歪み、ノイズ、その命脈
再生ボタンを押すと、交響的な厚みと柔らかさを持った音色が、ループしながら耳の内に浸透してくる。その優美さは、どこかピタ『Get Out』の収録曲「3」における、サンプルされたモリコーネのループを想起させるが、しかし時とともに凶暴なノイズへと変貌するそれとは対照的に、閉じられゆく瞼のスローモーションのごとく、認識されぬほどにゆっくりと、約束された翳りの地平へと落ちていく。時は2020年、コロナ禍。KMRUとの邂逅は鮮烈だった。
《Editions Mego》から発表された『Peel』は、グリッチ以降の電子音響やテクノ、ノイズ、インダストリアル、ドローン、さらにサウンドアートやフィールドレコーディングまで、多数の文脈にまたがるような作品を多くリリースしてきたこのレーベルのカタログにおいて、堂々たる現代的なアンビエントの傑作であったこと、そしてその作者がケニアのナイロビというこのジャンルにおいては珍しい出自であったこと、加えてそのサウンドが安易にアフリカ音楽のステレオタイプを喚起させず、彼と周りの環境との関係性はフィールドレコーディングという手法とその抽象化を通した迂回路をもってのみ伝えられるものとなっていたことなど、多数の面から、レーベルカラーやアンビエントの歴史における新風と捉えられる一作であり、事実として、彼の存在を広く知らしめる出世作となった。
このたび発表された新作『Kin』はその『Peel』以来、6年ぶりの《Editions Mego》からのリリースだ。しかしながら本作の端緒は、《Editions Mego》のオーナーであったピーター・レーバーグと交わした「『Peel』の続編はどのようなサウンドになるか」についての会話にあったそうで、2021年初頭には制作が始まっていたという。そしてこの段階で彼はすでに、若き日にギターを弾いていたころを彷彿とさせるような歪んだトーンを含む、よりノイズ成分の多い音色の探求という方向性を見出していたそうだ。着手から実に5年を経て完成され、リリースに至ったこの『Kin』の音楽的な争点はまさにこの歪んだ音色にあるといっていいだろう。独特の粗い質感を感じさせながら、霧のように空間を満たす本作のトーンは、決して耳をつんざくようなものではなく、むしろ音の奥行きをリスナーに意識させ、その奥深くへと意識を誘う経路となっていると感じられる。そしてそれはこの作品の最大の魅力となるだけにとどまらず、本作とさまざまな音楽作品との共鳴を呼び込むものとしても非常に強力だ。
まず言及すべきは、彼自身のこれまでの作品についてだろう。本作が着手されてから実際にリリースに至るまでの5年間で、KMRUは数々の作品を生み出し発表しているわけだが、『Kin』において大々的に顕然とした歪みの色合いや効果は、それらの作品にもすでに息づいていたものと捉えられる。特に彼がシンセサイズへの注力によって生み出した2023年作『Dissolution Grip』は、本作に見られる歪んだギターのトーンへの偏愛を経た感性があったからこそのザラついた肌触りが、全編で入念に編みこまれている。ほかにも『Temporary Stored』シリーズにおけるアーカイブ音源のクラックルノイズから得られた成分、Aho SsanやKevin Richard Martinなどの正に独自の歪んだトーンを生み出し得るアーティストとの共演など、彼のディスコグラフィを顧みると「歪み」への傾聴に応えるエッセンスは至るところから湧き出てくる。すなわち本作は、まず彼自身の創作の底流に流れる重要な要素のひとつを詳らかにし、これまでの作品への新たな視点を提供する意義深い一作と捉えられるだろう。
しかしながら、本作の「歪み」が喚起するものは、それだけに留まらない。ここでの歪みの顕在化が想起させるのが、近年さまざまなかたちで参照され、ポストジャンル時代における重要なサウンドの語彙ともなっているシューゲイズの存在だ。とはいえ本作におけるシューゲイズへの導線は、それを記号化し切り貼りすることで、ある種批評的な眼差しを向けながらそのサウンドの新たな「機能」を模索するポストジャンル的な手つきとは異なり、リズムや歌声、そして聴取者の意識までもが膨れ上がる音の濁流に融け埋没していくことへの希求によって見出される[1]。特に本作の核となる楽曲であり、《Editions Mego》やノイジーなギター音響の歴史において欠かせない存在であるフェネスとの共作となっている「Blurred」は、実際のサウンドにしても、そしてフェネス作品のもつギターオリエンテッドな文脈を鑑みても、これを一種のアンビエント・シューゲイズとして聴くことはそう大それたことではないはずだ[2]。