心から拍手できる関係
──JUMANJIが体現する理想のヒップホップ・クルー
結成秘話、JJJとの制作、最新アルバム『SUP』まで語り尽くす
埼玉県川越市を拠点に活動するヒップホップ・クルー、JUMANJI。DICE、RENA、MUTAの3MCと、DJ/エンジニア/ビートメイカーのYABからなる4人組だ。2026年、結成10周年を迎えるとともに、サード・アルバム『SUP』をリリースした。
発起人であるMUTAは、Young Drunkerの一員として2000年代から活動し、《FIVE STAR RECORDS》やFla$hBackS周辺のシーンとも深く関わってきた。近年もAIWASTONEとの共作などを通じて、ヒップホップを基軸にしながらも、そこにとどまらない音楽的実験性と、確かなスキルに裏打ちされた強固なアティチュードを貫いている。YABはエンジニアとして東京のヒップホップシーンを支え、仙人掌のバックDJも務めるなど、JUMANJIのサウンドの屋台骨を担う存在だ。DICEとRENAもまた、それぞれソロ作品や客演を重ねながら、自分たちなりの歩幅でラップを続けてきた。
クルーとしての歩みは、2016年、地元・川越をテーマにしたファーストEP『MULTITAP BOYZ』から始まった。初期の勢いを封じ込めたセカンドEP『EPIC』(2019年)、川越と東京、街と仲間を結ぶ名刺代わりのファースト・アルバムとして名門《WDSounds》から発表された『DAWN』(2019年)、そしてその直後にコロナ禍へ突入しながらも、12SHEEPとのタッグにより一つの美学を貫いたセカンド・アルバム『ODD』(2024年)を経て、10周年の節目に完成したのが『SUP』だ。
JJJ & STUTS、SCRATCH NICE、Gradis Nice、NAGMATIC、MASS-HOLE、MET、Cedar Law$らが参加した本作には、彼らが歩いてきた時間と、その過程で出会った人々との関係が色濃く刻まれている。『DAWN』以降の長い制作期間のなかで生まれた曲たちは、単なる記念碑としてではなく、JUMANJIがこれまで受け取ってきたものを、いま改めて鳴らし直すように配置されている。
夢心地を意味するタイトルでありながら、“唯一無二”という響きも宿したオープニング・トラック「MOONY」が扉を蹴り破り、赤裸々に歩みを振り返るJUMANJI的人生賛歌とも言える表題曲「SUP」でアルバムは締めくくられる。その冒頭と終着点をYABのプロデュース曲が担っていることも、この作品を一つのアルバムとして強く結びつけている。
『SUP』は総括のアルバムでありながら、決して回顧的な作品にとどまらない風通しの良さがある。タイトルが「What’s up?」という挨拶を想起させるように、そこには久しぶりに会った仲間へ声をかけるような軽やかさがある。CDボーナス・トラックとして収録された「smokes」「Mind」「into the circle」、そしてOMSBを迎えた新曲「Voices」までを聴くと、その視線がすでに次の景色へ向いていることがわかる。
本インタヴューでは、幼少期からの関係性、KSMやYoung Drunker、《FIVE STAR RECORDS》での日々、JJJとの制作、活動休止やタイ移住といった生活の変化を経て完成した『SUP』までを辿りながら、JUMANJIというクルーが10年以上にわたって見てきた景色、そしてこれから向かう先について話を聞いた。
(インタヴュー・文・写真/船津晃一朗)
出自
YAB:俺とRENAは世田谷生まれで、親同士がすごく仲良くて。RENAのお兄ちゃんと同級生で、RENAは2個下。気づいた時にはもう弟みたいな感じでしたね。それからRENAは川越に、俺は石川に、お互い別々の場所に引っ越すんですけど、年1くらいでは会ってた。その後、俺は専門学校に進学するタイミングで東京に出てきたんです。スポーツ・トレーナーの学校ですね。それでまた距離が近くなった。
RENA:そうだね。その頃からまた遊ぶようになった。YABが帰ってくる前からもうMUTAとDICEとは繋がってました。MUTAとは小学校が一緒だったんですよ。ただ、その時はお互い存在を知らなかったんですけどね。
MUTA:俺は北海道生まれで、東京から川越、また東京に引っ越して……その中で、小学1年の時にRENAと同じ小学校で、3年生の時に川越に実家ができ、そこで小学校が一緒だったのがDICEですね。
──高校生の時、DICEさんとMUTAさんでグループをやっていたんですよね。
MUTA:やってました。いろんな高校が合同でやる文化祭みたいなのがあって。そこでラップしてました。ちなみに、そこにはSUPER BEAVERもいた。そのまま2人でクラブ活動に入っていくんですけど、途中で解散して。そのあとJUMANJIの前にYOUNG DRUNKERというグループと《FIVE STAR RECORDS》で活動してます。
──MUTAさんとDICEさんの高校時代のライヴを、RENAさんも観に行っていたんですよね?
