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デヴェンドラ・バンハート『Flying Wig』に影響を与えた
小林一茶の喪失の句と坂本龍一の不可逆性の音楽

06 October 2023 | By Koki Kato

デヴェンドラ・バンハートの最新作『Flying Wig』は陰翳の中に美しさを見るアルバムだ。「Feeling」は夜の話であり、「Fireflies」では蛍の光を目で追い、「Sight Seer」には月が現れる。このアルバムを聴くことは、暗闇に佇んで、段々と目が慣れてきて、明るさの下では見ることのできない、薄暗がりの中にある風景を見ることだ。

それは、谷崎潤一郎の著書『陰翳礼讃』(1933年)で語られるものにも近いと私は思う。明治以降の西洋近代化の末に幾つもの電灯が私たちの生活を照らす以前の、過去の日本の生活の中にあった美しさ。夜には外から月の光がうっすらと差し込み、そして屋内には僅かな光だけがある。漆器の艶や蒔絵の金で描かれた模様は、微々たる光のみが差し込む陰翳でこそ、その美しさを増していく。光をわずかばかり感じる暗がりだからこそ、浮かび上がるものがこのアルバムにはある。

『Flying Wig』は、小林一茶の句「露の世は 露の世ながら さりながら」から影響を受けている。そういったこともこれまでの日本の芸術との連なりを連想させる一旦ではある。加えて、この小林の句にあるすぐには割り切ることのできない喪失の悲しみとそれでも生きていくことを思わせる表現は、暗がりでもなく明るみでもなく、薄暗がりの状態を描いていると思え、谷崎純一郎が語る陰翳との共通した感覚をそこに見るのだ。

そして、『Flying Wig』の薄暗がりを見つめていると、そこからは様々な音の層がゆっくりと立ち上がってくる。それは、ギターかもしれないし、エフェクトの残響音かもしれない。ドラムかもしれないし、ベースかもしれない。デジタル・シンセサイザーかもしれないし、アナログ・シンセサイザーかもしれない。曲中の音と音が交わる、どの音ともすぐには判別がつかないぼんやりとした幾つかの時間は、音によって表現された陰翳のようだと感じる。

本作は、ウィルコの最新作『Cousin』も手がけたケイト・ル・ボンがプロデューサーを務めている。そのル・ボンの中にもバンハート同様、日本の芸術家への視線があったという。その共通した意識が、本作を完成させる上で必要だったということも今回のインタヴューで聞かせてくれた。そして、本作が坂本龍一に捧げるものでもあったという話も。

まずは、2022年の来日公演でデヴェンドラ・バンハート、ノア・ジョージソン、ギャン・ライリーの3人によってカヴァーされた鈴木常吉の曲のことから聞いていった。ドラマ「深夜食堂」の主題歌である鈴木の「思ひで」、この曲も消えゆくものについて歌われた曲だった。

(取材・文/加藤孔紀 通訳/竹澤彩子)

 

Interview with Devendra Banhart


──最新作の話に入る前に聞きたいことがあります。私は2022年の10月に渋谷で、あなたとノア・ジョージソンとギャン・ライリーによるライヴを観ました。そこで、あなたがギターを弾いて、ノア・ジョージソンがヴォーカルをとって鈴木常吉の「思ひで」をカヴァーしていました。なぜ、あの曲を選んだのでしょうか?

Devendra Banhart(以下、D):だって(日本語で)“きれい” な曲だから。僕達好みの “きれい” 、思わず涙してしまうような美しさ……そこにさらに美しさが付加される。涙は美しいものをさらに美しくしてくれるからね。あ、いったんここで区切ったほうがいい? それともこのまま普通に話し続けちゃっていい?

