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「こんな風に父のことを想うのは初めてでした」
亡き父の歩みを辿り、もう一度父と出会う音の旅
マーク・ド・クライヴ・ロウの語る完全ソロの新作
『past present (tone poems across time) / 過去と現在(時をつなぐトーンポエム)』

16 May 2025 | By Daiki Takaku

1974年、ニュージーランド人の父と日本人の母の元に生まれ、ニュージーランドでジャズ・ピアニストとしてのキャリアをスタート。その後、鍵盤奏者/プロデューサーとしてロンドン、LA、さらには日本など世界中で活動を展開してきた巨匠、マーク・ド・クライヴ・ロウ(Mark de Clive-Lowe)が完全ソロによる最新作『past present (tone poems across time) / 過去と現在(時をつなぐトーンポエム)』(原題/邦題)をリリースした。シンセサイザーやフィールド・レコーディングされた音が巧みにレイヤードされ、アンビエントともジャズとも言い切れない、詩的で極めて内省的なフィーリングに溢れた作品となっている。なんでも制作の背景には実の父の足跡を辿る旅があり、友人であり、LAの芳醇なシーンのキーマンとしても知られるカルロス・ニーニョの忍耐強い呼びかけがあったそう。本作のミックスも手がけるプロデューサー/エンジニアのKuniyukiとのセッション・ツアー《TSUBAKI fm presents. KUNIYUKI SESSION》を直前に控えるマーク・ド・クライヴ・ロウにじっくりと話を訊いた。
(インタヴュー・文/高久大輝)

Interview with Mark de Clive-Lowe

──『past present (tone poems across time) / 過去と現在(時をつなぐトーンポエム)』は内省的な音の旅であり、詩のように感じる作品でもありました。本作は《Impressive Collective》と《BBE Music》の提携によるリリースとなっていますが、どのような経緯で制作が始まったのでしょうか?

Mark de Clive-Lowe(以下、M):《Impressive Collective》をやっているグレッグが並行してやっているレーベル《Soul Bank Music》から2作品出したことがあって、《BBE Music》とも昔から繋がりがあり何度かコラボしていたんです。で、グレッグが《BBE Music》といっしょに《Impressive Collective》から作品を出すとなったとき、この作品が合いそうと思って。グレッグは僕の音楽や活動をすごく応援してくれていて、僕がやりたいことはほとんど実現するために力を貸してくれるからね(笑)。でも制作に入る前にその形でリリースすることは決まっていなかった。実を言うとはじめに作曲して録音したときはリリースすることも決めていなかったんです。本当に久しぶりに自分の直感に従ってシンセを触って作ってみて、作品が完成したらどうするか決めようと思っていたから。だから初めからすごくパーソナルな作品なんです。

──グレッグとの信頼関係がすでに築かれているということですね。事前にライナーノーツに目を通したのですが、時系列としては、そもそもスタジオ《The Breath》で制作した音源があり、その後にあなたはお父様の人生を辿る4ヶ月間の旅に出て、さらにその先々で行ったフィールド・レコーディングを元の音源に反映させたという流れですよね。

M:そう、日本に来て、父がかつて歩んだ道を辿って回りながら、そのとき録音した音をデモ・ミックスの状態でずっと聴いていたんです。だからこのアルバムの元の音源はそもそも僕のパーソナルな旅のサウンドトラックだった。そして同時に旅をしながらフィールド・レコーディングをやっていると、それも含めて全体が一つの物語だと気づいていったんです。

──元の音源に頭の中でフィールド・レコーディングした音をミックスしていたということですかね?

M:そうかもしれない! 今まで考えたことはなかったけど、聴いているとき外の音も聴こえるから、そのとき完全にミックスしていたんだと思います。

──すごく自然なテクスチャーだと思います。アンビエントともジャズとも言い切れないのはそのせいかもしれませんね。

M:アンビエントもジャズも影響はもちろんあるけど、完全にアンビエント・アルバムを作りたい、ジャズ・アルバムを作りたい、という気持ちはなくて。考えていたのは、はっきりしているリズムがない方が内省的な印象の作品にしようってことくらいなんです。

