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音楽映画の海 Vol.12
『ママと神さまとシルヴィ・バルタン』
神が準備していたかのような音楽映画としての奥深さ

19 May 2026 | By Kentaro Takahashi

シルヴィ・ヴァルタンは日本でもとても人気のあるフレンチ・ポップのスターだった。1964年の大ヒット曲「La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)」は当時、小学生だった僕の記憶に強烈に焼き付いている。ただ、自分でレコードを買うようになった1970年代以後に、シルヴィ・ヴァルタンを積極的に追いかけることはなかった。気紛れで買ったアルバムはあるが、聴いてみたら、彼女の曲の大半はアメリカ、イギリスのロンクンロール以後のポップスの形式を借りたものだと分かった。「アイドルを探せ」だって、実はナッシュヴィル録音だったのだ。

フランソワーズ・アルディの音楽にはもっとフランス独自の色があって、そこに惹かれた。ピエール・バルーやセルジュ・ゲーンズブールやブリジット・フォンテーヌといったフレンチ・アーティストを聴くようになると、シルヴィ・ヴァルタンはもう興味の外だった。だから、彼女のその後のキャリアのことは全く知らなかった。まさか、この2020年代まで現役で活動を続けているとは思ってもいなかった。

映画『ママと神さまとシルヴィ・ヴァルタン』にはそのシルヴィ・ヴァルタンが本人役で登場する。映画はフランス本国では2025年公開。ヴァルタンは1944年生まれだから、撮影時にすでに80代だろう。しかし、劇中で歌うシーンを含め、その姿は堂々たるものだ。ヴァルタンは2025年にコンサート活動からの引退を宣言したが、すべての活動を休止する訳ではなく、この5月にもパリで『Silvie Vartan Masterclas』というイヴェントが予定されている。

『ママと神さまとシルヴィ・ヴァルタン』はフランスでは150万人以上を動員するヒット作となった映画だ。試写を観て、それも頷ける素晴らしい映画だと思ったが、ただ、予告編などでの紹介のされ方はちょっと違うようにも感じた。障害を持って生まれた子供とその母親の感動的なストーリーというところに重きを置き過ぎているというか。物語の始点がそこにあるのは間違いないないのだが、タイトルが示す通り、それは「ママ」と「神さま」と「シルヴィ・ヴァルタン」についての映画で、最後は「神」というテーマに行き着くと言ってもいいのだ。

映画の原作は、フランスの弁護士、ロラン・ペレースが2021年に出版した同名の自伝である。彼はフランスでは有名な弁護士で、メディア出演も多い。1961年生まれで、現在は62歳。経歴を見てみると、少年時代は子役として活躍し、幾つか映画出演の記録もある。さらに映画中では、レコード店でバイトしているうちに、シルヴィ・ヴァルタンについての博識が買われて、音楽ライターの仕事を得るという時期が描かれる。これには親近感を抱かずにいられなかった。もっとも、学生時代から音楽雑誌編集部に出入りして、そのまま音楽ライターになってしまった僕とは違い、彼は法律の勉強を重ねて知財を専門とする敏腕弁護士となり、多くのアーティストの信頼も得て、社会的成功を掴むのだが。

そんなロラン・ペレースだが、彼は幼少時代には大きな障害を抱えていた。右足が先天性の内反足で7歳になるまで歩行できなかったのだ。障害は生まれた時から判っていて、医師はギプス装着で、歩行練習することを勧めた。しかし、ロランを溺愛する母はそれを拒否する。装具をつけたら、そのまま一生を過ごすことになる。彼は自力歩行できるはずだ、と母は奇跡を信じ続ける。

母と子はたくさんの医者の門を叩くが、医学ではどうしようもなく、月日だけが過ぎていく。ロランを学校にも入学させないことが問題視され、行政が介入してくる。最後に母が望みを賭けたのは、モロッコに住む兄が手紙で教えてくれた接骨師に治療してもらうことだったが、そのアパートを訊ねると、接骨師は1年前に死亡していた。

ところが、未亡人となっていたその接骨師の妻が協力を申し出る。彼女の厳しい指定に従い、ロランはベッドの上の器具に固定されて、長い日々を過ごすことになる。

学校に行かないロランは読み書きもできないままだった。家庭で読み書きを教えないと、行政は治療継続を許さない。しかし、文字にまったく興味を示さず、テレビを観続けるだけのロランに、どうしたら読み書きを教えられるだろうか。

シルヴィ・バルタンに夢中になるロラン

ロランの人生にシルヴィ・ヴァルタンが大きく影響するのはそこからだ。姉達が熱狂しているシルヴィ・ヴァルタンの曲がロランも大好きだった。ヴァルタンの曲の歌詞を使って、ロランに読み書きを教えることを兄が思いつく。家族はシルヴィ・ヴァルタンのあらゆるレコードを買い、グッズを買い、ロランのベッドの周りを埋め尽くした。ヴァルタンのヒット曲がたくさん流れ、映画も音楽映画の色を強めていく。フランソワーズ・アルディよりもシルヴィ・ヴァルタンが好きな姉達の会話が、当時のフランスのティーンエイジャー達にとって、ヴァルタンがどんな存在だったかも教えてくれる。



