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サティが繋ぐ高橋アキ、ケージ、フェルドマン

27 October 2021 | By Masato Matsumura

幾人かのお名前のならんだ表題『高橋アキ・プレイズ・ケージ×フェルドマン via サティ』を、私なりに別のことばにおきかえると『高橋アキの演奏によるサティを経由したケージとフェルドマンの共(合)作』となり、さまざまな事象と人間模様がおりかさなった歴史の多層性を想起させる。かまえからして時間の厚みが磨く響きを聴くアルバムともいえるが、その中身にふれる前に、登場人物を簡単に整理してみたい。

主役を担う高橋アキは1944年鎌倉生まれのピアニストで、兄悠治とならぶ現代音楽の卓抜たる演奏家であることは衆目の一致するところ。1970年の初リサイタル後、72年に渡欧、レコード・デビューは73年の『高橋アキの世界(Piano Space)』だが、デビューの時点ですでにすぐれた演奏家であるとともにたぐいまれな批評眼をそなえていたことは、武満徹をかわきりに湯浅譲二、水野修孝、一柳慧、近藤譲に高橋悠治、ヴェーベルン、ブーレーズ、ベリオ、クセナキスにいたる前衛の寵児たちのピアノ曲をとりあげていたのでもわかる。とりわけ批評的な姿勢については、作曲者が兄悠治に献呈しその名を海外まで轟かせたクセナキスの「ヘルマ」をとりあげたかと思えば、やはり悠治へ捧げた武満の「ピアノ・ディスタンス」を冒頭に置き、ケージの不確定性の作品「ウィンター・ミュージック」で幕を引く構成力にもうかがえる。『高橋アキの世界』の出た1973年は62年のケージとテュードアの初来日にはじまるジョン・ケージ・ショックから10年以上の歳月を経ており、本邦の前衛の季節も――草月アートセンターが終わり「季刊トランソニック」がはじまるころだとすると――変わり目をむかえていた。そのことはすなわち、モダニズムとラジカリズムのつばぜりあいであり、「知」と「反知」というどこか今日的な論点をふくむはずだが、本稿では深追いしない。いずれにしても、そのような時代を背景に、高橋アキの批評性は当初よりバランス感覚にすぐれ、なによりも明晰さに富んでいた。

ジョン・ケージと高橋アキ(1982年)※



すでに述べたが、高橋の最初のアルバムには本作の登場人物のひとりであるジョン・ケージもいた。高橋がとりあげた「ウィンター・ミュージック」はケージの57年の20ページのスコアからなるピアノ曲で、ひとりでも20人で弾いてもいい。演奏にあたっては時間枠を設定しそれにより演奏時間を逆算するので尺があらかじめ決まっているときには便利である。高橋は『世界』での「ウィンター・ミュージック」を10分内にきりつめているが、演奏者によっては半時間から、ときには一時間以上になることもすくなくない。高橋は以後、ケージ作品に積極的にとりくみ、解釈と演奏において独自の境地をひらくことになるが、出発点にあたるデビュー作を世に問うたころ、作者であるケージが手がけていたのが本稿でとりあげる「チープ・イミテーション」だった。

「チープ・イミテーション」は『高橋アキ・プレイズ・ケージ×フェルドマン via サティ』の中心をなすばかりか、ケージ作品のなかでも認知度のたかい作品といえる。なんとなれば1977年にイタリアのクランプスから出た作曲家の実演によるレコードがジャズやロックと並列で現代音楽を聴く層にこの曲を浸透させるのにひと役買った。かててくわえて曲そのものもピアノ曲で構造らしきものがあり耳障りもあるでなし。聴こうと思えばすんなり聴ける。したがって入門者にうってつけでもあった。

なぜそうなのかはこの曲のなりたちにかかわってくる。「チープ・イミテーション」の祖型は仏人作曲家エリック・サティが第一次世界大戦末期の1917年から翌年にかけてとりくんだ声をともなう交響的ドラマ「ソクラテス」にある。ケージはマース・カニングハムのダンス作品のためにサティのこの曲の2台のピアノのために編曲版をつくったが、著作権の関係で断念、かわりに原曲の時間構造をのこして音符を完全に書きかえた。できあがったのは原作とは似ても似つかぬ「チープ・イミテーション(安あがりの模造品)」、カニングハムはそれによるダンス作品を「セカンド・ハンド(中古品)」と呼んで盟友の試みに応答した。

他方で交響的ドラマと銘打ちながらサティの「ソクラテス」は声と器楽パートは劇的なかかわりあいをほとんどもたなかった。3部からなる全体にも中心はない。サウンドはユニットらしきものをもつが、ヴォイスは無方向に展開する。サティはこの曲の器楽パートを「家具の音楽」のひとつとして構想していたと、高橋アキの亡夫であり日本におけるサティ受容に先鞭をつけた秋山邦晴は著書『エリック・サティ覚え書』でタンプリエの証言を引きながら指摘している。ケージはBGMの元祖でありアンビエントの淵源である「家具の音楽」のエッセンスをひきだしコンピューター化した易経をもちいて音符をつみあげたという。それにより生まれた作品のドラマ性のなさったらなかった。ほとんど単旋律で時間構造は把握できるのに記憶にのこらない。記憶とは出来事どうしの関係すなわちドラマに依存することを「チープ・イミテーション」はつきつける。いや、つきつけてしまってはいけない。たしかにそこにあり、しかし作曲家や演奏家の意識を投影するだけでない音のあり方。高橋アキは徹頭徹尾そのことに集中し、鍵盤にふれることでその集中や緊張までほどいていく。均一なタッチは鏡面のような美しさだが、その平面は多くのものの奥行きを映すかのようでもある。