──もう少しお父様の人生を辿る4ヶ月間の旅について伺わせてください。お父様が自ら書かれた自伝などがヒントになったそうですね。

M:父が2011年に亡くなる前、自分の回顧録を5~6冊だけ作ったんです。つまり家族全員に渡すためにだけ作ったものですね。まだほとんど誰にも話したことがないんだけれど、その回顧録の表紙には日本語でタイトルが書いてあります。それも「猿も木から落ちる」(笑)。たぶん父は亡くなる前に自分の人生をそういうものだったと振り返っていたんじゃないかな。

──ちょっとしたユーモアも感じるタイトルです。

M:そうなんです(笑)。その回顧録の中で一番細かく描写されていたことは父が日本にいた20年間の経験についてでした。あと、3年前、ちょうど僕が日本の旅に来る前に母も亡くなって、母の遺品をいろいろ整理しながら、70数年前、父が最初に日本に着いて自分の両親に宛てて書いた手紙を見つけたんです。回顧録は何十年か後に振り返ったものだと思うけど、手紙は当時の父が抱いていた印象がそのまま書いてあった。加えてそれから2年ほどの間に父が送った手紙や写真がいくつもあって。だからその回顧録と手紙と写真をまとめて日本の旅のガイドにしたんです。

──亡くなる直前のお父様の言葉だけでなく、日本に来たばかりのお父様の言葉と写真が旅の方位磁針になったわけですね。

M:アルバムのジャケットの写真もその一つです。厳島神社の大鳥居の前で撮影されたもので。今回の作品のテーマに合ったわかりやすいイメージが必要だと思っていたから、鳥居を見ると日本だとわかってもらえる気がしたというのもあるけれど、宮島は僕も何度か行ったことのある場所で、どこか雰囲気が特別で、それをジャケットにするのが自然だと思ったんです。

アルバム・ジャケット

田舎で撮ったものも都会で撮ったものもいっぱいあったし、僕の母と出会って結婚する前の写真もあって、それにもちょっと驚きましたね。自分の両親のラブラブな時代なんて全く知らなかったから。それを写真で見ると「アレ?」って(笑)。

──これまでお父様に持っていたイメージと違ったわけですね。

M:全然違ったんです。僕が子どもの頃、僕の知っている父はかなり厳しかった。考え方も固いし、イギリス的な伝統的さを持っているような……。かなりネガティヴと言っていいかもしれません。でも、回顧録や手紙を読んで、旅をしていると、そのときの父と違う人間が見えてきて。それが一番印象深いですね。そこで浮かび上がる父の姿は、とにかく「イエス」しか言わないような人が見えたんです。22歳でニュージーランドを出て、戦後初期の日本に日本語もわからずに来て、その時点ですごく軽やかだし、最初は3ヶ月間だけ広島で英語の先生をやる予定だったのに、20年も日本にいることになる。手紙を読んでみると、父が誰かと偶然出会って、その人に「いっしょにどこかいかない?」と言われたらもうすぐ「行く!」と答える人だったことがわかって。本当に僕の知る父と真逆。僕が知っている父は「イエス」というより「ノー」という人だったから。イエスマンという意味ではなく、フットワークが軽いという意味で、「イエス」と言えると何かと触れる機会が溢れてくると思うんです。だから素晴らしい、素敵な人間だなって感じて。こんな風に父のことを想うのは初めてでした。

──初めて?

M:正直に言うとね。初めて自分の父に「I love you」という感情が芽生えたんです。そんな自分自身にビックリして。要するに、アルバムでは、父の旅を辿っているというより、僕と父の関係を描いている。そのストーリーなんです。だから曲名が父のいた場所や経験とは全然関係なく、すべてリレーションシップを表す言葉になっています。

──素敵です。お父様ともう一度出会うような体験が描かれているんですね。

M:亡くなって12~13年後にこんなことになるなんて思ってもみませんでした。

──ちなみに特にお父様と心を重ねられたように感じた場所はどこでしたか?

