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広い空間から届く声。そして、チェロ。
そして、ルシンダ・チュア自身の複数のルーツについて。

29 March 2023 | By Koki Kato

FKAツイッグスがロンドンの美術館《The Wallace Collection》で「Cellophane」をピアノで弾き語った映像を公開したとき、その後ろでチェロを弾いていたルシンダ・チュアの演奏は、とても魅力的だった。ゆったりと弾かれるチェロの旋律と、音と音の隙間から聞こえてくるディレイやトレモロのようなエフェクトの残響音が、あの曲をより美しいアレンジへと導いていた。この一人のチェリストが、EPのリリースも経て、ファースト・アルバムとなる『YIAN』を《4AD》からリリースした。誰かの後ろではなく前の方へと姿を現し、そして、そのチュア本人の姿が、チュアの中国語名であり燕を意味する『YIAN』に写し出されている。それは、イギリス人の母とマレーシア先住民の血を引くマレーシア系中国人の父の間に生まれイギリスで育った自身のことについて。

自身がどこにも属していないように感じることで起きる不安、自分は何者であるのかという問い、そして自身のルーツを学び直すこと。複数のルーツの間で彷徨っていた自分自身に向き合う過程と、その内省がこの作品には投影されているが、そこには、新たに自分の存在を定義しようとする表現も含まれている。それは、広い空を飛び二ヶ所の住処を行き来する渡り鳥の燕を、複数のルーツをもつチュア自身に重ねながら表現したこと。そういった空想を自身にあてはめ、この作品のモチーフにしたことは、一人の人間の、アーティストの想像力を表している。そして、このアルバムの空間の広さを感じる音響は、その空の広さを連想させるものでもあるだろう。

その空の中で歌うルシンダ・チュアの声は、冒頭の「Goleden」で囁きのように聞こえたかと思えば、「Autumn Leaves Don’t Come」では朗読とも思える表現で一語一語をはっきりと語りかけたりする。そうやって様々な歌唱やハーモニーを使い分けることで、作品中に様々な空間と立体的な響きをもたらしていた。曲同士が、音同士が、このアルバムの中で反響し合い、まるで孤を描くように鳴っている。その様子は、空を旋回する燕を見ているようでもあるかもしれない。

ルシンダ・チュアに、これまでの音楽との関わり、チェリストとして、シンガーとして、ソングライターとして、プロデューサーとして、録音エンジニアとして、多くの作業を一人で行った本作について、音響面を含めて話を聞いた。また、今回のインタビューから、ルシンダ・チュアというアーティストが一人ではなく、信頼できる人たちの協力と共に、この作品を作り上げたことも伝わってきた。広い空の中でも誰かに出会う。『YIAN』は、そんな可能性を宿した作品でもあるのかもしれない。

(インタビュー・文/加藤孔紀 通訳/竹澤彩子)

Interview with Lucinda Chua

──新作について聞く前に、あなたが音楽とどのように関わってきたか教えてください。どのようにチェロという楽器と出会ったのでしょうか?

Lucinda Chua(以下、L):3歳のときにピアノを始めた。ちなみに日本のスズキ・メソードで、楽譜ではなく耳から音を取っていくっていうやつね。それで5歳か6歳ぐらいのときかな? ロンドンのコヴェント・ガーデンのストリートでストリングスの4重奏を見てチェロに夢中になっちゃって。両親にチェロを習わせてってお願いしたんだけど、レッスン料も高いし途中で飽きられたらかなわないと思ったらしくて、それでピアノを頑張って続けたらチェロを習わせてくれるって約束して、それで10歳の誕生日にようやくお許しが出て楽器のレンタルショップに連れていかれて(笑)、ようやくチェロを習わせてもらえるようになったっていうわけ。そう、だからチェロは自分で選んだ楽器。まわりからの影響とか偶然出会ったとかではなくて。

──チェロは、西洋のクラシック音楽に用いられるイメージがあります。今あなたがやっているようなインディペンデントで、アヴァンギャルドで、アンビエントな音楽のスタイルに変わっていくきっかけには、どのようなことがあったのでしょうか?

