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hikaru yamadaとは何者か?
シーンの触媒にして「音楽だけ」を求める音楽家の軌跡

03 April 2021 | By Ryutaro Amano

hikaru yamadaとは何者か?

プリペアドのアルト・サックスを用いて特殊奏法をする即興演奏家。それに留まらず、ギターやパーカッションなどの演奏も担うマルチ・プレイヤー。サンプリングによるポップ・ソングを生み出すhikaru yamada and the librariansの主席司書。mukuchiこと西海マリとのポップ・デュオ、feather shuttles foreverの一員。ディガー集団“lightmellowbu”のメンバー。あらゆる現場に出向き、プレイヤーや場をつなげる触媒。そして、“tiny pop”の提唱者……。

一言では到底説明できない、hikaru yamadaという音楽家。『ミュージック・マガジン』2020年9月号の特集「日本音楽の新世代2020」では、この『TURN』の編集長でもある岡村詩野と松永良平との対談で重要人物だと名指されながらも、彼の存在はまだはっきりとした像を結んでいない……ように思う。

そんなhikaru yamadaの実像に迫るべく、feather shuttles foreverの7インチ・シングル『提案 / 電話のあとで』がリリースされるというきっかけもあり、彼にロング・インタビューをおこなった。2012年以降に彼が制作/参加した作品を60以上洗い出してディスコグラフィとし(とはいえ、漏れているものもあるだろう)、これをもとに彼の歩みを振り返っている。3時間近くにおよんだ対話からは、彼の「ただ、音楽だけを」というストイックな姿勢がはっきりと見えてくるはずだ。


(取材・文/天野龍太郎   トップ写真撮影/齊藤聡)

Interview with hikaru yamada

──インタビューに際してブログで来歴を書いてくださったのでそれを読んだのですが、初めて知ることばかりで驚きました。クラシック・ギターが趣味のご両親のもとに生まれて、子どもの頃はピアノを習っていそうですね。

hikaru yamada(以下、h):ピアノ教室でドビュッシーとかを弾いていました。今、ライヴなどでは弾きませんが、制作や仕事ではかなり鍵盤を弾いていますね。

クラシック・ギターの音楽は家でずっとかかっていましたが、苦手でした(笑)。独奏が多くてテンポも揺れるし、エモーショナルで、ダンス・ミュージックじゃないというか。何年か前にサンプリングしようと思って、親のレコード棚からいくつか引っ張り出して聴いてみたんですど、やっぱり苦手でしたね。

子どもの頃はJ-POPの譜面を買ってピアノで弾いていたのですが、ギターだとより自然に演奏できるなと思ってギターを弾きはじめました。

──その後、中学2年生の時に『ギター・マガジン』でザ・ストロークスのインタビューを読んでテレヴィジョンやザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドと出会い、ニューヨーク・パンクにハマっていったと。

h:ちょうどその頃に『ルーツ・オブ・NYパンク』(1998年)という詳しい本を本屋で見つけて、そればっかり読んでいましたね。ニューヨーク・パンクからノー・ウェイヴへ行って、最後にジョン・ゾーンまで出てくる、すごくいい本です。この本ですね、私は。

──ジャズにはモダン・ジャズからではなく、ニューヨーク・パンク経由でフリー・ジャズから入ったんですね。フリー・ジャズについては、どんなことを感じましたか?

h:中学生の頃に(ジョン・)コルトレーンとかファラオ・サンダースとかを聴いて、激しいところやうるさいところがかっこいいなと思いました。ロック的な感覚で聴いていたのですが、だんだん慣れてきて、もっとぐちゃぐちゃしたものを聴きたくなっていきましたね。

──サックスを吹きはじめたのはいつですか?

h:大学3年生ですね。フリー・ジャズをやりたかったんです。

──アルトだった理由は?

h:最初はネット・オークションで、中国製のアルト・サックスが安かったので1万円で買いました。今思うと、やっぱりアルトが一番面白い。アルト・サックスって固有の音、一定のイメージがないじゃないですか。ソプラノやテナーには「こういう音」というイメージがあるけど、アルトは吹く人によって音がぜんぜんちがうので、そこが面白いと思います。

サックスの演奏はギターの延長で考えていたので、マウス・ピースによって音が変わることを知って、マウス・ピースをエフェクターのように換えながら吹いていました。サックス自体は1万円ですが、マウス・ピースは2、3万円のものを使って吹いていましたね。

