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DIY精神で地方インディー・シーンを支える功労者・ライブイベンターの役割と醍醐味について、名古屋で活躍する若手2人に聞く

31 March 2021 | By Dreamy Deka

インディペンデントに活動するミュージシャンが、東京以外の地方でライブを開催するのは、おそらく東京に住んでいる人が考えるよりも、ハードルが高いことである。

例えば、東京都23区の人口が約930万人(2015年時点)。一方、筆者が住む愛知県は755万人。理論上は渋谷クアトロにキャパいっぱいの750人を集められるアーティストであれば、キャパ550人の名古屋クアトロも満員にできるはず……なのだが、私の知るかぎり、そんなアーティストはほぼいない。実績のあるアーティストでも東京の動員の半分といったところが相場ではないか。ましてや若手のインディーミュージシャンであれば、ゼロベースから何人積み上げられるか、というところからのスタートというのが実態だろう。その中から首都圏であればかからない移動費、宿泊費を捻出するのは決して簡単なことではないが、地道なライブ活動を続けなければ知名度も上がっていかないというジレンマがある。

そんなミュージシャンたちの味方が、各地に在住するイベンターである。イベンターと言ってもキョードー、SMASHのような会社組織ではなく、音楽イベントを生業とはしていない普通の音楽好きであることがほとんどだ。彼らがアーティストにオファーし、会場を予約して、フライヤーを作って友人知人を誘うことで、ようやくその土地でのライブが成立している。

筆者にもわずかながらの経験があるが、イベントを主催すると言うのは、とても大変なことである。収支のことはまだしも、自分が好きなアーティストがわざわざ遠くから来てくれるのに、それにふさわしい数のファンが集まってくれるだろうか。来てくれたお客さんは楽しんでくれるだろうか、などと心配することが山ほどある。しかも今はコロナウィルスという見えない敵までいる。そんな大きなストレスを抱えながら、彼らはなぜそんな役割を引き受けようとするのか。

普段はあまり光の当たらないイベンターの苦労と醍醐味について、日本で1番大きな地方都市・名古屋で活動するお二人に話を聞いた。コロナ禍でライブハウスから遠のいている人も多いと思うが、またいつの日か音楽イベントに足を向ける動機の一つとなってもらえれば幸いである。

まず最初に登場してもらうのは、愛知に住むインディー音楽愛好家なら知らぬ者はいない名古屋・大須のレコードショップZOOのスタッフである林菜穂さん。彼女は仕事のかたわら、テンテイグループ(東郷清丸)、田中ヤコブ、すばらしかと言った有望なアーティストを招いたイベントを開催している。なぜ普通の音楽ファンである彼女がイベントの企画に邁進するのか、その動機と苦労、喜びについて語ってもらった。
(取材・文/ドリーミー刑事)


ーー林さんが最初にイベントを主催したのはいつ頃ですか?

林菜穂(以下、H):2019年7月です。東郷清丸さんの音楽を好きになって過去の音源を漁っていったら、テンテイグループにたどり着いたんです。でも名古屋に来てくれる予定がなさそうなので、もう自分で呼ぶしかないなって。自分が観たいという動機で始めました(笑)

(林菜穂さん)

ーーでも「観たい」という気持ちと「実際に呼ぶ」ことって、かなり距離がありますよね。なかなかそういう発想が生まれないと思うんですけど、イベンターという役割を身近に感じるきっかけがあったんでしょうか?

H:東京でイベントやってる友達がいて、フライヤーを書かせてもらったことがあったんです。私も当日のリハから打ち上げまでずっと見させてもらって、こういう個人の趣味が濃く出たイベントってすごくいいものだなって思ったんです。それでいつかやってみたいという気持ちはずっとありました。

ーー林さんはレコードショップZOOで働いていらっしゃいますが、ZOOさんもライブイベントを開催されてますよね。そこからの影響はありますか?

H:店長のKAZOOさんがいつも「うちでCDを買ってくれたお客さんとそのバンドのつながりが音源だけで止まっちゃうのはもったいない。いいバンドはどんどん名古屋に呼んで、名古屋の音楽ファンに見せたい」って言っていて。レコード屋さんはレコードを売るだけで終わりじゃないぞ、という姿勢には影響を受けているかもしれません。

(レコードショップZOO店内)

ーー名古屋の音楽シーンを活性化させようという熱意には頭が下がりますね……。林さんが実際にイベントをやることになって、まず最初にしたことはなんですか?

