Back

氾濫するテクスチャーとコペンハーゲン、《15 Love》、そしてPink Mustへの円環

17 April 2025 | By Ikkei Kazama

1.
がさごそ、しゃーしゃー、ざわざわ。頭蓋骨の裏側を撫でるように、まろやかな摩擦音がしゅるしゅると這いずり回る。慌ただしく働いていた思考が徐々に減退し、その弛緩は全身へと伝播していく。昼間には脳に種々の情報を送り込むための港として機能していた鼓膜は、ついにヴァイブレーションを感知するだけの「もの」に還元され、それ以上の意味を与えられない。そういえば、4年前の夏に受けた全身麻酔もこんな感じの気持ちよさだったな。いいぞ、その調子だ。これで今日も眠ることができる。

私はマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『loveless』というアルバムを聞いていた。ムームの『Finally We Are No One』というアルバムを聞いていた。ティム・ハッカーの『Harmony in Urtraviolet』というアルバムを聞いていた。私にとって、これらの作品を聞く際に湧き起こる生体反応は、ASMRのもたらすそれと酷似している。

つまり、テクスチャーの氾濫による愉悦、リラックス。ディストーション・ギターの洪水も、チェロのグリッサンドも、そしてフィードバック・ノイズも、テクスチャーのうねりを伴った具体として知覚され、秘められたフェチズムへと直結する。

2.
近年、このようなサウンドテクスチャーへの希求はそこかしこで前景化しているようだ。ポップスの領域で議論の嚆矢となったのは2019年のビリー・アイリッシュ『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』。矯正機器を外す唾液混じりの音(「!!!!!」/*1)から幕を開ける本作では、ウィスパー・ヴォイスが左右のチャンネルにそれぞれ配置され、ナイフを研ぐ音(「You Should See Me In A Crown」)や歯科用ドリルの音(「Bury a Friend」)が鈍重なサブベースと等しく鳴っている。

既に栄華を極めていたASMRクリエイターたちの間でも『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』は珍重され、トップランナーの一人であるGibi ASMRをはじめ多くのカヴァー動画がYouTube上にアップされたほか、本作をASMRとの関係から論じるレヴューがいくつも発表された。

ビリー・アイリッシュを待たずとも、楽曲内のテクスチャーに凹凸を設けるアイデアは様々なエリアで実践されていた。とりわけ電子音楽の領域で、ASMRブームは作品の受容関係を考える契機として静かな衝撃を与えていたことが窺える。例えば、ホリー・ハーンドンは2015年作『Platform』のリリース時のインタヴューで、ASMRを「人々がインターネットを介した、身体的な刺激を伴う親密性に関与するということのとても興味深い例」と評し、同作収録の「Lonely At The Top」が「クリティカル・ASMR」というアイデアから着想を得た楽曲であることを明かしている(*2)。

また、ASMRとは異なる方面からテクスチャーに着目するアーティストも増加している。例えばUSヒップホップではヴォーカル・トラックやサンプリング・ソースの意図的な「汚し」によるロウな感覚へのアプローチが公然と行われていた。過去にこのテーマが議論の俎上に上がるきっかけの一つとなったタイラー・ザ・クリエイター『IGOR』も『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』と同じ2019年の作品だ。

さらに、極端にこもった音像やプリセットをそのまま用いたような安っぽいシンセサイザーによるサウンドデザインは、ディーン・ブラントやアリエル・ピンクといった、いわゆる「ヒプナゴジック・ポップ」の諸派が好んで採用していたものだ。彼らの作品には決まって「ローファイ」という判が押されているが、これもテクスチャーの凹凸を作品内に設けようとした試みとして整理されるべきだろう。

とまあ、上記では大勢を整理するため象徴的な作品を挙げたが、この潮流の本質がリスナー側の態度に潜んでいることをここで指摘しておきたい。だからCornelius『FANTASMA』やビョーク『Vespertine』をASMRポップの源流として鑑賞していてもなんら問題はないし、ウィリアム・バシンスキとLovesliescrushingを一つのプレイリストに入れて聞くのも自由だ。レイジやヘヴィ・シューゲイザーのような、一聴すると暴力的のようにも聞こえるサウンドの中に浮遊感を覚え、これらを自室で一人の夜をやり過ごすためのチルアウトに向けたBGMとして用いても構わない。

いっそのこと、コンテクストは一旦忘れてしまおう。それよりも「これを聞いた人はこれも聞いています」といったフィーリング主導のリスニング体験の方が、ここでは重要視される。あなたがそう思ったなら、それは間違いなく存在しているのだ。