大学入学後に入ったサークルではノイズのような音楽をやるひとが多かったので、私は楽器ができない人と組んでノイジーなことをやっていたんです。その頃に、入江(陽)さんとmixiで出会いました。

──エリック・ドルフィーのコミュニティで出会った、というエピソードがいいなと思います。

h:入江さんがなぜかバンド・メンバーの募集をドルフィーのコミュニティでしていて、それで会いに行ったんです。当時の入江さんはオーボエでジャズをやっていて、私はまだサックスではなくギターを弾いていました。ギターとオーボエのデュオで何度か演奏しましたね。

大学時代はもうひとつ、ブラジル音楽のサークルでパーカッションなどもやっていました。そのサークルはブラジル北東部のヘギとかマラカトゥとか、そういう音楽もやるサークルだったので、アフロっぽいブラジル音楽をやりたいと思って入ったんです。でも、酒を飲んで騒ぎたいだけの学生も多かったので、好きな音楽の練習の時にだけ行っていました。

リー・コニッツやレニー・トリスターノは、スタンダード・ソングに別のテーマを書いて乗せて別の曲にすることをやっていたのですが、私はブラジル音楽の曲のコード進行に別のテーマを書いて乗せて、それを入江さんと演奏していました。ドルフィーっぽいものを目指していたのですが、入江さんからは「(セロニアス・)モンクっぽいね」と言われていましたね。

                 

──ロシアに留学したのはいつですか?

h:2010年の夏から2012年の3月に、サンクトペテルブルクへ留学しました。大学でロシア語を学んでいたのですが、成績は悪く、ロシア政府から出る定員割れの奨学金を見つけて申し込んだんです。

当時はギターがメインだったんですけど、サックスをちゃんと練習しようと思って、ロシアに持って行ってけっこう練習しましたね。

──ロシアでは、かなりたくさんのプレイヤーと共演していたようですが。

h:水道橋の《Ftarri》(フリー・インプロヴィゼーションや実験音楽を扱うレコード・ショップ/イベント・スペース)のような、フリー・ジャズとフリー・インプロヴィゼーションしか扱わない店がロシアにもあって。ロシアってライヴのチャージが安くて500円くらいなので、そこに毎日通っていました。だんだん顔を覚えられて、ジャム・セッションをやる日にサックスを持って行って参加したのが最初です。

その店には、私と同世代でロックからフリー・ジャズに入った人と、ソ連時代からフリー・ジャズをやっているおじいさんしかいなくて、その中間の世代はいなかったんですよね。

──今回のインタビューにあたって、yamadaさんのディスコグラフィを作りました(PDFのダウンロードはこちら/Googleスプレッドシートの閲覧はこちら)。RMSS Systems Inc.との作品は、この頃の録音ですね。

hikaru yamada ディスコグラフィ
作成/天野龍太郎(画像をクリックすると大きく表示されます)



h:当時はUstreamが流行っていたのでそこに演奏の録画がたくさん残っていましたが、全部消えてしまいましたね。フリー・インプロヴィゼーションはそれ以前からやっていましたが、サークルでの演奏や自主録音ばっかりだったので、どうやってその世界に入っていけばいいのかわからなかったんです。なので、実際に人前で演奏を始めたのはロシア時代ですね。

帰国の数週間前に、“St. Petersburg Improvisers Orchestra”という、ジョン・ゾーンの“Cobra”の簡易版というか、指揮者がいるインプロ演奏の立ち上げ公演があって、それに参加できました。帰国後に東京インプロヴァイザーズ・オーケストラが立ち上げられたので、メンバーに連絡を取って。日本のフリー・ジャズ/フリー・インプロヴィゼーション・シーンとのつながりができたのはそれからですね。(バイオリニストの)横川理彦さんや、山下洋輔さんとの共演で有名なフルートのMiyaさんとはそこで知り合いました。《新宿ピットイン》での東京インプロヴァイザーズ・オーケストラの最後のライヴ(2014年)は山下洋輔さんがゲストで、共演をしました。

                

──hikaru yamada and the librariansを始めたのはいつなんでしょうか?

