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この春公開された、ドラムという楽器に特化したドキュメンタリー『COUNT ME IN 魂のリズム』。一般的にバンドの屋台骨とか縁の下の力持ちなどと例えられることも多いドラムだが、実際にはとてもクラフツマンシップの求められるパートであることが、多くのドラマーが登場するこの映画から伝わってくる。コメントや演奏シーンで出演するのは、ロジャー・テイラー、スチュワート・コープランド、ジム・ケルトナー、イアン・ペイス、スティーヴン・パーキンス、ニック・メイソン、チャド・スミス、ニック“トッパー”ヒードン、サマンサ・マロニー、テイラー・ホーキンス、シンディ・ブラックマンら。初めてドラムに触れたきっかけ、影響を受けた先輩ドラマーなどを語る表情はみなとても楽しげで、何よりこの楽器が好きという無邪気な横顔を見せるのも印象に残る。劇中、ジョー・ストラマーが「トッパーがいなかったら鳴かず飛ばずだった」とザ・クラッシュについて述懐するシーンにはジンとくる人も多いだろう。

そこで、今回改めてドラマーという存在に着目。レギュラー筆者の方々とTURN編集スタッフがそれぞれお気に入りのドラマーを一人挙げ、その魅力を綴ってもらった。映画には登場しないドラマーばかりだが、この機会にぜひそれぞれのプレイに注目してみてほしいと思う。(編集部)



映画『COUNT ME IN 魂のリズム』より © 2020 Split Prism Media Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.



Bill Berry(R.E.M.)

USオルタナティヴ/インディというジャンルの垣根を越えて伝説的なバンドR.E.M.。ドラマーのビル・ベリーは、セサミ・ストリートのマペットみたいな愛嬌あるルックスと楽曲に寄り添う無駄のないプレイで精神的支柱だったと言えるだろう。過酷な世界ツアー中に倒れ、1997年にバンドからの離脱を表明するときの「自分が辞めることでバンドが解散するなら、辞めない」という名言が忘れられない。「4本の足が3本になっても犬は犬、どうやって走ればいいか考えるだけさ」と返したマイケル・スタイプも流石だ。ビルは作編曲に関しても大きな貢献をした。アコースティック期にはベースやピアノを弾いたことからも彼の音楽的素養がわかる。「Orange Crush」のスネアのフィルインも強烈だが、彼がメインで作曲した「Perfect Circle」の儚い美しさにこそその個性が現れている。解散後もメンバー同士の交流が続いていて嬉しい。いつの日かまた、という想いは消えない。(山田稔明/GOMES THE HITMAN)


Brian Blade

好きなドラマーは星の数ほどいる。好きなレコードで叩いているドラマはーはたいてい好きだ。自分では到底叩けないから。

でも、ブライアン・ブレイドのドラムは叩いているという感じがしない。彼のビートと言っても、上手く思い浮かばない。彼のドラムは叩くというより奏でる楽器のように聴こえる。一小節二小節だけ取り出すことのできない、長い時間軸の中での表現、川の流れのような演奏がブライドの持ち味だ。その背景にあるのは、生まれ育ったルイジアナの教会での経験やバイユー地帯の風土だと思われる。

2022年にブレイドは新しいグループでアルバムを発表した。フェロウシップに代わる新しいグループ名はライフサイクルズ。これも長い時間軸の中で音楽に取り組んできたブレイドらしいネーミングだ。ライフサイクルの最初のアルバムはブレイドが大きな影響を受けたヴィブラフォン奏者のボビー・ハッチャーソンのトリビュート・アルバム。年間ベストテンの一枚に僕は選んだ。(高橋健太郎)


Darren King(Mutemath)

ニューオリンズ発のバンド、ミュートマスでの活動で知られるダレン・キング。パフォーマンス時に、丸まった頭にモニターヘッドホンをビニールテープで巻きつけるのが彼のトレードマークで、それほど激しいドラミングに定評がある。だが、私にとっての彼は世界一カッコいい音作りをするドラマーだ。その魅力が開花したのは、ミュートマスの3作目『Odd Soul』。タムをボンゴに置き換え、最初期のストーナー・ロックのような、重くソリッドで枯れた独自のドラムサウンドにシフトし、今日までのシグネチャーとなっている。そんな彼の真骨頂を聴けるのは、ミュートマスではなくトラヴィス・スコットとカニエ・ウェストによる「Piss On Your Grave」。キングのヘヴィなフィルから展開するサイケデリックなイントロから、インダストリアルなトラップビートにスイッチし、キングのブレイクスが要所で挿し込まれるのだが、これが奇跡のマリアージュを果たしている。直近では、クリスティン・アンド・ザ・クイーンズの「Track 10」で、10分間に亘る彼のスーパープレイを聴けるので、こちらも是非。(hiwatt)


