Back

韓国伝統音楽界のポップスター!?
イ・ヒムンが語る”伝統”への思い、
「自分の心を治癒することも出来た」
最新アルバム『GANGNAM OASIS』

23 May 2023 | By Daichi Yamamoto

2017年、《NPR》の「Tiny Desk Concert」に突如登場した民謡バンド、シンシン(SsingSsing)を覚えている方もいるだろう。ロック、レゲエ、ディスコが織り混ざったグルーヴの上で、さもドラァグクイーンのような衣装の歌い手3人が、怪しげな笑みを浮かべながら踊り、韓国の伝統民謡を歌う。その不思議なギャップは見た人に衝撃を与えるだけでなく、性的な境界線を臆せず飛び越えて見せる堂々とした姿によって心の解放感さえ届けてしまう。本稿の主人公はそのシンシンで歌い手の一人だったイ・ヒムンだ。

ちなみにシンシンは惜しくも翌2018年に解散するものの、その後、ベーシストのチャン・ヨンギュらによるイナルチ(LEENALCHI)、歌い手の一人、チュ・ダヒェによるバンド、チュダヒェ・チャジス(CHUDAHYE CHAGIS)などのプロジェクトにも繋がっており、それらについては以前の筆者の記事(以下)を参考にしてほしい。

またホンデで会おう〜韓国インディ音楽通信〜
第1回 Best Korean Indie Albums for The First Half of 2020

http://turntokyo.com/features/korean-indie-music1/

またホンデで会おう〜韓国インディ音楽通信〜
第2回 朝鮮伝統音楽からジャズ、ファンク、レゲエまで…韓国インディ・シーンのルーツ音楽を更新するバンドたち

https://turntokyo.com/features/korean-indie-music2/

1976年生まれのヒムンは20代中頃で民謡の歌い手となると、数々の民謡、国楽(韓国の伝統音楽全般を指す)の大会で賞を受賞し、今では時に地上波TVのバラエティ番組にも出演したりする伝統民謡の伝道師的な存在だ。とはいえ、ヒムンは同時に韓国では「国楽界の異端児」「破格のアイコン」という異名も持つ。先述のシンシンのような奇抜なヴィジュアルや、伝統の枠からはみ出しクロスオーヴァーしたプロジェクトは彼のキャリアでは全く珍しくないのだ。常に聴く人、見る人を驚かせ、笑わせ、「伝統」に関する固定観念を覆すことに果敢に取り組んできたアーティストだ。筆者はヒムンのことを伝統音楽界のポップスターだと思っている。

例えば、電子音楽を導入した『Tahm(탐)』(2016年)、ジャズ・バンド、プレリュード(Prelude)と共にした『ハングク・ナムジャ(韓国男子)』(2017年)、レゲエ・バンド、ノソンテクとソウルソース(NST & The Soul Sauce)とコラボし舞台がダンス・クラブと化す『オバンシングァ(OBSG)』(2020年)など、先述のシンシン以外でも何度も他ジャンルとの交流を試みてきた。もちろんこれらは彼のプロジェクトの一部でしかなく、一年に一作に近いペースで発表される彼の挑戦的な試みを挙げればキリがない。

そんなイ・ヒムンが遂に自身のプロジェクトを初めて日本で披露する。題材となるのは昨年末に、即興要素の強い自由な演奏やR&Bやファンクなどに裏打ちされたグルーヴが魅力のバンド、カデホ(CADEJO)と共に制作され、ヒムンが生まれ育った街、ソウルはカンナムをタイトルに入れたアルバム『GANGNAM OASIS(カンナム・オアシス)』(2022年)だ。ヒムン史上最もパーソナルで赤裸々なこのプロジェクトでは、民謡を始める前までのヒムンの人生を、民謡の世界では有名な歌い手である母、コ・ジュランと、在日コリアンであった父、木村さんとの出会いにまで遡って、父に関する記憶や怒り、常に向き合っていた孤独、母の歌の存在などをテーマに歌われる。当時は悲しく、恥ずかしい話でもあったという記憶が、ユーモアやグルーヴを通して、痛快に、時にエモーショナルに歌われ、聴いて、見る人の心に響き、まさにオアシスのような温かく安らかな気持ちも届けてくれる作品だ。