L:きっかけは2つあって、まず最初に15歳か16歳のときに地元の音楽学校に奨学金で通ってたんだけど、そこで若者だけのオーケストラに参加できるオーディションがあった。その試験に楽譜の初見リーディングのテストというのがあって、それで試験に落ちちゃったんだよね。それがもう本当にショックで、しかもまわりにヴィオラとかヴァイオリンをやってる友達ばかりで、みんな受かってるのに自分だけ参加できないことになったから、尚更ショックで。楽譜が読めないばっかりに。その反動でバンドを始めることにした。しかもメタル・バンドで(笑)。それで、その次にポストロック・バンドで演奏するようになって。その自由な感じがすごく気に入って。それとお客さんの前でステージに立つ喜びも知ったの。クラシック音楽の場合、「チェロはこうであらねば」っていう固定概念があって、そのルールに厳密に従っていかなくちゃいけないけど、メタルなりポストパンクの世界に行くと逆にそれが新鮮に映ったみたいで、ステージの「こんなチェロの使い方もあるんだね!」みたいな。それでパフォーマンスしながら自分が特別でユニークなものとして祝福されてるような気がして嬉しかったの。それから20代前半になって、Stars Of The Lidsってアンビエント・バンドのチェリストとして1か月間、一緒にヨーロッパをツアーでまわった。そのバンドはエフェクト・ペダルをいくつも使いこなしてストリングスのアレンジとサウンド・デザインとギターを合体させたような音を演奏していた。それが私のアンビエント・ミュージックに入るきっかけになった。クラシックの楽器をこんなにも自然な形でライヴ・ミュージックに取り入れながら、しかもコンテンポラリーな音にしてるなんて! と思って、そこで今やってる自分の音楽に至るまでのパズルの最後のピースがカチッとハマった感じ。

──もう1つのきっかけには、どんなことがありましたか?

L:それから、FKAツイッグスとツアーに出たのも大きかった。最初、自分が彼女の世界観の中に溶け込めるかどうか不安だったけど。あれだけ実験的でアヴァンギャルドでポップなポップ・ミュージックだし、しかもエレクトロニック色全開でもあって。それでも、リハーサルのときにアレンジを試行錯誤しているうちに、チェロは確かにクラシックでオーガニックな音の印象が強いけど、空気感のような独特の雰囲気やテクスチャーを出すのにも効果的な楽器だってことを発見した。そこからチェロを様々なエフェクト・ペダルと組み合わせて、曲全体を自分の求めている雰囲気に誘導するっていう実験を始めたんだよね。それが自分にとっては新しい扉を開いてくれた感じで、チェロをインターフェースとしてそれまで自分が想像もしてなかったようなサウンドに私を導いてくれた。

──最初に組んでいたというメタルやポストロックのバンドって、どんな音楽だったんでしょう?

L:あの頃はまだ10代で、しかも、まわりにほぼほぼ何にもない郊外の町に暮らしてたから。その頃の一番の楽しみだったのが……ほら、田舎の町の市民交流センターみたいなのがあるでしょ? 体育館やプールが併設されてるような。そこで毎週金曜になると体育館がコンサート・ホールになって、オルタナ好きの10代の子がそこに集まってくる場みたいになってたのね。モッシュピットでぐちゃぐちゃになったりして(笑)。そのときすでにバンドでチェロを弾いてたんだけど、それがすごくノイジーでスクリームも入ってるニュー・メタル的な感じで。そのあとはポストロックをやってたんだけど、モグワイとかスリントとかあの辺のポストロックに影響されてる感じで、エレクトロニックな楽器でオーケストラをやってるみたいな感じ。そのあと、大学に入ってからFelixってプロジェクト名で自分の音楽を作るようになったんだけど、それがのちにバンドになっていったという。まあ、ざっと説明するとそんな感じの流れかな。

──話に上がったモグワイのギターの轟音とアンビエント・ミュージックの音に包まれる感じって、どこか共通するところがある気がしました。最初にモグワイを聴いた時ってどんな感じでしたか?

L:そう、モグワイに関しては強烈な思い出があって。15歳のときに妹と一緒にレディング・フェスに行ったんだよね。しかも妹がまだ13歳で(笑)、よく両親が許して行っていいって言ってくれたよなあって思うけど(笑)。今考えると「危なくない?」って思う。朝早く現地に行ったらちょうどバンドがステージで演奏してる最中だったんだけど、お客さんが誰もいなくて。そのバンドにチェロの演奏者がいて、それがモグワイだったという。野外じゃなくてテントで、後になってからフェスのオープン前ってことを知ったんだよね。つまり私達が観たのはサウンドチェック中の光景で、本当に純粋な好奇心からたまたまそこに入り込んじゃったっていう。まだ酔っ払ってフラフラいろんなとこに勝手に入っていっちゃうような年齢じゃなかったしね(笑)。しかもそれが私達姉妹にとって人生初のフェスで、大人たちが酔っ払って寝てる間にいつのまにかフェスに一番乗りしてたっていう。

──チェロもそうですが、新作は声を使った演奏が印象的でした。いくつかの曲に歌で参加しているローラ・グローヴスやフラン・ロボとは、どのようなきっかけで共演することになったんですか?