ケージのサティへの傾倒は20世紀音楽の重要な結び目のひとつといっていい。「チープ・イミテーション」はそのことが作品に結晶したものであり、それを弾く高橋アキはサティ、ケージと浅からぬ縁がある。

モートン・フェルドマンと高橋アキ(1985年)※



ではのこるフェルドマンはどこからやって来るのか。フェルドマンがケージを筆頭に、クリスチャン・ウォルフ、アール・ブラウンらとともにニューヨーク・スクールなる集まり(ブラウンによれば「楽派」ではないとのこと)をつくったのはつとに有名である。ただしこれは1950年代なかごろの話で、ケージが「チープ・イミテーション」のオリジナル版を公刊した1970年にはとっくに別々の道を歩んでいた。なかでもフェルドマンは彼の名を売るきっかけになった図形楽譜を捨てポロックやマーク・ロスコらアンフォルメルの画家の作品に霊感をえた曲を書きはじめていた。代表的なものではロスコの絵画が四方の壁面を覆う無宗派の教会の名を冠した「ロスコ・チャペル」であろうか。この曲の静謐さと荘厳さがはりつめる音楽空間はきわめて微弱な音響による長時間の作品というフェルドマンの作風を確立した80年代の諸作の呼び水にもなった。高橋アキは1980年2月にニューヨーク州立大学バッファロー校付属「創造と演奏の芸術センター」の招聘を受けはじめて米国の地をふんだが、当時センターのディレクター職にあったのがモートン・フェルドマンだった。その彼もまた変化の季節をむかえていたことになる。

フェルドマンとサティの関係についてはケージほどつまびらかではない。他方本作のブックレット所収のテキストで高橋アキはフェルドマンが「私の音楽を印象派だとかいろいろ言うけど、私自身はサティと同じだと思っているよ」と述べたと記している。またジェイムズ・プリチェットは本作に寄せたライナーノーツでフェルドマンが「ソクラテス」に言及した1965 年の「The Anxiety Of Art」と題したエッセイを引き、フェルドマンとサティのつながりを読みこんでいる。ただし原文はパステルナークにはじまり、シェーンベルク、ブーレーズ、ヴァレーズ、シュトックハウゼン、ストラヴィンスキー、モーツァルトにヴェートーベンにモンドリアン……アート全般について述べているのでサティを特別視しているのでもなさそうである。とはいえプリチェットの指摘するフェルドマンの「ソクラテス」評、すなわち「だらだらと続いてほとんど何も起こらず、ほとんど変化がないので、実際には忘れられてしまう」――は長々とした実時間を作品におりこみ、記憶と忘却のありようもその一部とした後期フェルドマンの作風への自己言及の趣もある。

高橋アキがフェルドマン編曲による「チープ・イミテーション」のスコアを手渡されたのは彼女が米国を離れる直前だったという。フェルドマンの譜面は原曲ではピアノが担う音符をフルートとグロッケンシュピールにふりわけてあった。本作はフェルドマン版「チープ・イミテーション」の初録音である。ケージ版と聴きくらべてみると、トリオになったことで全体がすこしばかり凸凹した気もするが、音のたちあがり(アタック)を強調しないフラットな演奏のせいで、聴きすすめていくうちに三者の音のちがいはしだいにうすらいでいく。プリチェットが引用した箇所のすぐ直前でフェルドマンが述べるように、音楽の歴史では楽器のアタックが問題になったことはほとんどない。逆にいえば、フェルドマンがエッセイの文中で主張するようにアタックとプロジェクトションを操作すれば聴覚平面に変化をもたらすこともできる(エレキギターのアタックをマスキングしてヴァイオリンのような音にする奏法を想起すればよいだろうか)。またフェルドマンのいうプロジェクションとは投射を意味し、三次元の物体が二次元平面上につくる影のような、ことなる次元どうしのトポロジカルな変換のようなものだとしたら、アタックを排し純化したサウンドでソロをトリオに投射したフェルドマン版「チープ・イミテーション」はその論理の、これ以上ないほど端的な実践ないし実験といえるのではないか。

トリオ版「チープ・イミテーション」を演奏する高橋アキ、M. ランカスター、D. シヴリー @ Le Poisson Rouge, NY※



――などといったかまえた向き合い方をせずとも『高橋アキ・プレイズ・ケージ×フェルドマン via サティ』は聴くだけでたのしい。感興をもよおさせるたぐいの作品でないことも、かえってなんども再生してしまう理由のひとつだが、わずかばかりの角度の変化で同じ旋律の線形が別様に響くのは頭の上の電球に明かりが灯るような感じもする。いうまでもなく本作はサティ、ケージ、フェルドマン、現代の音楽史に重要な思想的足跡を刻んだ三者に深くかかわる高橋アキにしかなしえない作品であり、「チープ・イミテーション〔トリオ版〕」のほかにも、ジェイムズ・テニーの楽譜の裏に、「7/78」の日づけと「ジョン」の署名とともに残されていたことからケージ作と伝わる「エリック・サティのための小石の全面、そして」の初録音としても貴重である。なお本作は〈The Complete John Cage Edition〉の一環としてModeから出た『The Works For Piano 11: Cheap Imitation; Other Works』と同一音源だが、日本語でライナーの読める本作をおすすめしたい。(松村正人)

写真提供:カメラータ・トウキョウ ※印の写真は『高橋アキ プレイズ ケージ×フェルドマン via サティ』日本盤CDブックレットから

Text By Masato Matsumura


高橋アキ

高橋アキ プレイズ ケージ×フェルドマン via サティ

LABEL : カメラータ・トウキョウ
RELEASE DATE : 2021.06.30


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