H:イベントやるならK.Dハポンで(名古屋・鶴舞にあるイベントスペース。ユニークなアーティストが数多く出演している)という気持ちがありました。だからまずハポンに会場を借りるシステムを聞きました(笑)。それからメインアクトであるテンテイグループに連絡しましたね。

ーーハポンは本当に雰囲気が素敵だしスタッフも親切だし、あそこでイベントをやりたいということが動機になるのはよくわかります。テンテイグループの対バンはどうやって決めたんですか?

H:まずは東海地方のバンドで、と思っていたので(三重県在住の)HoSoVoSo君に声をかけました。それから、当時ゆうらん船が大好きで、きっとテンテイグループに合うだろうと思って、まったく面識のなかった内村イタルさんにダメ元で声をかけたら快く引き受けてもらえました。

ーー当日の様子はどうでしたか?

H:いや、遅刻しました(笑)。会場着いたらもうテンテイグループがリハをやっていて。

ーー集客の方は……?

H:満員とはいかなかったですけど、それなりには。

ーーでも東京からバンド呼ぶの大変ですよね。どうやったら黒字になるんだろうって思っちゃう。

H:アーティストのみなさんもこちらが心配になるくらい良心的な条件で出演してくれたんですけど、それでもなかなか難しいですよね。

ーーもちろん利益のためにやってるわけじゃないとは思うんですけどね。確実にお客さんが集まるアーティストなら、そもそも自分でライブを企画する必要もないわけですし。

H:そうなんですよ。結局、自分のためにやっていることなので。それよりも、そのアーティストのライブを観て、好きになってくれる人が1人でも増えたらいいなと思っていますね。

ーーでも、イベント前はめちゃドキドキしません?お客さん来てくれるか心配で。

H:前日は胃がキリキリしましたね。やっぱりキャンセルの連絡も入るし……。でもそれはお金の問題というよりも、もしお客さんがあまり入らなかったら出演者の皆さんに失礼になってしまうという心配ですね。もう当日は緊張で具合が悪くなった(笑)

ーーでもその後もイベントを続けているということは、胃の痛みを超える歓びがあったということなんですよね。

H:まず出演者の人がみんな楽しかったって言ってくれたんですよね。テンテイグループも「名古屋のお客さんは東京よりも盛り上がってくれるから、もう名古屋のバンドになろうかな」なんて言ってくれて。リップサービスかもしれないですけど、確かにその日のお客さんは一緒にイベントをつくってくれようとする雰囲気があって、救われた気持ちになりましたね。友達から「テンテイグループ目当てできたけど、HoSoVoSoさんと内村イタルさんもすごく良かった」と言われた時には本当にうれしかったです。イベントが全部終わってから、ようやくやって良かったなって思えましたね。

Photo by たっさん

ーーで、そこから立て続けにイベントを開催していったわけですね。

H:最初のイベントが19年7月で、その後は10月、20年の1月、2月にやりました。

ーーすごい勢いですね。胃が痛かったのに(笑)

H:呼びたいバンドが尽きなかったので(笑)。10月はすばらしかと内村イタルさんといーはとーヴ、ラブワンダーランドに出てもらいました。でも結構ブッキングは苦労しましたね。会場は予約した後に、出演してくれるはずのバンドがダブルブッキングでキャンセルになったり……。

ーーそれはつらい。

H:でも最終的には素晴らしいアーティストに出てもらえて、当日はもうリハの段階から良すぎましたね。これだけ私が楽しいんだから、もうお客さん来なくてもいいやっていうモードになっちゃうくらい(笑)。この時になんか吹っ切れた感じがします。主催者が一番楽しめばいいんだな、別に緊張しなくていいんだなって。しかもその日のすばらしかのドラムにサポートで入ってくれたのが、田中ヤコブさんだったんですよ。

Photo by たっさん

ーーそれはうれしいサプライズですね。
 
H:そう。それもあってお客さん来なくていいやってモードになっちゃいましたね(笑)。で、そのイベントの時に、当時すばらしかのキーボードだった林祐輔(ゆうやけしはす)さんがソロアルバムを出すという話を聞いて、じゃあレコ発をやりましょうよと持ちかけて、翌年1月に金山ブラジルコーヒーで開催しました。だから出演者は林さんの仲の良いアーティストが中心ですね。田中ヤコブさんと、牧野ヨシさん、和・ケンミンズに、岡沢じゅんさん。

