Review

Katy Kirby: Blue Raspberry

2024 / ANTI-
Back

美麗なフォーク・サウンドを従えた、意欲のヴォーカル・アルバム

30 January 2024 | By Yasuyuki Ono

ビッグ・シーフのギタリスト、バック・ミークのソロ作品や、ミークの盟友、トワインの作品をリリースしてきたテキサス州オースティンのインディー・レーベル《Keeled Scales》。そこからリリースされたシンガー・ソングライター、ケイティー・カービーによるデビュー・アルバム『Cool Dry Place』(2021年)は国内外で強く注目された。ここ日本でもこの規模のインディー・ミュージシャンとしては珍しくインタヴュー記事やレヴューが散見され、《Stereogum》《The Line Of Best Fit》といった批評誌はファイスト、ビッグ・シーフ、ホップ・アロング、フィービー・ブリジャーズといったフィメイル・シンガー・ソングライター、フィメイル・ヴォーカルを擁するバンドの名を引きながらその繊細で豊かなフォーク・サウンドを湛えた同作へ高い評価を与えていた。

そこからレーベルを名門《ANTI-》へとステップアップしてリリースされる3年ぶり2枚目となる本作は、フォークをベースとしつつも、軽やかなインディー・ポップの趣も感じた前作と比べると、よりヴォーカルをフィーチャーした作品となっている。オープニング・トラック「Redemption Arc」で顕著なように、ピアノやホーン、ストリングスを導入し、空間的なエフェクトを施したサウンドはこれまで以上にリッチなものになっており、ヴォーカルはそこに埋没することなくむしろサウンド・バランスを傾斜させることで主張を強めている。牧歌的なチェロの音色と重層的なコーラス・ワークが流麗な「Party of the Century」においても、同様の傾向は顕著で、カービーによる凛としたヴォーカルの佇まいは非常に頼もしい。

さらに、リード・トラックである「Cubic Zirconia」で鳴るような、ビッグ・シーフ以降のインディー・バンド・サウンドの流行である乾き、弾けた質感のディストーション・ギターとナチュラルなアコースティック・ギターを交錯させたサウンド・ワークも随所にみられる。歪んだギターの中にノイジーな電子音を重ねつつダイナミックに展開させるフォーク・ロック、「Table」の痺れるようなバンド・サウンドも見事。さらに、「Hand to Hand」のようなミニマルな楽曲の中で、シンセサイザーを展開のカギとしながら楽曲全体にメリハリを与える様子もビッグ・シーフをみるかのよう。そこでもビッグ・シーフにおけるエイドリアン・レンカーがそうであるように、ヴォーカルが埋没することなく、存在感をむしろ強めながら声が耳へと届いてくる。

本作のなかでは相対的にシンプルな音色と構成で進行するタイトル曲「Blue Raspberry」は、残響をたっぷりと残したベース、煌めくシンセサイザー、ザクザクと弾かれるアコースティック・ギター、柔らかな電子ピアノの音色とホーンからなるアンビエント・フォーク楽曲。だが、そこでも、カービーのヴォーカルはハーモニックなコーラスを従えてしっかりとした足取りで進んでいく。

昨年、マリ・ヴェラスケス『I`m Green』のレビューに書き残したように、近年におけるフィービー・ブリジャーズとビッグ・シーフのエイドリアン・レンカーを筆頭としたフィメイル・シンガー・ソングライターへの注目は、必然としてそれらのミュージシャンの作品における抗えないほどの魅力に取りつかれることで、類似したサウンド、表現の固定化=陳腐化という傾向を生んだ。ゆえに、いま私に魅力的に映るのはその一般化した表現の地平の上で何ができるのかを、意識的であれ無意識的であれ意欲的に取り組んでいるように見えるミュージシャンたちであり、作品だ。上述したように、ケイティー・カービーの本作はその美麗で、構築的なフォーク・サウンドを土台としながら“ヴォーカル・アルバム”として本作を成立させることで、あえて言葉を選ばずに言えば“その他大勢”のインディー・フォーク作品から距離をとろうとしているように思えてならない。その意欲と気概を、私の勘違いだとしても信じてみたいと思う。(尾野泰幸)

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