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デヴィッド・ダン、天使と昆虫のフォノグラフィー

23 January 2023 | By Narushi Hosoda

音楽表現の一手段としてフィールド・レコーディングが扱われるようになって久しい。近年ではテクノロジーの進歩もあり、必ずしも本格的な機材を用意しなくとも、たとえばスマートフォンでメモ代わりに録音した素材をもとに驚くほど多様な作品が生み出されている。むろん最新の機材を用いることによって、液体や固体の振動、あるいは超音波など、通常は聴くことのできない音響を可聴化する試みもある。表現方法もそのまま録音したものから、電子的に加工/変調したコラージュ作品、器楽演奏での併用、あるいは文脈を重視した調査研究に近いものまで幅広い。ところで、時にフォノグラフィーとも呼ばれるフィールド・レコーディングをリスナーとして聴くことにはどのような面白さがあるのだろうか。一つには人間が楽器を演奏することでは得られない音響的な豊かさがあるだろう。だがもう一つには、録音された音を耳にすることによって、音を介した世界の認識をあらためて別角度から捉え直すような面白さもあるのではないかと思う。

作曲家でサウンド・アーティストのデヴィッド・ダンは広い意味でのフォノグラフィーを早くから実践してきた人物の一人である。1953年にアメリカのカリフォルニア州サンディエゴで生まれた彼は、若い頃はケネス・ガブローに師事したほか、ハリー・パーチの助手を務め、1970年代にはパフォーマーとしてハリー・パーチ・アンサンブルにも参加していた。アメリカ実験音楽の文脈においてダンはポスト・ケージ世代に属する。とりわけダンは、ジョン・ケージが音楽概念を解体/拡張するにあたって音を脱文脈化したのに対し、自らは「再文脈化」を行っているのだと主張している。つまり鳥の鳴き声を例に挙げるならば、それを単なる音響的素材として作曲に組み込むのではなく、環境における意味作用のコードを踏まえて扱うのだという。彼の活動の転換点を示す有名なエピソードがある。1970年代から80年代にかけて野外環境を想定したサウンド・パフォーマンス作品──そこでは多くの場合フィールド・レコーディングも重要な手法として取り入れられていた──を複数手掛けてきたダンは、最初期の作品である『Nexus 1』(1973年)で、グランド・キャニオンを舞台に3人のトランペット奏者による演奏および録音を行った。もともと峡谷の反響特性への興味が念頭にあったものの、実際にパフォーマンスを行うと予想外の事態が発生した。その場に飛んできたカラスがトランペット音に反応するように鳴いたのである。この時の様子はパフォーマンスのアーカイヴ集である『Music, Language And Environment』(1996年)でも聴くことができる。ケージが無響室で無音を聴くことの不可能性を発見したのだとしたら、ダンは野外の環境で人間以外の共演者を含めたコミュニケーションの可能性に行き当たったのだ。以後、ダンは環境とのより複雑な相互作用を探求していき、その実践は「生態系サウンド・アート」(大塚姿子)とも呼ばれている。

そのようなデヴィッド・ダンが初めてアルバムという形式で発表した作品が本盤『Angels And Insects』(1992年)である。「天使と昆虫」と題されているように、ここには2種類の作品が収められている。1つ目は「Tabula Angelorum Bonorum 49(49の善き天使の表)」だ。7つのトラックに分かれたこの曲は、ルネサンス期の占星術師ジョン・ディーと彼の魔術的研究に協力した霊媒エドワード・ケリーによる実験の記録が下敷きになっている。ディー=ケリーが作成した表には、天使の言語である「エノク語」で書かれた49名の天使の名前が記されており、ダンはそれらの名前を厳密に分析することで音響へと変換したのだという。各トラックでは7名の天使の名前を7名のパフォーマーが発音しているが、コンピューター処理によって持続時間が拡張されているため、言葉というよりほとんど電子音響のような、あるいは地鳴りにも似たドローンとして聴こえてくる。耳を圧迫するような低周波から高域のノイズまで、おどろおどろしい響きに思わず身が竦んでしまう。朧げに声だとわかることで、かえって響きのホラー性は増す。だが天使の言葉なるものを耳にすることができるのだとしたら、おそらくこのように聴き馴染みのない怪奇な響きを湛えていることだろう。続く2つ目の収録曲は「Chaos & The Emergent Mind Of The Pond(混沌と池の創発的な精神)」である。こちらは一転してハイドロフォン(水中マイク)を用いたフィールド・レコーディング作品で、北アメリカとアフリカの淡水池の水中の響きをコラージュした内容となっている。一部の録音素材は1オクターブ低く加工されているが、ミックスとシーケンス処理以外はそのままだそうで、水流音や水生昆虫の鳴音、カエルやセミの鳴き声のようなもの等々、無数の響きが犇めき合うことで空間性豊かな生態系アンサンブルを編み上げていく。音量的にはささやかだが、リズミカルに反復する響きは音楽的な魅力さえ放っている。とはいえ水中特有の音環境はやはり怪奇さも漂う。

