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【未来は懐かしい】
Vol.42
ゆらめくギターと、季節の残響
はちみつぱいのギタリスト、本多信介のギター・アンビエント作を聴く

15 September 2023 | By Yuji Shibasaki

2017年秋、様々な偶然が重なり、幸運にも再々結成版はちみつぱいの生演奏を間近で体感する機会に恵まれた。それは、同年10月8日に《新宿文化センター大ホール》にて開催された《ベルウッド・レコード45周年記念コンサート》のためのリハーサルだった。2013年に逝去したかしぶち哲郎(ドラム)以外のオリジナル・メンバーが顔を揃え、当時のレパートリーに改めてじっくりと取り組むバンドの姿に接することができたのは、後追い世代の一人としてはちみつぱいの音楽を愛好してきた私にとって、大変感動的な体験だった。

ファンならよくご存知の通り、はちみつぱいのライヴ・パフォーマンスは、唯一のオリジナル・アルバムである『センチメンタル通り』(1973年)で聞かれるウェルメイドで(ある意味)「カチッとした」な演奏ぶりとはかなり隔たった、ごくフリーフォームで、豪放なものだった。

名曲「こうもりが飛ぶ頃」のライヴ録音をきけば、彼らがいかに卓越したインプロヴァイザー集団であり、すさまじいジャム・バンドだったのかがよくわかる。おそらく、あの当時、グレイトフル・デッドの領域に達し得たほとんど唯一の日本のロック・バンドだったのではないだろうか。そういってみるのも、あながちナンセンスではないはずだ。

なにより驚かされたのが、メンバー皆が60代後半を迎えた再々結成版のはちみつぱいが、そうしたライヴ・バンドとしての実力/迫力をそのまま保っていたことだ。各メンバーの楽器奏者としての野性的な勘と、フレージングの見事さ、当意即妙のアンサンブルに、私はただ圧倒されながら「こうもりが飛ぶ頃」のリハーサルを見つめていたのだった。

その時、中でも強烈な印象を受けたのが、本多信介のギター・プレイだった。椅子にどっしりと腰を据えてギターを抱え込み、決して派手なフレーズを押し付けることなく、ジャム・セッション全体の波の中へと入り込んでいく。絶妙なトーン・コントロールと、緩急を活かしたピッキング、そして、おもむろに叩き込まれる目の覚めるようなフレージング……。決して「派手」ではない、そこにあることが必然であるかのようでいて、鋭く響く音。寄せては返す緊張と安らかさ。この人は、すごい…、すごいギタリストだ……と静かに興奮したのを覚えている。恥ずかしながらその時点ではちみつぱい後の本多氏のキャリアについてはほとんど何も知らなかった私は、「この人の作品をじっくりと聴いてみなくては」と思い立ったのだった。

本多信介は、1950年広島市生まれ。はちみつぱい参加以前、松本隆の弟、松本裕がドラムを務める「ほうむめいど」というバンドに所属しており、そこに鈴木慶一が一時的に参加したことをきかっけに交友を結んだ。1971年の《全日本フォークジャンボリー》のサブ・ステージへはちみつぱいが出演することが決定すると、正式に本多がバンドへ参加。以後、『センチメンタル通り』のレコーディングやステージで中核メンバーとして活動するが、1974年11月のバンド解散を期に、自身の音楽活動を開始する。

1975年には、「本多信介とダックスフンド」というバンドを結成し、ライヴを中心に活動を行う。残念ながらこの「ダックスフンド」はスタジオ作品を残していないが、1978年のステージが『ライブ1978』というタイトルで2004年にCD化されている。ジャズやブラジル音楽の要素も交えた洒脱かつ先鋭的な音楽性は、今こそ再評価したいものだ。

並行して、1978年からは映画音楽作家としても活動し、主に日活ロマンポルノ映画へスコアを提供した。比較的著名なところでは、『愛欲の標的』(1979年 監督:田中登)、『宇能鴻一郎の貝くらべ』(1980年 監督:白鳥信一)などがある。

