「AIは深い問いを発している」
Kazumichi Komatsuが世界と向き合う方法
またの名を『Computer Music』
Kazumichi Komatsuが2020年の初のフル・アルバム『Emboss Star』以来のアルバム『Computer Music』をリリースした。彼のこれまでの活動を少しでもご存知の方ならば、決して一筋縄ではいかない作品であることが想像できると思うし、実際に『Computer Music』は一筋縄ではいかない作品ではあるのだが、同時に彼のこれまでの作品の中で最もトラディショナルなポップ・ミュージックに接近した作品でもある。
補足として、以下は『Computer Music』についてHPに掲載された文章である。インタヴューを読む前に一度目を通して置くとわかりやすいかもしれない。
小松千倫による4年ぶりの新作アルバム。前作に続き複数のプロジェクトやライブ・パフォーマンス、DJを同時並行でこなすなか制作の交差の中で生まれた実験を再構築して作られた。本作でも音楽をきく身体の顕在化、そのような身体の具体的なあり方が探られる。全編において加工された様々なタイプの声のレイヤーが織り込まれ、それらは曲として特定のムードを形成することと、曲の外部という意味でのノイズへと霧散することとの間の通路として意図されている。他方で、ギターサウンドやプリセット的リズムが用いられる本作はシューゲイザーやインプロヴィゼーションの検討という側面も持ち、シンプルでありきたりなメロディの反復は、反復が生む平行構造とそこから取り出される可能性へ賭けられている。それはタイトルが示す過去の無限の類似作品へのアクセスと生成されるノスタルジーを過剰に経験することの先にある。
では、そんなアルバム『Computer Music』について話した、約13,000字の会話の記録をお届けしよう。
(インタヴュー・文/高久大輝 協力/岡村詩野 写真/OASIS 2)
※記事の最後には出演するイベント/展示の情報もございます。
Interview with Kazumichi Komatsu
──久々のアルバムになりましたね。
Kazumichi Komatsu(以下、K):2020年の11月に前作『Emboss Star』をリリースしたので、丸4年経ちますね。
──その間、どのような変化がありましたか?
K:いろいろあったんですけど、2022年に博士課程を修了したことが大きいです。博士課程での研究内容が前作には強く反映されていますが、今作ではそういったアカデミックな研究、執筆、リサーチ等々から解放されたからこそできたことが多いのかな。2022年、2023年はインスタレーション作品の展示も引き続きやっていたんですけど、美術の制作も自分のペースがわかるようになってきた。今年32歳なんですけど、30代になって自分のペースを掴めるようになったというのもありますね。制作と直接関わる部分としては。生活面では引っ越しをしたりしましたね。
──環境が大きく変化したんですね。
K:そういった状況で、さらに他のアーティストのインスタレーションの音楽やダンス作品の音楽だったりというのを作る依頼が増えてきていて。それに応えているとボツの曲がいっぱいできるんです。それをうまくもう一度直したりして、作品に持っていった。これは『Emboss Star』のときもあったことですが、前作以上に増えていますね。だから未発表の音源がいっぱい今もあるんですけど、その中で良いものを見つけて作品を作っている。こんなこと言うと身も蓋もないですね(笑)。
──(笑)。でも作品としてまとめるのならばそこに何か基準は設けられているわけですよね。それに今作には『Computer Music』という大胆なタイトルをつけている。これにはどのような意図がありましたか?