今回のインタヴューでは、民謡の伝統の世界にいたヒムンから、歌だけでなく、踊り、ヴィジュアルにも拘りを持つ独特の表現が如何にして生まれたのか、他のジャンルとのクロスオーヴァーを試みる彼の”伝統”への考え、パーソナルな主題を扱う『GANGNAM OASIS』への思いまで、多彩なトピックについて尋ねてみた。
(取材・文/山本大地)

Interview with Lee Heemoon

──ヒムンさんは、民謡はもちろん、ジャズ、R&B、レゲエ、テクノなど他のジャンルとのクロスオーヴァーにも挑戦し、舞台の上では踊り、衣装やメイクアップなどのヴィジュアル面にもこだわりを持っているイメージがあります。K-POPが良い例だと思いますが、私は個人的にポップ・ミュージックは歌や演奏だけじゃなくて、ヴィジュアル、MV、プロモーションの仕方まで含めた“総合芸術”だという考えを持っています。ヒムンさんの活動にも、そういった総合芸術のイメージを抱いていましたが、実際にヒムンさんには歌だけでなく、踊りやヴィジュアルなど多様な面で自分を表現することについて、どのような意識があるのでしょうか?

イ・ヒムン(以下、ヒムン):26歳で民謡の歌い手を始める前は、MVの制作や演出の仕事をしていたので、アーティストが新曲のプロモーションのために新しい世界観を作るのを目の前で見ていました。ヴィジュアルの世界観があり、ダンスがあったり、バラード・シンガーなら(曲の背景に)ドラマもあるでしょう。だから、私にとってはそうやって、歌だけじゃなく、いろんなことに取り組むのが当然のことでした。それに、昔はクラブにもよく行っていたし、そういう20代や30代の時によく遊んだことのような、些細な経験が、私のDNAとして今に還元されているんだと思っています。

──MVの仕事をしていたことも今のスタイルに影響を与えているんですね。

ヒムン:はい。実際に制作しているときはいつも演出を担当していました。演出にもいろんなスタイルがあると思いますが、私は歌手がMVに出ずに、他の有名な俳優などに代わりに演技をしてもらうようなものが好きじゃないんです。自身の世界観や「私はこういう姿で音楽をやりたい」という想いまで表現することが、作った音楽に責任を持つ姿だと思っていました。

──若いときはマドンナやマイケル・ジャクソンも好きだったと聞いています。

ヒムン:まず幼い時はミン・ヘギョンという歌手がすごく好きで。彼女がモチーフにしているのがマドンナだと知って彼女を見つけて、関連してマイケル・ジャクソンも好きになりました。ダンスが好きだったんだと思います。ただ単に歌が上手いだけでなく、パフォーマンスのために、演出や見せ方、動き、表情……そういったこと一つひとつを気にしているアーティストたちです。

ミン・ヘギョン

──ヒムンさんのライヴを見ても、ダンスが歌と同じくらいパフォーマンスの重要な要素になっていると感じていました。

ヒムン:うまく踊ろうとしているわけではないですが、やっぱり踊ることが好きなんです。ミン・ヘギョンという歌手はセクシーなディーヴァだったんですが、当時は彼女のバック・ダンサーになりたいと夢見ていたんです。勉強もしないで毎日ダンスの練習をたくさんしたし、大学生になってからは、梨泰院のクラブにもよく行ったりしていました。その後こうして舞台の上でパフォーマンスする民謡歌手になったことで、若いときの経験が生きていると思います。また、私は技術的な面でも、歌唱の面でも、体全体を一緒に使って動きながらやる方が楽に良い声が出せるんです。

──ある意味、そのアーティストたちはMTVが生まれた80年代を象徴する、まさに「総合芸術」の元祖的な人たちですね。

ヒムン:そうですね。

──民謡など国楽の世界は伝統を守ることを重要視しないといけないでしょうし、習慣や決められたルールもあると思います。どのようにして「異端児」とも言われる今のスタイルを確立するに至ったのでしょうか?

ヒムン:民謡の世界って「徒弟式教育」ともいいますが、厳しくて、ちょっと特殊なんですよ。もちろん民謡が好きだから習ったし、子供の頃に聴いてたので、自然とやるようになりましたが、そういう風には生きてこなかったので、違和感があったんです。それで、現代舞踊のアン・ウンミ先生を通して、伝統文化の中でもクロスオーヴァーした現代的な表現ができるんだということを学び、少しずつ自由なスタイルでやってみるようになりました。

アン・ウンミが監督した2007年の作品『Symphoca Princess Bari-This World』

──アン・ウンミ先生からはどんなことを学びましたか?