それにしても一枚のアルバムに天使と昆虫が同居するというのは実に奇妙ではないだろうか。聖なるものと俗なるもの、天上のものと地上のもの、超自然的なものと自然のもの——天使と昆虫というのはほとんど対極にあるもののようにも思える。どちらか一方にだけスポットを当てた方が作品としてのまとまりは良かったかもしれない。だがそこにはやはり、天使と昆虫が同居していることの理由があるように思うのだ。2つ目の収録曲で「Mind(精神)」をタイトルに冠していることから窺えるように、デヴィッド・ダンは『精神の生態学』の著者グレゴリー・ベイトソンから大きな影響を受けていることを公言している。そのベイトソンの鍵概念の一つが、『精神と自然』で詳しく語られた「二重記述」である。実際にダンは「二重記述の必要性」と題したレクチャーを2007年にICCで行なっており、「厳格さだけでは無力な死に、想像力だけでは狂気に至る」というベイトソンの言葉を引きながら、芸術と科学両方の視点から現象を理解することの必要性を説いていた。そして樹木内の音をコラージュしたアルバム『The Sound Of Light In Trees』(2006年)を契機に、森林破壊の原因の一端でもある害虫・キクイムシに関する調査を、生物学者と共同で行うようになっていく。科学者とコラボレートした電子音楽作品を集めたアルバム『Autonomous And Dynamical Systems』(2007年)もこうした「二重記述」の音響的実践と捉えることができるだろう。たしかに天使と昆虫は芸術と科学という二項の枠組みにはそのままでは当て嵌まらないかもしれない——だがオカルティズムと自然現象が音響として並置されることによって、わたしたちは人間とは異なる存在が発する馴染みのない音の構造と生態系のありようを、いずれも異邦的な響きとして重ね合わせながら耳にすることができるのだ。

もう一つ特筆すべきなのは、天使も昆虫も、広い意味でのフォノグラフィー(=音を書くこと)の実践となっているということだ。すなわち、天使の言葉を音響的に記録することと、水中の音世界を録音することは、いずれも音を記録することによる芸術行為という意味では共通している。デヴィッド・ダンの近作にして14年ぶりのソロ・アルバム『Verdant』(2021年)では、イースター・サンデーに新型コロナウイルス禍が重なることで聴こえるようになった、それまで騒音によってマスキングされていた都市のサウンドスケープをフィールド・レコーディングした素材が使用されているが、フォノグラファーとしての彼はこのように現在もなお世界を音響的に捉え直し続けている。そうしたアルバム作品としての出発点となった本盤は、フィールド・レコーディングをはじめとしたフォノグラフィーの実践が珍しくなくなったいま、むしろありふれた想像力とは一線を画すユニークなアイデアによって人間以外の存在が発する響きを記録した作品として、やはり音を通じて世界を別様に捉え直すことの奇妙だが興味深い入り口となっていることだろう。(細田成嗣)

Text By Narushi Hosoda


David Dunn

Angels and Insects(天使と昆虫)[30th Anniversary Edition]

LABEL : エム・レコード
RELEASE DATE : 2022.12.20


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