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Buddy: Superghetto

2022 / Cool Lil Company / RCA
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バディが引き受けるものと、引き受けないもの

01 May 2022 | By Sho Okuda

「ある場所に生まれたからといって、その環境の産物にならなきゃいけないわけじゃない」──イングルウッド出身のラッパー=HD The Oneは、インタビューの中でそう語った。しかし、出身地がギャングスタ・ラップのメッカともいえるコンプトンともなると、それははたして簡単なことだろうか? 一人称でギャングスタ・ラップをやってみせるのではなくても、その土地が持つ歴史やら文脈やらに絡めとられることになる例が多いのではないだろうか。そうしたなかで、コンプトンの持つ〈縛り〉から最も自由に見える同市出身のアーティストの一人がバディだ。「Shine」(2016年)をリリースしたばかりで当時まだ23歳だった彼を見ると、クリップスの縄張りで生まれ育ったものの、そういう出自をあまりシリアスには捉えておらず、いろいろなものにオープンでイージーゴーイングな印象を受ける。

前作『Harlan & Alondra』から約3年8ヶ月。当時と異なりガソリン代を払えるようになったバディの最新作『Superghetto』は、静かな「Hoochie Mama」で幕を開ける。同郷のラッパーの作品・楽曲と比べるならば、YGの『4REAL 4REAL』(2019年)の1曲目「Hard Bottoms & White Socks」を思わせるような不穏な雰囲気だ。しかし、次の収録楽曲「Bottle Service」で作品全体の一つ目の山場を迎える『4REAL 4REAL』とは対照的に、『Superghetto』ではその後も近しいテンションが続く。あくまでミニマルで落ち着いたビートにバディのラップ。それだけに彼のラップが映えるというものだ。

あえてものすごく大雑把にいえば、これは西海岸的というよりは東海岸的だ。ドクター・ドレー「Bitches Ain’t Shit」(1992年)をサンプルした「Hoochie Mama」で故DMXの「Where The Hood At」(2003年)の一節を引用している点からも、またT・ペインを迎えた「Happy Hour」で東海岸発祥のスラング“mad”(とても、すげぇ、めっちゃ、超)が用いられていることからも、ある種の〈東海岸志向〉が感じられよう。ただ、繰り返しになるが、ここで大事なのは〈東海岸志向〉か否かではなく、バディが自らを縛りうるものからどれだけ自由であるかだ。パンデミックの期間中は何もしていなかったと語るバディだが、親交のあるアーティストの楽曲に客演するなど、最低限のクリエイティブな活動には勤しんできた。例えば本作収録の「Ghetto 24」に客演しているティナーシェとは、彼女の楽曲「Pasadena」(2021年)でも共演した。大手《RCA Records》からの独立後にクリエイティブ・コントロールを持てるようになったことを自他ともに認めるティナーシェだが、彼女をはじめとしたアーティスト仲間たちから受けた刺激が、80年代を思わせる「High School Crush」や「Bad News」の曲調につながっているとしても不思議ではない。

本作のタイトルは、特定の場所ではなく自身が育った環境を取り巻くエナジーを表すものであり、ゲトーの持つポジティブな側面に光を当てたかったのだとバディは語る。様々なものからひたすら自由に見えるバディなりに背負っているもの/引き受けている役目があるとすれば、こうした部分だろう。前作収録の「Black」の続編ともいえる「Black 2」では、ユーモアも交えつつ文化の盗用に釘を刺している。その一方で、表題曲では〈スーパーゲトー〉出身の一人として、自らも経験した理不尽なゲトーの条理を描写し、同じ境遇の人々をレプリゼントしている。そう、バディが我々に何かを伝えるとき、自由闊達でチルな雰囲気で我々の警戒心を解いたうえで行われるのだ。もっとも、そこに計算めいた要素は感じられないのがいっそう魅力的なのだが。(奧田翔)


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