RENA:観に行ってましたね。もうその頃には知り合いでした。二人は東京でライヴしていて、俺らは免許取りたての頃で、川越から《Shifty》っていうクラブまで車で観に行ったりしましたね。その頃のことを歌っている曲が『SUP』にも収録されています。
DICE
音楽との出会い
──音楽を好きになったきっかけは?
YAB:小学校の頃は、車の中でサザンとかめっちゃ流れてたよね。
RENA:そうだね。音楽自体は昔から好きでした。ヒップホップに触れたのは、川越に当時あったレンタルCD屋ですね。その中に「ヒップホップしか置いてない」みたいな超個人店ができて。中学生くらいの時、そこに行ってました。めちゃくちゃ詳しい人がやってたんですよ。たぶんプレイヤーではなかったと思うんですけど、ドレッドが腰くらいまである方でしたね。そこで最初に「人間発電所」とかを借りたのかな。今考えたら、くまなく置いてあった。
──店主のレコメンドとかあったんですか?
RENA:「これヤバいよ」って教えてくれましたね。あと、ノートが置いてあって、そこに「俺はMC○○だ」とか書いたり、リリックを書くみたいな習慣があったんですよ。川越で一番ヒップホップだった場所でしたね。
──MUTAさん、DICEさんは行ったことあるんですか?
MUTA:いや、俺らはちょっと外れだったんで、行ったことないんですよ。
DICE:《Hollywood Records》っていうCDショップとか、《ブックスゴロー》っていうレンタルショップがあって。
MUTA:そうだね。そこでRIZEとか買ったなー。あとは鶴ヶ島のTSUTAYAとかで借りたりする。
DICE:俺は3つ上の兄貴の影響ですね。兄貴からDragon Ashの『Viva La Revolution』を「俺の部屋で聴こうぜ」とか言われて、「KJやべえ!」みたいな(笑)。それからZEEBRAさんを聴くようになったり、エミネムも、ファット・ジョーも、ネリーも、全部兄貴が持ってきたCDで知った。それで「俺、ヒップホップが好きかも」となったんですよ。
──今日、ZEEBRAさんと会ったのって結構メモリアルですね(取材日にJUMANJIは『Zeebra’s LUNCHTIME BREAKS』に出演)。
DICE:はい。最高ですね。
MUTA:ニトロのCDとか貸してもらったよね。
DICE:そうだね(笑)。
MUTA:うちは母と姉がいて、2人ともヴィジュアル系にめちゃくちゃハマってて。ライヴとかに連れて行かれていたんで、ライヴ・デビューはヴィジュアル系なんですよ。La’cryma Christi、DIR EN GREYとか。その後、隣の隣に住んでいた大学生のお兄ちゃんがBLANKEY JET CITYを教えてくれて「詞がかっこいい」って衝撃を受けて、それからずっとロック好きだった。でも中学の時、ヤンキーの友達が「お前、韻って知ってる?」って言ってきて(笑)。それこそ、ZEEBRAさんの「月火水木金土日/これぞ王道/突き進むKingの道」ってリリックについて語ってきて、「これ、『金土日』と『Kingの道』で韻踏んでるんだよ」って教えてくれて。「頭良い!」って(笑)。そこから日本語ラップをめちゃくちゃ聴いていましたね。洋楽は後からで、90年代のものを掘るようになったんですよ。
──YABさんはいかがですか?
YAB:俺も最初はZEEBRAさんですね。石川にいたときはめっちゃ田舎だったから情報が少ないなかで、テレビに出演してたんですよ。中2の時『Mステ』で観たり、DREAMS COME TRUEと共演していたり。
MUTA:『Mステ』とか『HEY!HEY!HEY!』でキングギドラを見た衝撃はデカかったですよね。レゲエ・ダンサーがステージにいたりしてさ。
YAB:一番最初にテレビで見た時は、OJ&STを連れて「MR.DYNAMITE」を披露してた。「みてくれ、やばいな」って。その絵にくらった気がする。それから、高校生の頃にターンテーブルを買ってます。
──最初にラップをはじめたのはDICEさんとMUTAさんですが、最初はどういう始まりだったんですか?
