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「自分自身も社会の課題の一部であるということを受け入れられるようになった」
アノーニの新作にみる背中から背中へと渡していく精神性

07 July 2023 | By Shino Okamura

アノーニ&ザ・ジョンソンズ名義でリリースされたニュー・アルバム『My Back Was A Bridge For You To Cross』のカヴァーには、マーシャ・P・ジョンソンが穏やかに微笑むモノクロ写真が使用されている。1969年の「ストーンウォールの反乱」の現場にもいたとされているニューヨークのドラァグクイーンで1992年に非業の死を遂げるまで性的マイノリティの権利獲得のために尽力したトランスジェンダー活動家のマーシャ。2017年にはNetflixでドキュメンタリー『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』が公開されたばかりか(現在も視聴可能)、ニューヨークを中心に世界中で彼女の功績が今さらながらに讃えられる動きが顕在化してきているが、そのマーシャの遺志を受け継いでいる一人がアノーニであることは疑いようのない事実と言っていい。OPNらが参加したアノーニのソロ名義だった前作『HOPELESSNESS』(2016年)を除くと、もちろん、デビュー当時から大切に使っている「ザ・ジョンソンズ」というバンド名義もこのマーシャの名前からとられている。

「私の背中はあなたが渡るための橋」という意味のタイトルは、そのマーシャの背中を橋として渡ってきたアノーニが、次に誰かの橋となるべく背中を差し出しているようにも受け止めることができるだろう。そして、その誰かのための“背中”となりうる作業が、今回、マーヴィン・ゲイ『What’s Going On』(1971年)からのインスピレーションを改めて受けたアノーニがソウル・レコードを作ろうとしたことと無関係ではないようにも思える。1971年、イギリスはウエスト・サセックス州のチチェスター出身のアノーニは、ニューヨークでマーシャの背中を追いかけたように、それより前のティーンエイジャーの頃、ボーイ・ジョージ、アリソン・モイエ、アニー・レノックスといった英国のブルー・アイド・ソウル・シンガーたちの背中を見て(聴いて)育った。つまり、エイミー・ワインハウスやダフィーらを手がけたことで知られる英国人のジミー・ホガースをプロデューサーに迎えた今作は、自身のそうした音楽的ルーツの一端に対して今度は自分が世代を次に渡すため背中を差し出そうとしたようにも聴けるアルバムでもある。もちろん、ここで歌われていることも背中から背中へと伝え残していかねばならないと願うアノーニのヒューマンな思いに他ならない。さて、ともあれ、ここからは、以下、一つ一つ丁寧に、ゆっくりと言葉を選びながら、優しく厳しく、しっかりと話をしてくれた彼女の言葉にバトンを渡すとしよう。アノーニは紛れもなくソウル・シンガーであり、まさに魂の表現者である。そんな当たり前のことを実感できるトークになっているはずだ。
(取材・文/岡村詩野 通訳/青木絵美)

Interview with Anohni

──あなたに最後に取材をした際、「しばらく次のアルバムは作らないと思う。そのモティヴェイションがまた湧いてきたら音楽に向かう」と話してくれました。もちろん、その間ずっと様々なアートに関わったり、歌う機会を得ていたりしていましたが、何がきっかけでまたアルバムを作ろうと思ったのでしょうか?

Anohni(以下、A):前回アルバム(『HOPELESSNESS』)を作ったのは2016年だったから、確かにあれからしばらく経っているわね。6、7年かしら。その時は確かにこれ以上アルバムを作る必要がないと感じられる状態になっていたの。その状態が少なくとも何年か続いた。その後に、新しいプロジェクトをやりたいと思い、誰かとコラボレーションしたいと思った。そこで、新たなアプローチとして、レコード会社に連絡して、ソウルのサウンドに近いアルバムを一緒に作ってくれるプロデューサーがいないかと聞いてみた。私は、ソングライターやプロデューサーと一緒にアルバムを作るということは今までにやったことがなかったの。制作の過程はとても内向的なものだったわ。制作中は、オーディエンスやリリースのことは全く意識していなかった。創作過程に関わること自体に喜びを感じながら、音楽を作っていただけだった。その後の段階で、音源を見直して、これは公表することで自分にとって有利になるか、役に立つのかということを考えたの。だから今回のアルバム制作にはフェーズがあって、創作過程と、公表するという過程が別々にあった。これは過去のアルバムの制作の流れとは違うものだった。時代も変わったし、私たちの問題意識も違う。社会の動き方も違う。だから私にとっては新たな時代とも言える。51歳になった私は、今までとは違う人生の時点にいるし、歳を取ることに連れて起こる様々な問題にも直面してきた。だから今回は、とても単純で純粋な気持ちで音楽制作を再開することができたの。