L:まず声を使った演奏が印象的だったって言ってくれてありがとう。そう言ってもらえるとすごく嬉しい。ローラもフランもロンドンに出てきてからできた友達で……2人とも年齢的に一緒だし、ちょうど同じペースでキャリアを進めてて……ソロとして初めての作品に向けて準備してる最中で、でも年齢的には30歳過ぎてるから新人アーティストの括りではなくてっていう。とにかく意気投合したっていうか、お互いものすごく絆を感じてすぐに結束感で結ばれていったというか。2人ともかなり珍しいキャリアを辿ってきてるから。サポート役として色んなアーティストにガッツリ関わってきてるとか……私で言えばFKAツイッグスだったり、ローラはBat for Lashes、フランの場合はUNKLEだったりね。それで2人とも同じタイミングでソロのアーティストとして一歩を踏み出すことになって、しかも2人とも性格的に人前に出て注目を浴びるのが苦手なタイプってとこも同じで(笑)、それで「大丈夫だよ! よかったよ、素敵だったよ! 自信を持って!」みたいにお互いを励まし合う関係で(笑)、それでさらに深まったみたいなところがあって(笑)。だからあの2人を自分のアルバムのゲストに呼んで一緒に歌ってもらうのは自然な流れで、本当に自分にとって特別な2人で、しかもそもそも2人の音楽のファンだから。

──もしかして3人ともサウス・ロンドンで、拠点が近かったりしますか?

L:そうね、私とローラはサウス・ロンドンに住んでる。フランも元々サウス・ロンドンに住んでたけど、今はノース・ロンドンのほうに移ってて。

──チェロや声といった楽器と同様に、エフェクト・ペダルも楽器として新作の制作に欠かせないものだったかなと思います。どのようなペダルを用いて制作を進めていったんでしょう?

L:そうなの、エフェクト・ぺダルを組み合わせて使いつつ、Ableton(DAWソフト)内にエフェクトを追加して使ってるのね。そうすることでエフェクトを何層にも重ねられるように。ただ、一番好きなのは確実にハーモナイザーで。 ディレイやリヴァーブを使って作品の中に大量のリヴァーブを自動生成できるような形にして。それによって空間的な質感が出せたと思う。リスナーを旅に連れていってくれるような音楽が好きだから……あるいは繭のような閉ざされて守られた空間から地平線のように広がっていく感じだったり……その感じを出すために色々なリヴァーブを自動化してたりする。今回のアルバムに関してはトレモロを多用していて、自分の中でのイメージでは心臓の鼓動のような、あるいは鳥や蝶々の羽音みたいな、すごく心をくすぐる感じ。

──そういえば以前、オリジナルのペダルを作りたいとSNSで投稿していましたよね。

L:自分のエフェクト・ペダルを作るのは本当に夢! チェロ用のエフェクト・ペダルを作ってみたいな。せっかくだったら思いっきり自分のカラーを出したいじゃない? よくYouTubeとかでエフェクト・ペダルの動画を見て研究してるんだけど、だいたいは男性がギターを使ってデモンストレーションするってスタイルで。でも、そこにチェロを通すとまるで違う効果が生まれるのよね。そう、いつかきっと……このインタヴューを読んで私にエフェクト・ペダルを作らせてくれるって人がいたらぜひ連絡して!(笑)

──いつかオリジナルのペダルで演奏した音源を聴いてみたいです。様々な楽器を使う一方で、エンジニアリングの作業も自身で行ったということですが、具体的にどんなところにこだわって制作の作業を進めましたか?

L:今回のアルバムのエンジニア作業が本当に楽しくて。EPのときにもかなり自分でエンジニアの作業をやってたけど、そこからさらに大きく飛躍した感じ。EPのときは自宅や小さなスタジオで作業してたんだけど、今回はなんと恵まれたことに《4AD》のレーベルの建物の地下にあるスタジオを使わせてもらうことができた。それでスタジオに通ってかなり根詰めて作業することができたし、鍵も渡してもらってたから深夜誰もいないときにスタジオに入って一人で作業することもできたのね。コロナが落ち着いてから何人かは戻ってきてたものの、まだみんな自宅作業のモードにいる時期だったこともあって、ほぼ自分一人ってときが多かった。ただ、エンジニア的視点ではサウンドについて具体的なイメージがあったわけではなくて。ただ、誰も見ていないところでのびのびと自由に実験できたっていう感じで。それがすごく自分の中では重要なポイントだった。プロのエンジニアの人が横に座って自分のサウンドをいちいちチェックして良いか悪いか判断してくれるような状況じゃなかったから。今回は、ただ自分の声を見つけることを目的にしてたし、それまで気づかなかった自分自身の深い領域に降りていくことができた。もしスタジオに自分以外の誰かがいたらそれはきっと実現できなかっただろうから。

──上下、左右、奥行きを感じる立体的な音響は、どうやって作っていったんでしょうか?