──どうぞ、続けてください。

D:オーケー。この曲をカヴァーしようっていうのはノアの案なんだ。ノアが「深夜食堂」の大ファンでね。それで日本のお客さんがハッとするような、サプライズ的な仕掛けをしたいと思った。長年それに挑戦してきたものの、どうも思うように行ってる気がしなくて。だから、これはひとえにノアの手柄だよね。僕は日本のオーディエンスに何とかインパクトを残そうと長年トライしてきたけども、どうも結果は芳しくなく、それでも今、加藤さんがあのときのカヴァーについて触れてくれたから、これは大成功だったってことだね。これに関してはひとえにノアのおかげだよ。

──「思ひで」の原曲がアイルランドの伝統曲(『Callín Deas Cruíte na mBó』)であることは知っていてカヴァーしたんでしょうか?

D:そう、それも奇妙な構造だなって思ってね。アイルランドの伝統曲を日本語にカヴァーしたものをまた自分達がカヴァーするという。ただ、自分は昔から浅川マキの曲をカヴァーしたくて、本当に世界中で自分が一番大好きなアーティストの一人で、まさに聖域みたいなものだから、おいそれとは手を出せないとしても、それでも(日本語で)“にほんご” の曲をカヴァーしたいってことは前々からずっと思ってた。だから今回、もともと西洋の曲を日本語にしたヴァージョンでそれを西洋人である自分達がカヴァーするっていう、おかしな入れ子構造になってるなってそのときも思った。けど、あの曲って自分にはすごく日本的に感じられるんだよね……いや、本当に自分でも不思議なくらい。もともと日本の曲を日本語でカヴァーしてみたいと思ってたから、ノアのおかげですごくいい形で実現することができた。ただ、そう、たしかに、もともと西洋の曲を日本語に翻訳したものを西洋人の自分達が演奏するっていう、おかしな感覚ではあったけど。

──鈴木常吉のヴァージョンって日本的だと私も思うんですよね。

D:本当に、びっくりするほど日本的だよね。それは3人とも感じてた。それと個人的に、まったく別の文化からのものを完全に自分達のものにして、オリジナルよりもはるかに良いものに仕上げてるところがすごく日本的だなって思うんだよね。

──鈴木常吉のカヴァーについて聞いたのは、日本の文化という点で最新作にも通じる部分があるように感じていたこともあるんです。本作に影響を与えたものの一つに日本の俳人、小林一茶の句「露の世は(This dewdrop world) 露の世ながら(Is a dewdrop world,) さりながら(And yet, and yet…)」がありますよね。なぜ、小林一茶の句に関心を持ったのか、その経緯と理由を教えてください。

D:えーっと今、自宅からZOOMを繋いでるんだけど、ご覧の通りの様子で。

──(大きな本棚を見て)うわあ〜。

D:このように本がズラーッと。ここにある本の、というか別室にも本棚があるんだけど、自分の家の本棚にある本の多くが仏教徒によるポエトリーだったりするんだよね。それで言うと小林一茶はその界隈で著名な詩人でね。実際、うちにあるいくつもの本の中に一茶の句が引用されている。僕自身、若い頃から彼の句に触れてきた。仏教界隈では本当によく知られた詩人なんだ。僕自身、仏教徒であると自負してるんでね。それで今回、再び彼の詩に自分が出会ったっていうのかな。自分が好きだった曲と再び出会うみたいな形で。ちょうどパンデミック期間とそれを過ぎた後とも重なる、レコーディングに入る少し前の時期なんだけど、自分の中で全てが腑に落ちたというか。目の前に虹がかかったような(ハッとするように息をして)天啓に出くわしたみたいにね。この句にある精神を次のアルバムの一曲一曲に反映させていきたいと思ったんだ。まさにこれだって。ここにあるメッセージを反映していきたいって。とはいえ、今回唐突に思いついたわけじゃなくて、ずっと前から小林一茶の作品のファンではあったんだよ。

──今作では、Leaving、Left、Ran Away、Lost、Gone Awayといった言葉が幾つかの曲で使われています。いずれも消失を想像させる言葉ですが、小林一茶の句にある喪失の表現を言葉でもって表現しようという意識もありましたか?