MUTA:原宿に服を買いに行こう、とかはあったよね。そんな感じで、二人でヒップホップ熱が盛り上がってたんですよ。
DICE:それで「ラップやってみる?」みたいな。その時はキエるマキュウのインスト使ってたよね。
MUTA:使った。「ルチャ・リブレ」だよね。
MUTA
YOUNG DRUNKER/《FIVE STAR RECORDS》の存在
──それから二人での活動は止まりますが、その後もMUTAさんはソロで続けて、YOUNG DRUNKERや《FIVE STAR RECORDS》に活動拠点を移していきます。
MUTA:YOUNG DRUNKERは渋谷で集まったんですよ。10代でもライヴできるイベントが《VUENOS》で開催されていて、そこに俺とDICEが出たり、別のグループと仲良くなった。その流れでYOUNG DRUNKERに誘われたんです。その周りのみんなで部屋を借りてヤサ(拠点)を南新宿あたりに作るんです。そこにどんどん人が集まっていって、《FIVE STAR RECORDS》ができていく。その中の一人がJJJでした。記憶が定かじゃないんですけど、初めてJJJが《VUENOS》に行った時に、YOUNG DRUNKERのライヴを観て、それにすごく食らってくれたらしくて。それから、《FIVE STAR RECORDS》のOKINAというラッパーが、JJJのヤバさ、その時まだ誰も知らない大きな才能に気づいたんですよ。それで「一緒にやんない?」って言ったら、「え、YOUNG DRUNKERがいるクルーですよね?」みたいな感じで、ヤサに来てくれた。初めてJJJがスタジオに来た時も「YOUNG DRUNKERのアルバム聴いてきました!」って、すごく好いてくれているのを感じていました。それから2人でどんどん曲を作るようになった感じですね。
──《FIVE STAR RECORDS》って、実態としてはどういうものだったんですか? レーベル、スタジオ、みんなが集まっていた場所の名前なのか。
MUTA:一応、全部だと思います。ラップ・グループとしての形もあった。一番大事だったのは、ヤサがあること。そこで、いつでも自分たちの好きなタイミングで録音できる状況があった、ということですね。初代は南新宿で、そこから上野の方に移動するんですが、初代と2代目をまたいで、Fla$hBackSもレコーディングしていました。それが2010年くらいですね。YOUNG DRUNKERのリリースに参加していたり、それに並行してソロでも活動していて、『MUTA EP』(FEBBがフル・プロデュース)を2013年、『UMAT』を2015年に出しています。
──一方で、DICEさんやRENAさんも制作も音楽活動をはじめると。
YAB:その時は府中に住んでて、みんな夜な夜な家に遊びに来るんですよ。
──その時点で、みなさんラップは始めていたんですか?
RENA:DICEとMUTAの2人が一度解散してから、俺が始めるまでには少し間がありましたね。やりたい気持ちはあって、DICEがその時やっていなかったから「今度、俺とやろうぜ」と一回組んだんです。ちょっとだけやった。それから、地元の友達も巻き込むようになって、一旦、大所帯のグループみたいになりました。それがKSMというクルーになります。それでKSMとしてもライヴ、イベントもやりました。
YAB:マックス10人くらいいたよね。ライヴっていうか、イベントを打ったんだよね。俺はすでにみんなのレコーディングを受けてましたし、バックDJもその頃から始めていました。その頃からレコーディング・エンジニアをしていて、最初はRENAが録りに来ていて、DICEを連れてきて、それからみんな来るようになり……。
MUTA:俺がKSMに初めて参加した曲で「2012」って言っているから、2012年くらいから始まっているんじゃないですかね。KSMはみんな陽キャだよね。
DICE:みんなヒップホップが好きで、YABの家に行って、見様見真似でラップしていた。
YAB:みんなセンスあったよね。
MUTA:今ここにいないメンバーのことを、JJJが推していたんですよ。当時はMORIKIYOっていう名前で、その後Submachine Gunに改名するんですけど。すごい早口のラップをするんですよ。JJJはいつも「モリキヨはどうなんですか?」って聞いてきたんですよね。
──いまSubmachine Gunさんは何されてるんですか?
RENA:いま美容師をやってて。あと、Devilmanってやつもいるんですけど。
一同:(爆笑)
RENA:Submachine GunとDevilmanは同じ店で美容師をやっています。そこに俺は髪を切りに行ってます。
YAB
──MUTAさんは継続的に活動、作品を出していき、2016年からMUTAさんを中心にJUMANJIが形作られていきます。確実に「JUMANJIができた」と言えるのはいつですか?
MUTA:2016年の正月くらいだよね。たしか正月のタイミングで、俺がRENAに「なんかやろうよ」って言ったんです。YAB、RENA、DICEがいれば、これは熱いぞって。
RENA:MUTAがベロベロの状態で「名前考えたよ!」ってね。それで最初のEP『MULTITAP BOYZ』をこの年に出します。
MUTA:『MULTITAP BOYZ』は、AUTUMN BAYっていう、俺とYABの名義があるんですけど、その2人でビートを作っていました。それが多いかな。3、4ヶ月で作ったよね。
──結成時、理想のクルー像はありましたか?
