実験(エクスペリメント)と経験(エクスペリエンス)
グッド・サッド・ハッピー・バッドのヴォーカリスト/キーボーディストによるパーソナルな初ソロ作
目の前に次々と押し寄せる課題に、ため息をつきつつ、重い腰を上げてとりかかる。イヤフォンでこのライサ・K(Raisa K)のアルバムをかけると、まんざらでもなくなってくる。ライサ・カーンはギルドホール音楽演劇学校の同級生だったミカ・レヴィとともにミカチュー・アンド・ザ・シェイプスを結成し、2009年にデビュー。のちにグッド・サッド・ハッピー・バッド(以下、GSHB)と名前を変え、活動を続けている。レヴィはバンド活動と並行して『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013年)を皮切りに、米アカデミー賞で国際長編映画賞と音響賞を獲得した『関心領域』(2024年)に至るまで、その不穏なノイズと悪夢的なオーケストレーションをもって、現在の映画界で最も大胆で反逆的な作曲家の一人として引っ張りだこの存在となった。それだけでなく、12分に及ぶダンス・トラック「slob air」を突如《Hyperdub》から発表するなど、バンドメイトが活動の振幅を拡大させていくなか、カーンはケイ・テンペストなど他のミュージシャンのサポートを続けながら、じっくりと音楽活動に取り組んできた。《Ninja Tune》傘下のレーベル《Technicolour》から2013年にリリースしたEP『Feeder』、2016年のシングル『Give Thanks』はどちらもエレクトロニックなプロダクションが強調されていたものの、あくまで彼女のパーソナルな感覚が残る作品だった。
カーンが作詞作曲、プロデュース、ミックスを自身で手がけている初のソロ・アルバム『Affectionately』には、GSHBのDIY楽器を多用しジャム・セッションを起点に生み出される、エクスペリメンタルでフリーフォームな印象は後退している。ほぼ全編にわたってラップトップで制作されていて、より自然体で、日記のようにつけられたデモがそのまま投げ出されたような佇まいを持ち、彼女のヴォーカルが持つ特有の冷徹さのなかに、いくらか牧歌的なムードさえ感じさせる。ざらざらとしたシンセサイザーのぼやけた音像、金属のきしむむような寂しげなサンプリング、不安定なドタドタとしたリズムが統一したトーンとなっており、同じトラックを使った変奏曲にも聴こえる。ラップトップをまるでアコースティック・ギターの弾き語りのように用いて、その骨格のみと言えるプロダクションの上で彼女はシンプルで迷いのない言葉を歌う。「Affectionately」「Feel It」では辛抱強く相手とのつながりを続けようとする心情を綴っているように、信頼関係、というのがアルバムのテーマと言えるだろうか。
今作でもっともGSHBに近いのはバンドのドラマー、マーク・ペルとレヴィが参加した「Honest」だが、それ以外にも「Stay」では15年にわたり交流を持つコビー・セイをフィーチャー。セイの《AD 93》から2022年にリリースされたアルバム『Conduit』にも参加しているカーンはここで「柔らかさを感じる準備ができた/優しさを感じる準備ができた/全てを捧げる準備ができた/私たちの間に空気がないと感じる準備ができた」と、セイのソロにはないメロウネスを引き出していて、ミカ・レヴィの柔らかなギター・ループが陶酔感を与える。一筆書きのようなスピード感のなかに、90年代でいえばルシャス・ジャクソンの雑然としたオルタネイティヴ感などを想起させる。アルバムを通して聴いてみても、彼女の語り口はシンガー・ソングライターよりもラッパーのそれに近いように感じる。それはレヴィとセイがブラザー・メイと立ち上げたロンドンのコレクティヴ、CURLに属していたこと、地元のラッパーたちと交流が深かったことと無関係ではないだろう。倦怠感を湛えながら、しかし、聴き終わったときには不思議と生命力、そして彼女の凛とした佇まいが残るのだ。
GSHBの『Shades』(2020年)からリード・ヴォーカル的な位置に立つことが増え、『All Kinds of Days』(2024年)では〈鏡よ鏡/私は結局、母に似ている〉と親子の関係を題材にしたコーラスを持つ「Mirror」などで、母であるカーンの精神性が色濃く現れてきていた。先んじて彼女のインスタグラムで発表されていたワルツ「Tall Enough」では、それがさらに推し進められ、「いつそんなに背が高くなったの?/お願いだから座って、私が倒れてしまう前に」とより直接的に母性について歌詞に記している。「Dreaming」はCURLの2017年のコンピレーションに提供されているので、このアルバムの制作が足掛け8年以上にわたっていることは間違いない。
今作でもうひとつ指摘しておきたい点は、デンマークはコペンハーゲンのレーベル《15 love》からのリリースであることだ。各所で2023年のベスト・アルバムに選ばれたエムエル・ブック『SUNTUB』や、チェロリスト、セシリア・トライアーのプロジェクトであるCTM、モア・イーズとリン・エイヴリーによるデュオ=Pink Mustのアルバムがリリースされたばかりだが、《15 love》そして先日来日を果たしたアストリッド・ゾンネやスメーツ、ファインをリリースする《Escho》周辺のアーティストたちに彼女がきっとシンパシーを感じているだろうことも、この素朴なDIYの手触りと無関係ではないだろう。レヴィの音楽を崇拝する人(私もそうだが)にとっては、いささか物足りなく感じるかもしれない。しかし、レヴィのエキセントリシティに長年拮抗してきた彼女の、普段着のなかに潜むパンク的アティチュードを、この投げ出された音にどうしようもなく嗅ぎ取ってしまうのである。
カーンは今作をロンドンの自宅のほか電車やバスの移動中、仕事の休憩時間、子どもたちの昼寝の時間、遊び場や公園などですきま時間を見つけながら完成させた。10年前の2015年の時点でカーンは「少し歳を取ると、物事が同じように影響しなくなる。そうやって乗り越えていくんだ。若いときは初めてのことばかりだけど、5回も別れを経験すれば、少し楽になる」(『ROOKIE』)と、経験がなによりも自身を成長させることを読者にアドバイスしている。バンドと同じくらい、家族と過ごすこと、フルタイムのミュージシャンでないことを誇りに音楽活動を続ける。そうした態度の彼女から生まれる音楽は、繰り返す毎日労働のすきま、くたくたに疲れた体に驚くほどフィットする。(駒井憲嗣)
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