K:Suno AIというAIの作曲サーヴィスが出てきたときにすごく強烈なインパクトがあって。ヴェイパーウェイヴっぽいものや、それ以外にもヴェイパーウェイヴの一種だと思うんですが、チルなヒップホップのビート、トランスやテクノなどの機能的なクラブ・ミュージックもプロンプト一つで作れるんです。そうなったときに、「どうしてそれでも音楽を作るのか?」という問いが出てくる。特に電子音楽、もっと言うと旧来の作曲家ともちょっと違ったDTMを専業でやっている人たちってすごく危機的な状況にあるんじゃないかと。
今、そういうコンピューター・ミュージックの時代における転換点を迎えている。そのとき、それでもパソコンで音楽を作ることって、いかなる質がありうるのかというのは大きくずっと考えていました。そういうことを検証したかったという思いはあります。
──Komastuさんはこれまでもポスト・インターネット時代の音楽を探求してきた印象がありますが、その中でもAIの登場は大きかったんですね。
K:『Emboss Star』では「Skip」というラップっぽい曲でヴォーカルとして僕もAIを使っているんです。Melobytesというサイト(サーヴィス)を使ったりしているんですが、その歌はいわゆるAI的な独特な質感が強く出ていて。だからある種のエフェクターのようなものとして捉えられたんですけど、でも今や下手したら広告企業でさえ、平気で「AIに曲を作らせてOKじゃない?」と考えるくらいAIの技術が発達している。ここ2年くらいでそういった質的な転換があった気がします。僕はそういうことを気にしてしまうというか、自分でも音楽を仕事としてやることが多いから、その中で「AIで作った方が良くない?」「僕じゃなくていいですよね?」という問いを突きつけられる瞬間があるんです。
そういう実感と、他方でAIがどんどん突き進んでいくと最終的に、例えばソフィーやアルカのような、アイデンティティ・ポリティクスの観点でも音楽の内容でも多くのアーティストやリスナーに影響を与えるような、ヴィジュアル・アイデンティティや言葉を伴った音楽が作れちゃうところまでいくと思うんです。そういうことも考えていましたね。
──興味深いです。そういった、いわば他を圧倒するような個性を持った音楽もAIによってこの先作られていく可能性を感じているんですね。
K:それって音楽と資本主義の関係性の話でもあると思うんです。ある特定のアーティストの音楽が流通するってことはどういうことなのか、逆から考えると、そういうものを欲している人がいるということですよね。その人を目がけてプロンプトを書いた結果、それこそ次の時代の個性的な音楽ができてしまったら、人間がいなくても商業的には文化が進むことになる。それは職業柄、自分に突き刺さってくる。なんで俺はこれを作っているんだろうって、悶々としながら考えていました。
──つまり、そういった問いへの一つの答えを出そうとした結果が『Computer Music』ということですか?
K:いえ、答えは全然出ていません。そういう意味では挑戦ですね。ただ、問題提起はあった方がいいし、もちろん自分の中ではAIでこれは作れないだろうと思って作っています。それに、コンピューター・ミュージックの文脈において起こっていることを何か一つ制作の動機にしているという部分はあり、それがタイトルに影響していて。当たり前ですけど単純にタイトルってすごく大事だなと思うんです(笑)。『Computar Music』ってあんまりないじゃないですか、こんな教本みたいなタイトル(笑)。それが面白いと思ったし、そのタイトルに耐えうるクオリティーって一体何なんだろうって考えながら作った面もあります。
──AIの発達をある意味でポジティヴに捉えているということですか?
K:自分にはどこかコンサバティヴなところがあって。ガンガンいこうぜと思っていないところがある。うーん、そういう意味ではAIのようなものをすごく称揚しているわけではないから、微妙なところですよね、もちろん技術として使うのはいいけど。ただやっぱりヴァルター・ベンヤミンやマーシャル・マクルーハンといった情報理論の先駆的な人たちが考えていたことって過去をどう見るかという話で。どうしても技術が先にできてしまうから検証できないという問題があると思うんです。歴史と技術の問題と言えるかもしれません。技術って人間の営みの時間に屹立しているから。原子力だってそうですよね、後にならないとそれが人間にとってどういうものだったのかはわからない形で蓄積していく。それはAIに関しても全く一緒で。技術開発というのはやっていけばいいと思うんですけど、それによって生まれたものを検証するまでには時間が掛かる。常に後ろを見なければいけない。そういう意味で言うと、技術的にめちゃくちゃヤバいものが出てきたと言われても現時点でその意味の全様を理解することはできない。
──なるほど。ではここからはそういった前提を意識しつつ作品の内容に触れていけたらと思います。今作で印象的だったのがノイズの使い方でした。まずKomatsuさんはどのようにノイズを捉えているのか教えていただけますか?