MUTA:YOUNG DRUNKERは、地元からではなくて、東京で出会った。例えば、DINARY DELTA FORCEとかって、子供の頃から一緒で、街があって、そこでやっているじゃないですか。そういう、近しい人たちとやることへの憧れはありましたね。変な話ですけど、誰かがバーンと上がった時に、心から拍手できる関係というか。もちろんYOUNG DRUNKERやFla$hBackSにも拍手できた。ただ、より自分と共同体というか、一心同体でやることに理想を持っていたんです。だから、このメンツでやろうってなりました。
──2016年からJUMANJIとしてライヴもするようになると思うんですけど、最初のライヴについて思い出せることはありますか?
RENA:MUTAがSIMI LABの主催イベント《GRINGO》にソロで呼ばれた時に、「新しくクルー作ったから」と言って「Midnightview」って曲をクルーでやったのが、JUMANJIの初ライヴです。
YAB:ゲストがC.O.S.A.とMUTAだったんだよね。
MUTA:その日の時点で、C.O.S.A.はすごすぎて。本当に、膝から崩れ落ちそうでした(笑)。それ以前にもOMSBがイベントにYOUNG DRUNKERを呼んでくれたり、その日開催されたバトルで優勝できたりして、OMSBには今でもリスペクトしてもらえてるんだなと、ありがたく感じます。『RAPSTAR 2025』のサイファーで、「HAZARDの前 YOUNG DRUNKERとサイファー」っていうリリックがあるんですよね。ネームドロップしてくれて。
『EPIC』とタイ移住
──『MULTITAP BOYZ』の次に出る作品が『EPIC』になるんですよね。
YAB:『MULTITAP BOYZ』をリリースしてからMUTAがすぐタイに行っちゃったので、『EPIC』はタイで遠隔で制作に参加してます。
MUTA:タイで20〜30曲くらい作ったものが厳選されて『EPIC』と『DAWN』になっていきます。
──ちなみに、タイに行った理由は?
MUTA:まともに働く日々みたいなのを、俺はそれまで全然送ったことがなくて。その中でpiz?くんが「仕事あるからタイに住まない?」って言ってきたんですよ。それで「最高だ! 行くしかない!」と思って。それから3年くらい住みました。
一同:(笑)。
──『EPIC』はYABさんがかなりビートを作っていますよね。ちなみに、ビートを作り始めたきっかけはなんですか?
YAB:全然、最初は分からなかったんですけど、三茶でサンプリング・バトルをするイベントに遊びに行っていたんです。DJ T-BONE STEAKという、ニューヨークやサンフランシスコで音楽をやっていた方が主催で、出演している方たちみんなすごくカッコよくて。そこに「飛び入りで参加させてください」って言って。まったくビートを作ったことがなかったんですけど、出ることになったから、どうにか形にしないといけない。それでビートを作り始めました。スタートはサンプリングですね。
仙人掌『BOY MEETS WORLD』
──『EPIC』を出した後に、2018年に仙人掌さんがリリースしたアルバム『BOY MEETS WORLD』収録「Water Flow」にHITさんとともにDICEさん、RENAさんが参加しています。それも話題としてもかなり大きかったですよね。その時の話も改めてお伺いさせてください。
RENA:当時家の近くに仙人掌さんが住んでいて、かなりガツガツ遊びに行っていたんです。それから、いろいろ連れて行ってくれるようになって。
YAB:俺も夜な夜な遊びに行ってました。本当に遊んでもらっている感じですよ。週2くらいで一緒にYouTubeを見て、ラーメンを食いに行ったりしていて。それで急に「アルバムのレコーディングをしてほしい」って言われて。その時は機材も全然ちゃっちかったんで、「それでも大丈夫ですか?」って聞いたんですけど、「『BOY MEETS WORLD』は完全にヒップホップなアルバムにしたいから、音質とか気にしなくていい」と言ってくれて。それからたまにバックDJをやらせてもらったりして、いまはほぼ毎回担当しています。
ファースト・アルバム『JUMANJI』
──その翌年の2019年、JUMANJIのファースト・アルバム『DAWN』が正式にリリースされます。これはこれまでJUMANJIと付き合いのあった方々が一斉に参加していて、クルーにとっては名刺代わりの作品ですよね。
YAB:この作品を作っている時はMUTAがタイに行ってましたね。
RENA:最初はMUTAがいなかったから、3人の曲もどうしたいのか分からない状態で。MUTAはもう活動していたから繋がりもすごくあったけど、俺らは本当に真っさらな状態で。でも、MUTAの知り合いがライヴに呼んでくれたりよくしてくれる人が多くて。MUTAの繋がりを後から追いかけていったんですよ。
MUTA:一時帰国して制作した曲もあります。JJJと「da world changes」を作った日も、一時帰国している時に、みんなでJJJの家に行って作りました。
──「da world changes」は爆発的なビートやRENAさんの名リリックなどがあり、JUMANJIの代表的な一曲ですよね。「if we move, the world changes」は前述にあったKSMのスローガンだと伺いました。
DICE:あれはKSMのノリですね。「ポスターみたいなの作ろうぜ」となったんですよ。
RENA:ポスターに入れるスローガンを作ろうぜという流れになって、たしかDICEが最初に日本語で言ったんです。「俺たちが動けば、世界は変わる!」って。それで、俺は、速攻で英語に変換しました。
一同:(爆笑)
MUTA:「if we move, the world changes」って、仙人掌さんが『BOY MEETS WORLD』の1曲目で言っているんですけど、あれはYABの家にポスターが貼ってあって、それを普通に読んだんですよね。
YAB:マイクスタンドの向かい側にポスターが貼ってあったんだよね。
「da world changes」制作
──「da world changes」の制作風景ってどんな感じでしたか?
