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クィアの声と連帯する、ボーイジーニアスの現在 ── 水面下で手を携える、ジュリアン / ルーシー / フィービー

15 October 2025 | By Nami Igusa

それぞれに独立したソングライター同士による一時的なユニットであったボーイジーニアスは、本人達の思惑をおそらくは遥かに凌駕して、グループとしてあまりに成功しすぎた。もちろん、彼女たちのソングライティングや丹念に編み込まれたハーモニーは素晴らしかったが、あの3人が、3人セットでいること、またその中でのジュリアンとルーシーの特別な関係といったいわば“関係性推し”というのか、そうした音楽性を通り越したアイドル的なファンダムによる過剰気味なネット上のハイプによって、かえってソングライターとしての、フィービー・ブリジャーズ、ジュリアン・ベイカー、ルーシー・ダカスが後景に追いやられてしまった感じもしていた。本人たちも、それを少なからず感じ取っていたところはあったのではないだろうか。そこで、“ボーイジーニアスではない”彼女たち3人の直近の活動を俯瞰してみようというのが本稿の趣旨である。

ジュリアン・ベイカー | 南部のクィアとして、カントリーに見出す自身の実存

まずは、2025年4月に《Matador》からトーレスことマッケンジー・スコットとのコラボ・アルバム『Send a Prayer My Way』をリリースしたジュリアン・ベイカー。実はこちらのユニット結成の方がボーイジーニアスの『The Record』(2023年)よりも先だったのだそうで、パンクに傾倒しエモへと行き着いた叙情的なジュリアンの作風、フォークにグランジのようなサウンド・デザインを施したマッケンジーの作風とは裏腹に、本作はれっきとしたカントリー・アルバムとなっている。ウエスト・コースト・ロックやサザン・ロックのフレーヴァーも忍ばせつつ、ソングライティングやアレンジは基本的にカントリーの正攻法だ。シンプルな曲構成に、キャッチーなメロディーライン、起承転結のあるコード進行、望郷や遠くの誰かを思うリリックの哀愁、そしてその押韻……と、きっちりその様式に則りながら、ニュアンスに溢れた2人のギターの絡みやそれぞれが得意とする高音と低音で棲み分けされたハーモニーは秀逸で美麗。様式美がはっきりしているゆえに、ソングライティングやアレンジの基礎体力の高さもかえってダイレクトに感じ取れ、12曲40分、飽きることなく軽やかに聴き通せるのもその証左だ。

そのうえで面白いのは、お尋ね者のガンマンのような風貌の2人が決闘……と、西部劇の無法者のオマージュを忍ばせる「Bottom of a Bottle」のMVなど、アウトローのイメージをさりげなく纏っているところ。つまり、この2人の奏でるカントリーが、ナッシュヴィルの煌びやかで商業的なそれではなくて、ウィリー・ネルソンやジョニー・キャッシュらによる“自身の真実の歌”としてのアウトロー・カントリーであることを、こうした表象は明示している。また、並行して注目したいのはジュリアンとマッケンジーの両者が南部のクリスチャン家庭の育ちであるとともにクィアであることから、本作にはクィア・カントリーとしての側面があるという点だ。<地獄へ行って戻っても>という歌い出し然り、どんな状況下に置かれてもなお ──アンチ同性愛的な政権下においても── 貴方を愛し続ける、と軽快に歌い上げる「Sugar in the Tank」のMVでは、バンドを従えたジュリアンとマッケンジーが、ダンスホールで(ディスコでもハウスでもなく)カントリーを演奏する横で、クィアな人々が思い思いにラインダンスを繰り広げている。他方では、相手の母親にセクシュアリティを理解してもらえない経験を綴った「Tuesday」など、よりシリアスな状況を歌った楽曲も本作には収められている。