h:ロシアから戻ってきてからです。大学のジャズ研に顔を出したら、4、5学年下の穴迫(楓)さんやermhoiさんがいたんです。

──一回り下の世代が入ってきていたと。それから、穴迫さんとlibrariansを始めたんですね。

h:librariansにはもともと女性のベーシストがいたのですが、彼女が穴迫さんを紹介してくれました。librariansは最初からサンプリングだけでやっていたわけじゃなくて、生演奏もやっていたんです。生演奏の曲もサンプリングの曲も作っていたものの、ベースの子が抜けちゃったことで一気にそっちへ向かっていきました。

──ライヴ・アルバムの『ElecTropicalismo: Live at Mona-Records』(2014年)も生演奏ですしね。

h:『ElecTropicalismo』にはロシア時代からやっていた曲もあります。ロシアでは女性ヴォーカリストと一緒にバンドをやっていたんです。あと、実はロシアへ行く前に一枚作品を作っていて、女性ヴォーカリストに歌ってもらった経験はそれが最初ですね。サンプリングではありませんでしたが、librarians的なポップスはそこから始まっています。

──サンプリング/エディットを始めたのはいつですか?

h:帰国するちょっと前に、“Christmas”とタイトルについている曲だけを集めて、それをサンプリングしてループさせたらクリスマス・ソングができるんじゃないかと思いついて、実際に作ってみました(“song about two monopolies”)。それから「曲名しばり」のサンプリングで曲を作るのが面白いなと気づいたんです。

──yamadaさんはその「曲名しばり」のサンプリングについて、なにをどうサンプリングしていいのかを決められないからルールや制限があった方がいい、と以前言っていましたね。

h:そうですね。曲名で検索して出てきた曲だけを聴きこんでいくと、使えそうなところが見えてくるので。

──現代音楽的な発想ですよね。

h:それは(ライター/批評家の)細田(成嗣)さんにも言われましたね。普段リスニングしていて「あっ、ここが使えるな」というDJ的な発想は、私からは出てこないんですよね。

──では、ヒップホップではなく実験音楽の手法としてサンプリング/エディットを取り入れたんですね。1単語で曲名を検索して、出てきた曲をサンプリングをするというlibrariansの手法は、yamadaさんがご自身のライブラリーに音楽をため込んでいるからこそできることですよね。

h:留学時に、結果的によかったことは、留学前に持っていたCDを全部データ化してハード・ディスクに詰め込んだことでした。それによって聴いていた音楽がすべてデータ化されたので、サンプリングが可能になったんです。

あと、私は中学生の頃からWinMXやBitTorrentを使っていて、“miles davis discography”などで検索して全アルバムをダウンロードしていました。アントニオ・カルロス・ジョビンもアルバート・アイラーも、それで全部聴きましたし。

──ははは(笑)。フリート・フォクシーズのロビン・ペックノールドは違法ダウンロードで60、70年代のロックを聴いていた、という逸話を思い出しました。インターネットのフリー・シェア文化の恩恵を受けたことは、今20代後半から30代前半の世代にとっては重要なことですよね。ただ、今はサブスクリプション/ストリーミング・サービスがあるので、また当時のインターネット環境とは違いますね。

h:サブスクで聴けたとしてもサンプリングはできないから、librariansをやっていなかったでしょうね。

──ストリームされるのではない、データの物質性というのはありますよね。yamadaさんは、プレイヤーであると同時にエディットでも曲を作るという、両極端な2つの顔を持っているのが面白いと思います。

h:サックス奏者としてはかなり激しい演奏もしますけど、librariansではサックスもギターも使わない、という対比が面白いのではと思っていました。

                

──librariansは、2013年に2枚組のCD-R『the rough guide to samplin’ pop』をリリースしています。

h:その最初のCD-Rをなんの伝手もなかった《JET SET(下北沢店)》へ持っていったら、(スタッフの)中村義響さんが店頭で聴いてすごくほめてくれて、その場で「50枚買います」と言ってくれたんです。

当時は、天野さん(インタビュアー)がやっていたバンドの失敗しない生き方もデモCD-R(『遊星都市』、2012年)を売っていたじゃないですか。自分は、あの2012、2013年頃のやり方しかいまだにわかっていない(笑)。SoundCloudで1曲話題になっても全編は聴けなくて、よく知らないけどCD-Rを買ってみよう、みたいな流れがありましたよね。あの頃は面白かったなと思います。