ヒムン:実はアン・ウンミ先生に出会ってから、民謡の伝統のシステム通りにやらなくてもいいということがわかるまで、7年かかりました。アン・ウンミ先生が「こうしてみるのはどう?」と何度もいろんなアイディアを出してくれたんですけど、私もあまりにも長く民謡の世界の中にいたから、どう表現したらその枠の中から抜け出せるかがわからなくて、先生の話を聞いても「どうやったらそこまで出来るの? そこまでは出来ないだろう」といつも考えていました。私が周りと違ったことをしてみると、周囲ではそれに対して「間違っている」と言う人しかいなかったんですが、アン・ウンミ先生だけは、「他と違うから美しい」と、肯定してくれました。それでも誰かサンプルがいたわけではなかったので、先生のその言葉がピンとこなかったし、不安もあったんです。その後、どれだけ努力しても思うように変われなかったので、またアン・ウンミ先生に相談しました。その時に言われたのが「お金をたくさん使わなきゃいけない。あるいは、全く使わないで、シンプルに舞台にお前だけが上がるか。中間はない。他人と同じようにやっていてはダメだ」という言葉でした。その言葉を聞いて、当時実際に1億ウォンを作品に使ったし、大きく作風を変えてみました。そうしてみたことで、見に来る人も、私の歌自体も変わって、「ああ、こういうことなんだ。“ある程度”やっているだけじゃダメなんだ」とわかりました。芸術や音楽においての変化というのは、少しずつ変化していくのではなくて、ガラッと変わらなきゃいけないんだと思ったんです。

──ヒムンさんのパフォーマンスからは、民謡への固定観念、さらにジェンダー面に関するイメージを変えてしまおうという意図も感じられます。

ヒムン:最初は私がやりたかったのがそういう音楽だったし、マドンナやミン・ヘギョンのようになりたかったので、こういう表現を始めましたが、やっているうちに考えも変わりました。今私が歌っている民謡も、今までの50年、100年の間に、流行ったり、みんなが好きで歌っていたから、現在まで残っているんですよね。これが50年後、100年後にも「伝統」として残るためには、ヒップでなければならないし、多くの人に知られるようにならなければならないのに、従来のやり方のままやっていると、今の人は興味を持たないじゃないですか。だから、伝統が伝統になるため、生き残るためには何かしらのアプローチが必要だということです。 伝統文化の今の姿を指して「オリジナル」という言葉を使う人がいますが、果たして50年、100年前も今と同じようにやっていたでしょうか。少しは変化があると思います。私は伝統文化について他と違う解釈をする人もいてもいいと思うんです。芸術をする人の本性自体が「何かの枠の中でやってみよう」というものではないじゃないですか。何かを創造したくて、新しいものを作ってみたくて、やっている。民謡も最初は誰かが作ったんだし、伝統を新しくしようとする動きや考え方に間違っていることなんてないんですよ。「間違っている」と言っているのは政治的な人たちだと思います。少なくともアートをやっている人なら、権力を守ろうとする人たちの言うことを聞く必要はない。ずっと自分の意志で何かができるはずだと思うんですよ。そういうことに後から気が付きました。

──50年後、100年後に自分がどんな評価がされるか、考えてみたことはありますか?

ヒムン:ありません(笑)。その時に伝統音楽や民謡に興味を持っている人がいたら、その人たちの立場から見た何かしらの評価があるだろうし、それとは別のただ音楽的に「変人」がいたという評価もあるだろうし、その二つに分かれるんじゃないですか。あ、もう一つ、「何これ……?」みたいな反応もあるでしょうね(笑)。

──これまでの多様なプロジェクトの中でもシンシンはNPRの「Tiny Desk Concert」への出演をきっかけに韓国国内のシーンはもちろん、ヒムンさんや韓国の伝統音楽が海外でも注目を浴びるようになった重要なプロジェクトだったと思います。そもそも、民謡をやる時と、バンドのプロジェクトをする時とでは、どんな違いを感じますか?

