【未来は懐かしい】
Vol.70
43年の時を経て蘇った、稀代のパーカショニストとケベックのプロジェクト・バンドによる傑作共演盤
ガル・コスタ、ガトー・バルビエリ、ミルトン・ナシメント、ジョアン・ドナート、カエターノ・ヴェローゾ、エグベルト・ジスモンチ、ヴィニシウス・カントゥアリア、パット・メセニー、ヤン・ガルバレク、ジョン・ハッセル、マイケル・フランクス、ポール・サイモン、トーキング・ヘッズ、アート・リンゼイ、ジョン・ルーリー、ローリー・アンダーソン、ペンギン・カフェ・オーケストラ、ジョン・ゾーン、坂本龍一……。稀代のパーカショニスト=ナナ・ヴァスコンセロスと共演し、唯一無二の個性を持った彼の演奏に魅入られてきたアーティストのリストには、ジャンルを問わず、ごく多彩な面々の名が並んでいる。
ブラジルはペルナンブーコ州レシフェで生まれた彼は、キャリア初期のうちは主に国内の歌手のバッキングを務めていたが、その後、恩師ガトー・バルビエリを追ってヨーロッパに渡ると、次第にコンテンポラリージャズ〜インストゥルメンタル音楽の分野で才能を発揮するようになった。
1976年からはジョン・ハッセルのアルバムの録音にも連続して参加し、1980年代前半にかけては、ドン・チェリーとコリン・ウォルコットとともに「Codona」の一員として活動を繰り広げた。同時期には、パット・メセニーやヤン・ガルバレクといった異才とも共演を重ね、数々の重要作でその演奏を披露した。ジャズ〜フュージョン系以外の共演歴も実に多彩なもので、上述の通り様々なジャンルの一流ミュージシャンからその腕を買われ、レコーディングやステージへ参加してきた。
彼の演奏キャリアを振り返るとき、代表的な作品として何よりもまず先に上がるのは、「Codona」を含む《ECM》への吹き込み作になるだろう。その他、1980年代後期に《Antilles》や《Soul Note》といったレーベルから発表された諸作も、ファンの中では傑作として親しまれてきた。他でもない私自身も、それらの作品を通じて彼の才気溢れる演奏を聴き、その深遠な響きに魅了されてきたのだが、この度リイシューされたカナダのグループ、Maraとの共演盤『Ntsano』(1983年オリジナル発売)は、寡聞にしてこれまで存在すら知らなかったものだ。しかし、一聴してみてすぐに、まさしくこの時期の彼の代表作の一つとして数えて然るべき傑作だと感じた。
本作が制作された1983年といえば、Codonaの最終作やパット・メセニー・グループ『Travels』等への参加を経て、多重録音で作り上げた民族音楽色強いソロ作『Zumbi』をリリースするなど、まさに充実した創作を重ねていた時期にあたっている。
今回の再発盤に付されたライナーノーツによると、本作が制作されるきっかけとなったのは、ヴァスコンセロスがカナダのケベックの若手ジャズミュージシャンたちと出会ったことだったという。彼らのリーダー格でであったピアニストのドゥニ・エベールは、コンテンポラリージャズとともにミニマル・ミュージックにも精通した人物で、片やマルチリード奏者のモーリス・ブシャールは、アフリカや東洋の音楽にも通じていた。更には、ドラマーのピエール・タンゲーもまた、古楽や前衛的な舞台音楽に関心を持つハイブリッドな音楽家だった。このような彼らの多彩な音楽志向が、かねてより南米の伝統音楽やコンテンポラリーなジャズ、アフリカのパーカッション音楽などに通じ、それらを折衷するような表現を行っていたヴァスコンセロスを強く刺激したであろうことは想像に難くない。
実際に、本アルバム全体を通じて立ち上がってくるのも、そうした「非西洋的」な越境性と西欧的なエレガンスが、コンテンポラリー・ジャズの自由な演奏フォームの中で、互いを刺激しながら溶け合っている様子だ。タイトル通り、銅鑼の音から幕開けする「Gong」をはじめ、ヴァスコンセロスのビリンバウとヴォイス・パフォーマンスが緊張感溢れたリズムを作り出す「Argile」、仄かなジャズロック味を湛えた「Ntsano」、カリブ海ポップスの味わいを感じさせる「Desormais」に至るまで、全編を通じてきわめて繊細かつダイナミックな演奏が繰り広げられていくが、特に私が強く胸を打たれたのが、「Gagaku」と「Credo」という二つの長尺曲だ。
前者は、タイトルの通り日本の雅楽をモチーフとしたもので、ヴァスコンセロスのパーカッションの非線形的なフレーズの数々も、明らかに日本の伝統音楽の手法を意識したものとなっている。また、鍵盤やリード等の上モノのハーモニーや節回しもやはり雅楽の響きを彷彿させるものだが、その一方で、ゆっくりと反復しながらクレッシェンドしていくバスクラリネットのフレーズの連なりは、どこかミニマルミュージックの手法を思わせるものとなっている。それらが渾然一体となり、長い時間をかけてクライマックスを形作っていく様子は、まさに鳥肌ものというべき美しさだ。
後者は、アルバム中でもっともアブストラクトな表情を持ったトラックで、冒頭の声明のような声とチベタンベルの重なり合いからして、アジア圏の宗教音楽に通じるような瞑想的な響きが立ち上がっていく。その後に続くポストフリー風の演奏との緊張感溢れる融合ぶりも素晴らしい。
このようなサウンド傾向は、先述のCodonaや、ヴァスコンセロスが参加したジョン・ハッセルの「第四世界」作品にも通じるものであり、アンビエントジャズをはじめ、スピリチュアルジャズ、エスノアンビエント、ポストECM的室内楽ジャズ、ワールド・ミュージック再評価などがキータームとなっている現代の受容感覚のど真ん中を突いているといえるだろう。例えば、《International Anthem》周辺の現行系作品や《Leaving Records》周辺のモダン・ニューエイジ作、更には岡田拓郎の『Konoma』や、先鋭的レーベル《造園計画》の諸作、一部で大きな話題となっている野口文の新作『死んでも一生』などを好む現代のファンにも、是非耳を傾けて欲しい作品だ。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki


