【未来は懐かしい】Vol.21
90年代オカルト・ミュージックの極北、
ヘンリー川原の世界が今蘇る
ヘンリー川原は、サイバー・オカルトとメディア・アートを股にかけ90年代に活躍した電子音楽家である……と説明してみたところで、私自身も結局のところヘンリー川原とは何者なのかを正確に把握しているわけではないし、仮に把握していたとしても、その人物像や音楽作品を辞書的な言葉でもって説明するのは難しいだろう。
私が「ヘンリー川原」という名に出会ったのは、そこまで昔ではない。ある時期から習い性となっていた(詳細不明の謎めいた)CDのディグを行っていたある日、どこかのBOOKOFFかHARD OFFでのことだったと思う。おそらく2018年の初頭だったろうか。「サウンドLSD -サブリミナル セックス」という怪しげな表題、2つの人頭から炎が吹き出ている突拍子もないジャケット・アート……それまでに何枚か同様の意識変容系CD(癒やし系の逆転形で「ミュージック・ドラッグ」とも呼ばれる)を聴いてその先鋭的な内容に感心していたのもあり、このCD(1991年発売)も、一も二もなく買い求めたのだ。帰宅して再生してみると、果たして期待以上にヤバい音楽が流れ出てきた。過剰にLFOがかかったシンセサイザーのゆらゆらしたサウンドと、あっちからやってきてこっちから去っていくパーカッション。ライナーノーツ曰く、
「意識上知覚されない周波数成分に隠された、大脳に直接語りかける新言語体系「脳波誘導パルス」を使い、セックス時の脳波パターンをシュミレート。サウンドとリスナーとの間で不思議なメディアセックスが展開する」
……??????
分かったような分からないような、けれど強烈に個性的なコンセプトとサウンド。クレジットを見ると、この作品を手掛けたのは「ヘンリー川原」なる人物らしい。それ以来、氏の名前が記載されたCDを見つけたら漏れなく買ってしまうようになる。『幽体離脱』、『へんな気持ちになるCD』、『亜熱帯の幻影』、『エンドルフィン』……そのどれもが、通常の俗流アンビエント作品やニューエイジ作品とは明らかに異なる毒々しい魅力を発散していた(当然ながら、それらは各種ストリーミング・サービスでも一切聴けないものだった)。
この辺りから、ヘンリー川原なる人物像が(自分の音楽地図の上で)おぼろげながら形を結んでくる。ネット上に散らばった断片的な情報を編み上げていくと、まず、氏が90年代のオカルト界でそれなりに名を成した人物であったことが分かってきた。その後突然音楽制作を辞し、カンボジアに移住して現地でホテル経営に関わっていた由、そして、残念ながら既にその地で客死していた事実も知ることとなった。川原の作品を個人ブログでレビューしてみたり、同好のCDオタクとは度々話題にしてみたとはいえ、一般的な知名度はごく低く、ひっそりと語り継ぐべき秘宝のような存在として脳内のニッチな場所に格納されていった(いちおう、執筆に参加した『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』にも1枚だけ氏の作品『臨死体験』(1994年)のレビューを忍び込ませたし、YouTubeでも、海外のコアなファンを巻き込んでアンダーグラウンドな話題になってはいた)。
そんなわけなので、今年の春になって突然ヘンリー川原のアンソロジーが出るという報に接し、仰天してしまった(と共に、遂にきた!と気持ちが踊った)。しかも、リリース元はあの《EM records》発というのだからなお驚いた。更には、収録内容の全てが既発曲の別テイク及び未発表曲で、川原とともに活動を行っていたアーティストの沖啓介氏によるテキスト、加えて、川原作品の中でも特に重要なディスコグラフィーをリリースしていたオカルト系出版社、八幡書店の総師・武田崇元氏へのインタビューも掲載されるというのだから、ちょっとしたどころではない事件だ。
速攻で予約をし(私はCD版を購めた)、まだかまだかと待つこと幾日、ついに届いたパッケージをみてこれまた驚いた。こういったニッチなコンピレーション盤ではありえないくらいの豪華印刷!サイバネティクス的異形や電脳空間草創期を思わせるアートワークも見事だ。この辺り、昨今のデザインの潮流とも完全に共振しており、ヘンリー川原の音楽が持つ不気味な先駆性を視覚面からも訴えている。