L:今言ってくれた奥行きに関しては、自分が作曲やエンジニアリングをしたバージョンの時点ですでに、かなりできてたと思うんだよね。もともとレコーディング時点から余白を広めに取る作り方をしてることが多くて。それをリアンプする形で深みを出していくことで、アコースティックなサウンドとのバランスを取っていく。ただ、そこでアンプを通してキーボードに繋いで、トレモロを使って遊んじゃってるんだけど、そのための空間をアレンジの中で設けちゃってる。さらに、そこから引き算していくって遊びも好きなのね。自分の場合、編集作業をしてるときに曲の全体像ができてくるケースが多くて。だいたいいつも自分の気が済むまでアイデアを出しきって、そこからどんどん削って削って、彫刻家が作業していくようなスタイルにちょっと似てるかも。どんどん無駄なところを削っていって、そこまでやったところで Nathan Boddyとミックスするという流れで作業してる。Nathanとは前回のEP『Antidotes 2』でも一緒にやってるんだけど、本当に大好きなエンジニアでとにかくアーティストの意向に繊細に耳を傾けてくれるのね。ある日の午後にずっと2人で今回のアルバムのミックス前の音源を一緒に聴いて、私が気に入っているところとか、ちょっと詰め込みすぎじゃない? ってパートがあるかないかを検証しながら、そこからさらにちょっと空間的な広がりを持たせるにはどうしたらいいのかを探っていった。ミックスに関する作業は、ただひたすらアルバムを通しで流して、一つ一つの音がきちんと引き立つようにしていっただけとはいえ、それが自分にとっては今回本当に重要だったかもしれない。アレンジメントに関してはミックス前の状態ですごく満足してたから、ただ確実に自分が思っていた通りに流れていく作業を、Nathanと2人でしていった感じ……そう、だから同じ空間の中にバラバラの周波数が存在してるんだけど、それが衝突し合わないようにオーダーを整えていったっていう感じかな。前作も自分でマスターを手掛けてて出来にも満足してるんだけど、それと同じくらいNathanとのミックスに大満足してる。何もしてくれなかったことがかえってありがたくて。 今回のミックスやマスターに関しては、本当にすべての音があるべき場所にちゃんと収まっているか確認する作業のもので……いかにして本来あるものをより効果的に見せていくかという、そのルールに従っていった感じ。そういう時、ヴォリュームを上げたり足し算するよりも、あえて音やトーンを控え目にしたほうが効果的だったりするんだよね。結局、インパクトそのものよりもその音の本来の目的のほうが大事だから。その音の目的に耳を傾けるってことを自分はしているんだと思う。

──なるほど。

L:あ、あともう一つ言わせて。ミックスに関しては、ミスを全部消してパーフェクトなサウンドに仕上げることもできるわけで。Nathanとの作業で何が良かったかって、私にとってはミスってミスじゃないのよ。むしろ自分自身の声であり、自分の表現がゴロって出てきたものだと思ってるから。Nathanはそこをちゃんと尊重してくれて、あえて全部をクリーンにしようとはしないからそこは本当に感謝してる。私自身、プロダクションやエンジニアをするにあたって不完全さは、むしろ自分の音をユニークにしてくれるものだと捉えてる。

──音以外の表現についても聞かせてください。今回、ミュージック・ヴィデオで、あなたの表現の一つとして中国舞踊を取り入れていますよね。その表現の身体性にどんな意味を感じていますか?あなたとツアーを共にしたFKAツイッグスもポール・ダンスを練習していて、音楽と踊ることの関係性について、興味を持って見ていました。