MUTA:とりあえずJJJの家に遊びに行って。彼と曲を作る時、いつもそうなんですけど、最初から「曲を作ろう」という感じではないんですよ。だいたいルーティーンがあって。2階建ての一軒家の1階でゲームをしたり、YouTubeを見たりして、それで盛り上がったら上の階に行ってレコーディングする。それからまた下で遊ぶ、みたいな感じ。この日は事前にレコーディングしたいと伝えてましたね。
YAB:Goro(Kosaka)くんもいたよね。
DICE:いたね。当日、先にMUTAと俺が着いて、RENAも来て。しばらくしたら、1階のリビングでJJJがビートを流し始めたんですよね。「どんなのがいいんすか?」って聞いてきて、こういうので、BPMはこういう感じで、って。
YAB:「da world changes」のビートって、途中からすごく展開が変わる構成だったんですよ。その展開する前の部分だけを使うことになった。
MUTA:それで決めて、各々書く時間があった。
DICE:それから2階に行って録ったんだよね。
──その日にリリックも書いたんですね。RENAさんの名ライン「仲直りしろ」は、単刀直入に聞くと、誰に向けた言葉だったんですか?
RENA:誰とまでは言わないですけど、ちょっと浮かんでいた友人もいたり、誰と誰かは分からないけど、ちょっと「やめなよ」みたいな空気もあって。とにかく、すっきりしたい気持ちがあったんですよ。それで即興で一気に書いたんです。そしたら、JJJが「RENAくん、誰かと喧嘩したんですか?」って聞いてきて(笑)。
一同:(爆笑)
MUTA:あの一言から、曲が出来上がっていったよね。
──あの曲は当時よくライヴに行っていた自分にとってもアンセムの一つでした。ただ、アルバムがリリースされてJUMANJIの認知が広まっていくタイミングでコロナ禍に突入しましたよね。
MUTA:そう。『DAWN』が出たタイミングで、日本でいっぱいライヴをしたいから半年帰る、という予定だったんです。それで日本に戻ってしばらくしてからコロナ禍になり、そのまま日本に住むことになりました。
──MUTAさんはそれからタイ生活のアウトプットの一つとしてソロEP『DEE EP』をリリースされますよね。
MUTA:タイでの集大成というより、一旦の区切りとして出したものなんですよ。その当時、YOUNGOHMというラッパーがタイのヒップホップ・シーンを一世風靡していました。屋台でもコンビニでも、働いている人たちが普通に好きなYouTubeを流してるんですよ。音楽性としてはトラップで、現地でかなり聴いていたので、自分もトラップっぽいものを作りたいなと思うようになりましたね。もともとブーンバップだけをやることにもしっくりきていなかった部分はありました。タイにいて、これでみんな楽しめるんだな、という現場をたくさん見たのは大きかったです。
──タイで印象に残っている経験はありますか?
MUTA:大きいヒップホップ・フェスがあって、そこにDUSTY HUSKYとMILES WORDが出演したのを観に行きました。タイで体験したヒップホップの現場の中で、一番胸が熱くなりましたね。その次は、DJ KRUSHのDJです。タイのクラブ街にある結構大きめの箱、明るくワーッと盛り上がる現場が多い中で、あの研ぎ澄まされた独特の空気感で、すごくロックしていて。すごく誇らしかったですね。
──そして、MUTAさんに続き、翌年にDICEさんも作品を出したり、RENAさんも客演が増えていきますよね。
DICE:自分のソロ『LAIDBACK HOTEL』については、3人が俺以上に活発に動いていたので、自分の存在証明みたいな作品を作りたいなと思ったんです。もともと大学生の時にブレイクダンスをやっていたので、ブーンバップというか、そういう音楽がすごく好きで。自分が出すなら、そういうビートでやりたいなと思っていました。それでYABに相談して、一緒にビートを作ったりして。MUTAの家に行って一緒に作って、名刺代わりの作品を出そうと思って作りました。
RENA:自分はBACCAS(YOUNG DRUNKER)やHIT、マーシーさん(J.Columbus)と曲を制作したりしてましたね。
YAB:仙人掌さんのバックDJを始めてから、《WDsounds》との関係が近くなって。そのタイミングで三軒茶屋に引っ越して、LSBOYZなど、一気にいろんな人がスタジオに来るようになったんですよ。
──そのタイミングでYoung Ceeさんやにっちょめさんとの曲がリリースされていますよね。
YAB:にっちょめプロデュースの曲1曲目「Hymn」がRENAのソロだった。
RENA:初めて自分が参加した作品がレコードになったんですよね。嬉しかったですね。
──にっちょめさんとは、JUMANJIで「Fanfare」という曲も制作していますよね。とにかくパワフルなシャウトで始まるイントロが最高な、プロレスがテーマの名曲です。
RENA:あの曲については、幻になってしまったMVがあるんですよ。俺が消えてしまって、幻になってしまうんですけど。
一同:(爆笑)
RENA
RENAの活動休止
──その活動休止についてお伺いしても良いですか?