ヒムン:民謡をする時に着る漢服ではない、他の服を着て歌うことで、また別なエネルギーが生まれて、別な自分を舞台で見せられるのが、面白かったし、そういう意味でシンシンは特別なプロジェクトでした。シンシンを通して多くの人が私のことを知ってくれたし、私の知らなかった新しい世界を見せてくれる扉のようなプロジェクトでした。みんなそれぞれの色が強過ぎて結局解散することになりましたが、そこで終わってしまって残念だったので、それぞれが追求するものを、別なプロジェクトで今も表現していると思います。私もシンシンをやりながらホンデのインディ・バンドたちを知るようになって、その後のプロジェクトにも繋がりましたし、それから、他のジャンルと一緒にやっても、私の歌の核心は揺るがないんだ、どんなジャンルと出会っても私の歌でミュージシャン達を説得出来るんだという自信がつきました。

──民謡をバンドの形態で表現することはどんな経験でしたか? 苦労した点もあるのでしょうか?

ヒムン:シンシンも、チャン・ヨンギュさんをはじめとした、音楽監督や作曲家の方々と長い間やってきたことがあってこそ出来たバンドです。実は私たち民謡の歌い手はどこに行って録音しても歌の音程を修正することが出来ないんです。一般的な歌手は音符があるのでピッチを合わせることができるけど、私たちの歌は音符だけでは表現出来ないので、合わせることが出来ないんです。機械的ではダメなんです。そういう民謡の独特のスキルと現代音楽が出会ったときにどうすればいいのかについての悩みもありました。でもシンシンの音楽がよかったのは演奏が単調でミニマルだったことです。歌が最初から最後までずっと出てくる。歌を休める間奏の時間もないので、ライヴの時は大変なんですよ。幸いヴォーカルが3人いて、互いに助け合いながらやれたので出来ましたが、それでも曲全体をヴォーカルの人がずっと引っ張っていかないといけないので大変でした。でもそれが正しいんです。民謡の歌のスキルをちゃんと見せるには、演奏が単調でないといけないんです。

──そうですね、ヒムンさんのバンド・プロジェクトはどれも実は曲の構成はシンプルで、同じコードやリズムの繰り返しで……。

ヒムン:そういう演奏もありますし、その場合演奏する人は楽しくないでしょうね(笑)。でも、必ずしもすべての曲がそうというわけではありません。カデホと組んだ今回は、演奏もかっこよく、ヴォーカルも洗練されたアレンジだった気がします。シンシンのミュージシャンは、演奏も大事だけど、民謡が持っている独特の発声法をよく聴かせ、強調しようとする一方で、カデホの演奏は、即興性が多く、同じ演奏を繰り返そうとはしない方ですし、アレンジ面が違ったと思います。

──シンシンなどを一緒にやっていたチャン・ヨンギュさんは、後ろでサポートする役割をうまくこなしている印象があります。

ヒムン:そうですね。チャン・ヨンギュさんは映画音楽もたくさんやっていましたし、現代舞踊の音楽もたくさんやっていたので、この音楽がどのような場所で、どのような形であるべきかを正確に知っている人だったし、曲とミュージシャンを支える役割をうまくやっているように感じました。

──他のジャンルと一緒にやるときは、ファンク、R&B、ジャズ、レゲエ、テクノなどのダンス・ミュージックやリズムが重要な要素であるジャンルが多いように思います。そういったプロジェクトは、ヒムンさんの音楽的な好みからなのでしょうか? それとも、コラボレーションする人との出会いが大きいのですか?

ヒムン:単に私がやりたい音楽をやっていたら、いわゆるコマーシャルなダンス・ミュージックを作るようなプロデューサーと仕事をしていたと思いますが、そうではないので、後者の方ですね。ただ、偶然知り合った人と会ってすぐに一緒に仕事をするわけではなくて、その人が何をしている人なのか興味が出てきて、自然と一緒にやるようになるんです。別のジャンルをやっている人と、私がそのジャンルをよく知らなくてもやってみます。その人の演奏、曲にどんな民謡が似合うか考え、アイディアを出し合いながら。ヨンギュ兄さんはたくさんのソースを持っていました。舞踊音楽をたくさんやっていたので、そういうサンプルを送ってくれて、例えば「そのリズムにはべトゥルガ(베틀가)が合いそうだな」みたいな感じで私がアイディアを出してみます。やってみてうまくいけば曲が出来るんです。

