Review

Tyler, the Creator: IGOR

2019 / Columbia
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タイラー・オコンマが詰め込んだ「好き」

01 June 2019 | By Sho Okuda

タイラー・ザ・クリエイターがこれまでにリリースしてきたアルバムのアートワークを並べてみて、ピンクの背景にモノクロの自身の顔を配した今作『IGOR』のそれが、ひときわシンプルであることに気づく。そこで歌われている失恋というテーマは、タイラーが敬愛してやまないカニエ・ウェストの『808s & Heartbreak』(2008年)以降の時代を生きる我々にとって、実は今や最もなじみのあるものだ。「Yonkers」のMVで「ゴキブリを1匹食って大金を稼いだ」(「Domo23」より)タイラーのアルバムともなれば、そのテーマの普通さは奇異にさえ感じられる。ミニマリストの友人宅へ赴いた経験が、インストゥルメンタルに重点を置いた作風に影響を与えたと認めるタイラーだが、こうしたテーマ選びの背景にもその経験があるのかもしれない。

テーマの奇抜さを排する代わりにタイラーが情報量をたっぷりと詰め込んだのが、音だ。過去作に比してかなり短い計40分の再生時間の間に、曲は幾度となく転調を繰り返し、彼の声もまたディストートされる。歌詞解説サイト《Genius》では、気の早い歌詞解析班が「RUNNING OUT OF TIME」のページにフランク・オーシャンの名前を載せていた(フランクは同曲にクレジットされていない)。「NEW MAGIC WAND」のヴァースがスクールボーイ・Qのよるものだと錯覚したリスナーも少なくないだろう。こうした人々の反応をニヤニヤしながら見守っているタイラーの顔が浮かぶ。

歌詞の情報量を抑えつつも、タイラー・オコンマは感情を表現することについてまったく妥協していない。「歌に自信があるわけじゃない」と言いながらも、彼は(我々の多くがケンドリック・ラマーだと信じる)ケンドリックという友人に促され、「これは俺にしか歌えない歌だ」と、自分自身が感情のままに歌うことを決意したのだと語る。ここでいう「感情」は、なにも失恋に打ちひしがれた悲しみに限らない。「自分が一番に聴きたい音を詰め込んだ」とタイラーが語る今作には、彼の理屈でない「好き」が詰め込まれている。山下達郎「Fragile」のサンプリングもその一要素だ。そういえば、「IGOR’S THEME」の車をモチーフにしたリリックだってタイラーらしさ満点ではないか。

計算し尽くされていながらも実にエモーショナルな『IGOR』は、表層的な解釈や批評を拒んでいるかのよう。1聴目でなくとも、ここはやはりタイラーが言うように、スマホを置いてテレビを消して没入したい。地震のような衝撃と共に初めて聴いた同作は、いつしか忘れられない友人のような存在になっているかもしれないから。(奧田翔)

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