D:僕自身、希望の影となる部分も希望と同じぐらい重要であると考えていて……実際、希望へと向けて大きく飛び立っていくためには、一切の希望なんて見えない状態が発進点になっているような気がしている。その薄明というか、中庸のスペースが今回のアルバムにおけるコミュニケーションの基盤になっていてね。しかも、その中庸はすごく豊かな感情に溢れていて、憧れであり切望が起きる場所なんだよ。今、加藤さんがおっしゃった消失や喪失感といったもの、あるいは去りゆく感覚について、去るという経験にはセンチメントが伴うわけであり、それでも抑えきれないほどの何かを追い求める、切望する気持ちが伴うわけだよね。自分自身の人生が常にそのような状態であるような気がしてね。それが自分にとって良いことなのか悪いことなのか。というのも、憧れや希望を抱くことは自分が向上するためのきっかけになる。と同時に、憧れや希望を抱くほどに自分自身が苛まれることになる。そのせいで自分が果たして良くなってるのか悪くなってるのかが分からない。次から次へと自分の中から願望が浮かび上がってくると同時に、自分が今それを手にしていないがゆえに増々虚しさが募っていく。ただし、それを最終的にはポジティヴなものとして受け止めようとしているわけさ。僕が今ここで話しているのは、美しくも空しい空っぽの状態であってね。美しくもあり虚無でもあるという。

──喪失ということについて、続けて聞きたいことがあります。あなたは以前、『Refuge』(2021年)についてのTURNのインタヴューで「金継ぎもそうだけど、壊れるもの、古くなるものを障害と思わずに更に美しいものになるきっかけととらえる考え方が素晴らしい」と話しています。今作からは、喪失したものを再構築するようなプロセスを感じ取ったのですが、前述のあなたの日本の文化への発言と共通する意識が本作にもあったんでしょうか?

D:(日本語で)“ありがとうございます”、加藤さん。本当に示唆に富む深いコメントをしてくださって……はあー……今のコメントを聞いて、ズシ―ンと響いたというか。今回のアルバムは、坂本龍一に捧げるものでもあるんです。坂本龍一はまさにそのエントロピーというか、その不可逆性を理解した上で、そこに美しさを見い出す天才だったから。あくまでも幻影の中の美というか、立ち上がったとしても、やがて衰退していく運命にある美しさを描く天才だったので……その坂本龍一自身がすでにこの世から去ってしまったという。それをまざまざと実感させられるような想いでいっぱいで。今の加藤さんのコメントを聞いて。

──実は今回、日本に関心のあるデヴェンドラさんに坂本龍一のことを訊いてみたいと思っていたんです。

D:アハハ、僕のほうが先手を打ったわけだ(笑)。ただ、坂本龍一以外に他の日本人アーティストからの影響もあってね。それは僕だけじゃなく、今回のプロデューサーであるケイト・ル・ボンからのインプットでもあった。2人とも日本の文化や芸術にものすごく影響を受けているし、もちろん坂本龍一からの影響もあるし、吉村弘だったり、浅川マキだったり、高田みどりだったりにすごく影響を受けている。加えて、シティ・ポップからもものすごく影響を受けていてね。ただ、シティ・ポップはキラキラした理想の部分を描いてるじゃないか。今回のアルバムは、シティ・ポップの光の影に隠れたメランコリーな部分を描いているというか、ある種、シティ・ポップのダーク・サイドだよね。そこを描こうとしていたわけだよ。

──今、話にも出ましたが、ケイト・ル・ボンが今作のプロデュースを手掛けています。これまでも、例えばあなたのアルバム『Ma』(2019年)でル・ボンがバッキング・ボーカルで参加していたりと、これまでも関わりはありました。なぜ今、彼女にプロデュースをお願いしたいと思ったのか。その理由を教えてください。

D:というのも、今回のアルバムの前には先程の話にも出た、今でも20年来の付き合いになるノア・ジョージソンと一緒に作品を作り続けていたわけで、パンデミックの期間に『Refuge』っていうアンビエント作品を作ったんだけど、半分が自分の曲で半分がノアの曲でっていう構成だった。だから友人としても音楽の共同制作者としても、2人の関係がこれまでとは違う新たな局面に入ったのかなっていう実感があって、新たな共作者を求めるには今のタイミングかなって思った。そんなときに、唯一自分が一緒にやりたいと思ったのがケイトだったんだよね。