David Garibardi(Tower Of Power)

跳ねるようなファンクのグルーヴではない。しかし、デヴィッド・ガリバルディの派手さこそないものの、細かく正確に淡々と刻むタイトなビートこそがタワー・オブ・パワーというバンドの他のファンク・バンドにはない、かけがえのない個性だと言えるだろう。そして、そんなガリバルディのドラム・プレイは、同じく正確無比にグルーヴを紡ぎ出すベーシスト、ロッコことフランシス・プレスティアとのコンビでこそ光り輝く。このコンビで1曲挙げるとするならば、リズムは16分を保ちながらもフレーズが細かく変化していくベースと、正確無比にリズムを刻むドラムのコンビネーションが魅力のバンドの代表曲「What Is Hip?」ということになるだろうか。

余談ですが、ザ・タイム「777-931」のドラムパターンにまつわる話は、プリンスやザ・タイムのメンバーもまたガリバルディの多大な影響下にいるアーティストである、その一端が垣間見えるような、(後のガリバルディ本人の談というかオチも含めて)面白いエピソードだと思うので興味がある人はそちらも是非。(tt)


Don Heffington

友人の父君がオルタナ・カントリーに非常に詳しく、その方きっかけで知ったのがドン・ヘフィントン。ローン・ジャスティスのメンバーであり、ボブ・ディラン「エンパイア・バーレスク」、ジャクソン・ブラウン「スタンディング・イン・ザ・ブリーチ」への参加でも知られるが、自分にとってはむしろ1990年代オルタナ・カントリーを支えたセッション・ドラマーという印象。ジェイホークス「トゥモロー・ザ・グリーン・グラス」やニール・カサールのデビュー盤などで聴かせる程よいガレージ感と歌心あるプレイが、新時代のカントリー・ロックにガッチリとハマった。2021年にヘフィントンが亡くなった際に、ローン・ジャスティスのベーシストだったマーヴィン・エツィオーニがヘフィントンに贈った言葉がすべてを物語っている。「一緒に演奏した瞬間、キックドラムは巨大な心臓に変わり、スネアは堅実なバックビートを刻み、ハイハットは魂のあるメトロノームになる。彼はベイカーズフィールドのサウンドとヴェルヴェット・アンダーグラウンドの両方を理解し、その両方を本格的に演奏することができたんだ」。(谷口雄)


Earl Young

学生時代、『ディスク・コレクションーーグルーヴィ・ソウル』と『SOUL definitive 1956-2016』を道標に、モータウン、フィリー、シカゴを中心に70年代ソウルのレコードとCDを中古盤で買い集め始めました。その中、印象的なアートワークに心惹かれ、LPを購入して聴いたフィリー・ソウルの時代を代表する一曲、MFSB「T.S.O.P. (The Sound of Philadelphia)」はいまでも折に応じて振り返る一曲です。高らかに鳴るホーン、流麗に広がるストリングスとともに、軽やかに、快活に踊り、時に哀愁を伴い響くアール・ヤングのドラムスに心奪われました。彼のフィリー・ソウル、ディスコ・ミュージックにおけるドラマーとしての貢献はあえて語る必要もないですが、彼のような感情の揺れ動きを表現するプレイが、私のドラムスの好みに対する価値基準となっています。(尾野泰幸)


Gaylord Birch

ゲイロード・バーチは、1946年生まれ、サンフランシスコ出身のドラマーで、ベイエリア・ファンクを代表するバンド、コールド・ブラッドの初期作品やグラハム・セントラル・ステーション、サンタナ、ブルーサム時代のポインター・シスターズのレコーディングやライブに参加している。


お煎餅のようにパリっとした食感のトーンと竹を割ったようなグルーヴがバーチの持ち味だといえる。代表例として挙げたいのは、ポインター・シスターズの「Yes We Can Can」だ。アラン・トゥーサンがリー・ドーシーに提供した「Yes We Can」をカバーしたもので、「Can」が一つの付け足されているのは、初期ポインター・シスターズのテーマであるノスタルジアに則り、「フレンチ・カンカン」に引っ掛けているからだ。