姉達の影響でシルヴィ・バルタンに夢中になるロラン

ロランはシルヴィ・ヴァルタンの音楽とともに読み書きを覚え、視察に来た行政官の女性を驚嘆させる。18ヶ月もの間、ロランはベッドの上の器具に固定されていたが、その治療が終わる日のシーンが最高だった。T・レックスの「Get It On」が流れる中、ロランは初めて自分の足で立ち上がり、歩行を始めるのだ。考えてみると、ここで70年代のT・レックスというのは時代的に合わないのだが、家族全員が歓喜するこのシーンにはこの曲しかないと思わせる。



ベッドに寝たままのロランの治療が進む

歩けるようになったロランは学校にも入学する。母はロランを演劇や舞踏を教える学校に進ませ、彼は子役として、映画出演するに至る。エンターテイメントの世界の内側から見る体験が始まる。ここまでが映画の前半。13歳までのロランは三人の子役が演じ分けている。

前半は母と息子の物語として描かれる

映画の予告編やオフィシャルの紹介文はこの前半の母と息子の物語に比重を置いている。そこではシルヴィ・ヴァルタンはレコード・ジャケットや雑誌記事やテレビの出演シーンなど、メディアを介した姿でしか登場しない。ヴァルタンが物語に深く絡んでくるのは、ロランが大人になってからの話である。

先述のように、ロラン・ペレースはレコード店のバイトから音楽ライターになる。そして、シルヴィ・ヴァルタンへのインタヴューの機会を掴む。時期的には1980年代に入ったくらいだろうか。この時のヴァルタンをジュリー・デュショソワという女優が演じているが、あまりにそっくりで驚いた。



音楽ライターになったロランはシルヴィ・ヴァルタンにインタヴュー。当時のレコード・ショップの様子も描かれる

成人してからのロランを演ずるのは、フランスのコメディ俳優、ジョナタン・コエンだ。コーエンの表情豊かな演技が良い。ロランは弁護士として成功し、愛する妻と子供達を育て、幸せな日々を掴み取る。だが、息子が自分の人生を歩み出しても、母は口癖の「ミチクパラ」という言葉を手放さなかった。これは「私の人生を貴方に捧げる」という意味だ。そんな強力な母親の存在・影響力が次第にロランを困惑させるようになる。

妻が癌治療から回復した後の数年間がロランの最も幸せな日々だった。その回想シーンで流れる音楽がこれまた意外な選曲だった。アン・ピープルズの「Trouble Heartache and Sadness」。サザン・ソウルの大名盤『Straight From The Heart』(1972年)の中に聴ける曲だ。たぶん、このあたりは監督のケン・スコットの趣味なのだろう。同監督の2011年の出世作『人生、ブラボー(原題:Starbuck)』をAmazon Primeで観てみたら、その中ではジーン・ナイトの「Do Me」が同じような形で使われていた。ジーン・ナイトは「Mr. Big Stuff」のヒットで知られるサザン・ソウルの女性シンガーで、「Do Me」も「Mr. Big Stuff」と同じアルバムに入っている1971年の曲だ。

ケン・スコットはカナダ出身の映画監督で、フランスでの映画制作が多いが、カナダやアメリカでは英語の映画も手掛けている。ケベック州と隣り合うニュー・ブランズウィック州出身で、もともと英語圏の文化とフランス語圏の文化の両方に通じているのだろう。T・レックスやアン・ピーブルズの曲がエモーショナルな使われ方をするのもそれゆえに違いない。そういうサウンドトラックの質感は僕にはとっつきやすかったし、映画の内容からしても正解に思われるものだった。シルヴィ・ヴァルタンは英米のロックンロール以後のポップスの翻訳者という側面を持っていたアーティストだから、サウンドトラックがフレンチ、フレンチし過ぎていたら、バランスが悪くなったはずだ。

妻が癌再発で死去。続いて父親も死去する。悲嘆に暮れるロラン。シルヴィ・ヴァルタンが再び彼の前に現れるのはその後のことだ。クライアントの一人を介して、ヴァルタンと再会したロランは、彼女から専任弁護士になって欲しいと頼まれる。ここからのヴァルタン役はシルヴィ・ヴァルタン自身が演ずる。ヴァルタンとロランは信頼関係を築き、プライヴェートでも親しくなっていく。しかし、ロランは自身の子供時代の話は決してヴァルタンに明かさなかった。