──具体的には、ケイト・ル・ボンとどんな風に作業を進めていったか教えてください。

D:カリフォルニアの郊外でレコーディングしたんだけど、すごくヒッピーっていうかナチュラルでオーガニックな環境でね。大木に囲まれていて、鳥のさえずりが聞こえてきて、そこかしこに動物がいるみたいな環境だった。しかも僕とケイトはお互いの音楽を本当に尊敬し合ってる、ものすごく相思相愛関係にあるんだよ。だから、自分にとってはまさにユートピア的環境だったというかね。ケイトが自分自身の作品に没頭しててもいいはずの時間を僕の作品のために完全に割いてくれたおかげで、自分はただ歌詞や歌に集中できる状況にあった。日々のルーティーンとしては、午前11時に集合してそこから夜中の2時まで作業するっていう、それを2か月間、休みは2日間だけっていう感じのスケジュールで。

──壮絶なスケジュールですね。

D:いやそれは、あくまでも僕とケイトの関係性だからこそできることであって、お互いを尊敬してるし一緒に作業することがたまらなく楽しかったからであってね。ただ、たしかに体力的にはしんどかったよ。いまだにその疲労感を引きずってるくらい(笑)

──次に本作で印象的なシンセサイザーについて聞かせてください。文字資料であなたは「​​​​​​エレクトリックでありながらオーガニックで温かみのある新しいサウンドを目指した」と話しています。シンセサイザーのエレクトリックな音と声を含む生楽器のオーガニックさは、異なるものです。オーガニックな音をつくる上で、エレクトリックなシンセサイザーの音にどのような工夫をしたか教えてください。私は、シンセサイザーにかかった空間系のエフェクトが、エレクトリックな音をオーガニックな印象に変えていると感じました。

D:はあー。まず最初に断っておきたいんだけど、今までさんざんプレスからインタヴューを受けてきた中でも、こういうのはちょっと初めてのことで……。

──すいません! 今の説明、分かりにくかったですよね。

D:いやいやいやいや、全然そういうことじゃなくて! 今までさんざん今回のアルバムについてインタヴューを受けてきたけど、そこを指摘してくれたのは加藤さんだけだったんで! いや、本当にこのアルバムをちゃんと深いところまで聴いてくれてるんだなって思って(笑)。いま言ってくれたことってまさに今回、僕とケイトが目指してたところだから。もう本当にそう。楽器なんてどうでもいい、ウクレレだろうがバンジョーだろうがサックスだろうが、どんな音を使うかなんてどうでもいい。絵画と同じように、最終的にどんなイメージを描き出すかってことなわけだから。この感じを伝えるには、何の音を持ってきたらいいのかっていう、あくまでもそこに重点を置いてきてたから。理想的な夢の世界の裏側にある荒涼とした影の部分についてね。壊れた夢の世界に生き続けるとはどんな感覚だろう……? と思いを巡らせていったときに、たまたまそこにシンセサイザーのあのサウンドがぴったりハマったわけさ。要するにそこが目的であって、楽器は何でもよかったんだよ。最初からシンセサイザーありきのサウンドだったわけじゃない。むしろ自分達が描き出そうとしていたイメージであり、空気感であり、ムードのほうが最優先なわけさ。要するにエモーションだよね。ただひたすらエモーションを描き出そうとしていた結果なわけだ。その僕達が伝えようとしているエモーションを表現するために、シンセサイザーが一役買ってくれている。それこそ今回大量のシンセサイザーを使ってるんだけど、どれもそのシンセサイザーにしか出せない音色を出してくれている。そう、まさに! 僕が説明する前に加藤さんに全部言われちゃったよ! しかも今回のインタヴューで、最初にそれを指摘してくれた。

──大量にシンセサイザーを使ったと。どんなシンセサイザーを使用したんでしょうか?