──当時は岡田拓郎くんのバンド、森は生きているのCD-R『日々の泡沫』(2012年)が話題になっていましたよね。

h:岡田くんのことはツイッターでペーター・ブロッツマンとかの話をしているのを見かけていました。ある時、入江さんと森は生きているの対バンが(下北沢)《モナレコード》であって、フリー・ジャズ的な演奏を聴けるのかと勘違いして森は生きているのライヴを観に行ったのですが、「なんか違うな」と思って(笑)。

岡田くんは、池田若菜さんや吉田ヨウヘイさんと「發展」という即興演奏のグループもやっていましたよね。天野さんがDJをやっていた發展のイベント(2013年)を見に行って、若くて面白い人たちがいるんだと思いました。それで水道橋《Ftarri》に發展を呼んでライヴをやってもらって、それから岡田くんや池田さんと仲良くなりました。

──yamadaさんが《Ftarri》へ通いはじめたのはいつなんですか?

h:《Ftarri》がオープンしたのは、ちょうどロシアから帰国した2012年だったと思います。《Ftarri》の店長の鈴木(美幸)さんが作っていた雑誌(『Improvised Music from Japan』)をよく読んでいたので、客として行っていました。鈴木さんにいきなり「やらせてください」って頼んだら、受け入れてくれたんだと思います。なので、さきほどの中村義響さんと《Ftarri》の鈴木さんにはすごく感謝しているんです。

──librariansなどでの活動とフリー・インプロヴィゼーションの演奏は、yamadaさんの中では分かれているんですか?

h:分かれているし、両方とも好きでやっているんですけど、《Ftarri》でインプロの演奏を聴いてくれていた方がlibrariansを聴いて好きになってくれるパターンもあります。

私は、自分と同じような人を探すために音楽をやっている、というのが大きいです。実験的な音楽も好きだしポップスも好き、という人を探すために。そして、自分の音楽はプレイヤーにこそ聴いてもらいたい。なので、あまり普通のリスナーのことは考えていないかもしれません。

ただ、台車(ディガー集団“lightmellowbu”のINDGMSK)さんたちのような、攻撃的なリスナー、既存の価値観を壊していくような人は別です。私は、それも「プレイヤー」だと思うので。そういう人たちとつながりたい、というのが自分の音楽活動の第一義ですね。

──他にyamadaさんが共感できる人はいますか?

h:毛玉の黒澤(勇人)さんですね。

──たしかに。黒澤さんは大友良英さんのワークショップから即興演奏を始めて、毛玉ではポップスを作っていますね。

h:librariansの初ライヴは2012年で、それは《(南池袋ミュージック・)オルグ》での毛玉による企画でした。

──そもそも、librariansというバンドのコンセプトはなんだったのでしょうか?

h:生演奏もやっていたわけですが、バンド名にも表れている通り、サンプリングで作ったポップスをやろう、というコンセプトはありました。

──参考にしていた音楽は?

h:ヘンリー・カウが解散してバラバラになった後、フレッド・フリスとかの元メンバーが、それぞれに変なポップスを作っていたじゃないですか。ああいう、変わった音楽を好きな人でも聴けるポップスを自分はやりたいし、自分は聴きたいなと思っています。なので、ちょっと聴きづらいというか、変な要素が入っていないと面白くないなと感じます。

──いわゆる「東京インディ」のシーンが盛り上がっていた2000年代末から2010年代前半の東京は、そういった音楽を自然とやっているバンドやミュージシャンが多かった印象です。

h:そうですね。音楽には詳しいんだけど、最終的にできあがる音楽や音のデザインに関心がなかった人たち、というか。色々な音楽の要素を集めていて、面白い音楽をやっているんだけど、最終的な形はいびつでぐちゃぐちゃなんですよね。そういえば、昆虫キッズが解散した時(2015年)には、最後のロック・バンドがいなくなってしまったなと思いました。

それが当時は面白かったのですが、その後現れて「シティ・ポップ」と呼ばれるようになったバンドなどは、もっとデザイン的に優れた音楽を作れていた。そういう音楽は普通のリスナーも聴けるので、売れたり流行ったりする。それ以前のミュージシャンと同じように音楽には詳しいんだろうけど、最終的なデザインが決まっていて、そこに合わせられる技量があったのだと思います。