ーー東京、京都、長野と、全国津々浦々から精鋭がブラジルコーヒーに集結したんですね。

H:林さんがCSN&Yみたいにやりたいって言って、ライブの最後は林さんとヤコブさんと牧野さんのセッションでしたね。岡沢さんやお客さんも飛び入りしてくれて、本当に良かったんです。

Photo by 西邑匡弘

ーーそして次は20年2月。South Penguin、Yank!、夕暮れの動物園、そしてキャンセルになっちゃったけど本日休演の4組でしたね。ちなみに私がコロナ前に足を運んだ最後のライブでもあります。イベントが近づくにつれでコロナの影響がどんどん大きくなってきて……。

H:2月入ってから東京では大きいイベントがチラホラ中止になってきて、だんだんやるべきかどうか迷ってきて……。でも手指の消毒とか換気のやり方とか、他のライブハウスのガイドラインも参考にしながら、ハポンに協力してもらい思いつく限りの感染予防対策をして開催にこぎつけました。

ーーそうだったんですね。でも本日休演は残念ながらキャンセルでしたね……。

H:アーティストにも、ちょっとでも不安があれば遠慮なくキャンセルしてくださいとお伝えしていたので、もうそれは全然仕方ないですね。結果的に3組のライブも素晴らしかったので。あの時期はライブハウスが最初に叩かれていた時期だし、2月29日っていう4年に一度の特別な日に、秘密基地みたいなハポンに集まって踊ったことは忘れないよねって友達にも言われて。無事にできて本当に良かったなって思いました。


ーーしかし、1年の間にすごい場数を踏みましたね。僕は2回企画しただけで止まっちゃっいました……。

H:ドリーミーさんに限らず、音楽を好きな人がもっとイベントやってほしいなって思ってるんです。関東のバンドと話していると「呼ばれたら行きたいけど、呼ばれない」っていう声も多くて。みんなが呼んでくれたら私もいろいろなバンドが観れるので(笑)

ーーインディーの音楽シーンって想像以上に小さいし、林さんのような言ってみれば普通の人が、自分にできることをちょっとずつ頑張ることで成り立っているようなところがありますもんね。

H:最近友達になった子が今度初めて企画するイベントがあるんです。本日休演とコスモス鉄道とだんだんよくなるが出演するんですけど。その子はちょっと前まで大阪に住んでいて、私が10月に企画したイベントに、たまたま遊びに来てくれていたそうなんです。まだ全然知り合いでも何でもなかった時に。そんな大勢が集まったわけでもないイベントに居合わせた二人が、その後に全然関係ないところで友達になるなんてすごい偶然ですよね?

ーーそれこそ自分で何かを仕掛けたからこそ引き寄せた良い縁ですよね。イベンターやってみると、多少なりともそういう繋がりが生まれるように思います。ちなみに林さんが感じる名古屋の特徴ってどこにあると思いますか?

H:東京とか京都に住んだことがないからわからないんですけど、ふらっと新しい音楽を聴きに行く人が多いイメージがあります。名古屋はもっと特定のアーティストを狙い打ちでライブハウスに行く感じですよね。それはもちろんいいんですけど、もっと知らないアーティストを気軽に見に行く雰囲気ができるといいなって思ってます。2月のイベントでもYogee New WavesとかD.A.Nが好きな子を誘ったら「こんな近いところでライブ観たの初めて!」ってSouth Penguinで盛り上がってくれて。本当にうれしかったですね。

ーーそうなると面白い企画を主催するイベンターの役割が重要になってきますよね。

H:そうですね。私は自分が目立ちたいわけじゃないというか、むしろ自我を出したくないと思っているんですけど、私が企画したイベントをきっかけに気軽にライブハウスに遊びに来てくれる人が増えてくれたらうれしいなって思います。

ーー今はコロナで大変ですけど、これからやってみたいことはありますか?

H:全然夢みたいなことですけど、いつか海外のバンドを呼んでみたいという気持ちはありますね。


続いて、もう一人登場してもらうのは名古屋を中心に活動するミュージシャン・細田瑞樹さん(PAPERMOON/kittens)。地元ミュージシャンが中心のライブハウスシーンにおいて、曽我部恵一、菅原慎一(ex.シャムキャッツ)、SaToAといったアーティストを県外から招いた自らも出演するライブイベントを開催するイベンターとしての顔も持つ。ファースト・ミニアルバム『Like In a Dream』を発表したばかりの彼に、その独自の活動スタンスとローカルに活動するミュージシャンとしての話を聞いた。


ーー細田さんが主催しているライブイベント〈Dreaming Day〉を始めた時期ときっかけを教えて頂けますか?

