やがて終わり、繋がっていく生命の響き
大きな世界を描いている。そう思わせるアーティストや作品に出合うことがある。ストレートに音響的な奥行きからそう感じる場合はもちろん、たとえ弾き語り一本でも広大なサウンドスケープを描けることもあるだろう(例えば、私にとってはブラジルのチン・ベルナルデス来日公演で感じた雄大さを思い出す)。『Conceive the Sea』という作品もまた、そんな可能性を孕んだ一枚だ。
愛知県在住、ギターや鍵盤を用いるシンガー・ソングライターのmarucoporoporoにとって『In her dream』(2018年)以来6年ぶりである本作が、作詞・作曲からミックスまで一人で完結させた初めてのフルアルバムであるとは、そのクオリティの高さに信じられない。しかし、彼女がフェイバリットにも挙げているアルゼンチンのフロレンシア・ルイスとも共演、笹久保伸の『CHICHIBU』(2021年)にはサム・ゲンデルやアントニオ・ロウレイロなどと並んで参加しており、確かな活動の上であることも間違いないはずだ。
リリース元の《FLAU》のアナウンスによれば、本作は画家・映像作家であるタキナオの展示作品のためのワークがきっかけであるようだ。「太古から続く生命の循環」「生命の源となる海水と胎児を育む羊水」などのキーワードから各トラックに至るまで、自然や生命に対する強い眼差しが一貫している(2022年愛知で行われた「海を孕むくる」の演目に彼女の名前を見ることができ、本作インタヴューでもテーマに言及している)。
そのサウンドはエレクトロやアンビエント、フォークが折り重なるように紡がれる。シンセサイザーや歌声はどこからか立ち現れては消えさり、アコースティックギターの爪弾きに少しだけ宿る身体の緊張感。まるで海の中で布がはためき、深海に光が差し込むように、丁寧に織られたサウンドのテクスチャーが時に静寂を美しく引き立てる。Black Boboiのジュリア・ショートリードなどとも通じるような落ち着きあるヴォーカルは、前作同様に歌を明瞭に聞かせても十分素晴らしかったかもしれないが、その声がより深くアンビエンスに溶け込むことで空間そのものになるように拡張し、まるで荘厳な存在と対峙しているような無二の感覚を覚えるだろう。
作品中盤の「Double Helix」ではその声が形を保てなくなっていくようなエクスペリメンタルな質感や、「Core」では心臓の鼓動も連想させる遠くおぼろげなビートも聞こえ、アルバムが進むほどに神秘性を帯びた領域に分け入っていくことで生まれる畏怖のようなものも横たわる。後半「As I Am」ではヴォーカルに再び焦点があうことで薄まりゆく身体性を取り戻し、続く「Reminiscence」でその声は途中姿を消してしまうが、それでもギターとシンセがその足跡を運ぶように流れ、静かにエンディングを迎える。
誰もがその命の終わりをやがて迎えるが、必ず生命の循環の一部となって巡り繋がっていく、そんな旅路であったように私にも聞こえた。アンビエント的でありながら壮大な物語性を感じさせるが、しかし安易に映像を喚起させてくれるわけではない。もっと聞き手のプリミティヴな感覚へと訴えかけ、より深い没入へ誘っているからだと思う。そしてそれは、音楽だからこそなしえる表現と言えるのではないだろうか。(寺尾錬)