M:たくさんあるんだけど、一つ挙げるなら日光ですね。僕はその旅に出るまでは日光に行ったことがなかったんだけど、でもその旅の中で足を運んで。実際に行って自分の目で日光東照宮を見たらなんとなく父の好みが理解できたんです。例えば子どもの頃ニュージーランドの家のリビングに置いてあった孔雀のデザインの金属のオブジェが「あ、日光の影響だったんだな」ってわかったりして。あと、日光には3匹の猿がいますよね。「見ざる、聞かざる、言わざる」。ウチのキッチンにもずっとあったんです、木でできているその猿の置物が。世界中がその意味を知っているものだけど、みんながわかっていないのはその猿の元が日光にあるってことですよね。だから僕も日光で見たら「なるほど」って。

──ある種の答え合わせでもあったと。アルバムについてはLAの豊かなシーンのキーマンであり、あなたの友人でもあるカルロス・ニーニョから制作を長年促されていたという話もあるんですよね?

M:もう何年間も「アルバムを作るべきだ」と言われていたんです(笑)。近頃は少しは柔らかくなってきたかもしれないけど、実は僕は誰かに何かを押し付けられるのが大嫌いで、人生を通して何かを「やれ」と言われたらそれはやってこなかった。天邪鬼なのかな。でもカルロスからは本当に何度も言われていて、全然黙ってくれないからとりあえず1回やってみようかと。で《The Breath》に行ってセッションをしてみたらなんだかすごくて。ちなみにアルバムの曲順は作った順番通りではないんだけど、初セッションのときに作ったのが1曲目の「embrace」なんです。

──カルロスの粘り勝ちですね(笑)。

M:カルロスは音楽的なコラボレーターとかなり近い存在で。僕の前に出したファラオ・サンダースのトリビュート・アルバム『Freedom – Celebrating the Music of Pharoah Sanders』(2022年)にも『Heritage』(2019年)にも参加してくれていたし、よくいっしょにやっていたから、音楽的な信頼関係があるんです。



──カルロスからはいつ頃から「アルバムを作るべき」と言われていたんですか?

M:前に住んでいたロンドンだと僕のことを直接知らずに僕の音楽だけを知っている人はみんな僕のことをクラブ・ミュージックやビート系のミュージシャンだと思っていて。それからLAに移住して十数年振りにアコースティック・ピアノを弾くようになり、それでドワイト・トリブルというヴォーカリストのスピリチュアル・ジャズ系のバンドでピアノを弾いていたんです。2009年くらいかな? カルロスがそのアコースティック・ピアノの演奏を初めて聴いたとき、すごく驚いてくれて。それからカルロスは「マークはソロ・ピアノのアルバムを作るべきだ」と言い始めて(笑)。だから最初はソロ・ピアノ・アルバムだったけど、段々とシンセも入っていきました。カルロスは直感的に作って欲しかったようで、スタジオに入る前に何個か決め事がありましたね。「クリックなし、(事前の)想像なし、作曲なしで行きなさい」と。

──そんな決め事が! その影響は本作に大きいでしょうね。

M:そう(笑)。ライヴでは結構そういうゼロから即興で作曲して演奏したりしていたんだけど、でもなぜかアルバムを作るとなるともうちょっとしっかり準備しなきゃという考え方があって。これまでアルバムではやってこなかったことに取り組めたから彼は良い機会をくれたんです。

──《The Breath》というスタジオの影響も大きいように感じました。シンセがたくさんあるというのは想像できるのですが、そもそも《The Breath》はどのような場所なんですか?

M:《The Breath》のエンジニアでオーナーのケンさん(Ken Barrientos)がアナログ・シンセ中毒と呼んでいいくらいの本物のマニアなんです。ケンさんはライヴ・ミュージックのエンジニアもやっていて、僕のLAでのライヴでも何度もエンジニアをしてくれていて。この作品の制作の前にも1度《The Breath》に何かを録音しに行っていて、そのときはアナログ・シンセとは関係なく、ただレコーディング・スタジオとして使ったんです。そのときはこんな形で使うなんて全く想像していませんでしたね。本当にたくさんシンセがあるから、今回はスタジオに行って、曲を作り始めるときに毎回今回はここからやろうと直感で決めて始めていました。

──本作の制作で実際に使用したシンセのリストも公開しています。その中には《The Breath》で初めて触れたものもあったんですか? Tsubaki fmのInstagramにあるインタヴューではDeckard’s Dream、YAMAHA CP-70、Arp 2600がお気に入りだと答えていましたね。