RENA:本当に、普段の生活がスーパーだらしなかったんですよ。仕事はしていたんですけど、お金の面もそうだし、いろんな面でどんどん崩れて。全崩しですね。それで、とりあえず家の外に出ることから始める、みたいな感じでした。3人が大変だったと思うけどね。
──久しぶりにRENAさんに会った時のことは覚えています。髪が長くなっていて、サーファーのような出立ちになっていてびっくりしました。
RENA:もう超無気力だったから、髪も切らなくなっていて。表に出ることもなくなっていたから、「別に髪なんか切らなくていいんだよ」みたいな感じで、あれだけ伸びちゃって。アーティスト写真を撮影するタイミングで、家の外に出る、みんなに久しぶりに会う時に「切るのなんかもったいないな」みたいな感じでせめて整えようって。それでSubmachine Gunにパーマを当ててもらった。
一同:(笑)
セカンド・アルバム『ODD』とレギュラー・イベント《Ruff Draft》
──そのRENAさんが不在のなかで、2MC体制の中で『ODD』というアルバムを2023年に作っています。『DAWN』と比較すると、たくさんゲストが入っている作品に対して、12SHEEP(DIG HOUSE RECORDS)さんがフル・プロデュースするという、対照的なアプローチで制作された一枚でした。
MUTA:そうですね。体制を絞って制作してみたいという気持ちもあって、それができた作品でした。あとは、2人ならではの掛け合いができるということで、それを思う存分にやりたかった。
──『ODD』にはONENESSが唯一参加していますよね。彼らは渋谷《Family》で開催されているイベント《Ruff Draft》にJUMANJIとともにレギュラーで出演しています。《Ruff Draft》にはいつ頃から出演されていたんですか?
RENA:町田にあるSMOKIN’ ACEくんのお店《THISONE》に『MULTITAP BOYZ』のCDを置きに行った時に、「ライヴやらせてもらえるところないですか」ってACEくんに相談したら、《Ruff Draft》出演の話をいただきました。それが初めてのゲスト・ライヴでした。そのゲストを周期的に3回くらいCHUNSさん(《Ruff Draft》主催)に擦られて(笑)。それでCHUNSさんに居酒屋に呼ばれたと思ったら、「毎回出てほしい」的なことを言ってくれて。その時MUTAはいなかったから、定期的にライヴできる場所ができたと思って、MUTAにもいい報告ができるなって。だから初めてレギュラーになった時はすごく嬉しかったですね。
各々の客演/コラボ活動
──それから再び各々の活動をしていきますが、特にMUTAさんはMFSを招いたシングル「BABY LADY」(JJJプロデュース)、YUKSTA-ILLさんやIRONSTONESとの共作「展望」(IRONSTONEプロデュース)、AIWASTONE(AIWABEATS+IRONSTONE)とのEP『FAITH』など、人生の分岐点について歌ったり、とにかくスピットしまくってますよね。後ろの2作はドリルに取り組んでいたりと、音楽性がヒップホップの一歩先に深化していて。
MUTA:RHYDAくんがAIWABEATSくんのことを紹介してくれました。AIWAくんは作品を出すたびに俺を誘ってくれるんです。『Like No Other』というシリーズがあるんですけど、俺は皆勤賞なんですよ。それからAIWAくんとライヴすることになって、スタジオに入って練習したりしていたんです。その時に、「最近こういうの作ってさ」って聴かされたのが「Crystal Night」という曲のビートだったんです。それで初めてドリルでラップをしました。ヒップホップは変化していくものだから、それに対して後ろ向きでいたくない気持ちがすごくあって「俺はやる。やって違いを分からせてやるぜ」みたいな気合いを込めたラップ作品ですね。
──そして、RENAさんは2025年にEP『Move Within』をリリースしています。
RENA:復帰が決まる前、ラッパー然としてステージに立てない状態だったから、一回どんなことがあったか、全部出した方がすっきりするなと思って、かなり赤裸々なことを綴った作品です。自分が恥ずかしがっていた部分は良いと言ってくれる人が多かったから、正直に、世に出せて良かったなって。今はもう、それでチャラでお願いします、という感じです。
一同:(笑)
MUTA:こっちは2MCで作品を作っているんだから、RENAも一人で出してから戻ってくるのが筋だろう、みたいな話もありましたね。
最新作『SUP』制作