D:あー、それに関してはね、企業秘密だよ(笑)。

──ですか(笑)。

D:そう(笑)。でもまあ、ヴィンテージのシンセサイザーが絡んでることは明らかなわけでDX7(YAMAHA)やJUNO(Roland)などのポリフォニック・シンセだね。ただ、機材そのものというよりも、その機材にそもそも組み込まれてるチップやコード自体が前時代のもので、すごく温くてノスタルジックに心地よく感じられるんだ。それをどうプログラミングしてチューニングしていくかなんだよね。つまり、それを操作してる側の意図がものすごく反映されるし、だからこそ唯一無二にしてユニークなわけさ。だからもう、時間をかけて何時間もオーガニックに感じられるサウンドを探し当てる作業をしていくわけだ。それこそ今回のセッションの半分はその作業に費やしたような感じだよ。

──秘密を少し教えて頂いて、ありがとうございます(笑)。

D:まあ、今の言い方は冗談だけど(笑)。古いとはいえ、まだまだ捨てたもんじゃないってことだよ。

──他の側面についても聞かせてください。本作の「Fireflies」や「Twin」のアウトロのジャムが印象的でした。今作の制作中、グレイトフル・デッドを聴いていたということですが、楽器でのジャムという点で彼らを参照したのでしょうか? もしそうであれば具体的にグレイトフル・デッドのどの作品の、どんなところに注目していましたか?

D:またしてもだ。他の誰も気づかなかったことに加藤さんが気づいてくれた。

──ありがとうございます。

D:いや、こちらこそ(日本語で)“ありがとうございます” で。ノンストップでグレイトフル・デッドのアルバムを聴いてたんだけど、自分にはグレイトフル・デッドみたいなアルバムを作ることは不可能だってことに薄々気づいてた。それでもグレイトフル・デッドをずっと聴いていて、あのヴァイブレーションの中に身を浸してたわけだよね。そこでまたケイトの存在感が素晴らしく活きてくるわけだよ。グレイトフル・デッドみたいな作品を作りたいという僕の熱を音に還元する上で、しかもすごく独自の形で、それこそパッと聴いたときにはグレイトフル・デッドから影響を受けてるって分からないくらいに。それで、楽器によるインストゥルメンタル的なアプローチから、グレイトフル・デッド的なグルーヴに入り込んでいくってことから始めたんだ。しかもケイトってそもそも優秀なプロデューサーであり、僕が全幅の信頼を置いている人なわけだからね。だから今回、僕はただひたすらに歌詞に集中することができた。僕の理想としては言葉数が少ないほどいい、と。それでこれまでのどの作品でもそうだけど、できるだけ言葉数を減らす作業をしてきたんだよね。それこそ一文をたった一単語に集約させるために丸一日かけることも厭わないくらい。だから、言葉を紡いでるというよりも、そのエッセンスを抽出しながらそれでもちゃんと伝わるような形で歌詞にしているようなものだよね。そのミニマルさを求める一方で、グレイトフル・デッド的な過剰さを求める僕の強い願望があり、そこにケイトの解釈が入ることで、それをまさしくグルーヴやインタルードといった部分に反映させてるんだよ。それもすごくさりげない形でね。それこそ加藤さん以外、今まで誰からも指摘されてこなかったくらいのさりげなさでね。

──なるほど。今、歌詞をミニマルにしていったという話がありましたけど、例えば本作ではRunningという言葉が反復される曲「Nun」があって、それを聴いていると、走っているときのいろんな風景が思い浮かぶような感覚になったんですよね。

D:あの曲のエピソードはちょっと不思議でね。たしかに曲中では “Runnning” って言葉を始終メタファーとして使ってるんだけど、そのままの意味でもあって。というのも僕自身もパンデミックをきっかけに走るようになった。外出できるようになってどこに行くのでもなく、ただひたすら家の近所を走っていたい気分で、それこそあの曲の歌詞の中にあるように “走って、走って、走って、走り続けて” 、今でも毎日その習慣が続いてる。完全にランナーになっちゃったわけさ。バンドでドラムを叩いてくれてるグレッグもランナーになっちゃって、今ではマラソン大会にまで出場するハマりぶり。曲作りって本当に面白いものだなあって思うんだけど、自分はメタファーやシンボルとして使ってたはずの言葉が、いつのまにか写真のように自分の人生をそのまま映し出しているみたいな構造になってたりしてる。だからメタファーであると同時に文字通りの意味にもなってるんだ。