M:もしかしたらその3つが今回の制作で初めて触れたシンセかもしれません。Deckard’s Dreamは《Black Corporation》というシンセの会社が作っている昔のYAMAHA CS-80のリメイクのようなもので、CS-80は大昔使ったことがあったけどDeckard’s Dreamは初めてで。YAMAHAのCP-70も昔のレコードで聴いたとこがあるけど、別にそれまで使いたいと思ったことはなくて、これまではずっとそれを使うならアコースティック・ピアノの方がいいと思っていたんです。あとArp 2600もいろんなレコードで聴いたことがあったけど、そのシンセ自体が手に入りにくくて、価格も高いし、ほとんど誰も持っていないシンセで。

──初めて触れたシンセから受け取ったインスピレーションも大きそうです。特に気に入った音色などはあったりしますか?

M:あえて挙げるなら「acceptance」という曲でずっと鳴っているアルペジオがArp 2600で。1曲に最低一つ決まっているアルペジオを入れたかったんですけど、それを作るなら絶対にこのシンセを使いたいと直感でわかっていたんです。ベースもほとんどMinimoogで、バッチリ自分の頭に決まっていましたね。アナログ・シンセは手で触って音を作れるところがすごく好きで。特にフィルターを使うと音の明るさや暗さがすぐに切り替わるのが良いですよね。

──シンセごとに特性があると思うんですけど、初めて触ってすぐに理解できるものなんですか?

M:うーん、すぐに理解できる(笑)。いや、もしわかりにくいところがあっても実験していくウチに面白い音が出てくる。そうやって作りながら発見があったことも面白かったです。

──シンセという機械を通して本作のような内省的な表現をする上で意識したことはありましたか?

M:僕は4歳からピアノをやっていて、シンセを含めてずっと鍵盤の楽器に興味があったんです。だからすべての楽器の中でピアノやシンセが自分に近い。それに他の楽器はほとんど弾けないから、伝えたいことや言いたいことを表現する、クリエイティヴ・エクスプレッションをするならピアノやシンセ以外考えられない。

──他のプレイヤーが参加していない、完全なソロ作というのも本作の特徴ですよね。

M:このアルバムのデモを作って、カルロスに全部送ったとき、彼は最初にアルバムのあちこちでドラムやフルートを別のプレイヤーに頼んだら面白いんじゃないか、と言ってくれて。でも僕はこのアルバムは少しパーソナル過ぎると思っていた。だから直接関係のない人に参加してもらうと、どれだけ伝えても自分とは絶対に違った捉え方になるだろうと。音楽的には良いかもしれないけど、パーソナルさを本当に理解してもらうのは難しいと感じて。完全にソロでやることが本当の意味に近い形だったんです。

──さきほど『Heritage』の話もありましたが、同作もあなたのルーツであるここ日本に関係のある作品です。

M:そうですね。『Heritage』は初めて日本のルーツに向き合って作ったアルバムです。母が日本で生まれ育った日本人だったから、自分が日本というテーマに向かっていくと母の方から入っていく方が当たり前だと思っていたんです。だから『Heritage』は母の側からのアプローチと言えるんだけど、まさか父の方から日本的なテーマで作るとは思っていなかった。違っているけど関係のある作品と言えるかな。



──ミックスも印象的でした。本作『past present (tone poems across time) / 過去と現在(時をつなぐトーンポエム)』のミックスはKuniyuki(高橋邦之)さん、マスタリングはケリー・ヒバートが担当していますね。どちらもレジェンダリーな存在ですが、依頼した理由はどこにありましたか?

M:まず、ケリーは何でもできるマスタリング・エンジニアだから、信頼していて何でも任せることができる。ミックスを誰に頼むかすごく悩んで。ハウス系やジャズ系などたくさんの分野の素晴らしいミックス・エンジニアを知っているけど、この作品は自分にとってすごくスペシャルなものだったからね。で、振り返って考えてみたとき、これにはKuniyukiさんしかいない、彼がやってくれたら完璧だと思ったんです。