──今回は「アノーニ・アンド・ザ・ジョンソンズ」名義です。「ジョンソンズ」の由来であるマーシャ・P・ジョンソンの写真をジャケットのアートワークにあしらっていることからも、改めてマーシャへの思いがあなたの背中を押したのかもしれない、と思いました。1992年に非業の死を遂げたマーシャへの功績を讃える動きは年々顕在化してきていますが、まず、こうした状況について、まずあなたの率直な意見、気持ちを聞かせてください。

A:私の中では……というか私が生きてきた世界では、マーシャは昔からスター的存在だった。(ニューヨークの)グリニッチ・ヴィレッジのアンダーグラウンドの世界で彼女は有名人だった。私が初めてニューヨークに移ってきたとき、誰かが彼女のことを教えてくれた。彼女にまつわる様々な伝説をね。当時、彼女はまだ生きていたから、生ける伝説だったのよ(笑)。彼女はとても貧しくて、その日暮らしの生活をしていたけれど、私がニューヨークに移った時は、もうホームレスではなかったと思う。ランディ・ウィッカー(Randy Wicker)という活動家と一緒に住んでいた。それでも、マンハッタンのクリストファー・ストリートでマーシャをよく見かけることがあったわ。マーシャは勇敢な活動家で、勇気ある行動を取ってくれた人だった。その一つとして《STAR(Street Transvestite Action Revolutionaries)》という団体を1970年に、友人のシルヴィア・リヴェラと共に立ち上げた。そして、さまざまな属性の人たちに手を差し伸べて、当時の同性愛者やトランスジェンダーの権利活動の発展に貢献したの。

それにマーシャは尋常じゃないくらい寛大な人で、気立もよく、物惜しみしない性格だった。私は、よく彼女のことを「女の子版イエス・キリスト」と表現しているの。イエス・キリストを女の子にしたらマーシャになるのよ。その考え方がすごく好きなの。だから、マーシャは私にとって昔から、私を導いてくれる星のような存在だった。マーシャとは、私がまだ学生の時に会ったことがあったんだけど、その後、すぐに彼女は亡くなってしまった。だから、彼女の真実や神話を、彼女のことを知っていた人たちや、世の中に対して、前面に出すということは、とても素敵なことだと思ったし、避けられないことだと思った。彼女には英雄的なエピソードがあるし、その物語が、今の時点で、実物以上の規模になって祝福されるのは避けられないことだと思う。人々はマーシャに対してある種の幻想を抱いているかもしれない。英雄や有名人に対して抱く幻想や理想というのは、その人の実情とは違うという場合も多いでしょう? これは私が若い頃に友人が教えてくれたことなんだけど、「ある人物が死んだ瞬間に、その人の物語は神話になる」と。そしてその時点で重要なのは、(実話ではなく)神話ということになる。でも、運が良ければ、その人の神話と、実際の意図・意向には十分な共通点があるだろうから(笑)、意向が神話に悩まされる必要もなくなるはずなのよ(笑)。マーシャは今ここにはいないから、彼女がどう感じているのかは分からないけれど、彼女は今でも世界に影響力を持っている存在であることは確かね。そして今、新たな世代の子たちが彼女の存在を受け入れて、彼女の意向を引き継いでいることが素晴らしいと思う。マーシャの話をしたりして、彼女の意向を引き継いでいたのは、しばらくの間、私の世代では、私だけだったから。私より年上の人たちの中にはマーシャの物語を話す人たちはいたけれど、私の世代では、私だけだった。そして10〜15年後に、私より若い世代の人たちがマーシャの話をするようになった。(地震の)プレート・テクトニクス理論と同じで、マーシャの物語は、一時的に休止しているかもしれないけれど、消えたわけではない。ただ地下に潜むだけ。そしてプレートがズレた時に、再び浮上するの。