細田瑞樹(以下、H):〈Dreaming Day〉を始めたのは2017年10月からです。それからもう12回やってます。僕が本格的に音楽を始めた頃は、音楽シーンとのつながりとか知り合いもいなかったので、ライブハウスがブッキングしてくれる企画に出てたんです。でもライブハウスのブッキングって、必ずしもそれぞれのバンドの音楽性とか親和性を考慮してくれるわけではないので、仲良くなれそうなバンドに出合えなかったり、活動の広がりが見えないことが多かったんですよね。ちょうどその時に先輩が企画したイベントに呼んでくれたことがあって、それが音楽性の合うバンドばかりですごく楽しかったんです。これを自分で企画すれば、ミュージシャンとして経験も積めるし、良いバンドとのつながりもできるぞ、と思って始めました。

ーーそこからはかなりハイペースでイベントを重ねてますよね。

H:そうですね。やっぱり経験値を積みたいという気持ちもあるし、早くいろんな人に自分の音楽を知ってもらいたいという気持ちもあったし。

ーー初めて県外からバンドを呼んだのはいつですか?

H:18年の春に元シャムキャッツの菅原さんに出てもらったのが初めてですね。その前の年にmei eharaさんのレコ発ライブでの菅原さんの弾き語りライブがすごく良くて、物販のところでお話ししてみたら「じゃあ今度メール送ってよ」と言われて。それからやりとりが始まって、実現することができました。

ーーいきなり大物ですけど、やっぱりミュージシャンとしても刺激は受けましたか?

H:それはもうやっぱり好きなミュージシャンですし。歌も演奏もすごいし。普段は僕らと変わらない、音楽好きのお兄ちゃんという雰囲気なのに、ライブになると立ち振る舞いの一つひとつから経験値を積んだプロっていう感じが伝わってきて……。すごく勉強になりました。その後も菅原さんには良い先輩という感じでかわいがってもらってます。阿佐ヶ谷の(ギャラリー)voidでライブやった時も、ゲストとして出てくれました。東京の音楽シーンにはほとんど知り合いがいなかったので本当にありがたかったです。

ーー菅原さん、めちゃめちゃ兄貴ですね。ちなみに僕は細田さんのイベントにはSaToAが出た時に遊びに行かせてもらいました。SaToAはもちろん最高なんだけど、PAPERMOONを始め、地元名古屋のバンド(troeppa、Sweet Sunshine)もすごく良かった。東京のバンドに名古屋のバンドを知ってもらう、名古屋のお客さんに東京のバンドを見てもらうという点で、理想的な場所だなって思いました。

H:やっぱり自分が音楽を始めて地元のミュージシャンを知っていくと、こんなにいいバンドが名古屋の外で知られていないなんておかしい!という気持ちになるんですよね(笑)。だから自分のイベントがそういう交流の場になればいいなという思いはありますね。

ーーでも細田さんは普段はフルタイム働いているわけで、音楽をやりながらイベントもコンスタントに開催するってめちゃくちゃ大変じゃないですか?時間的にも精神的にも。

H:いや、それは本当にそうですね……。そりゃね、本当は呼ばれたいんですよ?ミュージシャンとして(笑)。だからなんでわざわざ大変な思いをして……という気持ちもなくはないんですけど、ライブをしたいと思ったり、自分がやりたいことができるなら、多少無理してでもやった方がいいだろうと思ったんですよね。色々な経験値を積むためにも。

ーーお客さんも出演したミュージシャンも、みんな感謝してると思いますよ。

H:そう思ってもらえたら嬉しいですね。でも、去年は曽我部恵一さんを呼んだりしていろいろ頑張ったんですけど、知人からは「細田君がやっている音楽のレベルとイベントのレベルが釣り合ってないんじゃないか」という意見をもらって。やっぱり自分はミュージシャンである、という気持ちをしっかり持たないとダメだなと思って、今は個の力を上げようと思って取り組んでいます。


ーーでも、曽我部さんとの共演などを通じてミュージシャンとして得たものもあったんじゃないですか?

H:もちろんそうですね。でもやっぱりあの時は対バンというよりは、曽我部さんのソロライブを開くというイベンターという気持が強かったかもしれないです。

ーー曽我部さんや菅原さんといったビッグネームというか、経験豊富なミュージシャンと一緒のライブに出る時にびびったりしないですか?