ただしここで留意しておきたいのは、TURNの《Book Review》で永冨真梨氏が取り上げていた『レッドネックス・クィアズ・アンド・カントリー・ミュージック』(ナディーン・ハッブス著)の解説の通り、クィア・カントリーだからといって必ずしもアウトローではない、ということ。カントリー=保守という一方通行な方程式は、70年代以降の労働者階級に付与された保守的なイメージに依拠したもので、本来、カントリーにおけるクィア表現やホモフォビアに対する抵抗の歴史は存在していた、ということは、本作を聴く上でも頭にとどめておきたい点である。

「クィアにもかかわらず」という逆張りではない。そうではなくて、テネシー出身のジュリアンとジョージアで育ったマッケンジーの生活の中では、カントリーが初めから鳴っていたということ。つまり、南部に生まれ育ったクィアなミュージシャンであることのリアルそのものが、このカントリー・アルバムというわけだ。ちなみに、《The Independent》のインタヴューによれば昨今のジュリアンは「すべてが自分の世界とアイデンティティを体現するような独善的な空間に戻るのは楽しくなさそう。誰かと一緒にクリエイティブなプロジェクトに取り組む方がずっと楽しい」と感じているそうで、原体験を共有し合える相手と、持ちつ持たれつソング・ライティングを練り上げていくことに、充実感を得ているのが現在のジュリアン・ベイカーだと言えそうだ(ただ、彼女のメンタル上の理由から本作を提げたツアーはキャンセルとなっており、心配ではある)。

ルーシー・ダカス | 自身の恋や愛を可視化しながら、クィアをサポート

直近で動きのあったもう一人が、そのジュリアンと恋仲となったことをオープンにし、共にLAへ移住したルーシー・ダカス。3月にリリースした『Forever Is A Feeling』は、恋の陶酔感やそれが身近にある様をテーマにしており、本人は明言していないものの、ジュリアンとの関係を題材にしていることは明らかだ。中でも、冒頭から前半にかけて繰り広げられるピアノやストリングス、ハープを伴い印象派のようなアレンジを施したサウンドが新基軸で、彼女のまろやかなアルト・ヴォイスが溶け合うことで優雅でユーフォリックな感覚を空間いっぱいに漂わせている。そこに、ブレイク・ミルズの参加も頷ける歯切れのいいパーカッシヴなギターが組み合わされ、現在進行形の恋に新鮮に浮き立つ様が表現されているのも、サウンド・デザインとして魅力的だ。参加しているジェイ・ソムの好みか、楽器一つひとつの音が粒立っており、ふくよかかつ低音の効いた音像の聴き応えは、彼女の中でも過去イチだろう。官能的な言葉選びも作品の陶酔感を後押ししており、そうした彼女の甘やかな恋愛を直球で表現する作風は(《Pitchfork》には物足りなさを指摘されていたが)、クィアのほんとうの恋や愛のあり方を可視化するのにも一役買っていると言えそうだ(*)。

「Best Guess」のMVはLA近辺でクィアな若者を募り(カーラ・デルヴィーニュも出演している)、ルーシー自身もオーディションから携わってディレクションしたようで、音楽に留まらないマルチな才能も開花させている印象。彼ら/彼女ら(They/Them)が揃って踊る様は、ジュリアン&トーレスの「Sugar in the Tank」にもよく似ている。トランプ大統領就任式の2日後、トランスジェンダーの人々の手術費用として1万ドルを寄付したりと、クィアな人々の痛みに寄り添い、ウィットに富んだ表現と共に連帯をはっきりと示すところも、ルーシーならではの在り方だ。

フィービー・ブリジャーズ | クィア・コミュニティの全面起用による、後進の育成

最後に、フィービー・ブリジャーズの動向も見ておこう。直近では本人名義の作品のリリースはないが、主宰するレーベル《Saddest Factory》から、トランス女性で、同レーベルにとって初のイギリス出身アーティストであるジャスミン.4.tのデビュー作『You Are the Morning』をリリースしている。と言いつつ、ジャスミンが最初にコンタクトを取ったのは、実はルーシー・ダカスだったのだそう。ジャスミンはルーシーが『Historian』(2018年)をリリースした際のUKツアーで前座を務めた。その繋がりからジャスミンは、自身のデモをその後ルーシーへ度々送り、ルーシーがフィービーにそれを聴かせたことで《Saddest Factory》との契約が決まったのだとか。そんな経緯もあって、本作のプロデュースには、フィービー、ルーシー、そしてジュリアンも名を連ね、ボーイジーニアスの作品もレコーディングされたLAのサウンド・シティ・スタジオで録音、と、さながらボーイジーニアスが送り出す妹といった存在に。ボーイジーニアスとしては活動休止しているものの、実はグループとして後進のフックアップと育成に彼女たちが注力していることも窺える。