──学生の時に彼女と会ったことがあるとのことですが、どういうタイミングで交流したのですか。

A:ええ、一度だけ会う機会があったわ。彼女が亡くなる数日前のことだった。ゲイプライド・パレードの時に話しかけたの。マーシャはパレードに嬉々として参加していたわ。私たち一行は、クリストファー・ストリートとハドソン・ストリートの交差点で止められていたから、私は彼女に近づいたの。その時の私は派手に着飾っていたわ。そして彼女に感謝を述べて、「大好きです」(“Thank you, I love you”)と伝えたの。私はファンの一人だったから。そして彼女の手にキスをした。マーシャも私のことが大好きと言ってくれて、すごく優しかった。単なる、社交辞令かもしれないけれどね(笑)。彼女に実際に会って話しかけたのは、その時だけだったけれど、私が通学中にグレニッチ・ヴィレッジを通ると、よくマーシャを見かけたわ。でも、私が話しかけた数日後に彼女は亡くなったの。彼女の死体が(ハドソン)川で見つかった。彼女の死が、今では一番注目されていることだけれど、正直言って、最も重要な物語はそこじゃないの。彼女の名前が世界に知れ渡ったのは、彼女のドキュメンタリーが最近、Netflixで放映されたから。あの番組では彼女の死にフォーカスしているけれど、私だったら彼女の物語の別のところに焦点を当てていたと思う。でも、それも別にどうでもいい。彼女のストーリーは既に独り歩きしているから。

──ちょうどその頃、あなたもメンバーだったBlacklips周辺の作品として、あなたの初期のパフォーマンスも収めたオムニバス・アルバム『Blacklips Bar: Androgyns and Deviants – Industrial Romance for Bruised and Battered Angels 1992-1995』がリリースされましたね。

A:あのアルバムは、友人のマーティ・ウィルカーソンと一緒に制作した、特大サイズの本に合わせて出したものなの。私は21歳の時……ニューヨークに移ってすぐの頃に、まさにそのBlacklipsというグループを共同で創設した。そのパフォーマンスグループの包括的資料集として今回この本を制作したの。Blacklipsは、ダークで、ユーモラスで、過激な、ドラッグクイーンや、トランスやパンクスの女性たちが協力して、深夜の演目をやるという活動だった。団体には13人くらいのメンバーがいて、毎週月曜日の深夜1時に、あるナイトクラブで演劇をやって、それを3年間続けていた。ある時点で、Blacklipsの映像作品を作ろうと思って、素材を集めたり、いろいろな人からアーカイヴ素材を借りたりしていた。私はイベントの様子を毎回ビデオ撮影していたんだけど、テープの画質が悪すぎると思っていたの。でも、テープをデジタル化し、そこから静止画を抜き取って、その画像を本にまとめたら、当時の活動の様子を、そのままに伝えることができると思った。人々の感想や記憶に頼ることなく、私たちが実際にやった行為を、物理的証拠として見せられると思った。そしてできたのが、特大サイズのコーヒーテーブル・ブックで、《Anthology》という出版社から出したの。で、《Anthology》はレコード・レーベルでもあるので音楽もリリースしないかと提案してきたから、演目の前にDJしていた楽曲や、出演者の演目の抜粋などをまとめたの。多岐にわたる、2枚組のLPで、すごくパンクで、アンダーグランウンドなサウンドだから、私が世の中と共有したい今回のアルバムとは全く違うものよ。あれは、学生時代の作品のようなもの。それに私一人の作品でもない。あれは、大勢の人たちによる作品で、私は幹事のようなもので、あのグループの管理進行を行なっていたの。だからあのアルバムは、私だけのものではなくて、大勢の人たちによるスペクトル的作品なの。