H:たしかにライブ前には、すごい人を呼んでしまった……という感覚はあるんですけど、本番はもう自分の演奏を見てほしい、聴いてほしいという気持ちの方が強いです。でも、曽我部さんとのライブの時にソロではなく磯たか子さん(Sweet Sunshine)との二人編成を選んだというのは、無意識のうちに日和っていたのかもしれない、と今になっては思いますね……。

ーーいや、それでもどんどんチャレンジしようというのはすごいですよ。特に曽我部さんなんて、相手が誰だろうとどこだろうと、常に容赦なく全力じゃないですか。

H:その日の曽我部さんは前日徹夜だったそうで、ちょっと眠そうだったんですよ。でも本番になったらもうそんなの一切感じさせないライブで……。オーラもすごいし。これがプロかと痛感したし、改めて尊敬しましたね……。もし次の機会があれば、僕ももっといい歌を聴かせたいです。

ーー先日はPAPERMOONとしてファーストミニアルバムも発表しましたしね。

H:そうですね。かなりゆったりなペースでのレコーディングになってしまいましたが、良いもの、面白いものができたと思ってます。基本はエンジニアの子と二人で作業して、要所要所で名古屋の素晴らしいミュージシャンの方々に参加して頂きました。

ーー細田さんから見た名古屋のシーンの特徴ってどんなところにあると思います?

H:東京でも大阪でも、どんな街にも地元感ってあると思うんですけど、名古屋は特にそれが強いように思います。

ーー個性的なミュージシャンが多いし、仲間意識が強いけど、この街の外に出ていくぞという野心は控えめかもしれないですね。

H:それは必ずしも悪いものじゃないですけどね。でも最近、名古屋の大学生2人組のOGAWA & TOKOROがカクバリズムからデビューしたじゃないですか。あれは名古屋の音楽シーンにとって結構大きな事件だと思うんですよ。彼らは地元でライブを数回しかやってないけれど、自主レーベルでいろいろな活動をして、一気に全国区へ出ていった。あの姿を見て、もっと考えて活動しなきゃな、という気になりましたね。

ーー名古屋の若いバンドだとMorningwhimも、最初から世界のシーンを視野に入れた音を鳴らしている感じがありますね。

H:そうですね。ジャンルや音楽性の違いはあるけど、やっぱり僕ももっと多くの人に届けるためにはどうすればいいのかということを真剣に考えないと、と思いました。

ーーミュージシャンが活動を続けていくためには、ただ優れた音楽を作ればいいのだ、という時代ではなくなっちゃってますもんね。これだけの情報が氾濫する中でどうやって自分に気づいてもらうかということまで考えないといけない。

H:そうですね。もちろん僕自身も歌もギターも、ミュージシャンとしての個の力をもっと上げて、PAPERMOONの音楽を届けていきたいと思います。

ーー今はコロナ禍で活動しづらい面もあるかと思いますが、これからの活動に期待してます。

H:こういう状況になっちゃって、ライブハウスも本当に大変で。そういう中で、お店の方から、ブッキングを手伝ってほしいとか、イベントに出てほしいと言われるのはこれまでやってきたことを認めてもらったような気がして嬉しいですし、頑張りたいです。

PAPERMOON ファースト・ミニアルバム『Like In a Dream』


最後に、コロナ禍によって活動が制限されている状況下においても、イベンターの心配りと地方ならではのアイデアを凝らして開催されたイベント〈ムテの音楽鑑賞会〉を紹介したい。会場は愛知県小牧市、標高300メートルの山間に佇む江岩寺という由緒ある古いお寺。ここに堀嵜菜那、小池喬という名古屋を中心に全国で活躍するアーティストを招いた音楽会は、SNSでの告知無し・事前登録・価格は自由設定という感染予防対策と、お客さんとの信頼関係を重んじた形態で開催された。


当然ソーシャルディスタンスにも配慮し、大きな声は上げられないものの、コーヒーショップ、レコードショップに書店の出店も並んだお寺の本堂は、静かな活気に満ちていたし、両アーティストによる演奏は、生の音楽を求めていた私たちの長きにわたる渇きを癒してくれるようであった。


もちろん生命と健康が第一優先であることは言うまでもないことだが、私はこのイベントを通じて、難しい状況の中においてもアイデアを凝らすことで、私たちの生活における音楽や文化の灯を絶やさないことは可能なのであるというメッセージをもらったような気持ちになった。もしあなたの住む街にも、こんな素敵な試みがあったならば、ぜひ積極的にサポートしてもらいたいと思う。(ドリーミー刑事)



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Text By Dreamy Deka

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