──それは器用さであり、洗練であり、保守性でもありますよね。そこで失われている豊かさや面白さもあったわけです。ああいった2012、2013年頃の面白さを、僕は2018年頃からまた感じています。yamadaさんを介して知ったNNMIE(んミィ)さんと、yamadaさんがメンバーだった「んミィバンド」と出会ってからですね。

h:tiny popも、最終的なデザインははっきりしていないんだけど、その中に入っているアイデアが面白い音楽だと思います。私は、それが「ポスト・パンク」だと思っているんです。

               

──2014年にlibrariansのファースト・アルバム『genre music → genre music』がリリースされました。このタイトルは?

h:色々な曲をサンプリングして集めるわけですが、それを「コラージュ」するのではなくて「ジャンル・ミュージック」にする、という意味ですね。あと、アーサー・ラッセルの『24 → 24 Music』へのオマージュですね。

──同時期に、ラッパーの10,10,10のミックステープにビートを提供しています。彼がやっていたのが、“POWER”というコレクティヴのようなものですか?

h:そうです。当時大学生だったモーツァルト(Ko)くん――今、彼は“Capote”というバンドをやっているのですが――がギターでインプロをやっていて、私はツイッターで彼と知り合って一緒に演奏していたんです。そのモーツァルトくんが10,10,10と仲良くて、「POWERというイベントをやるので絶対に来てください!」と誘われて遊びに行ったら、10,10,10やガクヅケ木田くんがフリースタイル・ラップをやったり、ナツノムジナがライヴをやったりしていたんです。

そこで、10,10,10から「毎日ミックステープを出すので、毎日ビートを送ってください!」と言われて(笑)。それまでlibrariansではヒップホップ的なビートを作っていなかったのですが、わからないなりにラップが乗るビートを作ってみました。

POWERの人たちはツイッターでもイカれていて、面白かったですね。librariansはファーストを出したものの、大して話題にもならず失望したんですけど、POWERが楽しかったので、POWERのことばかりをやっていましたね。

──どういう集団だったんですか?

h:10,10,10とモーツァルトくんが面白いと思った、精神的に近いと思った人たちを集めて、スタジオやイベント・スペースを借りてイベントをやったり、話しあったり。ミュージシャンだけじゃなくて、インターネット・アート方面の人や、電気工学の専門大学生で色々なものを作れる人もいました。

途中からマーライオンくんなども入ってきて、めちゃくちゃな若者たちの集まりで面白かったのですが、butajiやMCビル風、内田るんさんなど、色々な人たちが参加したことで、考えの違いから活動が難しくなり、だんだんフェードアウトしていきました。

──POWERではビートを作ったり、サックスを吹いたりしていたんですか?

h:あと、マスタリングしたり。今の活動に近いですね。パンタンシノワというアイドル・グループの麥野むぎさんの曲(「テイクミーホーム」)を作ったこともありました。

──その後、岡田くんが音楽を担当して、yamadaさんが参加した映画『ディアーディアー』が2015年に公開されました。

h:あれは岡田くんの力作なんですよ。私はそこで初めて、ちゃんとしたスタジオでの録音を経験しました。ありがたいことに、岡田くんは色々な録音に誘ってくれるんですよね。あとはこの頃、入江さんの『仕事』(2015年)などの録音にも参加しています。

librariansのセカンド・アルバム(『the have-not’s 2nd savannah band』)が出るのは2016年ですが、2015年にはできあがっていたんです。でも、ファーストが売れなかったからレーベルからリリースを断られていました。アルバムはできあがっていたのに出せない状態が続いていたのですが、他に色々と面白いことがあったのでなんとかやれていましたね。


──『the have-not’s 2nd savannah band』はカリビアン・ミュージックがテーマということですが、これについてもう少し詳しく説明してもらえますか?

h:ファーストが売れなかったこともあって、東京インディの価値観や文化に疲れてしまって。その時にグアドループ島の音楽、フレンチ・カリビアンの音楽などを色々と聴いていて、そういうトロピカルな音楽をサンプリングで作ろうと思ったんです。

アルバム・タイトルは、オリジナル・サヴァンナ・バンドと、キッド・クレオールがプロデュースしたドン・アルマンドズ・セカンド・アヴェニュー・ルンバ・バンドから取っています。“have-not’s”――「持たざる者」というのは、ブラス・セクションやコーラスなどの大所帯のバンドはいないけどそれをサンプリングで表現する、ということです。


feather shuttles forever(撮影/ニノミヤモトキ)