──さて、今回のあなたのニュー・アルバムではプロデュースにジミー・ホガースを起用しています。最初は意外と思ったのですが、彼はエイミー・ワインハウスやダフィーなどのブルーアイド・ソウル・アーティストを多数手掛けていますし、何よりサム・クックやアレサ・フランクリンなどが好きなブラック・ミュージック・ラヴァーです。ジミーを起用した理由と、実際に彼の仕事のどういうところがあなたにとって魅力だったのかおしえてください。





A:それがさっき話した、私と一緒にブリティッシュ・ソウル・レコードを作りたいと思うプロデューサーはいないかとレコード会社に聞いてみたって話につながるの。その昔、そう、50年代〜60年代のイギリスの若者の心を黒人のミュージシャンたちが捉え、その憧れから白人が黒人のようにソウル・ミュージックを作るという流れがあった。それが、まさに今あなたが話してくれた「ブルーアイド・ソウル」よね。それは一種のレガシーになっている。50年代〜60年代に黒人の音楽がイギリスやヨーロッパに伝わった時、黒人の歌い方や表現方法はイギリス人にとっては体験したことがないものだった。それに感動したイギリス人は、彼らのスタイルを見習って、模倣しようと思った。自分たちの生活にもそれを取り入れて、似たような感情を体験したいと思ったのよ。黒人の歌い方は、イギリス人にとって、全くの新しい、感情的な経路、神経経路だった。イギリス人にとって、そしておそらくヨーロッパ人や白人の多くにとって、その経路は未開発だったのよ。世界の多くの人にとっても未開発だったかもしれない。それはとても特殊な体験から派生したものだったから。あの時代に起きた公民権運動や、ゴスペル、ジャズから、ブラック・ミュージックが生まれ、それが、世界中の人たちーヨーロッパ全域からアフリカ、そして世界各地―を虜にした。世界中の人たちがあの世代の歌手たちにメロメロだった。イギリス人は、そういう歌手たちを模倣するのに長けていたってわけね(笑)。

で、その世代のイギリス人歌手たちが、他のイギリス人歌手たちにその歌い方を教えていった。その流れで、私はボーイ・ジョージや、アリソン・モイエ、アニー・レノックスなどを聴いて歌い方を学んだの。彼らが、黒人の歌手たちを真似して歌っていることを知ったのは、ずっと後のことだった。その背景を知らなかったから。だからそのことについて誰かと話し合って、もっと知りたいと思った。そして、自分の声がどこから来ているのかを理解したいと思った。私の声に含まれる作法や行為は、私の故郷(イギリス)とはかけ離れた、遠いところから由来しているのだと。そしてその由来とは、私の経験ともかけ離れていて、アメリカの黒人にまつわる経験から来ている。それについて誰かと話し合いたかった。その話をするのは、違和感があるかもしれないけれど、それは真実でもある。だから、とにかく(ジミーと)そういうことについて話したかったの。というわけで、この話に終わりはないんだけど(笑)、それが理由の一つとしてあるわね。レーベルに「こういう、ブリティッシュ・ソウル・レコードを私と一緒に作ってくれるような人はいるかしら?」と聞いたら、ジミーを推薦してくれた。ジミーはスコットランド北部の人なんだけど、90年代には数々のバンドで活躍していて、スタジオを持っているし、ギタリストとしても素敵だと思った。彼の直感的なところがルー・リードみたいだと思った。ルーよりも優しいギターの演奏をするけれど、ジミーの直感的なところが、ルーと一緒に音楽をやっている感覚を強く彷彿とさせた。それにジミーはとても優しい人だから、私は安心して彼と作業することができた。だから彼との創作活動はとてもハッピーで喜びに満ちたものだった。それは稀なことなのよ。だって、アルバム制作って大抵の場合、すごくストレスフルなことだから。

──今作の制作時にはマーヴィン・ゲイの『What’s Going On』をずっと考えていたそうですね。あなたがこのタイミングで今改めてあの作品に向き合ったのはなぜなのでしょうか? また、マーヴィンのあの作品から改めてあなたが手にしたものはどういう思いでしたか?