K:ノイズの立ち位置は前の作品よりもわかりやすいかもしれません。DIYっぽいノイズの在り方をしていたり、リズムが反復する中でのノイズであったり、単純にギターのノイズだったり……そういう意味では過去にあった、過去に確立されたジャンルに寄り添って、その中で用いられてきたノイズの立ち位置をもう一度考えて作りました。シューゲイザーで言えばフィードバックとリヴァーブとディストーションとファズと、みたいな、回路、増幅的なノイズ、ギターが持っているもともとの増幅性もあると思うけど、そういうもののノイズなしには成立しないですよね。それに、デカい音を出して、それがミックスダウンされたときにああいう音質になるというような。そういったノイズの立ち位置を結構参照しています。過去にすでにあったノイズをシミュレーションして使うような感覚です。
──たしかにシューゲイザーっぽさがわかりやすい曲もあります。要するに、曲ごとに扱い方を変えているんですか?
K:そうですね、曲ごとに全然違うかもしれない。今回はギター・サウンドが多いので、ギターに付随するノイズの成分がジャンルの代名詞というか、ジャンルを規定する要素の一つだというのは意識していて。前のアルバムだともっと電子音、それこそコンピューター・ミュージック的なノイズの扱い方をしていた気がします。そこの差は明確にあって、レコーディングだったり楽器に付随するノイズっていうものの位置を考えたりとかしている感じですね。
──そもそも、どうしてギター・サウンドをフィーチャーしようと思ったんですか?
K:何でなんですかね(笑)。
──ここまで話を聞いていて、ギターの音をスピーカーで鳴らすこと、そこに宿る身体的/即興的なものに意味を見出しているような気がしました。
K:そう言われてみるとそうで、タイトルの“Computar Music”ってコンピューターを使って作られた音楽っていうイディオムになっているけど分離できる。そもそも“Computar”と“Music”なんです。楽器が持っている、フィジカルなノイズとも呼べるものがジャンルを規定していたり、音楽のベースを作っているという意味では、ちゃんと“Music”、そういうノイズを出すことを含めての、ジャンルとしてすでに権威性、歴史のある音楽を一回作ってみようっていうピュアな思いがあるんです。ノー・ウェイヴやシンセウェイヴっぽい曲、例えば5曲目の「AM3 Blackjack」にはそういう影響があったりする。パンクとかDIYな感じ、あれってすごく音楽的で“Music”だと思うんです。演奏があって、そういうフォーム、形式があるものをあえて作るという意味での“Music”。これはこれまで自分があまりできてこなかったことに挑戦してみようという気持ちもあります。
同時にそういうことも含めて再現できてしまう“Computar”があります。このアルバムはスタジオでミュージシャンといっしょに録音して作っているわけではなく、全部DTMで完結している。だからある種、それすらも再現できてしまう“Computar”という関係になっています。
──実際の演奏とそういった再現の間に現れる差異、いわゆる不気味の谷のようなものも意識していますか?
K:演奏に付随するフィジカルなノイズや空間性にはまた一つ違う側面があって、もっと音響的なものであるという気持ちがあって。そう捉えてしまえば、ある程度シミュレーションできるし、想像できるし、制作の要素として入れたりもできるというのは以前から気がついていたんです。アンプシミュレーターってそういうものだから、そりゃそうだろという感じなんですけどね。不気味の谷というのが決定的な差を覗き込むものだとすると、その決定的な差がどこにあるのかを探るという意図はたしかにありますね。ただそこに決定的な差がないということを覗いてしまっている感覚の方が強いです。AIが音源を大量に学習していくと最終的にそういう音源は作られるようになると思っている、ということでもあります。
──本作のプレスリリースにある「聴く身体の顕在化」というのと、その差異を識別できない身体というのは繋がっているものですか?
