようなギターフレーズとジャズのフィーリングがあるサックスが絡み合い、「異なる種類の青(kind of blue)、何マイル(miles)も過ぎてしまった」なんてリリックも飛び出し、マイルス・デイヴィスへのリスペクトを表明する。

「Zeitgeist」はさらにテンポアップしたドラムはハードコア・パンク~メタルコアのそれを思わせる。低音域をわずかに上下するいわゆる「地を這うような」ベースや、震えるように接近しながら単一音を鳴らし続けるサックスが醸し出す呪術的な雰囲気は、パブリック・イメージ・リミテッド「Flowers of Romance」とベース・ミュージック以降のバンドサウンドのコラボレートだ(だから、『Hail To the Thief』以降のレディオヘッドを連想したりもする)。最終曲の「Resisting Resistance」にいたっては、イントロのギターとサックスの豊かな残響音は空気をいっぱいに含み、その音像はニューエイジにまで射程を広げている。

近しい音楽性のバンドについて引き合いに出され続けてきた、2010年代末~2020年代初頭デビューのポストパンク・アクトの躍進も一区切りついて、いよいよジャンル・ブレンディングも円熟を迎えはじめてきた今はもう2020年代半ば(そもそもスクイッドやブラック・カントリー・ニュー・ロードやブラック・ミディや、近年のギラ・バンドやIDLESがいまだにポストパンク文脈で語られていることへの疑念はもっと強調されていいと思うけど)。Marujaが比較されるべきは、むしろロンドンのUglyやTapir!といったインディー・ロック/インディー・フォーク勢に、同郷・マンチェスターのMandy, Indiana、あるいはニューヨークのModel/Actrizのような存在であろう。

批評や言説の成り立ちやすさに依拠して、シーンとかトレンドといったタームに回収されることなく、個々のローカルに根ざして奔放に、ラウドだったり重層的だったりする音を鳴らすこと。それが、分断や対立がもう引き返せないほど進行してしまった現代社会の処世術だ(現在はライターやポエティストですら、ことばを分断や対立をつくる道具にしてしまうアーキテクチャの奴隷だからね)。むしろそういう安易なカテゴライズや文脈化のむずかしさや、特定の言説に結びつけられない彼らの音楽の「自由さ」こそが、レヴュー・サイトのユーザーたちの心を惹きつけ続けているのだと、ここまで書いてきて思い至りました。

ありがとう、Album of The Year。おかげで原稿が一本書けたよ。(髙橋翔哉)

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