A:『What’s Going On』というレコードは非常に独特で、マーヴィンは曲ごとでテーマを取り上げて、世界情勢について彼の視点から歌っている。ベトナム戦争とその復員軍人について、地球の生態系について、アフリカ系アメリカ人による奮闘について…彼はアルバムを通して、これらの課題を取り上げ、ソウル・アルバムという、感情に直に訴える媒体を通して、実際の世界で何が起こっているかを表示してくれる、ある種の青写真を作ったの。そんなことをした人はそれまでにいなかったと思う。それは初期のゴスペルの概念に近いものだったのかもしれない。人生についての深い真実や、見識、苦境について語り、ゴスペルやソウル音楽という構造を通じて、失望していたかもしれないという状況から、喜びを感じられる状況にまで昇華していく。ゴスペルやソウル音楽にはそんな機能があった。それは、非常にクリエイティブで美しい生存戦略で、アメリカ史における最も悲惨な状況から生まれた、最も美しい成果物の一つだった。この独特な過程から、美しい文化的産物がたくさん生まれた。私は何を言っているのかしら……それで、『What’s Going On』は特に、内面的な要素や、さまざまな感情を奥底に含んだ、ダイレクトなアルバムを作るための青写真だったから、私はこのレコードに呼びかけて、呼応したいと思った。このレコードが呼びかけていることに対して共感できるから。私が『What’s Going On』を初めて聴いたのは、90年代の頃で私が20代の頃だった。同じ頃にニーナ・シモンやレイ・チャールズを聴いて、その時に、音楽の新たな可能性について気づいたの。彼らは私のメンターだった。彼らの音楽を聴くことによって、繋がりや連鎖性について学ぶことができた。そして彼らの歌い方を私もまた模倣した。特にニーナ・シモンの声は何年も聴き続けていた時期があって、彼女の声には何度救われたか分からないわ。とにかく、『What’s Going On』のような、感情的・精神的な体験が根底にありつつも、政治的・社会的意識を持ったアルバムをどうやって作るのかという青写真の概念を、今回の作品に適用したいと思ったの。だからマーヴィン・ゲイのアルバム『What’s Going On』について何度も言及したのよ。

──感情的・精神的な体験が根底にありつつも、政治的・社会的意識を持ったアルバムですか……なるほど、今回のあなたの作品を聴いて、歌詞を読み感じたのは、あなたは自然破壊が進む人間社会における環境問題にも積極的に行動や作品を通じて提言してきていますが、個人的に思うのは、その場合の「環境」というのは生身の人間そのものも含まれるのではないか? ということなんです。確かに環境を破壊しているのは人間の所業ですが、本来、人間の肉体自体は自然の成分でできていて、そこには人工的な俗物も、悪行なども何も介在しないはずです。なのに、人間自体が自然と対峙した諸悪の根源であるという二項対立構造が顕在化してきていて、その短絡的な考えには疑問を感じることも年々増えています。それに対する回答がこのアルバムであるようにも思うのですが、あなたは本来人間の肉体自体は美しいものであるはずなのに、どうして悪行を働いてしまうのか? というジレンマにはどのように回答しますか?

A:(しばらく沈黙)……その質問には個人的に強い感銘を受けるわ。人間の肉体が、美しく、自然のもので、無垢なものという考えは、紛れもない事実であって、私自身もそう思っている。その一方で、私たちが長年築いてきた、破滅的な機関や社会制度もまた、現実のものとして存在している。(ダンサーの)大野一雄はある時、こう聞かれた。「自然あふれる田舎で踊ることができるのに、なぜ都会で踊るのか?」。彼は「都会だって自然だからだ」と答えた。自分は自然の中にいる、と。同じことだと。ひどく破壊された都市も同じ自然だと。彼は、「すべての物質は、神聖なるものである」ということを私に教えてくれた人だった。全てのものに生命があるという、アニミズムについての気づきを与えてくれた。すべてのものは貴重であり、内なる光や輝きを宿していると。石や無機物なものでさえも。その考え方は、私が子供の頃に教わったものとは違うものだった。私はカトリック教徒として教育を受けてきて、カトリック教徒の教えは、魂が宿るのは特定の人に限られているということだった。それ以外の人やモノには魂がなく、低級のものが具現化されたものということだった。でも、大野一雄や、その後は、さまざまな土地の原住民の人たちなどによって、自分の物事に対する見方や感じ方というものは、変えることができる、変える余地がある、ということを学ぶことができた。自分が目にするものに対する感じ方、どのように自分の目に映っているか、そういうことを変えられるということに気づいたの。