──興味深い話です。シンボルという言葉が出たので聞きたいのですが、アルバムを象徴するタイトルには『Flying Wig』を、アートワークにはドレスを着たあなたが写っています。これらからは、性別にとらわれないあなたの姿勢を感じました。このタイトルと、ドレスを着ることを選んだ理由について聞かせてください。

D:いや、ジェンダーレスというよりもどちらかと言うと調和かな。男性性と女性性の融合というか。それこそ男女関係なく誰でも男性性と女性性の両方を持ち合わせているわけで、女性にも男性的な部分があるし、男性にも女性的な部分がある。それが一般的な社会では抑圧されている状態にあるわけだよね。自分の中にある男性性と女性性の両方を受け入れてリンクしていくという作業を個人個人で担っていくしかない。だからジェンダーレスというよりもハーモニーだよね。男性性と女性性を自分の中でどうやって上手く融合させていくのかという。それをデザインを通じて一番よく表現していたのが、イッセイ・ミヤケだと思うんだ。彼がデザインした服をジェンダーレスと形容することもできるけど、もっと言うならユニセックスだよね。男女どちらでも楽しむことができる。しかも未来的で、SF的でね。未来人にとってのユニフォームを作るならああいうデザインが理想的だなって僕なんかは思っちゃうわけさ。そしたらケイトから、あのイッセイ・ミヤケのドレスを贈られてね。歌入れのときにずっと着てたんだ。歌う前には必ずあのドレスに着替えてね。そうすることで美しさとパワーと自信が宿ったような気持ちがしたんだ。歌ってるときにはそういう自分でありたいじゃないか。そういうこともあるし、イッセイ・ミヤケのドレスの持つそもそもの優美でありエレガンス、イッセイ・ミヤケのドレスそのものからもすごくインスピレーションを受けていてね。それが今回のアルバムの雰囲気にも出てるよね。

──少し話が冒頭のことに戻るんですが、最後に聞かせてください。日本の芸術家である小林一茶とあなたは、国も言語も生きる時代も異なります。その中で、あなたと小林の表現の重なる部分と、異なる部分について感じたことがあれば教えてください。

D:僕達に重なる部分があるかどうかはわからないけど……。ただ、小林一茶の句のどの部分が自分に特別響くのかっていうのはすごく自覚していて、小林一茶の何に自分はそこまで感銘を受けているのか。それを自分と重なる部分なんていうのはすごくおこがましいというか、ひたすら畏敬の念だよね。ただもう跪いて平伏すしかない感じ。失うということをとことん経験してきた人で……子を失くし、妻を失くし、たくさんのものを失い続けてきた人なわけだよね。それでも空にかかる虹を見る。そこに美しさを見い出すことができる。そして人々の中の美しさにも気づくことができる。本当にね、失うということを通じてより豊かな心や思いやりというものを持っていった人なんだと思う。深い深い悲しみを美しい祈りであり、感謝に変換する力というか。自分にはその能力はないけど、ただそれがいかに凄まじいものなのかということは真摯に実感してる。

──はぁー、なるほど……深いです。

D:あとね、小林一茶は日本人だからね。それだけでもう十分信用に値する(笑)。

──今日は、ありがとうございました。

D:こちらこそ、(日本語で)“ありがとうございます” 、“すいません” 。日本語を僕が話せないもので。チャオ!(日本語で)“おはよう” 。

<了>

Text By Koki Kato

Interpretation By Ayako Takezawa


Devendra Banhart

『Flying Wig』

LABEL : Mexican Summer / Big Nothing
RELEASE DATE : 2023.9.22

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Tower Records / HMV / Amazon / Apple Music


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