また、《Editions Mego》のようなグリッチ以降の実験的な電子音響(加えてその接地領域としてのポストロック)に関わるレーベルからのアンビエント・シューゲイズ的な作品には、まれではあるがスコット・コルツ(Scott Cortez)『Twin Radiant Flux』(LINE、2010年)やジェフリー・キャントゥ=レデスマ(Jefre Cantu-Ledesma)『LOVE IS A STREAM』(Type、2010年)、イエロー・スワンズ(Yellow Swans)『Going Places』(Tyoe、2009年)、サイモン・スコット(Simon Scott)『Below Sea Level』(12k、2012年)などの先例があるため、『Kin』をこれらの系譜に加えることも有効だろう。そして本作が喚起するそのような流れをさらに大胆に広げるなら、フェネスの諸作はもちろんのこと、彼と同時代にノイジーかつどこかハーモニックな音響を生み出した作家の諸作、たとえばティム・ヘッカー『Haunt Me, Haunt Me Do It Again』(Substractif、2001年)やラファエル・トラル(Rafael Toral)『Violence of Discovery and Calm of Acceptance』(Touch、2001年)、オヴァル『94diskont.』(Mille Plateaux、1995年)、アルヴァ・ノトの『Xerrox』シリーズなどを、アンビエント・シューゲイズの彼岸から眺めることすら可能に思える。本作をブリッジに、ゼロ年代、グリッチ以降のノイズ音響の文脈にある作品(たとえばこれまで挙げた作品のリリースされたレーベルのバック・カタログ)をシューゲイズ的美学のもと(もちろんある程度の慎重さをもって)聴き直すのもまた一興ではないだろうか。
そしてもうひとつ、本作を(歪みの観点から)語るにおいて欠かせない要素が、《Editions Mego》のオーナーであったピタことピーター・レーバーグの存在だ。本作の端緒が彼との「『Peel』の続編はどのようなサウンドになるか」についての会話にあることは先に記したとおりだが、ここに刻まれた歪みの探求は、それに加えて、彼が2021年8月に突然この世を去ったという重たい事実を想起させずにはおかない[3]。言うまでもなく、彼の作品においても、「歪みを含んだノイジーなトーン」は欠かせない要素だったのだから[4]。彼が去ってから5年近くが経過したが、そのあいだに、氏へと捧げられた作品はサーストン・ムーア『An Electric Noise Guitar Tribute to Peter Rehberg』(self-released、2021年)、KMRUも参加したコンピレーション・アルバム『Get This: 32 Tracks For Free – A Tribute to Peter Rehberg』($ pwgen 20、2022年)、そしてクララ・ルイス(Klara Lewis)『Thankful』(Editions Mego、2024年)などがリリースされた。これらは発表のタイミングも、作品内でのアプローチも異なるが、それぞれがそれぞれに然るべき時間をかけて、ノイジーなトーンの探求を行ったという点で響き合っている。そして本作も、正しくそのような作品であるはずだ。そう、『Kin』は、彼のノイズの残り香を今ここへ繋ぎとめる作品であり、これからの未来へ、それを反響させる作品でもあるのだ。(よろすず)
1 本作のキャプションには「繰り返し聴く価値のある旅路」や「集中力に応える魔法」、「ゆったりと大音量で再生すべきレコード」との記述がある。いわゆるアンビエントの作品は、音量を含む聴取者の再生環境やそれへの接し方を制限/指定せず、広く受け入れることを目指すものが多いが、本作が少なからずそれとは異なる方向を向いていることは意識されて然るべきだろう。
2 Bandcampのsupported欄にある購入者のコメントのひとつ “He’s back like a MBV – Hecker supernova….. Fantastic!!” もどこか象徴的なリアクションに映る。
3 本作はピタへの弔いを前面に出した作品ではないが、Bandcampのキャプションの末尾に記された「For Pita.」の短いセンテンスだけで、その思いを察するには十分だ。
4 ピタの音楽活動のすべてを「歪みを含んだノイジーなトーン」の追求として解釈するのはいささか乱暴だが、少なくともキャリアを代表するいくつかの作品において、その要素が非常に重要であることに異論はないだろう。筆者にとってはやはり『Get Out』の「3」におけるサウンドが忘れがたい。
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