だから、「自然はすべて善で、人間はすべて悪」という考え方に対して私は……(長い熟孝)……私はもっとスペクトラルな関係性という見方をしているの。「これか、あれか」という考えではないの。そういうバイナリー(二項対立)の考え方は、非常に西洋的で、家父長制(男性支配)的な制度であり、この世界の発展においては、それなりの役割があったのだと思う。でも、年を重ねるに連れて気づいたのは、今までの自分の見方も、すべてが対立しているものとして存在するという固定観念に、コントロールされ、制限されていたということだった。物事は「白か黒」「善か悪」「光か闇」である―そういう固定観念が、私の物事に対する見方や感知の仕方をコントロールしてたということ。アルバムの最初の曲「It Must Change」の歌詞では、こんなことを歌っている。「昔から、闇と対極にあるのが光だと言われていたでしょう? でもね、それは光か闇かじゃなくて、闇の中に炎があるということなの」。それは、昼が12時間あって夜が12時間あるということとは違う。善が12時間で悪が12時間とか、そういうことじゃないの。広大な闇があって、それはすべて女性でできていて、その中に小さな小さな炎が中でたくさん燃えている。それによって光という体験が生まれる。これは(二項対立に比べて)ずっと複雑な状況なの。だから、人間が悪であるという考えについては……最近、読んだ本によると、母なる地球は、地球上の生命すべてを創り出すために、周期表にある物質のうち、5つか6つしか使わなかったそうよ。地球上にある残りの元素は、地球の奥深くに隔離させて隠したという……。生命の繁栄には役に立たないと見なしたからね。母なる地球は、酸素、水素、炭素など数少ない元素のみで生命を創り上げた。そして、ウランや、その他の恐ろしい、大惨事につながるような、不安定な元素を隠しておく、という知恵があった。今の私たちの状況は、この話に関連していて、私たちは、自身の中にある、害(=harm, 危害・悪意)をもたらす可能性のある要素を自分たちで制御する術を知らないということが問題なのだと思う。害をもたらすかもしれない要素は、誰もが持っているもので、この人は完全な無垢な人であり、あの人は完全な罪人である、ということはあり得ない。人はみな、自身の中にさまざまな可能性がスペクトル状にあるの。だから、人によっては、女性らしさや、優しさ、無垢な精神の領域に傾倒している人もいて、そういう人は、有害な要素の多くを遠ざけることができている人ということになる。また、ある人は、その人の肉体の化学的構造によって、優しさの領域からは離れていて、残忍性や合理主義といった領域に近い人だとしたら、有害な考え方に傾倒してしまう可能性が高いと言えるわ。

でも、人にはそれぞれ、あらゆる可能性を体の中に秘めているの。この質問に対する答えは私も分からないけれど、私自身はスペクトラル的なものの見方をしているということ。現時点での私は、自分自身の複雑な性質を理解した上で、自分自身も、社会の課題の一部であるということを受け入れられるようになった。たとえば、無垢な精神という領域にアクセスできるということは事実として可能なことだし、美しいことだけれど、自分で認識している無垢な精神と、自分の実際の行いには、大きなギャップがある場合もある。有害な要素や物質は、私たちの目に見えないところに隠されているから。私たちは日々、色々な製品を食べて、摂取しているけれど、その中には、暴力性という要素が実はたくさん含まれている。でもその危害は、私たちの目に見えないところで行われているから、私たちは赤ん坊や幼児が砂糖を飲み干すかのように、赤ん坊がお乳を飲んでいるかのように、何も知らないかのように振る舞うことができる。でも実際に、私たちがやっているのは、目に見えない危害を持続させているということで、この仕組みには悪意がある。だから、私が気づいたのは、自分自身の身体にレジリエンス(しなやかさ)を持って、実際に何が起こっているかを見るようにするということ。この生命(=食べ物)はどこからきたのか? なぜ私たちは地球をこのように使っているのか? なぜ私たちの日常にはプラスチックであふれかえっているのか? 私たちは、どのようにして、この制度に収まっているのか? その制度はどこからきて、いつから、この制度でやってきたのか? 人類の女性性をどのくらいの期間、否定し続けてきたのか? 感情や直感、本能というものを、どれだけの間、押し殺し、拒絶してきたのか? 合理的なものの見方と言われている、少数派で、家父長制で男性的な考え方を、いつまで活用し続けるのか?……感情や直感、本能は、今までずっと無視されてきた。その要素が入った途端、議論や統治の失格はないとされてきた。自分たちの社会やコミュニティー、また人類の未来を決める話し合いをするとき、感情的な人や、直感的な人、正しいことが本能で分かるような人たちは、その資格がないとされてきた。これらの要素は、女性的であるという典型的なパラダイムであり、人類における最大の未開拓資源でもあるの。

