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「曲を作る時にはいつもどうやって作曲してたっけ?とふっと思う」
音に優劣を与えない原 摩利彦の現在・過去・未来

05 June 2020 | By Shino Okamura

原 摩利彦のニュー・アルバム『PASSION』は、このコロナ禍において最も聴かれるべき作品の一つと言っていいだろう。コロナ禍……それは人類はウイルスだけではなくあらゆる生命体と共生していかねばならないということをつきつけられている現在。いや、コロナだけではない。奇しくも同じこのタイミングで起こってしまった、白人警官が黒人青年を死に追いやったあのミネアポリスでの事件に端を発するアメリカ全土での抗議デモ #BLACKLIVESMATTER もまた、そこには命のヒエラルキーなどないということを我々につきつけてくる。

命だけではないだろう。意思によって奏でられるものも、奏でるという意思を持たないものも、過去に放たれたもの、まさに今世に放たれたもの、とにかく聞こえてくるあらゆる音という音は共にある、そんなテーゼを伝えているのが原 摩利彦の『PASSION』というアルバムだ。美しい旋律を持つクラシカルなピアノ曲も、アンビエントとニューエイジを視野に入れたような曲も、ポリリズミックなエチオピア・ジャズ・タッチの曲も、現代音楽とゴシックとがミックスしたような曲も……ここでは全てが並列。20年前の音もついさっき閃いた音も、自分が集めた音も、誰かが採取した音も全て横一線。それを可能にしたのは機材の発達と技術の進歩であるにせよ、原が音楽家としてナンセンスな順列という壁を越境、超越させようと働きかけたからこそ、『PASSION』というどこにも音の優劣がない作品が誕生したのではないかと思う。

原は京都生まれで現在も京都住まい。アルバム収録曲である「Passion」のPVは祇園の名刹・建仁寺において、彼の友人である俳優の森山未來を主演に迎えて撮影された。筆者はこの撮影の密着レポのために見学に訪れたが、空き時間を利用してマイクとレコーダーを持ち、庭で鳥の鳴き声や木々のざわめきの音の採取をしている原の姿は、まさに音たる音に均等に語りかけているかのようだった。そんな原にリモートでインタビュー。同じ京都にいるのに直接会って話せない状況。だが、海外での評価も高く、演劇やアートのフィールドとも深くつながっている原は、そうした物理的な距離になど全く差異をもたせようとしないのだろう。坂本龍一にお墨付きをもらい野田秀樹やダムタイプ周辺と交流する原も、海外のインスタレーションなどで活躍する原も、人気番組『情熱大陸』に出演する原も、自転車で京都の町をゆるやかに駆ける原も同じ人物。美しいとはなにか。醜いなどというものは果たしてあるのか。原との対話はそんな命題をも考えさせてくれるものだった。(インタビュー・文/岡村詩野)


俳優・森山未來が主演した「Passion」のPVは京都・建仁寺で撮影された。


Interview with Marihiko Hara

——ご自宅にはかなり機材が揃っているようですね。

原 摩利彦(以下、H):そうですね。まあ、簡単な機材ばかりですけど、もう1年半くらいなのでだいぶここで過ごして音を作る時間が増えています。でも、シークェンサーくらいで、基本はzAkさんのところでレコーディング、サントゥールは東京のスタジオを借りて、マイクだけ持っていって録音しました。あとは高校の頃の音源とか、前に即興で録ったものもあって。これまでに録っておいた音の断片と、今作った音源とを合わせるようなやりかたをしています。

――それは、音作りの時系列を超越する意味もあるのでしょうか? 過去と現在とを並列に並べることによってそこに差異を持たせないというような。

H:ああ、結局今作っているものはこれまで積み上げてきたものだったり、見たり聴いたりしてきたものだったりするわけで……という考えなので、その時に作ったものだけが新しいものではないという意味ではそうですね。

――古いものの中に新しい未来がある、過去の行動にこれからのヒントになるものが隠されている、あるいは、現在の中にこれまでの記憶やカケラがあるというような……原さんの音楽はそういう時系列をシームレスにした立体性があるような思えるんです。16歳の時に作った「Inscape」が今回のアルバムに入っていることの意味を考えたら、特にそう感じました。