K:それもあります。そのテーマ自体は前作から完全引き継いでいて。さっきからこう話していることも作るということよりは聴くことが主題になっていますよね。「このプラグインを入れたらこうなりました」「ノイズの成分を20%にしました」「シューゲイザーっぽくするためにこういうアンプシミュレーターを使っています」とか、そういうことではなく、ずっと聴くこと、聴かれる環境、スピードだったり、聴く人たちの在り方に関心があるんです。そして、聴く装置としての“Computar”でもあります。つまり“Computar”によって聴いている身体の在り方が変わっているということですね。
さっきの技術論の話じゃないけど、ある技術が出てきたときにそれに逆照射される形で初めて自分の身体というものがどういうものなのかがわかったりする。例えば原子力が発明されたが故に、放射能という目に見えない物質との関わりの中で人間の身体の輪郭の解像度が変わったりする。そういった状況や出来事、技術に逆照射されて、身体の在り方って時代時代で新しく変わっていく。そういった面でAIはやっぱり深い問いを発しているし、僕にとって音楽を作ること、“Computar”と“Music”は、そうした問いとどう向き合うか、ということでもあるんです。
一方で、音楽ってずっとそうですけど、特にポップ・ミュージックは悲しいとか楽しいとか感情を簡易化するためにある気がして。「あっこれって悲しい状態だったんだ」と納得させてくれるような、物語や感情の語り手として消費されていくエコノミーでもあると思うんです。それは逆に、身体を消し去ってしまう。自分はそうじゃないことをやっているつもりです。そういうちょっとしたアンチテーゼもあります。
──ここで少し話を巻き戻して、ロック・バンド的なもの、Komatsuさんが“Music”と呼んでいる部分について触れられればと思います。制作中はバンドの音楽は聴いていましたか?
K:初期の《Creation Records》のエンジニアでアラン・モウルダーという方がいるんですけど、その人のプロデュースした作品を全部聴いたりしていましたね。好きだし、研究の一環として。
──アラン・モウルダーは先ほども話に挙がったシューゲイザーの代表的作品であるマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』にも関わっているエンジニアですね。
K:世界的に再評価されていると思います。個人的にはスティーヴ・アルビニより全然好きですね(笑)。ロックは音響的に、明らかに90年代の初頭くらいから分厚くなるじゃないですか、アレンジも含めて。それをちゃんと導入したエンジニアという感じはしていて。じゃないと『Loveless』のような作品は生まれなかったんじゃないかな。だから単純な演奏のリピートでも空間的にも時間的にも引っ張れたりする。そういうところは影響を受けているかもしれないです。
──マイブラはそもそもKomatsuさんの原体験にあったんですか?
K:ありますね。シューゲイザーを一通り聴いた結果、好きな作品でした。でもシューゲイザーの中でもマイブラだけ変だと思うんです。他にもライドとかいろんなシューゲイザーのバンドがいる中、基本的にはゲヴィン・シールズのギターってチューニングとか変だったりするけど、リフの運びだけ見るとすごくシンプルで。そういうところに惹かれているのかもしれないです。そういう面は『Computer Music』にもあると思います。3つくらいのコードしか実はないような。弾いてみると単純というか。
──マイブラの魅力はいわゆるシューゲイザーの記号的なものよりソングライティングにあるということですか?