オーストラリアのアーティスト、リネット・ウールワースは次のように言っていた。「持続可能な世界を構築するためには、社会のあらゆる分野において女性が参加できるように、社会を徹底的に変えていくという方法しかない」。徹底的な変化。私たちの想像を絶するような変化。それは、女性が持つ能力が必要とされているから。前に進むためには母性が必要であって、父性は必要ない。どうしたらいいのかは父性ではなく、母性に教えてもらいたいということ。母性によって人類が調整されていく必要がある。集団としての人類は、母性によって、私たちの行動を管理、制御、調整してもらう必要がある。人々は、生物圏の崩壊を想像することはできても、統治制度が父性的なものから、母性的なものへと移行することは想像できない。それって、すごいことじゃない? 集団的に前進するために、私たち人類の、別の一面に力を持たせることよりも、万物の崩壊の方が容易に想像できるなんて!それが私の抱えている課題で、「私たちはどのようにしたら、前進できるための別の方法を想像できるようになるんだろう?」ということを考えている。人々の多くは、滅亡的な未来しか見えていなくて、私の知り合いの多くでも、拒絶反応を経て、「これが私たちの運命なんだ」という不条理を受け入れる姿勢になっている。「そうじゃなくて、この軌道を変えていくには、どのような制度を理想としていけばいいのか?」ということを考えている人はほとんどいない。これは今までに人類が直面したことのないほど壮絶な課題なの。それなのに、人々は、それぞれの文化内における自己保存という幻想に逃避してしまっている。でも、そんなことをしてもうまくいかない。前進するための唯一の道は、家族というサークルの概念に対する徹底的な拡張なの。それが母性という能力。母性こそが家族のサークルを創っている存在であり、母性自体がサークルでもある。女性だもの。それは愛というサークルでもある。男性にこの課題は解決できないと思う。だから質問の内容には、私も同意するわ。他の文化圏においてはどうか分からないけれど、欧米文化においては、創造力の欠如があって、女性や女性らしさの差別による、精神性(Spilitual)の欠如があるの。

──さきほども少し話してくれましたが、「It Must Change」の「変わらなければならない」というメッセージは強烈です。逆に「変わらなくてもよいもの」というのが今の世の中のどういうところに残されていると思いますか?