H:ありがとうございます。あれ、もう20年前の曲なんですよね(笑)。実は『情熱大陸』に出演した時に、練習室で弾いていた場面で弾いていたのがあの曲だったんです。弾こうと思ってやったというより、ふと練習の時に弾いたんですね。その時は中間部分を忘れてたりしてたんですけど、もう一度思い出して。当時の楽譜は紛失してないんですけど、最近のレパートリーに加えられるかなと思って改めて完成させたんです。

――10代前半くらいの頃からちゃんと楽譜に曲を書いていたんですね。

H:そうですね。中学2年くらいの時に作った曲の楽譜とかは残ってるんですけどね、「Inscape」はなくしてしまって……。でも、今回のアルバムのタイトルを『PASSION』にしようと思った時に、音楽家になろうと思っていたあの情熱を思い出させてくれたというのもあって。それで今回収録しようと思ったんです。でも、PASSIONという単語には「情熱」という意味以外に「受け入れる」という意味もあって、それは大人になって色々なことを受け入れながら進んでいくという状況も意味しているんですよね。でも、10代の頃の、まだ何も考えずに純粋に情熱を持っていた頃の思いというのも一方であるので……それでアルバムに入れることに意味があると思ったんです。

――練習では割とそうやってこれまでの曲をふと弾くことが多いのですか?

H:いや、むしろだいたいが即興なんです。その中で新しい和音の組み合わせを探していくんです。実は「Inscape」の一番最初の和音が「C on E」なんですけど、それって割と自分の手癖というか、よく使う和音なんですね。それで手が覚えていたのか、練習の時にふと思い出して弾いたんだと思います。そもそも今回のために「Inscape」というタイトルをつけたんですけど、それまでは無題でした。

――そういえば、アルバム・タイトルの『PASSION』の一方の意味……まさに『情熱大陸』と符号しているんですね。

H:そこに繋がると恥ずかしいので、一瞬アルバム・タイトルに『PASSION』をつけるのをためらったりはしました(笑)。

――それにしても、10代の頃に作った曲の和音が、今も原さんのコンポーズの基盤の一つになっているというのは、当時もう既に完成されていたとも言えますね。

H:もう少し発展はしたかったですけどね(笑)。でも、「C on E」の和音構成はすごく好きで。「Circle of Life」や「Sanson Yojo」や「Carina」(いずれも『Landscape in Portrait』(2017年)収録)にも出てくるんです(笑)。(「Inscape」を書いた)当時、コード…和製の勉強をしていたんですけども、いわゆる「芸大和声」と言われる本(『和声 理論と実習』)によく出てきていたんですね。ちょっとルートを変えるだけでこんなに響きが違って聞こえるんだって、当時純粋にすごく感動したんですね。実際にコードを押さえてみて、なんでこんなに綺麗な音がするんだろうって。それまで僕が考えていた和音というのは、坂本龍一さんだったりエリック・サティだったりバッハだったりを聴いて知ったコード……例えば「メジャー7th」だったりするんです。ただ、「C on E」はそれとは違った。勉強することで知った喜びなんですね。だから、「C on E」だけでワン・フレーズできてしまったわけです。でも、勉強するより前は……例えば、僕は「メジャー7th」をそれだけなんども繰り返し聴いていたんです。でも、勉強をした後だと「メジャー7th」を今度はうまく見つけられなかった。指と耳とで覚えていたってことなんでしょうね。10代の頃、学校から帰ってアップライト・ピアノを弾いていたんですけど、作曲するわけでもなく、和音探しを手探りでずっとやっている中でフィーリングで偶然見つけた……みたいな感じだったのかもしれません。

――つまり、勉強して知った側面と、偶発的に、言わばフィーリングで発見した側面と。原さんの作品を構成しているのはその対象的な両面が和音にも現れていて、その組み合わせで曲が作られていくということですね。

