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Moor Mother: Black Ency-clopedia of the Air

2021 / Anti Records
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ムーア・マザー快進撃、第二幕の始まり

08 October 2021 | By Yuko Asanuma

2017年にポーランドのフェスティバル、《Unsound》でこのフィラデルフィアを拠点にする詩人でありオールラウンドなアーティストのパフォーマンスを初めて観て、まさに雷に打たれたような衝撃を受けた。それ以来、ムーア・マザーは今最も偉大なビジョナリー(未来のビジョンを持つ人)だと思っている。彼女の魅力は、この世の理不尽さをすべて見透かすような、その上で全身で立ち向かっていくような、その強靭さに尽きると思う。とにかく、強い。「この世界はマジでサイッテーだけど、負けねえからな!」と、殺傷力の高い音と言葉で戦う女戦士という感じで、この人について行けば何とかなるかもしれないと思わせてくれる。誰もが行き先を見失い、混沌する世界にはびこる、特に女性に向けられた抑圧、不正、暴力について歌うことで、彼女は聴く者を希望の縁まで連れて行ってくれる。

ソロ作品としては2016年のファースト・アルバム『Fetish Bones』、2019年の『Analog Fluids of Sonic Black Holes』、2020年の『Circuit City』をこれまでニュージャージーのインディペンデント・レーベル、《Don Giovanni Records》から発表しており、今回リリースされた『Black Encyclopedia of the Air』は4枚めのアルバムとなる。コラボレーション・プロジェクトや客演も入れると、猛烈なペースでアウトプットし続けているのでここでの紹介は割愛するが、非常に多作な人だ。

本作は「ぜひヘッドフォンで聴いてほしい」と発売日に本人がツイートしていたので、その通りにした。今回からレーベル《ANTI-》と契約したということ以外は特に前情報なしに聴いてみたが、正直なところ一聴したところではやや拍子抜けというか、物足りない印象を受けた。コロナ禍の鬱憤や、その間にも激化した人種問題を受けて、何か爆発的でアグレッシヴなやつをぶちかましてくると思っていたからだ。

90年代にヒップホップを聴いていた者としては馴染みのある、ジャズ・サンプリングのビートに落ち着いたラップを乗せ、多数の客演をフィーチャーした曲が続く前半は、ずいぶん聴きやすく、「丸くなったな」と思った。というのも、彼女のこれまでの作品はまるで牙を剥く蛇か獣のような、威嚇スタイルだったからだ。ファーストとセカンドは荒削りでノイジーだったし、サードも彼女がメンバーを務めるフリー・ジャズ・バンド、Irreversible Entanglements作品の延長であった。どんな轟音もフリーキーなジャズも自分のものにして、同じくらいの強さとインパクトを持つスポークン・ワードで乗りこなすところが彼女のカッコ良さなのだが、音楽的には決してとっつきやすいものではない。

そういう意味では、本作の収録曲の中では「Zami」がこれまでの彼女のソロ作のスタイルを最も継承しており、「Tarot」や「Clock Fight」は、彼女が度々行っている、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのロスコー・ミッチェルとのコラボレーションを思い出させる。しかし、「Mangrove」や「Shekere」のようなジャジーなラップ・チューンと全体を通した柔らかな音作りに、これまでのファンは皆戸惑ったのではないかと思う。

Pitchforkのインタビューでは、本作は「セル・アウト」作品だと冗談で語っているが、Crack Magazineのインタビューでは自分が楽しむエネルギーを込めて制作したとも発言している。考えてみれば、もうずっと彼女はストレートにフラストレーションや怒りをぶつけるような作品を作ってきたし、ライヴをしてきた。また、繰り返し聴いてみると、リリックのテーマや言葉づかいは全く薄まっていないことに気づく。つまり、伝え方(戦い方)が変わっただけで、伝えていること(戦い)は変わっていないのだ。このアルバムは、彼女のキャリアと表現が次なる段階へと進んだことを示している。よりリーチの広いレーベルと契約したことで、彼女の音と言葉は新たなリスナーの耳に届き、そしてすでに広がり始めている。このアルバムを入り口に、より多くの人が彼女のビジョンに触れることになるだろう。これは、ムーア・マザー快進撃の第二幕が始まったにすぎない。(浅沼優子)

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