ところで、この《TURN》では、追って《EM records》の代表・江村幸紀氏による詳細な作品解説が載るというし、現物を買ってのお楽しみでライナーノーツに関する詳述は避けるが、江村氏によると、元々本コンピは10年ほど前からヘンリー川原本人とともに企画していたのだという(それにもまた驚いた)。安易な追悼緊急リリースという形を避け、期を改めてじっくりと制作に取り組んだところに真摯さが滲んでいる。もちろん、沖氏の著述も初めて知る事実だらけであり、武田氏へのインタビューも、我が邦のニューエイジ〜オカルト史、ブレインマシン受容/開発史を知るにあたってこの上なく貴重な資料となっている。
収録内容にも触れねば。まず、メインにあたるディスク1を聴き通していて強く感じるのは、「怪しげな電子音楽作家」というぼんやりとしたヘンリー川原受容を更新してくれる、作風/曲調バラエティの豊かさだろう。アンビエント・テクノ的なものから、ミニマルなトラックまでピリリと引き締まった曲が主にチョイスされているのも、現在の(ニュー・エイジ・リバイバル以後の)リスナーにとってかなり親しみやすいはず。特に人気の高い『亜熱帯の幻影』(1992年)に通じるようなトライバル/トロピカルなトラックが多いのもいいし、これらを聴いていると、優れたダンス・トラックとして素直にクラブ・プレイしたくなってくる。また、ライナーノーツでも語られている通り、音響作家/エンジニアとしての細密な技が貫徹されている様子も聞き逃してはならないだろう。八幡書店とタッグを組んで送り出した「ヴァーチャル・フォニックス」という立体音響システムのアイデアは、たしかにここに収められた楽曲にも脈打っているように感じる(ヘッドホンで聴くと特にそう感じる)。
加えて、CD版のボーナス・ディスク2、3には、それぞれ「無目的論アルファ」、「無目的論ベータ」と名付けられたインスタレーション展示用の長尺トラックが収録されており、そちらも聴きものだ。特にディスク2は、野放図なサンプリング・アーティストとしての川原の姿を捉えた、相当にクールな内容となっている。
しかしながらその一方で、ジュブナイル・マインドを刺激してやまない怪しげなオカルティズムに彩られているところにも、やはり、抗いがたい魅力を感じてしまう。メカ、コンピューター、デジタル・ドラッグ、インナー・トリップ、未来。これらの表象は、ノスタルジーとして眼差されながらも、リスナー各位のインナー・チャイルドにとっては永遠に新しく魅力的なものであり続ける。単に「懐かしい未来」というには、もっと刺々しく、毒々しい何か。銀色の鉄膜に覆われているからそうとは気づきにくいが、これらはおそらく、ファルス的なロマンチシズムとも太く繋がれている。だから、川原の音楽にダンスの律動を感じ取っても、あるいはもっと直截にいえば、「感動」を抱いたって構わないのではないか……と、私自身のインナー・チャイルドが訴えかけてくるが、同時に、そこへ「回帰」させられることの怖ろしさももたげてくるのだった。
最後に、江村のライナーノーツから、印象的なセンテンスを引用しよう。ヘンリー川原の音楽に潜む得体のしれない蠱惑を、これ以上的確に捉えた言葉もないだろう。
「筆者の抱くヘンリー川原像は、コリン・ウィルソン『アウトサイダー』に登場したはずの人であり、『ニューロマンサー』でサイバースペースにジャック・インする器官を闇治療するため、ハイテク都市、チバにやってきたケイスが聴くのはヘンリー川原でなくてはならない」
今回、謎の一部は明らかになった。だが、一部が明らかになると余計に全体の謎が深まっていくのが謎の謎たるゆえんだ。今一度CDショップのフィールドに躍り出て、彼の、あるいは、彼が活躍した90年代に多くの謎めいた作家によって生み出された未知のディスコグラフィーを探求しようではないか。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
柴崎祐二リイシュー連載【未来は懐かしい】
アーカイヴ記事
http://turntokyo.com/?s=BRINGING+THE+PAST+TO+THE+FUTURE&post_type%5B0%5D=reviews&post_type%5B1%5D=features&lang=jp