H:そうかもしれないです。例えば、「Passion」の、メロディ部分「ソ・シ・シ・ド」の「ド」は「Dm7」なんですけど、その前が「B♭ on F」なんです。「B♭ on F」から「Dm7」に僕はこれまで行ったことがなかったんです(笑)。その時に「あ、この曲はイケる」と思ったんです。頭で作る作曲のクセと、手で作る作曲のクセというのがあるんですけど、そうやってやったことのない展開ができたときに、すごく新鮮に感じますね。というのも、僕はいつも「作曲をするぞ」って時に、「どうやって作曲していたっけ?」ってふと忘れる…というか、ふっと思うんですね。で、作業をしているうちにいつの間にか「いけるぞ」ってモードに入るんですけど、今話したようなコード進行を見つけた時がそのきっかけになっているのかもしれないです。クライアント・ワークスをやる時にもそういうことに気づくこともあるんですけど、やっぱり自分名義の、自分のための曲を作る時にそういうことが起こるとやはり嬉しいですよね。

――「どうやって曲を作るんだっけ?」という思いは、今回のアルバムにおいても実感したのですか?

H:ありましたね。今回のアルバムの後半は劇伴制作の過程でできた断片だったので、そういう過去の断片を生かしながら…でも、「Passion」という曲ができた時にまとまっていったというか、もうそういう感覚はなくなっていましたね。あの曲を1曲目にもっていくぞ、みたいなことも自然に決まって行って。もちろん、「PASSION」という言葉は、マドリード在住の写真家のイザベル・ムニョスが「A lot of Happiness.Good Luck and Passion!」と言ってくれたものをメモしておいたので、そこから後になってつけたんですけど、最初からそのタイトルをテーマに作ったわけではないんですね。僕はもともとそういう感じでアルバムを作っていくんです。僕は作曲……コンポジションという言葉の意味そのものもそうですけど、何かを配置していく関係性によって全体が変わっていくのが作曲の面白さだと思っていて。だから、断片の単位で合わせていくコンポジションから、曲ができてそれを並べていく関係を見たり、かたや自分が考えていたこととかメモしていたこととかが少しずつ見えていく中で出来上がっていく……そんな感じなんです、毎回。だから、今回も、あえて原点に返って「Passion」にしたというわけでもなく、「そういえばこういうことを自分は考えていたんじゃないかな?」というものと、既にあるものとを照らし合わせて作った感じでした。

――様々な点において、原さんは対象的な二つの事象や感覚を同時に共存させているのですね。すごく自分に対して距離をとりながら冷静に演奏している側面と、無心で演奏しているような側面とを一つの曲の中から感じることもできます。

H:頭で回転させながらピアノを弾いているところがあるんですね。コンサートとかでは、和音の結合や進行について考えて、その場で再作曲しているような感じなんですね。でも、ふと忘れて、意識はあるけどそういうことを忘れて音楽の中に入り込んでいる時と、確かにどちらもあります。そういう感じって、作曲や演奏だけじゃなく、ミックスの時もそうです。サウンドファイルをもってきてピッチを変えたりするっていうのもありますし、録音ボタンを押してから演奏しているはずなのに、何か記憶の中から抜けたりしていて、後から聴いて気づいたり……。そういう時は曲に入り込んでるんでしょうね。

――制御している部分と、没入している部分とが同時に働くことで、曲に奥行きを与えている感じもいますね。

H:制御と没入……僕はあまり気づいてなかったんですけど、『情熱大陸』の時、うちの母がインタビューされたんですね、これオンエアされてないんですけど、その時、かつて祖母が「清濁を合わせて飲まないといけない」と話していた、ということを話したんですね。それを横で聞いていて、なるほど、確かに自分には常に相反する二つのものがあるような気がしたんですね。例えば、ギャグ漫画も好きだし、難解な音楽も好きだし……みたいな。今回のアルバムでも抽象的でアンビエントみたいな曲もあるし、ハッキリとしたメロディのピアノの曲もある。どっちかだけだとしんどくなる、みたいなところがあるなと感じますね。

――確かに、形式を守る部分の美しさと、形式から外れることの大胆さ……その極端な表現が今回のアルバムにはこれまで以上にハッキリ出ているような気がします。

H:それはありますね。能管を使った曲では、シンセも使っているんですけど、能管の伸びている音と、それを引き継ぐシンセの音……それがどちらがどちらかわからないような感じにしているんですね。いろんな音でも、それが音楽単体だとちょっと聴きにくくても、どこまでいけるか……ギリギリまで広げようとはしました。でも、それも組み合わせによって聞こえ方が変わってきますよね。冷蔵庫の生活ノイズも気になりだしたら我慢できなくなるんですけど、例えば窓を開けた時の音と組み合わせたら自然に聞こえたりもしますよね。結局、文脈やコンテクストによって変わってくるということなんですけど、それを僕は楽曲の中で作り上げているということなんですね。