3.
そして2025年現在、「テクスチャーへの多角的なアプローチ」という点において、コペンハーゲンの音楽家たちは卓越した美学を有している。彼らは数多に点在しているコンテクストをテクスチャーの探求によって観点からまとめ上げ、それらを歴史の縦の線の中で捉えられるだけの土壌を耕しているのだ。

伝統的なジャズ・フェスティヴァルを抱えながら、北欧メタルの一端も担うこの都市は、2010年代以降のインディー・ロックに新風を吹き込んだ。その急先鋒となったアイスエイジを世に送り出したのが《Eshco》だ。2005年に設立されてからコペンハーゲンに集うアーティストの作品を幅広く紹介してきた同レーベル。当時のコペンハーゲンのシーンを日本に紹介した《BIG LOVE RECORDS》の仲真史が「ジャズ、現代音楽、ポップス、ヒップホップなんかのミクスチャーというような、ちょっと変わった音楽をリリースしているレーベル」と評していたように、その音楽性は雑多である(*3)。

現在の《Eshco》を代表するスターといえばスメーツだ。ノルウェーはオスロで生まれた2人はコペンハーゲンの音楽学校でデュオを結成、デビューから5月にリリース予定の最新作『Big city life』に至るまで《Escho》をホームとしている。90’sからの影響を多分に盛り込んだ硬質なビートと軽やかな歌は2021年のファースト・アルバム『Belive』で原型を留めないほどに融和し、デコンストラクテッド・クラブ/ハイパーポップ隆盛後のエレクトロニカが進むべき方向をしとやかに指し示した。彼女らの盟友(というかクラブ仲間)であり、グローバル規模での成功を収めたエリカ・デ・カシエールと共に、Y2Kブームによって盛り上がったディーヴァ再興のトレンドを用意した存在として解釈することもできる。




特にここ数年の《Eshco》からのリリースで最も鮮烈な印象を与えたのはアストリッド・ソンネ『Great Doubt』だ。ヴィオラ奏者として音楽教育を受け、聖歌隊やジャズ・バンドでの演奏を重ねるかたわら、ノイズや即興演奏のライヴにも出入りしていた彼女は、先述のアイスエイジをはじめとした野心的なミュージシャンが拠点としていたライヴハウス《メイヘム》で初のソロ・コンサートを行い、《Eshco》と合流することになる。

『Great Doubt』では彼女の幅広いバックグラウンドが表現されていると同時に、それらを共時的に鳴らすことによってテクスチャーの凹凸が立ち現れ、「ポスト・クラシカルをフェチズムの範疇で鑑賞する」という革新的な聴取体験を提供している。例えば「Do you wanna」では突き上げるようなベースとディケイを切り落としたドラムから始まり、徐々にヴィオラとピアノによるシーケンスへと移行していく瞬間を確認することができる。



そのアストリッド・ソンネとのコラボレーターであるMLブーフが2023年にリリースした『Sunturb』も、テクスチャーから現在のシーンを捉える上で重要な作品だ。本作品を送り出した新興レーベルの《15 Love》は、そのカタログの全てがテクスチャーにおける実践/実践に満ちており、強烈な存在感を放っている。

本人が定義するように、『Sunturb』はギターのアルバムだ(*4)。7弦のスクワイヤー製エレキギターは、時にジョニ・ミッチェルの小曲のように爪弾かれ、時にはブラックゲイズのように鈍く歪む。しかし、この2つのプレイを「静と動」といった構図に当てはめるのはナンセンスだ。他方はユーフォリックな声と共に進行し、他方はホワイト・ノイズに酷似した苛烈ながらも雄大な空間を用意する。一聴すると相反するような要素をアルバムの内部で並置させたことこそ、『Sunturb』の功績だ。

さらに、ギターの録音に加えて、『Sunturb』においてMLブーフは様々な階層でテクスチャーを巧みに切り貼りしている。本作のヴォーカルは、MLブーフが運転するプジョーの中で、海を眺めながら録音されたものであったり、収録曲のほとんどには彼女が身の回りで採集した風の音が含まれているという。それによる情景描写的なプロセスこそが彼女の本懐であり、全体のサウンドの目的地点だった。

Windows XPの「あの」丘のような、電脳世界のエヴァーグリーン。テクスチャーによって導かれる空間は、ノスタルジックを伴いながら安寧へと誘う。



よりギターにフォーカスしたフェティッシュな作品を生み出しているのがジョーダン・プレイフェアだ。英グラスゴーを拠点に活動する彼のデビュー作『Something Inside So Wrong』はギターによる弾き語りを主としている。しかし、一般に想起されるギターの弾き語りのようなたおやかなムードはない。冒頭の「Back Home」では、様々なテクスチャーのギターが四方八方で鳴らされ、それらが硬質に干渉しあっている。爪と弦が擦れる音まで生々しく録ったものも入っているし、ディストーションを纏った音色もあれはディレイで発振させた音色、さらにはリヴァース処理を施したものまで。中には原型を留めないほど劣化した音質のトラックまで同時に鳴っている。これら豊富なテクスチャーを有したギターを重ねることによって、楽曲上の反復や構成の妙味といった要素に依らない、垂直方向のサイケデリックが達成されるのだ。

ジョーダンはコード・ストロークの際に指の腹を使って撫でるのではなく、爪と弦を擦りつけるようにして甲高い音を鳴らす特徴がある。「Pan Is Dead」や「Into Decay」ではジョーダンの歌声と共に、そのソリッドな響きを聞くことができる。しかし、硬質な印象の演奏とは裏腹に、環境音や劣化したテープにチリチリとしたノイズがミックスされることで、そこに人肌の介在を感じさせる一抹の安心感が付与されるのだ。往年のアシッド・フォークにも似た、ローファイの成せる名状し難いマジックが『Something Inside So Wrong』には宿っている。



《15 Love》は立ち上げから2年も経っていない、まだ若いレーベルだ。にも関わらず、ジョーダン・プレイフェアをはじめ、コペンハーゲンの外で活動をしている、インディー・シーンで長年支持されているアーティストもここから作品を発表し始めている。その好例がグッド・サッド・ハッピー・バッドでヴォーカルを務めるライザ・Kのファースト・アルバム『Affectionately』だ。

グッド・サッド・ハッピー・バッド、ひいてはミカチューことミカ・レヴィの功績は計り知れない。というより、ミカ・レヴィこそ、ここ数年のインディー・ロックにおけるテクスチャー研究の第一人者であった。ミカチュー・アンド・ザ・シェイプスをはじめ自身のソロ作や『関心領域』のO.S.T、さらにはティルザやバー・イタリアとの協働など、近年のロンドンから飛び出してくる脱構築的なサウンドの元を辿ると必ずこの異才がいる。

時にインダストリアルやシューゲイザーの領域とも接近しながら、ヒプナゴジック・ポップ的な美学をあらゆる地点に種撒いてきたミカ・レヴィ。その共同作業者であるライザ・Kによる『Affectionately』は、局所的に行われていたテクスチャーの実験をよりポップな領域まで引率していけるような可能性に満ちている作品となった。

冒頭のタイトルトラックでは、ミカ・レヴィが『Blue Alibi』や『Ruff Dog』で体現した、退廃的なウォール・オブ・サウンドとでも言うべきノイズの膜をあえて背景化し、あくまでヴォーカルとドラムマシンが主体として立ち上がるようにデザインされている。この構成は次曲の「how Did You Know」や「Honest」、さらには「Dreaming」といった楽曲でも観測することができる。激しいカットアップの「Step」やコビー・セイとの「Stay」など、『Devotion』以降のアブストラクトR&Bを定義しかねない重要作だ。



その他にもレーベル第一作となったチェリストのCTMによる『Vind』や、バー・イタリアの3人をスワンズに放り込んだようなエクスペリメンタル・ユニットのスリム0など、《15 Love》は野心的なリリースを続けている。また、Cph+のように、コペンハーゲンとロンドンの実験シーンとの親和性を仄めかすプレイリストもSpotify公式によって作成されるなど、その裾野は広がり続けている。

4.
そしてピンク・マストだ。モア・イーズとリン・エイブリーによるこのデュオが今年の2月に《15 Love》より発表したデビュー作は、現状のトレンドを踏まえた上でその円環的性質を明らかにするだけの説得力を帯びている。



モア・イーズはテキサス出身で現在はブルックリンを、リン・エイヴリーはカリフォルニアをそれぞれ拠点に活動し、アンビエントを軸足に置きながら数々の秀作を世に放ってきた。そしてピンク・マストではギターサウンドへの興味を存分に表現。MLブーフ〜スリム0〜ジョーダン・プレイフェアと続いてきた、《15 Love》の裏テーマとも呼べる「ギター・ミュージックの捉え直し」という文脈とも合流するような作品となった。