L:ここでまたFKAツイッグスの名前が上がったのがすごく面白い。彼女の『Magdalene』のツアーに参加してたんだけど、そこにバックダンサーもついていて、ステージの最中も本番が終わった後も打ち上げでも、お客さんのいない狭いバーだろうが大会場のパーティだろうが場所やシチュエーションに関係なく踊りっぱなしみたいな状態だった。その肉体で自分を表現してる感じがすごくいいなって、彼らにとっては自分自身の身体が楽器そのものなんだよね。それがあの時間の一瞬一瞬を本当にワクワクするようなハッピーな時間にしてくれて、彼らが踊り出すとみんながわあって集まってきて、踊りの輪の中に入ってくる人もいたりして、本当にね、ただひたすら喜びに溢れていて。そういうのを間近でずっと見せられちゃったもんだから、私も「よし!」って思ったわけ(笑)、こんなふうに身体を使って人前で自分を表現できたらどんな気持ちだろう? って、チェロの後ろに引っ込んでるだけじゃなくてね(笑)。それでコンテンポラリーとバレエのレッスンを受けるようになって、それがきっかけで伝統的な中国舞踊とコンテンポラリーな中国舞踊に出会って、友人でもあるChantel Fooと一緒に「Echo」のミュージック・ヴィデオであの中国の伝統的な絹の扇を使った舞踊の振り付けをしたの。ただ、それが自分の作ってる音楽に影響として出てくるとしたら、たぶん次の作品以降になるかも。ただ、確実に今後何かしら影響が出てくる予感がしてる。踊りに関してはまだまだ初心者だけど、それでもものすごく可能性を感じていて、しかも自分にとっては比較的まだ新しいことだから、ものすごく新鮮に感じてるのね。この先パフォーマンスと音楽を組み合わせて何をしていくのか、楽しみにしていてほしいって気持ち。

──新作のアートワークの「燕」のイメージについて。そこに写っている翼などが、とても神秘的でした。これは、どんなことに着想を得て作り上げていきましたか?

L:アルバムのタイトルの『YIAN』なんだけど、中国語のマンデリン語で「燕」の意味で、私の中国語名でもあるしミドルネームでもあるのね。「燕」ってモチーフとしてもすごく気に入ってて、今回のアルバムを作り出してから初めて深く意識するようになったんだけど、すごく象徴的な言葉だなあって……。燕って歌ってるみたいにチュンチュンなく鳥でしょう? しかも季節によって移動することで遠く離れて2つの場所を繋いでいるわけでしょう? 中国系とイギリス系の家族の両方をルーツに持っている自分とすごく重なると思ったの。東洋と西洋のカルチャーを2つに結びつけるみたいな感じで、そのどちらのルーツも兼ね備えているところなんかもね。『Antidotes 2』も手がけてくれた友人のNhu Xuan Huaが今回もアートワークを担当してくれてるんだけど、2人して色んな本を眺めて参考になるイメージを探してるときに、彼女がアイデアを思いついてくれた。私を燕に見たてて、最後には自分自身であり、自分のルーツを抱きしめるというね。そこから素晴らしい舞台デザイナーであり彫刻家でもあるLydia Chanにお願いして、アルバムのアートワークで使われている翼を作ってもらった。今回、どちらもその分野の第一線として活躍しているこの2人の女性と一緒に仕事ができたことは、自分にとってこの上なく素晴らしい経験。まさに3人の強い意志を持った女性によるコラボレーションが形になって、今回のアートワークの中に反映されているような。

──新作『YIAN』は、自身のアイデンティティを振り返りながら制作していったと。このアルバムを制作するということ自体が、まるでヒーリングそのものとも思えるこの作品が完成する前と後で、自身の中に何か変化はありましたか?

L:今回のアルバムが自分自身の内側を探っていく上でのフレームワークを作ってくれたような気がしていて、このアルバムがなかったらここまで深く掘り下げるってことはしてなかったと思う。それと、今回のアルバムを作ったのがパンデミックの時期と重なってて、世界中に大きな変化を経験していたわけで、たくさんの命であり大切なものであり日常生活や自由が奪われていたわけだよね。家族を亡くしたり愛する人を亡くした人達もたくさんいる。そういう時期にはどうしたって自分の人生にとって、本当に大切なものは何かについて考えさせられてしまう時期なわけで。少なくとも私自身にとっては、そうだった。物質的に価値のあるものよりも、もっと本質的に自分にとって何が重要かってことを考えるようになった。そっちの方向へ意識が向いている時期だったのね。今回のアルバムを作ることで、そうしたパンデミック中に自分が考えたことを形にして、一ヵ所に囲っておくスペースができたみたいな。ただ、それは今回のアルバムや自分だけじゃなくて、まわりの友達の多くも経験してきたことで、それまでの自分の人生を振り返って果たして本当に大切なものは何なのかを考える機会をくれた。

<了>

Text By Koki Kato

Interpretation By Ayako Takezawa


Lucinda Chua

『YIAN』

LABEL : 4AD
RELEASE DATE : 2023.03.24

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