――今回、笙や能管といった日本の伝統楽器を用いた理由も、そうした文脈やコンテクストによって音の聞こえ方が変化することの一つの証左みたいなところがあるのですか? 改めて和の情緒を意識したというわけではなく……。

H:もちろん、これまでの仕事を通じて出会った人たちの影響もあります。ただ、やっぱり武満徹が「西洋という一枚の巨大な鏡に自分を映す」と書いていたのを読んで、僕も日本国籍をもって日本に住んできた音楽家である以上、いつか邦楽器の音も使ってみたいとずっと考えていました。自分の音楽に笙や能管をとりいれても、偽りがないというかしっくりくるようなアプローチを今回やれた感じはあります。なんとなくあの音がほしい、というよりは、そういう楽器をちゃんと入れてみたいという思いでやった感じです。あと、日本の伝統音楽の、あの空間を取り入れた録音に興味を持つ中で、それを西洋のアーティストがやった場合の作品はどうなのか?というようなことをエンジニアのzAkさんと話したりもしていて。僕は、そういう楽器をどういう音と一緒にどういう風にミックスしていくのか?ということにすごく関心があるんですね。なので、今回は特にそのあたりは意識的になって取り入れたところはありました。だから、今回は古典ベースの即興なんです。楽譜をちゃんと書いたわけではなく。そういう意味では本当にコンポジションなんですよね。

――では、何かの音と何かの音をミックスさせるにあたり、柱になるもの、軸になるものはどういうものだと捉えていますか?

H:例えば、ストリングスはシンセやサンプルを加工したものなんですけど、僕がずっと西洋音楽に親しんできた感覚に寄り添わせてあるんです。そういう意味では、もしかしたら軸というのがないかもしれないです。中が空洞で、その周囲をクルクル回っているような感じというか。それって結構日本的な感覚なのかもしれないですね。ただ、でも、音を配置して取り入れてるとはいえ、判断基準は自分にあるので……何が柱や軸になっているかといえば、自分が積み重ねてきたものなのかなと思いますね。

――今回のアルバムではこれまでになく音に隙間があり、空間を生かしている印象があります。さきほど話してらした、日本の伝統音楽へのアプローチがそうさせた部分もあるかもしれませんが、録音方法含めて何か変えてみたところはあるのでしょうか?

H:確かにこれまでの僕の作品ってベタっと(音を)塗るクセがあったというのは自覚していて。空間を埋めないと物足りない感じもあって。人によっては、そういう音作りは平面的に聞こえるのかもしれないですね。ただ、これはある種、西洋的な見方ですけど、ポリフォニックな作り方に前作『Landscape of Portrait』を作った時から感じ始めていて。例えば、フィールドレコーディング(で採取した音)の一般的な使い方として、雰囲気モノのようにピアノの後ろにスーッと他の音が流れているようなやり方があるじゃないですか。でも、そうじゃなくて、ピアノをミュートしても成立するかどうか、みたいなことは考えていました。その時に、じゃあどうするかというと、一つの音だけを流すのではなく、音量を変えたり、違う音が入っていたり…音のシナリオを作っていくような感じにして。で、ピアノはピアノでそれだけで成立するようにして、それで合わせていくような。それぞれ独立した音なので、だから今回のアルバムでは音に隙間があるように聞こえたのかもしれないですね。