冒頭の「Morphe Sun」から既にいくつもテクスチャーが併存している。モア・イーズのヴォーカルはオートチューンによって輪郭が揺らぎ、バッキング・ギターはトーンを絞った鈍い音色に、そしてビートは煙ったいブーンバップのような腰の低さでもって鳴り響く。一聴するとアンクルやレイラのような、IDMに片足を突っ込んだトリップホップにも近い。さらに中盤ではピッチダウンされたギターのストロークも挿入される。ケヴィン・シールズのトレモロ奏法を想起させるようなコード感の歪曲だ。同時に、極端に低いビットレートでノイズまみれになった同様のフレーズが弾かれているのも聞き逃してはならない。

確かにそうだ。このアルバムは構えていると聞きどころが多すぎて、少々混乱してしまうかもしれない。「Himbo」のような二人のソロ作品を踏襲したようなアンビエントと、「Cost Of Living」のようなサルヴィア・パルス譲りのベッドルーム発のサッドコアと、「Long In The Arms」のような『Race』期のアレックス・Gを思わせるインディー・フォークが、ギターのトーンひとつで弾き分けられていく。

ピンク・マストへの印象は、まさに千差万別のものであると言って差し支えがないだろう。しかし、その印象に結びつく箇所を具に観測してみると、それらがフレーズや構成ではなく、音の劣化によるノイズやチープさといった、楽曲内のテクスチャーに起因しているものであることに気付かされる。モア・イーズ自身も直近のインタヴューでASMRへの興味を語っており、その効果をアルヴィン・ルシエやヴラディスラフ・ディレイの作品と関連づけるなど、テクスチャーの観点から既存のサウンドを解釈することに自覚的な作家であることが窺える(*5)。

テクスチャーを幾重にも塗り重ねていくことによって、私家的な歴史の線が作品を通して共有される。ピンク・マストはこのようにして、そこはかとなく物語を差し出すのだ。

この記述方法は画期的だ。ピンク・マストは、ある年代のあるジャンルに確かに存在したエッセンスを縦に並べ、それらをテクスチャーという生理的な知覚によって束ねることが可能であることを悠々と示している。つまり、いわゆる「肌感覚」によってキャッチされる時代の空気感とその固有性は、往々にして歴史の手からこぼれ落ちがちであるが、ハイファイ/ローファイをトラックごとに巧みに操り、その濃淡によって表現の的を絞りさえすれば、「あの時のあの感じ」は歴史の中に位置づけることができるのではないだろうか。

テクスチャーが歴史の記述における需要な因子として立ち上がっていることは、ある種の必然でもある。思えば「あの時のあの感じ」の再現こそ、まさにY2K的想像力の目標到達点ではないだろうか。ピンク・マストの方法論を適用すれば、Y2Kムーヴメントを単なる懐古主義以上の、ある一定のある世代による歴史化と固有性の獲得を主眼に置いた闘争と捉えることも可能であるはずだ。

コンテクストから零れ落ちたテクスチャーを歴史の中に組み込むことによって、コンテクストを刷新する。ピンク・マストの作品に潜む円観的構造は、現在のポピュラー文化がどのような導線で動いているのかを示している。「あの時のあの感じ」による歴史は、確実に存在しているのだ。(風間一慶)

(*1)本作のASMRとの関係を指摘したBusiness Insider「How Billie Eilish harnesses the power of ASMR in her music」では、「!!!!!」における唾液の入り混じった音がモッパン系のASMRと並置して紹介されている。
https://www.businessinsider.com/how-billie-eilish-harnesses-the-power-of-asmr-2019-10

(*2)ele-king「ホーリーさんの“明るい”メディア・アート──ホーリー・ハーンダン、インタヴュー」
https://www.ele-king.net/interviews/004549/

(*3)Fika「Iceageらデンマークシーンがロック史を変えた瞬間を仲真史が語る」
https://fika.cinra.net/article/201711-iceage

(*4)Stereogum「”I Was Singing About The ‘Film Of Sky,’ Whatever That Is”: ML Buch Brings Her Singular Sound World To LA」
https://www.stereogum.com/2273067/i-was-singing-about-the-film-of-sky-whatever-that-is-ml-buch-brings-her-singular-sound-world-to-la/interviews/qa/

(*5)TURN「「《Kranky Records》に影響されて作ったアルバムなんです」
ニューヨーク拠点のマリ・モーリスによるソロ・プロジェクト=モア・イーズが語るクレア・ラウジーとの共演アルバム『no floor』」
https://turntokyo.com/features/interview-more-eaze-no-floor/


Text By Ikkei Kazama

関連記事
【REVIEW】
Raisa K
『Affectionately』
http://turntokyo.com/reviews/affectionately-raisa-k/

1 2 3 77