──そうした活動を経ての最新アルバムが今回の『SUP』になります。制作自体は『DAWN』をリリースした翌年くらいからスタートしていたと聞きました。当初の活動の集大成として『DAWN』とすれば、『SUP』はよりコミュニティを広げて行った作品とも言えます。
RENA:これまで一緒にやったことのないプロデューサー陣を集めた作品にしたかったんですよ。そしてどうしようとなった時に、マーシーさんが助けてくれたんです。
MUTA:「こういうビートがあるよ」って聴かせてくれたり、なんならGradis Niceさんのビート「SHEETS」は「このトラック、JUMANJIでやったらどうかな」って提案してくれたりね。
──「SHEETS」のビートでは某プロデューサーのプロデューサー・タグをサンプリングしていて、すごいアイデアだなと思いました。
MUTA:あれ、ヤバいですよね(笑)。
──『SUP』に収録された曲について、それぞれに思い入れのあるエピソードもあると思うので、お伺いさせてください。例えばSTUTSさんとJJJさんが共同プロデュースした「views」はMVも制作されていますよね。
MUTA:あのビートをもらったのは、2021年くらいじゃないかな。『HIKARI』よりは後だけど、『MAKTUB』はまだ作り始めてもいないくらいの頃のビートじゃないかな。「JUMANJIの新しい曲を作りたい」って相談したんだよね。
YAB:あの時2回くらい家に行ったよね。1回目は「どのビートにする?」みたいな話をして、2回目でセッションした。
MUTA:そのビートを選んだ時に「これ実はSTUTSとやってるんすよ」って言われて、やると決まった時にSTUTSさんからOKが来て、無事に使えたんです。ほか、Scratch Niceさん、Gradis Niceさんのビートでやりたいという話はしていて、おそらく一番最初にできたのはScratch Niceさんのビートを使った「TESORO」で、コロナ禍の活動休止に入る前にもライヴでやってましたね。
──この曲ができたことでアルバムとしての輪郭が見えてきた、という曲はありますか?
MUTA:後半に入っている曲たちが、最終的な着地点まで導いてくれましたね。まとまりが本当にない中で、Gradis Nice「PRICE」、MET「21∞」、Cedar Law$「EVER」が完成して、最後にYABプロデュースの表題曲を入れたら、しっかりアルバムっぽくなった。
──最初と最後に、ちゃんとYABさんの曲が入っていて、ストーリーを感じます。僕はタイトル曲にかなり気合いを感じたんですけど、それぞれ思い入れのある曲はありますか?
MUTA:1曲目「MOONY」でRENAがラップする最初のラインが超好きです。「Open the door / その一歩からどう / 存在するかを自分に問う」って。あと「EVER」ですね。今日インタヴューで話しているような昔のことが結構出てくる内容になっているのですごく好きです。
DICE:やっぱり「TESORO」が一番かな。「音楽バンクを強盗する」っていうテーマを考えたんですよ。「このビートは、一人ひとりがストーリーを作ってヴァースを書いたら絶対面白いな」と思って。多分、友達の家で『Grand Theft Auto』をやっている時に思いついて。あれってなんでもありなゲームじゃないですか?「アメ車を走らせて、あれやこれや色々と爆発させることできる。、あれ、待てよ。このビートとマッチしそうだな。。」みたいな。
YAB:自分は「21∞」と「PRICE」かな。個人的な話をすると、ミックスの仕上がりが良かった。
RENA:迷うけど、NAGMATICA「GDT」かな。8小節で細かくマイクリレーしていく曲で、意味を詰め込むのか、情景を描くのか、見せ所でしたね。
10周年とこれから
──お話を聞いてきた中でも、それぞれがいろんな経験をして、現場やリリースを重ねてスキルも上げていって、その流れのなかで10周年の節目に「What’s up」と軽快な挨拶代わりのようなこの作品を出すというのは、すごく風通しがいいと思いました。
MUTA:リリースにあたっては、本当は自主で出そうと思っていたんです。でもJJJが亡くなったことがあって、JJJと俺がやった音楽は、もっともっといろんな人に聴かれなきゃと思ったんです。それで、《SPACE SHOWER》のJJJの担当者だった井坂さんに連絡して、「(JJJがプロデュースとMIXを担当した)『views』が入っているアルバムがあるから、できるだけ多くの人に届けるのに協力していただけないですか」と相談したら、受けていただいた。普通に断られると思っていたので、本当に嬉しかったです。
──これまでとにかく続けてきて、これから次の10年はどういうふうに活動していきたいですか?