──2017年、mukuchiこと西海マリさんとfeather shuttles foreverとしてのファースト・アルバム『feather shuttles forever』をリリースしています。それ以前からmukuchi + hikaru yamadaとしてライヴや作曲をしていたそうですが、“tiny pop”というキーワードにつながっていくので、この頃にyamadaさんの活動が新しいフェイズに入ったように感じます。当時はSoundCloudでたくさん音楽を聴いていたんですか?

h:自分は、掘るのはそれほど得意ではないんです。mukuchiさんを知ったのはNNMIEさんのSoundCloudからで、あとはツイッターで知ることが多かったですね。

feather shuttles foreverのアルバムの曲を作っていたのは2016年です。自分もマリさんもそうだったんですけど、どんどん曲ができちゃう時期で、2016年はとにかくfeather shuttles foreverの曲を作りまくっていましたね。

──feather shuttles foreverの曲は2人の共作なんですよね。んミィバンドに参加した経緯は?

h:2017年の春に、NNMIEさんから「東京でバンドのライヴをしたいんですけど、会場を探しています」という連絡がきて、色々と相談しているうちに「バンドをやるんだったらベースでもギターでも、なんでもやりますよ」と提案して、バンドに入った感じですね。

当時のんミィバンドには、uccelliさんはまだいなくて、ベースのセキモト(タカフミ)くんとドラムの伊藤くんはいました。これはいかにもインターネット的なエピソードですが、NNMIEさんだけ全員と知り合いで、他のメンバーはお互いのことを知らなかったんです。バンド練で集められて、全員やばい連中だなと思いました。でも、面白かったです。

NNMIEさんの音楽は2014年頃から聴いていたのですが、2016年頃から女性ヴォーカルが入るようになって、そこでようやく魅力に気づいたんです。自分は男性ヴォーカルの音楽にポップスを感じられなくて、ポップスといったら女性ヴォーカル、という今の時代にそぐわない古い感覚なので(苦笑)。NNMIEさんの音楽も女性が歌うようになったことで、これはポップスなんだなと気づけました。


──この頃に前野健太さんのアルバム『サクラ』(2018年)に参加しています。このアルバムでは、岡田くんがプロデュースした3曲に参加しているということですよね。

h:『サクラ』に参加した経験も、自分にとってすごく重要ですね。岡田くんって当時、「曲自体は普通なんだけど、それを面白くしてほしい」とプロデュースを頼まれていたように私は思うのですが、それをすごくうまくやるんですよね。そのプロデュース・ワークを真横で見られて感動して、影響を受けましたね。

「夏が洗い流したらまた」という曲では私がシンセを弾いていて、もともとベタっとした感じで弾いていたんです。でも岡田くんが音量の変化をつけて、ある箇所で急に音量が上がったり滲ませたりするようにミックスした。そういう細かい(音の)抜き差しや音量の変化で曲に陰影を付けていくのを見て、岡田くんのアイデアはすごいなと思いました。

               

──2018年5月には、feather shuttles foreverの楽曲「提案」がSoundCloudでリリースされています。Tenma Tenmaさん、kyoooさん、入江陽さん、SNJOくん、西海マリさんとヴォーカリストが5人フィーチャーされている、レイト80s/アーリー90sシティ・ポップ風の曲ですね。


h:2016年頃から、私は台車さんや(lightmellowbuの)thaithefishさんの活動を面白いと思っていたんです。

――当時はまだlightmellowbuがなくて、台車やthaithefishはそれぞれシティ・ポップを掘って、ミックスを録ったりブログを書いたりしていたわけですよね。yamadaさんは2人のミックス『Looking for the Melted Crystal 〜Why Now? City Pop 90s〜』を聴いて衝撃を受けて、ポップスに対する価値観が変わったと言っていました。


h:そうです。彼らはフェザシャト(feather shuttles forever)を聴いてくれてもいたのですが、明確に彼らとつながる曲を作りたいなと思って、それをねらって作った曲が「提案」です。

台車さんたちの活動がすごいのは……思い出とかとは関係ないわけじゃないですか。自分とは無関係なものとして、90年代のシティ・ポップをゼロから聴いている。そこがすごいと思います。

思い出語りをしている人たちがいる間は、音楽の再評価って難しいと思うんです。ただ90年代のシティ・ポップについては、それを聴いていた一部の人たちのネットでの発言力は大きくなくて見過ごされていた。そんな音楽を、リアルタイムを知らない世代の台車さんたちが聴いて、その魅力について語りはじめたのが面白いと思います。