僕は20年くらい前からKuniyukiさんの音楽を知っているし、彼も以前から僕の音楽も知ってくれていたと思うんだけど、2年前の《TSUBAKI DELUXE》というフェスで出会って、そこで初めて少しセッションしたんです。そのときに会話という会話はなく、本当に挨拶程度しか話をしていないのに、この人は僕のやりたいことをすぐ理解してくれると感じて。森の中のフェスで、大雨でドロドロの日で。自分のライヴが始まる直前にKuniyukiさんが会場に着いて、「はじめまして!」と挨拶だけして、僕のライヴが終わって、Kuniyukiさんのセットが始まって。それを観て「セッションやりたいな」と思ったのがそのときのきっかけだったと思います。だから本当に会話なんてない状態。で、その後、僕が札幌に行っていたときに会って話したら音楽やクリエイティヴィティについて価値観がとても近いことがわかって。だからもっといっしょにやりたいと思っていたんです。

アルバムのミックスについては僕は彼に何も言わなかった。僕のデモ・ミックスとデータだけ全部送っただけ。その結果──僕はこの作品で20枚以上作ってきたことになるけど──エンジニアから送られてきたファースト・ミックスで初めて完全に「これでいい!」と思った。もちろんそのあとマスタリングもしているけど、ほとんど今聴いてもらっている状態です。本当にやり直しはゼロ。Kuniyukiさんはこの音楽の目的をわかってくれていたんです。本当に理解が深い。

──Kuniyukiさんと共鳴しているのは特にどのような部分なんでしょうか?

M:全体のコンセプトが近いんです。具体的に言うのは難しいんだけど、枠に囚われない考え方とそれをいかに実践しているかだね。近頃のアーティストはそういうことを簡単に言うけど、実際にそういう発言をしているアーティストの音楽を聴くとそんなことないと感じることが多くて、普通のハウス、普通のEDM、普通のジャズだなって……。でもKuniyukiさんは常に実験的なアーティストで、お互いにそれを意識していると思うんです。

──5月から開催されるKuniyukiさんとのセッション・ツアー《TSUBAKI fm presents. KUNIYUKI SESSION》も楽しみです。

M:僕もめっちゃ楽しみ! 僕らはどちらも即興で作ることが好きで、ただ2人のやり方は違うからね。今回のセッションは少しだけ準備して、直感も合わせてというスタイルになるかな。準備しすぎたり、直感だけになったり、どちらかだけだとバランスが悪くなるだろうから、軽くリハをしていろんなことを試して、やりたい方向性を考えていく。でもどうなるかはわからない。間違いないのは東京の《VENT》(5月17日)も、名古屋の《Club JBS》(5月23日)も京都の《Club METRO》(5月24日)も同じステージにはならないってことです。

──このセッションはあなたがLAで主催してきた《Church》で行われてきたことと近い感覚のものなのでしょうか?

M:《Church》はもっと多くミュージシャンに参加してもらってコラボして、僕がはっきりとリーダーを務める形で。ミュージシャンの演奏を生でサンプリングしたり、弾きながらリミックスしたりするようなこともしていたけど、どちらかというとジャズの方向性です。Kuniyukiさんといっしょだとよりエレクトリックな方向にはなると思う。まあ、いろいろな要素が出てくるんじゃないかな。世界中で見ても深夜にこんな即興を観れるイベントは多くないと思います。それに僕とKuniyukiさんのコラボは他の2人でできるものとは絶対に違うからね(笑)。

──期待が高まります。

M:それに、まだはっきり決まっていないけど、6月にこのアルバム『past present (tone poems across time) / 過去と現在(時をつなぐトーンポエム)』のライヴもするかもしれません。アルバムはオーヴァーダブして作ったからそのまま生で演奏するのは無理、でも意味、物語的には1人でやるしかない。だから今はそれをいろいろ実験中です。ライヴハウスやクラブ、バーではあまり考えていなくて、どこか特別な場所で、演奏しながら父の写真や手紙を映像にしていくのも面白いかもしれない。一般的なライヴよりもっとアート・エクスペリエンスなものにしていきたいんです。それまでみんながこのアルバムを聴いてこの作品に宿った神聖さのようなものを感じてくれたら本当に嬉しい。ただの音楽よりエクスペリエンスとして感じて欲しいんです。

<了>



Text By Daiki Takaku


Mark de Clive-Lowe

『past present (tone poems across time) / 過去と現在(時をつなぐトーンポエム)』

LABEL : Impressive Collective / BBE Music
RELEASE DATE : 2025.4.18
https://orcd.co/pastpresent

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