K:だと思います。やっぱりケヴィン・シールズのバンドだし。あとマイブラってドラムが変だけど、でもそのギターのコードの単純な繰り返しをただ弾くだけだと音楽的に成立するかギリギリのところにあって、それが最大化するとああいうサウンドになるのかなって。時代的なものもあるだろうけど。
マイブラの初期とかただのポストパンクのバンドというか、めちゃくちゃ普通の曲ばっかりで(笑)。さっきの話でいうと超音楽的というか、超“Music”。飾りまみれだと思うんです。ジーザス&メリーチェインに似ているのかな、どっちかというと。それが『Loveless』のような作品を作るようになっていく。そこにはソニック・ユースやダイナソーJr.などのUSインディーの影響があるけど……。要するに自分はアンサンブル的な飾りだとか、ガチャガチャしているのが全然好きじゃなくて。マイブラの中でもすごく単純な繰り返しが続く曲が好きなんです。
──『Computer Music』と『Loveless』を聴き比べてみるのはとても面白いかもしれないですね。
K:あとカーヴの『Doppelgänger』とか、スワーヴドライヴァーの『Mezcal Head』とか。あのあたりのUKのバンドもいいと思います。
──もう一つ、プレスリリースで気になったのが「インプロヴィゼーションの検討」という箇所で、ここでいうインプロというのは何を指していますか? いわゆるジャズのインプロではないですよね?
K:いわゆるインプロビゼーションが自分にとって面白いと思ったことがなかったりして……いや、面白い作曲もあるけど、大概は面白くないなと思っていて。決めていないことを言い訳としたインプロが大半だと思うんです。だから自分の中でのインプロだったりするんですけど。
──自分の中の?
K:長いスパンで考えるとわかりやすいのかもしれません。即興性、インプロヴァイズという言葉自体と矛盾しちゃうんですけど、中長期的に見て、作ったものが何に使われるのかわからないってことが大事な気がしていて。そういう意味。だから、何かのために、という形でやらない。
──結果的にアルバムとして型に嵌めているのを考えると、そこでも矛盾を孕んでいますよね。
K:そうですね、最終的には。でも、結果というよりはプロセスをどう捉えるかが大事だと思っていて。最初に僕と仕事する誰かがいて、その中でできていった曲がこのアルバムの大半なんですけど。そういったクライアントがいる仕事のとき、あえてものすごい角度で投げることが大事な気がしていて。だから「全然違います」と言われることがもちろん高確率であるんですけど、「すごい攻めているけど、こういう感じにして欲しい」みたいな。その中で相手の仕事の中でのちょうどいい着地点を見つける感じでやっているんです。普通に「こういう曲っぽいのがいいんですけど」と3つくらい例がきて、それに対してそのままやるとそれこそAIだから。そう思っていることの裏をちゃんと読んで、この映像だとこれがいいと思っているんだな、だったらもうちょっと違う価値基準だとか、もっと変なこと、それとは違うやり方でそれと同じような効果、世界観を作れるものを提示したい。もちろんそんなの毎回やっていたらしんどいので、毎回はやっていないけど、思ったときにそれをやると7割くらいの確率で「こうじゃないです」ってことになる(笑)。普通のことだと思うんですけどね、価値をもう一回、その人が持っているイメージのままで返さずに対応することって。それでできたものを「アルバムに入れようかな」とか思わずに置いておくんです。
──長い目で見たときの無軌道さをインプロと呼んでいるわけですね。
K:そうですね、今それが完璧にできているとは思わないけど。それってなんというか不安なことで、不安だし試されているという意味で自分に負荷がかかることだと思うんですけど、でも何かを作り続けるってそういうことがないとAIといっしょですよね。AIよりもコミュニケーションしやすい何かというか、お金を払いたくなる何かがその人にあるだけ、という気がするんです。コネとかね。作家性と呼ばれるものはそこで出てくるし、全員それぞれが試されている気がします。言ってしまえばアンビエントっぽくて、CMっぽい音楽って無数にあるんです。「シンフォニックに盛り上がっていってください」「水流れてます」みたいな(笑)。それを作るだけだと同じようなものがぐるぐる回るだけだから、そこに着地させることが面白いとは思えないんです、たとえ仕事だとしても。
──『Computer Music』がそうしてできたアルバムだということは、つまり明確な狙いは薄いと。
K:薄いですね。結局力量だと思っているんです。アルバムって作家性という意味で、個人の力量が試されるから。4年間仕事も自分の作品も含め作ってきた中で、その時間がどんなものだったのかが如実に試されるというか、普通にミュージックという媒体が持つ、ミュージシャンの存在を無視しないように自分に課す。4年間こういうことをやってこなかったらものすごく穏健なアンビエントがいっぱい出てきてアンビエントのアルバムを出しちゃおうと思ったかもしれないし(笑)。
──ズバリ、ご自身の作家性はどのような部分に顕著に表れていると思いますか?