──今回来日公演でも披露される『GANGNAM OASIS』は何よりヒムンさん自身の人生がテーマになっているすごくパーソナルなものでもあります。これまでもいろんなテーマのプロジェクトを多様なジャンルのミュージシャンと制作されましたが、この作品をカデホとやろうと決めた決定的な理由は何だったのでしょう。

ヒムン:『GANGNAM OASIS』には父親の不在や男性性が私に欠乏していることについての話が含まれています。カデホの子たちを見ていると、男の「獣」のような人たちだと思えるんですよ。私にはない男性性を持っている子たちと一緒にやったら、私とのギャップが生まれて面白いんじゃないかと思ったんです。それにカデホとは10歳くらい年の差があって、父親との関係や父親に関する考え方が少し違うんです。私たちの頃は、父親は怖いし、難しいし、すごく垂直的な関係でした。でもカデホと父親の話をしてみると、彼らは父親とすごく水平的な関係があるようなんです。友達とまでは言わないけれど、隣にいるような存在。だからカデホが私と一緒にいると私とすごく違って見えるんじゃないか、だからカデホと作品をやらないといけないなと思ったんです。そういう演出的な意図もありました。

カデホ

──カデホは確かに表情なども含めて、演奏を前に出したいという自身感が感じられますね。『GANGNAM OASIS』の背景についてカデホにはどう伝えましたか?

ヒムン:テフン(カデホのギタリスト)がプロデューサーとして音楽を全般的に作ってくれたので、まず彼に話をしました。(彼は)すごく真面目で、音楽だけを考えている人だし、アイディアもすぐにたくさん出てきます。歌詞は私が自分で書いたものもありますし、テフンが書いてくれたものもあります。私の歌詞はすごく直接的ですが、テフンの歌詞はすごく詩的で、含蓄があり、比喩があって、それがいいんです。テフンは夢想家で、最近本も出版した、面白い友達ですよ。

──カデホと一緒に曲を作ったときの印象的なエピソードがあったら教えてください。

ヒムン:「Another House(두 번째 집/二番目の家)」という曲があるんですが、私が母と住んでいた韓国の家が父親にとっては常に住む家ではなくて、二番目の家だったことが背景になっています。テフンはその曲をバラードにして私に送ってくれたんですが、そのヴァージョンでは、その家が父親にとっての二番目だったことや父が最後まで責任を取ってくれなかったこと、すごく綺麗で正当化されて描かれた感じがしたんです。私はそうしたくなかったので、テンポを早くしたり、私がちょっと嘲笑うように歌ったりして、雰囲気もちょっと明るくしました。

「Another House(두 번째 집/二番目の家)」

──たしかに「父親の不在」という決して明るくはないテーマに関わらず、リズミカルで楽しい雰囲気の曲もあります。「もう悲しい記憶として表現したくない」といった思いもあったのでしょうか?

ヒムン:そうですね。幼い時は父の話がトラウマやジンクスであり、誰にも話せない恥ずかしい話でしたが、私は今こうして平気で話せます。もっと若かったらできなかったような話だけど、今はそれができる年齢になったんです。音楽や芸術をする人間として、そういった経験さえも全部自分の音楽的なソースにできるほど成長したんです。

──だから、今このようなテーマのアルバムを作れたわけですね。

ヒムン:カンナムをテーマにしたシリーズを始めたはっきりとした理由があるんです。『GANGNAM OASIS』以前のバンド活動や様々な試みは、私が民謡をやりながら経験したことや、私が疑問に思っていた「なぜこうしてはいけないのか」ということについて、民謡や伝統文化をやることとは何なのか、そうした様々な疑問と向き合いながら、それを解決するために作った作品やライヴでした。ただ、それに対する答えをある程度見つけてからは、「じゃあどうしてイ・ヒムンはこんなことをするんだ」と人々が思ったときに、「私は民謡をする前はこんな人だったんだ。 27歳まではこんな生活を送っていたんだ」ということを伝えなければと思うようになったんです。「どんなことが背景にあって、その上で民謡をやってみたから、あんなものを作るようになったんだ」ということがわかるように。それで、民謡をする前の私の話をしようとカンナム・シリーズを始めたんです。『GANGNAM OASIS』のライヴを通してファンになってくれた人もいますが、そういう人は私と似たような苦しみがあるとか、父との特別な経験があるとか、そういう人が多いようでした。

──『GANGNAM OASIS』の制作やライヴはヒムンさんにとってどんな時間でしたか?