RENA:とりあえず、新しいものを作りたいですね。今の自分たちでゼロから作っていきたい。今の動きが落ち着いてからじゃなくても、同時に進めていきたいくらい。
MUTA:どうあるべきかとは、あまり考えたことがないんですよね。ただ、川越のコミュニティに対して、期待に応えたい気持ちはあります。
──JUMANJI主催のDJイベント《LIL EDO MUTANT》が《GEORGE》というヴェニューでスタートしました。MUTAさんが主宰するレーベル名を冠にしたこのイベントの1回目はゲストに仙人掌さんがDJ SLOWCURVとして出演、第2回ゲストはDJ MASARU(THINK BIG INK.)さんと、これまでの活動で培ったコミュニティから、素晴らしいアーティストの方々が川越でDJをしたりしています。
RENA:川越ローカルのみんなに、俺らが何か影響を与えられたらいいなという気持ちがあります。もっと音楽を好きになって、そういう場所に来るようになってほしいなと思って始めました。
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『SUP』のボーナス・トラックに収録されている3曲、そして配信されたOMSBとの新曲「Voices」は彼らの今を確かに捉えたもの、彼らの次のフェーズを切り開く曲たちなので、最後に少し解説を。
YABがプロデュースする「smokes」は、『SUP』の裏面的な物語の幕開けを告げるインストゥルメンタルだ。煙が立ちこめるような緊張感のなか、彼らがリングに上がるように、あるいはブースへ向かうように、勝負の体勢へ入っていく。その情景を、言葉ではなく音だけで立ち上げるような曲だ。続く「Mind」「into the circle」へと連なるボーナス・トラック群には、JUMANJIのハードコア・サイド、よりアグレッシヴに勝負を仕掛ける姿勢が刻まれている。10年の歩みを見せた本編の先に、こうした裏面の熱を用意しているところが、なんとも粋だ。
「into the circle」では、同じ埼玉にルーツを持ちながらも川越とは異なるコミュニティから弗猫建物のVANY、そして《Dogear Records》やその周辺と深い接点を持つDJ GQを迎え、JUMANJIの輪がさらに外へと開かれていく。街と街がぶつかり合うことで生まれる、互いを改めてレペゼンする硬質なグルーヴが堪能できる。
「Mind」に迎えられたFREEZは、福岡のOGラッパーであり、JUMANJIにとっては憧れのような存在。酸いも甘いも歌い続けてきた“漢”としての説得力が、彼の言葉にはある。そんなFREEZがこの曲で吐き出すのは、落ち込むための現実ではなく、音楽に火をつけ続けるための言葉だ。YABのプロデュースによるグルーヴの上で、MUTA、RENA、DICEもまた、家族、生活、夜、仲間、自分自身であり続けることについてラップする。けれど、そのすべては重く沈むのではなく、どこか人懐っこく、ユーモラスで、気のいい空気をまとっている。現実を知ることと、パーティーを続けること。その両方を同時に鳴らすところに、JUMANJIの真骨頂がある。
そして、インタヴューにもエピソードが登場する盟友、OMSBを迎えた「Voices」では、不在になった声への想いを抱えながら、それでも先へ進もうとする意志が滲む。大阪のビートメイカー=ENDRUNによる、ダンサブルでアフロテイストがあるグルーヴを持つトラックの上で歌われるのは、もう一度聴きたい声への切実さ。「Mind」「into the circle」から「Voices」へと続く流れには、生活や喪失、仲間への想いを、JUMANJIらしい人生賛歌として鳴らす新たな手応えがある。
また、2026年6月6日(土)には、東京・代官山《ORD.》にて『SUP』のリリース・イベントの開催も決定している。当日はJUMANJIのリリース・ライヴに加え、アルバムにビートを提供したSCRATCH NICE、GRADIS NICE、MASS-HOLE、METがDJとして出演。さらにライヴ・アクトには、東京を拠点に活動するラップ・グループ=Flat Line Classics、そして福岡の重要グループ=RAMB CAMPの一員としても知られるOGラッパー、FREEZが名を連ねる。
JUMANJIのライヴには、客演としてFREEZ、VANY、そしてパーティー番長HITが参加予定。さらにシークレット・ゲストの出演も控えているという。彼らが歌詞のなかで何度も示してきた通り、JUMANJIのパーティーにかける想いは半端なものではないから、ぜひ一度体験してほしい。音源に刻まれた10年の時間が、フロアでどのように鳴り直されるのか。ぜひその場で確かめてほしい。
<了>
Text By Koichiro Funatsu
JUMANJI
『SUP』
LABEL : Lil Edo Mutant / SPACE SHOWER MUSIC
RELEASE DATE : 2026.03.18
各種配信リンク
https://ssm.lnk.to/_SUP
JUMANJI
「Voices feat. OMSB」
LABEL : Lil Edo Mutant
RELEASE DATE : 2026.06.03
各種配信リンク
https://linkco.re/rpHGxm3c