K:一つ、常に目指したいのは短いけど強度があるような音楽です。
──『Computer Music』は24分程度と短いですよね。それも聴きやすさに影響している気がします。
K:それがコンピューター・ミュージックの体験の基盤というか、最も重要な要素の一つだと自分が捉えているところで。例えば演奏、まあライヴですよね、もしバンドだったりすると最初にドラムだけが長く続いてヴォーカルが始まるようなことができる。それぞれの演奏者の技術と楽器が持っているタイム感があって成り立つから伸縮ができますよね。それがアンサンブルだから。でも再生音楽、コンピューター・ミュージックはDTM上でシミュレーションされているから、そういうことがない。そういう意味でのインプロ性はゼロなんです。そのインプロ性までシミュレートするのが僕はすごく嫌いで。さっきのバンド・アンサンブル的な飾りが苦手という話と同じで、電子音楽なのに小賢しい展開と展開の間のトランジション、飾りのようなものがあるのがすごく嫌なんです。そういうのを作ろうと思ったことがない。そうなるとどんどん短くなっていく。
──再現するのは可能ですよね?
K:そうですね、技術的に可能なのはもちろんわかります。でもコンピューター・ミュージックのフォーマリスティックな考え方なんですけど、“or”ってそこには存在しないんです。飾りとして機能しているものを排除する感じ、本質じゃないから。
──たしかに「5 Voices」など歌のない曲は特にアイディアとしてネイキッドな感覚があります。それはコンピューター・ミュージックだからこそなんですね。ライヴで再現しようというようなことはどのくらい考えていますか?
K:ライヴだと作り変えちゃったりしてしまうので、再現することはないかもしれないですけど、今はまだ難しいですけど単純にキーボードだけで演奏するとか、そういうことがいつかできたらめっちゃいいなと思いますね。ギターとキーボードだけで。一人で全部やるような。
一般的なアーティストと比べて、アルバムの曲をやるというようなライヴの仕方をしていなくて。毎回新しく1から作り直すので別物ですね。
──ちなみに声の扱い方は前作と変わりないですか?
K:そうですね、声として信頼しているというか、好きであることは絶対判断基準にあって。自分で歌えれば良いんですけどね。でもそんなに上手くないし、自分の声は好きじゃないので。
──“Computar”か“Music”かで言えば、特に歌は“Music”の部分ですよね。
K:でも歌に関しては独立して考えているかもしれないです。アルバムだからこういうテーマがある、という感じで作っていなくて。
──メロディーもヴォーカリストにまかせているんですか?