A:自然は変わらなくていいと思う。自然のものを遺伝子組み換えで変えるべきじゃないと思う。自然はそのままであるべきだと思う。長期的な結果や影響が分かっていないのに、自然を、早いスピードで変えていくのは、個人的に恐ろしいことだと感じるわ。自然は変わるべきではないし、あとは……(長い間考えている)……統治に参加する権限を得るために、女性は変わらなくていいと思う。つまり、女性らしさを失うべきではないと思う。フェム……つまりクイーン(=女性っぽいゲイの男性)や、自分を女性として認識している人ーたちも自分本来のあり方を変えるべきではないと思う。人類がこの先、どのようにして前進していくのかという真面目な議論をする時に、女性らしさを放棄する必要はないと思う。そういうフェムたちも、男性ビジネスマンや政治家といった攻撃的で、いわゆる合理的とされている人たちと同じくらい権限を持っていると、自分たちが感じられるべきだと思う。イギリスなど、多くの国で政治に参加している女性たちは、自身の女性らしさを放棄して、政治の制度に参加している。その制度に参加するには、ある程度の妥協が必要なのかもしれないけれど、まず最初に女性が譲ってしまうのは、自分たちが心の底で感じている感情というケースが多い。もうこれ以上、そういうことはするべきではないと思う。私たちが感じている、深い感情は放棄するべきではない。むしろ、私たちの心で、この世界を統治していくべきだと思う。私たちの頭脳ではなく。女性の方が、男性よりも、その分野ではよく分かっているの。女性は何百万年も子育てをしてきたから。子供を育てるということは、週に一回、食事を与えるということではないの。毎日、愛情を注いであげないといけないの。毎日、食べ物を与えないと死んでしまうでしょ。

でも、男性にこの能力は携わっていない。古代から、男性は知らなかったから。持続する愛情というものが分からないし、理解できない。持続する愛情が常に必要だということが理解できないの。一人の赤子を育て上げるのに20年かかるのよ。20年間守られ続けられなくちゃいけない。母親はみんな、それを分かっている。外部の世界は、全くそんな構造になっていない。ビジネス、資本主義、科学の発達、武器の発達―これらは全て、「持続的な愛情」を意図せずに開発されてきた。このような深い智慧に対する理解がない人たちによって開発されてきたの。私たちには、さっきも話したような「未開拓の資源」というものを、人類として所持しているけれど、それを最も多く保持している人たちに権限を与えることができるような、過激な革新が必要とされている。これを売り込むのは相当大変なことよ。なぜなら、女性らしい人たちは、さまざまな分野において、二等・二流の位置にいることに慣れてしまっているから。でも、私なら、人類のために正しい選択をしてくれる人たちとして、むしろ、そういう人たちを信頼するわ。母親たち。大勢の母親たち。母親たちのサークル。私たちの企業や政治を運営したり、国際同盟を結んで天然資源をどのようにして扱うべきかや、外国の相手に対してどのように対応していくべきかを決めるのは母親である人たちなのよ。男性のサークルではなく、女性のサークルに頼るべき。でも人々は、そんな考えは、常軌を逸していて、笑ってしまう考えだと思う。とんでもない考えだから、想像もつかない。自然の崩壊は想像がつくのに、女性らしさに権限を与えることは想像できない。そういうところに人類としての、創造力の欠如が見られる。だって、男の子はみんな女性の身体から生まれてくるのよ。昨日、タクシー運転手の女性と話していたんだけど、彼女は出産についてこう話していた。彼女は子供が3人いて、3人とも男の子なんだけど、その彼女がこう言っていた。「私が初めて男の子を産んだとき、とにかく信じられなかったわ。私の身体から男の子が出てくるんだもの! 私の身体はすべて女性なのに、どうして男の子がそこから出て来たんだろう? 一体何が起こったの?」って。彼女本人でさえも、自分が男の子の身体を創り上げたことが信じられなかったのよ。世界の多くでは、「創造の父」というように、男性が創り主であると教えられて、女性は、その生命が流れ出てくる扉くらいにしか考えられていないけれど、実際のところ、すべては女性の身体から生まれてくるの。男の子でも女の子でも。男の子は、女性の身体から創られているの。もし、男の子……男性がその事実を謙虚に受け入れて、人類と母性が持つ、より広大な意図に改めて同調できるのであれば、そして、母親というものは、いつだって我が子のためを思っているということを理解することができれば、男性の代わりに、女性が、人類にとって最適な選択ができる存在として信頼がおけるようになると思う。人類を守るということを常に、継続的にしてきたのは女性だから。私が夢見て、想像しているのはこういうこと。この先、どのように進んでいくのかは分からないけれどね。

<了>

 

Text By Shino Okamura

Interpretation By Emi Aoki


Anohni and the Johnsons

『My Back Was A bridge For You To Cross』

LABEL : Rough Trade / Beatink
RELEASE DATE : 2023.07.07

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Tower Records / HMV / Amazon / Apple Music

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