いや、僕だったら、最初にインタヴューした時に喋ってしまっていたんじゃないか、と思うが、ヴァルタンのお陰で読み書きを覚え、歩くことも可能になったなどという子供時代の話は、弁護士とクライアントという現在の関係の中は封印しなければいけない。そうロランは考えたのだろう。プロフェッショナルの矜持として。一方で、老いた母親はロランがどのようにして障害を乗り越えたかをヴァルタンに明かそうとする。そこでもロランと母親は感情的な衝突を抱える。



ロランはヴァルタンと再会

ここに至って、映画は『ママと神さまとシルヴィ・ヴァルタン』というタイトルにふさわしいものになる。ママとシルヴィ・ヴァルタン。どちらも子供時代のロランにとっては神様だった。ママとヴァルタンが与えてくれた人生をロランは生きてきたと言ってもいい。

映画はその冒頭に自伝を執筆しているロランの姿を映し出している。ロランの人生を追っていく映画は、最後にその自伝を執筆しているロランの姿に追いつく。それはもう母の死後のことだ。出版された自伝を母の墓前に置くロランは、そこからの独白でイギリスの作家の言葉を引用する。「神はどこにでも存在できない、だから母を創造した」というその一節は英国の詩人・作家のラドヤード・キップリングの言葉とされているが、ユダヤの古い諺だとも言われる。

だが、この映画の中には、母以外にも多くの「神さま」がいた。僕にはそう思えた。シルヴィ・ヴァルタンもロランにとっての神様だったし、接骨師の妻も神様だったとしか思えない。母と対立した行政官の女性だって、間違いなくチャンスを与えてくれた神様だった。人は誰かにとっての神様になれるのだ。



ジョナタン・コエン演じるロラン・ペレース

しかし、誰かにとっての神様も、自身は一人の人間である。大人になってからのロランと母親の関係は、それゆえの難しさを抱えた。あるいは、シルヴィ・ヴァルタンのようなポップスターは何千万人の神様だったかもしれないが、そんな彼女も一人の人間である。この映画でシルヴィ・ヴァルタンが演ずるのは、その領域の彼女自身だ。ママがヴァルタンに伝えようとしたプライヴェートなメッセージがロランを悩ませる。

しかし、ああちょっと、しかしが続き過ぎるが、しかしである。この映画が凄いのは、ヴァルタンがヴァルタン自身を演ずることで、そういう私的な領域すらも高度に神話化しているところかもしれない。ヴァルタンがロランにあなたの物語を書き残して欲しいと伝えるシーンがある。映画中のこのシーンが本当にあったことなら、ヴァルタンがそれを求めたがゆえに、自伝が書かれ、この映画が作られたことになる。

その意味ではシルヴィ・ヴァルタンは創造主である。私達がスクリーン上に観ている全ての。かつ、ヴァルタンはそこで自身の人生をなぞっているのだ。同じシーンを二度生きているかのように。考えると、何だかくらくらしてくる。ポップスターの神話をこんな形で観客に提示した作品があっただろうか。



シルヴィ・ヴァルタンの歌唱シーンも

タイトルバックではヴァルタンの1968年の大ヒット曲「Irrésistiblement(あなたのとりこ)」が流れる。映画でのこの曲の使われ方も神がかっていた。曲はもちろんラヴ・ソング。「どうしようもなく、あなたに縛り付けられてしまう」というリフレインを持つ歌だが、映画の前半ではベッド上で器具に縛り付けられているロランの姿に重なって、この「Irrésistiblement(あなたのとりこ)」が流れる。1968年は時代的にもバッチリの設定である。



その同じリフレインが映画の終わりでは、母親の束縛から逃れられない、という意味を帯びて、苦く悲しく響く。凄いサウンドトラック・デザインだ。というより、この曲と物語のシンクロニシティーに気づいた時には、ケン・スコット監督もシルヴィ・ヴァルタンも飛び上がって驚いたのではないだろうか。神が準備していたごとく思えて。

たぶん、ヴァルタンにとって、この映画出演は彼女の全キャリアの総括にも繋がるものなのだろう。この5月12日にパリで行われる「Silvie Vartan Masterclass」は、実在のロラン・ペレースをインタヴューワーにして、ヴァルタンのキャリアを振り返るものになるという。日本での映画公開は5月15日。興味を惹かれた方はぜひ、劇場で体験してほしい。(高橋健太郎)


Text By Kentaro Takahashi


『ママと神さまとシルヴィ・バルタン』

2026年5月15日(金)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー


監督:ケン・スコット
原作:ロラン・ペレーズ
撮影:ギヨーム・シフマン
出演:レイラ・ベクティ、ジョナタン・コエン、ジョセフィーヌ・ジャピ、シルヴィ・バルタン
音楽:ニコラ・エレラ
2024年/フランス・カナダ制作
配給:クロックワークス
© 2024 GAUMONT –EGÉRIE PRODUCTIONS –9492-2663 QUÉBEC INC. (FILIALE DE CHRISTAL FILMS PRODUCTIONS INC.) –AMAZON MGM STUDIO
公式サイト
https://klockworx.com/mamakami_movie


連載【音楽映画の海】

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