今回再発された『サイレンス』は、《アポロン音楽工業》内のレーベル《ALTY》から1983年にリリースされたものだ。《ALTY》は、既に映画音楽作家として活動していた本多の才を見込み、当時ブームの様相を呈しつつあったニューエイジ〜ヒーリング系レコード(当時は「マインド・ミュージック」などと呼ばれた)の制作を提案した。

本作のプロダクションはごくシンプルなものだ。本多自身のギター多重録音に加え、はちみつぱいの盟友・駒沢裕城のペダル・スチール・ギターがところどころに加わる。こう書くと、カントリー風の牧歌的なギター・インスト作品だと思われるかもしれないが、その内容は相当にモダンかつ洒脱で、静謐なアンビエント・テイストの漂うコンテンポラリーなものだ。

本作における本多のギター演奏は、一見素朴そうでいて、実に多彩な要素が織り込まれている。基盤となっているのはロックやフォーク・ロックの話法と思われるが、中でもやはりジェリー・ガルシアからの影響を色濃く感じさせる。その悠大かつ繊細なサイケデリック感覚が実に心地よい。

また、同時代に隆盛を迎えていたニューエイジ系のギター・インスト作との共振も聴き取れる。米《Windham Hill》の著名アーティスト達、たとえばウィリアム・アッカーマンやマイケル・ヘッジスといったギタリスト達に通じる親しみやすさが随所に染み出している。そうしたアーティストの音楽と同じく、インストゥルメンタル作品でありながら、全編を通じて各曲がごく「ポップ」であるという点にぜひ注目したい。安易なミニマリズムには逃げず、まず「良い曲」を作り、その上でギターを演奏する。本多が卓越したギタリストであると同時に、「ポップソング」作家としても優れていることを教えてくれる。

一方で、そこはかとない品格やクールな詩情、コンテンポラリー・ジャズ的なフレージング、音響的な実験精神等からは、ジョン・アバークロンビーやパット・メセニー、スティーヴ・チベッツ等による《ECM》系列の作品を彷彿させたりもする。加えて、はちみつぱい〜ムーンライダーズ繋がりということでいえば、写真家のスティーヴ・ハイエットが、岡田徹や武川雅寛らを交え日本で録音した名盤『渚にて』(1983年)のことを思い起こさずにはいられない。特に、その過剰ともいえるほどのリバーブ使いと、それによって醸される特異なアンビエンスは、両作の美意識が根深いレベルで繋がり合っていることを感じさせる。ギターのトーンも(ときにフレーズも)、聴けば聴くほど似通っており、ほとんど「兄弟アルバム」といっても過言ではなさそうだ。近しい界隈で同年に作られたレコードだという事実に鑑みると、良作の間になんらかの影響関係があったことも想像できる(もしもまったく偶然の符合だったとしたら、それはそれで大変ロマンチックでもある)。

ゆらぐギターのサウンドと、それが折り重なり残響を得ることで醸されるアンビエンス。その豊かなテクスチャは、晩夏を経て初秋へと移り変わるここ最近の空気と、やや驚いてしまうほどにマッチするのだった。草原の緑と、秋を運ぶ赤茶色の日差し。ジャケットに写されたその風景もまた、ここに収められた音楽の美しさをうまく包み込んでいる。

本多信介は、はちみつぱいの再結成などを挟み、その後も映像作品への音楽提供行う傍ら、1991年の『晩夏』をはじめ、ソロ作品も継続してリリースしていった。その中には、《アポロン音楽工業》の後身である《バンダイ・ミュージックエンタテインメント》からリリースされたヒーリング系CDも含まれている。これらも本作に劣らない傑作ばかりなので、中古CDショップで見かけた際は迷わず購入することをオススメする。更に、2010年以降も素晴らしいソロ作品を積極的にリリースしているので、それらもぜひチェックしてみてほしい。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


本多信介

『サイレンス』


2023年 / Studio Mule(オリジナル:1983年 / ALTY)


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