現代ニューヨークのフォークロア
アルバム『Vulture Prince』(2021年)で昨2022年の第64回グラミー賞最優秀グローバル・ミュージック・パフォーマンスを受賞し、一躍世界的注目を集めることとなったアルージ・アフタブ、《Verve》契約のアナウンスがあったのは昨年の今頃のことだった。パキスタン出身(厳密にはサウジアラビア生まれ)の女性がグラミー受賞はおろかノミネートされたことさえ過去になかったことから大いに話題を集めていた彼女だが、しかしながらジャズの名門《Verve》が手を挙げたのは割と自然なことだったと思う。
それまで彼女の作品を出していたのは《New Amsterdam》。yMusic、Sō Percussion、Timo Andres、Padma Newsome、Darcy James Argueなどジャズ、クラシック、現代音楽などを自在に行き来させるようなことを率先して行ってきたニューヨークらしいレーベルだ(つい先頃、こちらもレビューを書きたくなるほどに素晴らしい、ジュリア・ホルター、アレックス・テンプル、スペクトラル・クァルテットによる共演作『Behind The Wallpaper』がリリースされたばかり)。アルージがバークリー音楽大学卒業後、ニューヨークを拠点にするようになってからもう10年以上。幼少時からヌスラット・ファテ・アリ・ハーンを通じてカッワーリに触れ、アビダ・パルヴィーンの影響からスーフィーの音楽に心酔し、一方でカイリー・ミノーグも愛聴したり、18歳の時にはレナード・コーエン「Hallelujah」をジャズ・アレンジでカヴァーしたりと非常に幅広いアングルを持っている彼女にとって、《New Amsterdam》は絶好の“ホームグラウンド”だったに違いないし、“その次”があるとすれば、これはもう《Blue Note》か《Verve》か……と想像に難くなかったからだ。
そんなアルージの《Verve》移籍第一弾が本作。しかも、イェール大学で数学・物理学を学び、現在はハーバードで教鞭をとっているという異色のジャズ・ピアニスト/エレクトロ・ミュージシャンで最新作は《ECM》から出しているヴィジェイ・アイヤー、マーク・リーボウのセラミック・ドッグのメンバーで、サム・アミドンやサム・ゲンデルとも交流のあるベーシストのシャザード・イスマイリーとの共同名義アルバムになっている。アルージの2018年のニューヨークでのライヴの後に3人が邂逅。ニューヨークのスタジオでリハらしいリハのない状態でスポンティニアスにレコーディングされたのだという。全7曲だが10分以上の曲が4曲あるため1時間15分ほどのヴォリューム。おまけに編集もほとんどしていないそうで、3人だけの即興に近いセッションをなるべくその場の空気ごとパッキングした作品のようだ。
Love in Exile……亡命の愛。本作のこのタイトルは確かに意味深長ではある。もちろんアルージはパキスタンから“亡命”してきたアーティストではないが、ジャケット写真の3人を見ても明らかなように、シャザードもパキスタン系、ヴィジェイは南インド系(シャザードとヴィジェイはアメリカ生まれ)。そのことがタイトルと関係しているかどうかはわからないし、例えば1曲目「To Remain / To Return」のウルドゥ語による歌詞自体はどうやら悲恋を歌ったもののようだが(“Ja re ja main ab tau se nahin bolun / Tau se ab nahin bolungi main / Ja re – 離れて、もう話さないから 私はもうあなたと話すことはありません)、アルージによるマントラのようなヴォーカルからは遠い祖国への果てなき思いが込められているようにも聞こえる。
しかし、その内容については実弟の死が歌詞にも大きく反映された『Vulture Prince』ほどにはパーソナルな目線が強く出ていない。もともとアルージの歌詞はパンジャブ地方周辺の古典的な詩の朗唱(ガザルの一種か)のスタイルを取り入れたものが多いが、ここではより簡潔でシンプルな言葉のリフレインが印象的で、その意味さえもここではかなりオブスキュアなままにしてあるようだ。おそらくそれは、淡々とループされるピアノとベースライン、そして少量のシンセによるミニマルな音空間、時にはトランシーに拡張されていく音処理の中で、自然と言葉の内容を限定させないようになっていったのではないかと思う。「Haseen Thi」あたりはシャザードによるムーグ、ヴィジェイによるフェンダー・ローズがアンビエントで恍惚としたサウンドへと昇華させていて、ある種のトランス・ミュージックのようにも聴けるし、「Eye Of The Endless」ではドローンさながら、「Sharabi」はニューエイジのような趣さえある。
だが、どの曲もメロディらしいメロディに支配されていないにも関わらず、少しハスキーなアルージの歌声はアメリカーナっぽくもあるのが興味深く、昨年の最新作にはシャザードも参加していたベス・オートンのストイックなクロスオーバー感を連想させたりもする。繰り返しになるが、3人はこの作品を即興に近いセッションで作り上げた。青写真を最初に用意した上での準備は一切なく、3人のバックグラウンドや指向、スキルが自然と交錯した中で、ここまで鞣されて濾過されて咀嚼されたものとなった。そして、彼らが名の知れぬどこかの辺境の地でこれを作り上げたのではなく、世界一の大都市の日常の中から生まれたことに胸の高鳴りを抑えきれない。南アジア系の3人が描く愛、別れ……これこそ現代ニューヨークのフォークロアなのだろう。(岡村詩野)