K:「Skin」はLe MakeupとDoveの2人にまかせていて、ベルリンで録ってくれたものが元になっているんですけど、もともとは全然違う構成で、曲の展開の中で録ってもらったヴォーカルを並び替えて、「こっちの方がいいんじゃないか」っていうのを送ってまたその通り歌い直してもらっています。「Hikari」に関しては僕が仮の歌を入れていて。「こんな感じです」と送ったら、Yumea Horiikeさんがそれをスーパーグレードアップした状態で歌い直してくれていて。面白かったですね、こんなに魅力的になるんだって。そういう意味ではメロも部分的に自分が考えていますね。
人に歌ってもらうと楽しいです(笑)。良い意味で自分の考え通りにはいかないし、曲のクオリティにすごくドライブが掛かる。みんなが歌える歌ではなく、その人がいないとできあがらない。あとは歌詞が付随すると強いから、情報量として。まだ歌を作ること自体の経験値がそんなにないからもうちょっと考えていきたい部分ではありますね。自分の音楽の中で歌ってなんだろうって。それを音楽の中でどう捉えるのか。
──歌の部分ではさらに考える余地が残されているということですね。今作のジャケットも面白いです。シングルでも「Good Plogrem」以降、画素の粗いものを使っていますよね。
K:テキトーに作っているんですけど、それこそAIをイメージのサンプルにしていて。何かプロンプトを書いてできたものをいじって作っているんです。描いてある内容がわかるものと、わからないくらい崩壊しているもののギリギリのところってどこだろうと探求していた時期があって。それで身についた技術を使っています。あんまり意味はないですけど(笑)。
『Computer Music』アルバム・ジャケット──作品の内容とも繋がっていますよね。ここに描かれているのはデニムに見えます。
K:アルバムのジャケはデニムだと思うんです。でも本当にデニムなのかどうかはわからない。AIが作った画像だから正確に言えばデニム的な何か、デニムとされているもの。デニムの情報。だからやっぱりコアにあるのは技術との付き合い方なんじゃないかな。どう聴くか、どう見るか、ということの反省的回路をやっているというか、ずっとそういうことを考えている。だから、もっと綺麗なデニムに見えた方がいいとかではなく、なぜデニムと思えるのか、そういうことなのかもしれません。
──今作ではジム・オルークさんがマスタリングを担当しているのもポイントですよね。もともと繋がりはあったんですか?
K:僕は直接会ったこともないので、レーベル経由でお願いしました。岡田(拓郎)くんのアルバム『熱のあとに Original Soundtrack』が出て、マスタリングがジムさんで、音がすごく良いなと思っていて。もちろんしっかり録音しているからというのもあると思うけど。Whatmanがジムさんがいいんじゃないかって言ってくれて。僕自身のアイディアにはなかったですけど、たしかにと思って送ったらすぐに届きました。なんでも仕事を受けているわけじゃないと周りの人も言っていたから嬉しかったですね、受けてくれて。
──ジムさんは仕事が早いことでも知られていますよね。
K:すごく早かったです。それにジムさんはミックスのことまで意見をくださって。ミックスがかなり変わった状態で返ってきているんです。そこでは「もうちょっとこうして欲しい」というやりとりはありましたけど、ジムさん的にこの曲はこうした方がいいというのが明確にあるから、僕がその感覚を信じた部分はあります。そうしたら、やっぱり同時代の感覚じゃなくなったというか、90年代的な鳴り方をしている気がします。エンジニアリングってその人の信じているものの基盤が出ると思います。
──どの辺が大きく変わっているんですか?
K:ニュアンスの問題なんですが、レンジが狭くなっている。僕もどっちかというと、エンジニアというか、ミックスやアレンジでニュアンスを出すタイプの人だと自分では思うので、そういうところでやりとりはありましたね。「そこまでタイトにしなくてもいけますか?」みたいな。結構譲ってくれなくて(笑)。でも何回も聴いていたら好きになりましたね。このアルバムにはこれが合っているなって。前の状態だと現代的なエクスペリメンタル・ポップという感じで、ヴォーカルがデカくて、でも音像はワイド、という鳴り方をしていたと思います。だから低音ももっとワイドだったけど、ギュッとしていて、もう一回誰かが演奏したかのような。分離し直してもう一回ミックスし直したらしいですけど、一度会ってちゃんとお話してみたいですね。
──元の状態のものも聴いてみたくなりました。全然話は変わるんですが、KomatsuさんのWebサイトのテキストがめちゃくちゃ面白いんですよね。
K:誰も見ていないんじゃないかな(笑)。
──TikTokとプレイボーイ・カーティの関係性に触れるテキストやフランク・オーシャンの『Blonde』にも言及する日記など、非常に刺激的でした。『Blonde』はいまだにポスト・インターネット時代を代表する作品の一つですよね。
K:プレイボーイ・カティはビートを作っているF1LTHYも含め、自分の中では常に単純に面白いとかを超えて見ていますね。一つの現象としてチェックしているというか。
自分の作品全体、インスタレーションもそうですけど、過去だったり繰り返されているものだったりに興味があって。反省的、内省的な回路が大事だという、そのツール、まなざす対象としてある気がします。『Blonde』はそういう意味でメルクマールだと思うんですけど、あのアルバムを聴いていつも思うのはやっぱりなんだかんだ言って音楽って残酷なんだなっていうことを思わされる(笑)。声という無二の力をフランク・オーシャンにはすごく感じてしまう。プリンスもそうだと思うし、そういうものを含んでますよね、音楽って。そういう意味でも“Music”ですよね。でも僕も諦めないで作ろうと思うことはすごく大事なんだろうなって。斜に構えて脱構築とか言うんじゃなく、正面からストレートに聴いて「良い曲だな」と思えるようなものを作れるように努力したり、時間を掛けることが大事なんだと最近思っています。
──今作のどのような部分にそれは顕著に表れていますか?