――しかも、今回は自分で採取したものではなく、他者によるフィールドレコーディングの音を使用していますよね。

H:自分で録るのが唯一の正解ではないというか、必ずしもそれがイイとされるとは限らないじゃないですか。もちろん、僕が最初に自分で採取した音を使う面白さを目の当たりにしたのは、サイモン・フィッシャー・ターナーだったんですけど(サイモンは高谷史郎(ダムタイプ)ディレクションによるパフォーマンス公演『CHROMA』で音楽監督を務めている)、僕も野田(秀樹)さんの芝居の現場とかに行って、そうやってフィールドレコーディングする作業がすごく面白がられたんです。でも、その先に行くとまた違う捉え方になるんですね。例えば、自分でフィールドレコーディングをすると、どこでその音を録ったかというのが大事になってきたりするんですけど、芝居でそれを生かすとなると、音そのもののが大事になる。要所要所でフィールドレコーディングの音の使い方も違ってくるんですね。あるシーンでは市販された音がいいし、またあるシーンではどこかで自分で録った音の方がいい…というような。例えば、NODA・MAPの『Q: A Night At The Kabuki』では、最後に瑯壬生(ろうみお)が倒れ、死体が重なりあうところで波音が鳴り続けているというト書きだったんですけど、その波音を録った時、風除けをしてなかったのでマイクに風の音がババババって入ったんです。でもそれがよかった。戦争によって導かれた非情な結末を本来抑えるべき暴力的な風の音で表現できたんですね。用途によってフィールドレコーディング一つとっても違うというのに改めて気づいた時、じゃあ、自分が録った音じゃなくてもいいんじゃないかって思って。

――となると、フィールドレコーディングで採取した音は誰に所有権があるのか? という話にも発展すると思うのですが、突き詰めていくと、そもそもそうして採取した音はそもそも万人の共有財産ではないか?という原さんの哲学のようなものを伝えることにもなりますね。

H:まあ、そこまでいうとカッコ良すぎますけど(笑)、僕は自分の作品が世に出た時に晒される……フランス語で言うところのエクスポゼの感覚がそもそもあるんですね。例えば、僕の作品は、聴く人によって「癒し」を感じさせるものという解釈もあって、それ自体は全く否定しないというか、一度出したものだからどのように聴いてもらっても構わない、というのは確かにあります。それはマスタリングに関してもそうで、ここまで自分で作ったのだから、違う人が介在してくれて構わない、と思っています。ただ、確かにフィールドレコーディングの音に関する所有権というのはなかなか難しいですよね。どちらかと言うとレディ・メイドとアートの話ですよね。

――確かにそうですね。私は原さんの音楽から「癒し」は実はほとんど感じなくて。むしろ、モートン・フェルドマンと同じような「挑発」を見出したりするんです。

H:ああ、それはすごい嬉しいです。モートン・フェルドマンの音楽にもすごく「間」があるんですけど、スコアを見るとものすごく細かく拍子が変わっていってるんですよね。そこに気づいた時にとても感動した覚えがあります。

――実際、今作の曲は音のレンジがダイナミックなところがあります。今回のアルバムの曲ではピアノの音域を広げているそうですが、それはかなり意図的な作業だったのですか?

H:まだまだそれは始まったばかりなんですけど、左手の音をより低く弾くようにはしました。低い音がいかに大事かというのに改めて気づくようになって。低音が効いてるのと効いてないのとでは深みも違いますしね。クセのある作り方はどうしても出てしまうので、今回はこれをやるぞ、という指針をちゃんと立てて作るようにしました。その一つがピアノの音域を広げるということだったんですね。もちろん、それでも自分のクセが出てしまうところはあるんですけど、前作はむしろ音域がすごく狭くて、こんなけしか音域使ってなかったんだ…と気づいたりもして、それで余計に今回は広げてみたくなったというのはありましたね。

――その音域の違いは今回かなり実感できましたか?

H:例えば、コンサートの時に、低い音を沈めるように鳴らすだけで収まったりするので、実際に演奏してみて実感できるところではありますね。去年、ロームシアターで演奏した時、スタインウェイのいいピアノを弾いたんですけど、そういう時により実感したりしましたね。いつかピアノ・コンチェルトを書いてみたいと思ったこともあったんですけど……実はずっとオーケストラについての勉強をしているんです。今はこの自宅スタジオにいる時間が多くなったので、新曲ももちろん作ってますけど、自分の持ち曲もオーケストラ・アレンジで書き直したりしていて。「Circle of Life」だったらヴィオラかチェロで始める感じかな…みたいな感じでアレンジしていますね。あるいは、(フェデリコ・)モンポウという作曲家の残した曲…ピアノでしか残っていない短い曲をアレンジしたり……。まだそれをどう発表するかとかは未定なんですけどね。

――さきほど野田さんの名前も出ましたが、高谷さんやダミアン・ジャレなど、いわゆる音楽関係ではない、演劇や舞台のフィールドのクリエイターと多くこれまでコラボレートしてきていますが、そうした経験が今作に生かされている部分はどういうところにあると思っていますか?