──lightmellowbuの活動も、ノスタルジーや当時の状況の振り返りといった文脈とは関係ないところで駆動していますよね。その「提案」が、今回7インチ・シングルとしてリリースされます。B面は?

h:「電話のあとで」です。これはthaithefishさんがイベントでかけていた宮沢りえの曲(「心から好き」)にインスパイアされて書いた曲で、《Local Visions》のコンピレーション『Oneironaut』(2019年)に提供しました。


──「提案」は、どうして5人ものシンガーが歌った曲になったんですか?

h:「ラップではないけどマイク・リレーがある曲」と「1番と2番でメロディが違う」という自分のアイデアがあって、マリさんと相談して作りました。Tenma TenmaさんやSNJOくんは、当時はまだ会ったことはありませんでしたが、気になっていたので声をかけたんです。「提案」では、TenmaさんやSNJOくんとのつながりを持ちたくて、台車さんたちともつながりたかったので、そういう気持ちで作っています。

「この人とこの人を会わせたい」、「この人にこの人を紹介したい」と思うことってあるじゃないですか。そういう時は共演してもらうのが一番だと思っているんです。たとえば片方がライヴをやって、その打ち上げなどでもう一方を紹介しても、ライヴをしていた側は気が立っていてあんまりうまくいかない。なので、曲やイベントの共演で結びつけるのが重要だと私は思っていて、それをずっとやっています。

──なるほど。レーベル、《Local Visions》が始まったのも2018年なので、この頃は、今振り返ると重要な時期だったのだと思います。

h:そうですね。「提案」を作った当時、Tenma TenmaさんやSNJOくんが《Local Visions》から作品をリリースすることは知りませんでした。

──翌2019年、feather shuttles foreverは《Local Visions》から2作目『図上のシーサイドタウン』をリリースしています。

h:2018年の夏にフェザシャトのセカンド・アルバムができていて、レーベルからリリースしたかったのですが、相談しても断られてしまって。「Bandcampで出そうかな」とつぶやいたら、(《Local Visions》の主宰者の)捨てアカさんから「よかったらうちから出しませんか?」と声をかけてもらえました。他に5曲くらい、《Local Visions》に合わないフォーキーな曲があるので出したいのですが、なかなか進められていません。

──同年、毛玉の黒澤勇人さんとのデュオで、12の短い即興演奏を収めたアルバム『we oscillate!』もリリースしています。

h:録音自体は2017年の冬で、その後カンパニー社がリリースしてくれました。黒澤さんとライヴをやる時はもちろん1時間で1本をやりきりますが、アルバムはそうではなく、自分たちの奏法をデモンストレーション的に演奏する作品にしたかったんです。

──yamadaさんは鉄板やチューブを使ったり、循環呼吸法で吹いたりと、フリー・インプロヴィゼーションでは特殊奏法を用いますよね。

h:ロシアにはヨーロッパから即興演奏家がたくさんライヴに来るので、そこで自分の知らなかった演奏家の奏法を見ていました。アイデアを借りたものもありますが、自分なりにアレンジして取り入れています。

──普通にアルトを吹いたりリードを換えたりするのではない、別の表現方法を探っているのでしょうか?

h:フリー・インプロヴァイザーが特殊奏法をすること自体に長い歴史があって、それをCDなどで聴いて「どうやってやるんだろう?」というのを自分なりに探っています。最初は真似なんですけど、だんだんと自分の音を出せるようになっていくんですね。

               

──2020年1月、yamadaさんが手がけたtiny popのコンピレーションCD『tiny pop – here’s that tiny days』がリリースされました。これについては、『Mikiki』のyamadaさんとマリさんへのインタビューを読んでいただければと思います。同年12月にリリースされたギタリストの平井庸一さんのアルバム『The Hornet』では、yamadaさんはサックスで参加するとともに、共同プロデューサーも務められていますね。平井さんとはどんなきっかけで知り合ったんですか?

h:平井さんが(レニー・)トリスターノ系のバンドをやっていた頃に高円寺の《small music》というレンタル店でCDを借りて聴いて、ライヴも観に行っていたんです。その感想のツイートを平井さんか(太陽肛門スパパーンの)花咲(政之輔)さんがRTして、それで知り合いになりました。