K:曲の構造が以前よりコンサバティヴになっていると思うんです。より音楽として成立している。「Damn Clean」や「Wrong」はシンセで弾こうと思えば弾けるし、演奏可能なので。そういう意味では“Music”であろうとしている。それが前より強いと思います。
──気が早いかもしれませんが、今後はそういった方向に振り切っていくのでしょうか?
K:振り切る中でコンピューターという要素が常につきまとうから、それを無視することはできない。不可分なもの、という態度表明が今回の作品にはあると思います。変わってはいくと思うんです、スタイルを作ったわけではないから。どう聴いてもこの人の曲だよなっていうスタイルを作れるようになりたいですね。何年かかるかわからないですけど。
──新たなスタイル。
K:スタイルと言うときに僕が思い浮かべるのはグラフィティの研究をしていたからグラフィティのスタイルなんですけど、いわゆるジャンルとしてのタイプビートや構成のスタイル、応用可能な共有可能なスタイルというよりは一般化し難い癖のようなものだと思っているんです。裏返すと、タイプビートにしても歴史的に見ると例えばDJプレミアがやっていた、プレミアにしか作れないプレミアっぽいビートってあるわけで、AIの時代において、個々人が持っているスタイル、そのユニークさについて考えることでもあります。
──本当に微細なものかもしれませんね。
K:そういうものの存在は歴史が証明していると思うんです。ビート・ミュージックにせよ、歌にせよ、局面局面に作者がいることは間違いない。でもそういうものをみんな愚直に目指していく時代が終わるのかなと思うと悲しいから、自分は目指したい。
──諦めていないんですね。
K:ただ全体で言えば諦める方向に向かうんじゃないですかね。AIも含め、受容するというか。
<了>
Text By Daiki Takaku
Photo By OASIS 2
Kazumichi Komatsu
『Computer Music』
LABEL : FLAU
RELEASE DATE : 2024.10.02
各社配信リンク
https://kazumichikomatsu.lnk.to/ComputerMusic
■イベント情報■
Osaka Directory 7 Supported by RICHARD MILLE 小松千倫 関連イベント
小松千倫ソロライブ/クロージングトーク/上映
イベント情報
12月15日(日)15:00-18:00 *入退場自由
大阪中之島美術館 2階 多目的スペース
出演者:小松千倫(出展作家)、河崎伊吹(大学院生/本展コーディネーター)、中村史子(大阪中之島美術館主任学芸員)、檜山真有(リクルートアートセンターキュレーター)、船川翔司(美術家)ほか。
定員:特になし(申込不要)
参加費:無料
なお、展示の詳細は以下から。
https://nakka-art.jp/wp10/wp-content/uploads/2024/10/20240915_pressrelease_OsakaDirectory_7-1.pdf
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