ヒムン:父と一緒にいた記憶がとても少ないので、私の頭の中に残っている父についての記憶が何なのか、一度整理をする良い機会だったと思います。ただ、整理してみると、私の記憶よりも、母が私に話した父についての話がほとんどでした。「父と一緒にいた時間が本当に少なかったのに、なぜ父という存在が私にとってずっと大きかったんだろう」と考えましたが、母の影響が大きいようでした。母が小さい頃にずっと父についての記憶を話してくれたので、私はそれが自分の記憶だと思っていたんです。また、幼い頃は、なんで私にはこんなに男らしさが足りないんだろうと思うことがありました。幼い頃から僕の周にりは、母親をはじめ祖母やおばあちゃんなどの親戚、民謡を歌う女性たちがいたので女性社会については何となくわかっていましたが、男性社会のことをよく知らないまま生きてきたんです。男性社会の文化については、テレビなどで見て知っていることもありましたが、私が肌で直接経験してみたわけではなかったので、軍隊でも辛い時がありましたし、私にとって 男性社会の文化がぎこちないことが多かったんです。そういうことが「父親という存在の欠乏から出てきたんだ。自分が悪いわけじゃない。自然なことだ」と思えるようになりました。自分を責めたりすることもなくなりました。なので、このアルバムを作ったり、ライヴをすることで、自分の心を治癒することも出来ました。

──今作のタイトルに「オアシス」という言葉を使ったのもそういったヒムンさんの心の変化とも関係がありますか?

ヒムン:『GANGNAM OASIS』のライヴをしたり、自分考えの整理をしたりしたことで、全てのことが自分にとってオアシスのようなものだと思えるようになりました。精神的にも、癒しになることだったので。自分の悩みを誰かに話すと楽になるじゃないですか。でも、そういう話ができる状況って生きていてそんなに多くはないし、僕もいきなり誰かに自分の話をする方ではないんです。舞台の上で自分の話をしながら、私の心も癒されるので、私は運が良いし、その空間は私にとってオアシスだと感じました。最後に「皆さんも自分にとってのオアシスを見つけられたらいいです」と話せた時、すごく気分が良かったです。

──意味のあるライヴですね。

ヒムン:最初は「なんでこんな個人的な話をストレートにするんだ?」と思う人もいるだろうけど、最後に私がその話をするのを聞くと「だから彼はこうまでしてこういう話をしたんだな」と理解してくれます。

<了>

 

Text By Daichi Yamamoto


Lee Heemoon+CADEJO 『GANGNAM OASIS in Tokyo』来日公演情報

日程:2023年6月1日(木)
会場:青山・月見ル君想フ
時間:開場18:30 開演19:00(オールスタンディング)

出演:Lee Heemoon+CADEJO

ゲスト:VIDEOTAPEMUSIC
Member:エマーソン北村(Key)松井泉(Per)潮田雄一(Gt)mmm(Flute, Vo)

チケット:前売 ¥6,000 当日¥6,500 (+共に1ドリンクオーダー / ハンドブック付)
問い合わせ先 : 青山 月見ル君想フ
来日公演特設サイト:
https://lit.link/gangnamoasisintokyo


【連載】またホンデで会おう〜韓国インディ音楽通信〜アーカイブ

【第7回】
2023年、これからが楽しみな若手4組
【第6回】
「同時代の最もかっこいいバンドたちと一緒に肩を並べたい」
韓国から最狂のポストパンク・バンド、ソウムパルグァン登場

【第5回】
2021年韓国インディー・ベスト10
【第4回】
海辺の田舎町から聴こえてくる懐かしいフォーク!?〜韓国インディ・シーンに登場した新鋭、サゴン
【第3回】
Best Korean Indie Albums for The Second Half of 2020
【第2回】
朝鮮伝統音楽からジャズ、ファンク、レゲエまで…韓国インディ・シーンのルーツ音楽を更新するバンドたち
【第1回】
Best Korean Indie Albums for The First Half of 2020

1 2 3 63