『The Hornet』の録音では、私はコントロール・ルームでモニターをしながらサックスを吹いていました。ジャズの録音なのですが、他のバンド・メンバーは別の部屋で演奏していて。

──それは、エディットをするという前提で?

h:自分のパートに関してはそうですね。

──tiny popについてのインタビューをした時に印象的だったのは、yamadaさんが「自分の好きな音楽は『ポスト・パンク』なんだ」と言っていたことです。つまり、テクニックではなくてアイデアで勝負する、あるいは既存のなにかに頼るのではなく自分たちでやる――それが大事なんだと。それこそyamadaさんの思想というか、音楽活動の核にあるものなのではないかと思います。

h:自分はレーベルをやりたいと思っていた時期もあったのですが、「ミュージシャン一人一人がレーベル」の方がいいと思い直したんです。つまり、あるミュージシャンのアルバムを私がプロデュースして私のレーベルから出す、というやり方ではなく、そのミュージシャンが自分でお金を出してデザイナーやイラストレーターなどに頼んでCDを作る、という。その過程で録音やミックスの手伝いやCDを置いてくれるお店の紹介はしますが、実際に行動するのは本人に自分でやってもらいたい。ひとつのレーベルにひとまとめにされたり、誰かにやってもらったりするのではなく、一人一人が自分でやっていく方がいいと思っているんです。

──yamadaさんがご自身で実際にそういう活動をされてきたからこそ、なのでしょうね。なにかに絡めとられるのではなくて、主体的に、字義通りの意味でインディペンデントで行動する方が理想的だと。

h:そうですね。私は、人が初めてCDを出すまでが一番面白いと思うのですが(笑)。自分も常に、そういう気持ちで音楽を作りたいと思っています。

その手伝いはいくらでもします。ただ、それ以上に「売れる」となると、そのやり方はわからないので、なにも手伝えません(笑)。でも、ここ2、3年ほどは柴崎(祐二)さんたちと知り合ったことで話題になることも増えたので、ありがたいですね。

──柴崎さんは、音楽ディレクターとして最近も浅井直樹さんの新作『ギタリシア』を手がけたり、lightmellowbuの一員であったり、評論家として独自のアングルで音楽について論じたりと、重要な働きをされていますよね。そしてyamadaさんも、演奏や作曲の他に、新しい才能を見つけることにも優れているので、重要な仕事をされていると思います。

h:ただ、このまま中年になっていくと、若いミュージシャンに声をかけるやばいおじさんになっちゃうじゃないですか(笑)。だから、自分自身の活動もがんばらないといけないなと思っています。librarians、フェザシャト……あとこの先に、もうひとつなにかをやりたいなと思っています。

──またtiny popというコンセプトについて、シンガーソングライター的な自己表現ではないポップスなんだ、とおっしゃっていたことも印象深いです。

h:2000年代は才能がある人が音楽を作っていて、アイデアというよりは個人の才能や個人が持つ輝きで突っ走るミュージシャンが多かったと感じていました。でも2010年代は、個人の生活や生き方、本人性を売りにする音楽から離れて、アイデアによって面白い音楽を作れるかどうかが重要になったと思います。

ヤング・マーブル・ジャイアンツにせよなんにせよ、ポスト・パンクもそういう音楽だと思うんです。もちろんミュージシャン個人の魅力もあるけど、そうじゃなくて、アイデアを音楽という形にしているのが一番の魅力――本人のアイデンティティよりも、アイデアの方が先に打ち出されているというか。シンガーソングライター的な音楽は未来永劫流行りつづけると思うので、「個人の魅力に頼らなくても面白い音楽もあるよ」と、『ele-king』に書いたtiny popの記事では言いたかったんですね。

librariansはホームページもないし、アー写もないし、グッズも作ったことがありません。私は音楽だけしかやりたくないんです。でも、それでも活動できるんですよね。普通バンドで活動するなら、まず外堀を埋めるじゃないですか。

──そうですね。Tシャツを作るとか、タオルを売るとか(笑)。

h:私は、そういうことには一切興味がないので、とにかく面白いアイデアを音楽として打ち出していきたいですね。

<了>


feather shuttles forever

提案 / 電話のあとで

LABEL : P-Vine
RELEASE DATE : 2021.03.24(7 inch Single)


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Tower Records / HMV / Amazon


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Text By Ryutaro Amano

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