H:後半の「Confession」や「Meredian」あたりは、『繻子の靴』(2016/2018年)という8時間のお芝居の時に用意した音楽で、使わなかった部分が生かされています。もともと僕の音楽は「押す」より「引く」タイプの音楽に近いと思うんで、お芝居や舞台などの音楽を作るには相性がいいのかなとも思うんですけど、一方で、音楽として独立した強度を持ったものを作りたいと思っていて。舞台で時々バッと音が前に出るような時ってあるじゃないですか。もちろんそれはオペレーターの方の操作にも関わるんですけど、そうやって自分の手を離れた時にも、ちゃんと舞台上のダンスとどう絡んでいけるのか?みたいなことは考えていますし、そういうところから学んでいると思います。その中で音楽の強度を持たせる実践ですよね。だから、そうした今までの経験があったから、今回のような作品を作っても説得力を持たせることができたのではないかと思っています。

――それが、近年、より意味を持ち始めてきている。

H:それは本当にそうですね。ようやくちょっと動き出してくれてるな、と思います。ただ、実際には、すごくたくさんの舞台の仕事をやっているようで、ダムタイプ、野田さん、ダミアン、さっき話した『繻子の靴』の渡邊守章さんとの作業もありましたけど、大きく3組の方々との作業なんですね。でも、それぞれの個性がすごく強いので、時間の使い方、言葉の使い方、すべてが違うので、自分の作業をやる時に、さっき話した「どうやって曲を作っていったっけ?」じゃないですけど気付かされるんですね。一個の言葉に対して色々な表現があるというように。音に対してそういうことに気づき始めているのかな…という実感はあります。同じ舞台でも、野田さんとダムタイプでは当たり前ですけど劇場によっても、同じ初日でもアプローチが全く違う。僕は大学で音楽は学んでなくて教育学部だし、美術関係もそうやって実践の場で学ばせてもらっている。特権ですよね。でも、それが自分の活動にも反映されるようになってきてるかなと感じます。一方で、「お前がえらいんじゃないぞ」っていうのは常に言い聞かせていて。自分でもちゃんと作品を作っていかなきゃいけないって思っています。

――原さんのやっていらっしゃることは、演劇や舞台に「付随する」音楽を作る、という解釈ではもはやないですよね。映像のフィールドだと映画音楽をたくさん手がけてきたヨハン・ヨハンソンや最近だとヒドゥナ・グデナドッティルもそうだし、ジョニー・グリーンウッドとかもそうですけど、その映像をどう音で具現化していくのか?に挑みつつも、制作のプロセスみたいなものをそのまま独立した作品に成立させるような試みを成功させていますよね。しかも、彼らはポップ・フィールドに片足を置いたまま。

H:ああ、いいですよね、ヨハン・ヨハンソンやヒドゥナ。彼ら、出てきた頃はもっとオルタナだったですよね。でも、今はメジャー・フィールドで大きな仕事をやっていて…希望ありますよね。実はまさに次は映画、映像の音楽をやってみたいんです。一つ映画音楽の依頼があったんですけど今延期になっちゃって……。ほんと、超やってみたいんです。

――そのヨハン・ヨハンソンも手掛けてるフランチェスコ・ドナテッロがマスタリングを担当していますね。

H:そこは実はスタッフの島田さんにあげてもらったリストの中にあった名前なんです。ただ、マスタリングは毎回、自分じゃなく違う人にしてもらいたいと思ってて。しかも自分の交友範囲じゃない方がいい。自分の音がどう変化するのかが楽しみなので。なので、ヨハン・ヨハンソンを手掛けてる人っていうのでぜひやってもらいたいなと。PV「Passion」に出てくれた森山未來さんに対してもそうでしたけど、やっていただく以上はお任せなんです。でも、フランチェスコのマスタリングは本当に素晴らしくて……もうマスタリング前の音は忘れてしまいました(笑)。


<了>

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https://song.link/marihikohara

Text By Shino Okamura

Photo By Yoshikazu Inoue(トップ写真)


Wake UP!

原 摩利彦

PASSION

LABEL: BEAT RECORDS
RELEASE DATE: 2020.06.05

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