その『You Are the Morning』の中でジャスミンが奏でるのは、細やかなフィンガー・ピッキングのアコースティック・ギターの素朴な温かみに溢れたインディー・フォークだ。初期ウィルコのようなオルタナ・カントリー風のバンド・サウンドの楽曲もふくみ、「Breaking In Reverse」などではジュリアンによるカントリー・ギターも聴くことができる。リリックの中心はトランスとしての過酷な体験や心の傷について。カミングアウトしたことで破綻した結婚生活や、仲間の家を転々としたその後のホームレスのような生活、街中でしばしば受ける中傷、そしてクィア・コミュニティの中で得た癒しと救いを綴りながらクィアのもつパワーについても力強く歌い上げており、人間の生き抜く力そのものを訴えかけるそのソングライティングはとても切実だ。

そのうえで特に美しいと個人的に感じるのが、彼女の歌声。艶やかに曇った弦楽器が浮遊する「Hifefield」などに顕著な、僅かに震える繊細なウィスパーのファルセットはアノーニさえ思わせる節もある。なおこの曲をはじめとした本作のアレンジの多くは、クィア・カルチャーに精通し、本作とまたルーシーの『Feeling Is A Forever』にも参加している、ギリシャ出身でイギリス拠点のプロデューサー=Phoenix Rousiamanisによるもの(ルーシーのUKツアーにも出演している)。また本作にはロサンゼルスのトランス合唱団も起用されており、ボーイジーニアスの面々もコーラスや演奏で参加するなどクィア同士のつながりと連帯を全編にわたって打ち出す意図がスタッフィングからもはっきりと見てとれる。そして、それらでもってジャスミン自身の孤独を包容するような様が、聴き手の胸を強く打つのだ。実に美しい ── 本作を聴いていると、人と人の繋がりがもたらす本当に美しい瞬間に立ち会っているような気持ちに自ずとさせられて、胸いっぱいになってしまう。

*******

“ボーイジーニアスではない”彼女たち3人の直近の活動を俯瞰しようと書き始めてみた本稿だったが、こうして概観してみると、フィービー、ルーシー、ジュリアンの3名とも個々の名で活動しながら実はグループの関係は途切れることなく、むしろ同じ志のもとに手を携えあっていることがよくわかった。3人とも漏れなく、周辺のクィアなミュージシャンたちと協働しながらクィアの抱える孤独やマジョリティとはなかなか分かち合い難い特有の経験や感覚を発信しようとすることに、ともに心血を注いでいるのだ。アメリカの大手企業がDEIのポリシーを次々に取り下げ、ハリウッド映画からもクィアなキャラクターが登場する作品が減っているとも聞く昨今、“グラミー賞アーティスト”ともなった知名度や力を使って、その存在と声が不可視化される彼ら/彼女ら(They/Them)のほんとうの実存のあり方を訴える使命を自覚し、また積極的に担っているのが、現在のボーイジーニアスの姿なのである。(井草七海)

* 直近の2025年8月には、EP「Bus back to Richmond / More Than Friends」をリリース。ブレイク・ミルズとジェイ・ソムを含む布陣ということもあり、アルバムのスピンオフ的な立ち位置だろう。こちらは素朴でフォーキーなアレンジで、落ち込む相手にそっと寄り添う、派手ではないが深い愛情、そして友達から恋人へという劇的ではないが確かな心情の変化にフォーカスしており、陶酔的なアルバムに比べ、目下育んでいる愛情の温かさをじんわりと感じさせるのが対照的かつ、相互補完的だ。

Text By Nami Igusa


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