Review

George Clanton: Ooh Rap I Ya

2023 / 100% Electronica
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ポスト・ヴェイパーウェイヴの旗手が再解釈する90年代ポップスの美学

23 September 2023 | By Suimoku

ジョージ・クラントンは「ESPRIT 空想」などの名義でヴェイパーウェイヴの重要アーティストとして活躍するほか、自ら《100% Electronica》というレーベルを主宰してそこからもリリースを送り出すなど、世界のオタクから信頼のおかれているアーティストだ。その彼が『Ooh Rap I Ya』という新しいアルバムをリリースしたのだが、その楽曲、特に「I Been Young」という楽曲のブレイクビーツ、大仰なシンセ、「アイ~ビ~ンヤ~ング」という朗々とした高音ヴォーカル……などを聴いて、これ“アレ”じゃないか……と思った。YouTubeのコメントなどを見ていると海外のリスナーも少なからず同じところに反応しているようなので、ひとつの導線としてここに書いておきたい。

80年代後半から、ヒップホップやアシッド・ハウス、そしてそこから派生したグラウンド・ビート、トリップホップといったダンス・ミュージックが流行するとともに、それを咀嚼したブレイクビーツの入ったようなポップスが増えていったという流れがある。ブレイクビーツがぶんちゃか鳴っているうえにDX7などのシンセが鳴って、甘いヴォーカルが乗る……というような。たとえばシンプリー・レッドの「Something Got Me Started」とか1989年以降のスタイルはモロそれだと思うし、ほかリサ・スタンスフィールドの「All Around The World」とか、そういうものがすぐに思い浮かぶ。それがマドンナの「Rain」とかに行ったり、90年代中盤からはバックストリート・ボーイズなどボーイバンドに行ったり……とか色々あり、言ってしまえばロック/ダンス・ミュージックのシリアスなリスナーからはややダサい・売れ線と思われていたようなラインなのだが、ある時代を象徴するものとしてそういうサウンドがあるのだ。

ジョージ・クラントンのアルバムを聴いて驚いたのは、まさに“そこ”を狙いうちしているように感じたからだ。実際に、「I Been Young」のMVでは「13位:ジョージ・クラントン/I Been Young」みたいなTop Of The PopsやMTVの歌番組を模したようなパロディをやっていて、そのなかでジョージ自身もくねくね踊っている [*1] 。調べてみると、ジョージ・クラントンはたとえばシール(Seal)をフェイヴァリットに挙げたりしているらしく、自分のインスピレーション・ソースを集めたプレイリストにもその「Don’t Cry」や「Bring It On」などをちゃんと入れている。このシールというのは上でいったようなサウンドの典型というか、トレヴァー・ホーン・プロデュースでダンス・ミュージックをポップに解釈したものとして90年代にすごく売れたアーティストである。彼の『Seal』(1991年)などを聴きながら『Ooh Rap I Ya』を聴いてもらえると、この文章の言わんとするところがやや伝わりやすくなるのではないかと思うが、個人的には結構好きなラインなんだけどなんでLAとかで活躍するミュージシャンがこういうものを聴いているのか? どうもジョージは子どものころからMTVを見漁ってこの辺の90〜00年代のヒットに愛着があるらしく、そういう幼少期に聴いていたポップスを一つのテーマに置いたのが、この『Ooh Rap I Ya』のようだ。

とはいえ、そこはもちろんストレートにやるのではなく捻りがある。たとえば、冒頭の「Everything I Want」では音像はぐにゃぐにゃに引き延ばされ、ヴォーカルもリヴァーブがかかって楽器の裏に埋没している。さすがにこんなバランスのものは当時無いだろうということで、悪意や諧謔が感じられるところだ。これは一つには、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、コクトー・ツインズ(『Heaven On Las Vegas』の時期の)、プライマル・スクリームといったいわゆるシューゲイザー/マッドチェスター……つまり同じくブレイクビーツを下敷きにした80~90年代のギター・ロック・サウンドへの参照が感じられるところだが、もう一つの要素としては、やはり彼の出自であるヴェイパーウェイヴ的な感覚が重要だろう。もちろんそのジャンルとして思い浮かぶ典型的なサウンド──80年代のAORやCMソングをスロウド&リヴァーブしたあれ──とはかなり異なるわけだが、2020年のインタビューで彼はヴェイパーウェイヴについてどう思ってるのか聞かれたとき、それはある種の実験を許すようなヴァイブスであり、特定の形式ではないと思う…という趣旨のことを言っていて、そう考えると、彼のいうヴェイパーウェイヴ的な精神で90年代のポップスを解釈すればこういうものになるということなのだと思う。

見逃されていた90年代ポップスの美学を掬い上げ、それをシューゲイザー/マッドチェスターと混同させ、さらには現代的な感覚を付け加えるという、この『Ooh Rap I Ya』でやっていることをまとめるとそんな感じになるのではないか。そこで浮上してくるシールとシンプリー・レッドとコクトー・ツインズとバックストリート・ボーイズが並ぶような領域というのはいままで名前が付いたことがなかった、「ブレイクビーツ・ポップス」とぐらいしか呼びようのないものなのだが、その一方で、たしかにこの時代そういうのあったよな……と思わせるようなものだ。その茫洋とした感覚を掬い上げ、今っぽく聞かせる手腕に音楽オタクたちも反応しているのだと思う [*2] 。また先述したように、これをヴェイパーウェイヴから繋がるものと考えても面白い。それを特定のサウンドではなく「特定の時代の美学を取り出すアプローチ」として考えるならば、『Ooh Rap I Ya』は典型をなぞったものよりよほど本質を掴み、その可能性を示しているといえるだろう。ここで光を当てられた「ブレイクビーツ・ポップス」的なスタイルが今後一つのトレンドや定型になったりするのか…は分からないが、いったんこの“やり切った”感を讃えたいと、『Ooh Rap I Ya』はそんなことを思わせる傑作だ。(吸い雲)



[*1]  《Pitchfork》のレビューを読むと、青みがかった照明、歌い手に雨が降りかかる演出…など「あるある」的な作りこみぶりがウケていることがわかる。

[*2]  先述した「I Been Young」は現在(2023.9.21)、《Rate Your Music》の楽曲チャートで2023年の3位になっている。

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