バッキングの顔はほぼドラムだといっても過言ではない。この曲は『Ultimate Breaks & Beats』にも収録されているクラシックだ。代表的なサンプル使用例はデ・ラ・ソウル「BREAKADAWN」だろう。

ゴツゴツした岩が坂道をゴロゴロと転げ落ちるようなビートは私たちの下半身を刺激する。バーチのドラムは重くて俊敏だ。ハットとスネアで煽り、キックで焦らす。これがバーチのプレイである。パーラメントでドラムを叩いていたジェローム・ブレイリーにも似た感触を覚える。
(鳥居真道)


Glenn Kotche(Wilco)

ウィルコの公演の前週、一足先に来日していたグレン・コッチェ。ダンスカンパニー《Ate9》の公演で彼が音楽・生演奏を手掛ける作品『calling glenn』の上演を、筆者も観ることができた。生ドラムのセットに加えパッドやその他種々の打楽器、ヴィブラフォンを細かく使い分けながらコッチェ自身がビート・メロディ・効果音の全てをその場で組み立てていく即興的な側面も多い内容で、足で床を擦る音や呼吸の音など、日ごとに微妙に異なる生身のダンサーから発せられる音に機敏に呼応する直感力、一方で場面によってはアトモスフェリックに空気そのものにも繊細に擬態する、そのスリルとダイナミズムに見入ってしまった。ジム・オルークはじめシカゴ音響派との交わりも濃かったウィルコのドラマーだからこその強みだろうと感じたが、同じことを翌週のバンドのライヴでも実感。筆者の中では野生的な乱打の印象も強かった彼だが、歌とメロディに寄り添いニュアンスを調整する細やかさに、今回は特に目を見張った。知的でしなやかな獣、のようなドラマーだ。(井草七海)


Jaki Liebezeit(CAN)

クラウトロックを代表するバンド、カンのドラマーだったヤキ・リーベツァイト。メトロノームのように正確にビートを刻む男とも言われているが、トマス・ディンガー(ノイ!)のような荒々しい反復ビートではなく、どこか醒めたような鋭利さがあり、1曲のなかでフレキシブルにドラムのパターンを変えるテクニックも持ち合わせている。そのドラミングから生み出される不思議な浮遊感は唯一無二。ロックともR&Bとも違う不思議なグルーヴには、カンに参加する以前にジャズ・バンドで叩いていたことも関係しているに違いない。ブライアン・イーノ、Phew、デペッシュ・モードなど、ヤキは様々なアーティストの作品で演奏したが、ホルガー・シューカイ、ジャー・ウォブルとのコラボレート曲「How Much Are They?」の気持ち良さといったら。セックス・ピストルズ解散後、ジョン・ライドンはヤキと一緒にバンドを組みたがったそうだが、ヤキがドラムを叩くP.I.L『Metal Box』(1979年)を聴いてみたい。(村尾泰郎)


Kevin Parker(Tame Impala)

サッカー中継を見ているとザ・ホワイト・ストライプス「Seven Nation Army」がスタジアムで流されたり、大合唱で歌われているシーンをよく目撃する。ベース・ミュージック全盛時代のいまでも、この曲が受け入れられているのは、削ぎ落された編成による剥き出しのビートではないだろうか。

ロック不遇の時代の雄として取り上げられることも多いKevin Parkerのソロ・プロジェクトであるテーム・インパラも、私はこの流れにあると考えている。「Mind Mischief」で顕著なようにハイハットやキック・ペダルなどもクリアに聴こえるようにミックスされており、ドラムの音が主役だと言わんばかりだ。そして、自ら公言しているように、抑揚のあるダイナミックなドラムの音はジョン・ボーナムの影響が感じられ、それは、上述のメグ・ホワイトとも共通していると思う。このバンドの魅力はこうしたドラムを前面に押し出すことへの徹底したこだわりなのではないだろうか。(杉山慧)


高橋久美子(チャットモンチー)

学生の頃、チャットモンチーを聴くのはその歌詞に勇気づけられたいときだったと思う。背筋をすっと伸ばして、ちゃんと歩かなきゃと思うようなとき。改めて聴くと、そう歩けるようにしてくれたのはドラムだったと気づいた。正確でスネアとタムが目立つ演奏は、マーチングみたいに実直で清々しくて、背中を両手で押して足をずんずん前に進める。「東京ハチミツオーケストラ」ではちょっとの不安と期待で満ち満ちている身体をふらつかないように、「片道切符」では後ろを振り向かないように一歩一歩足を前に出させる。「ハナノユメ」では手足いっぱいに力を溜め込むみたいだ。「サラバ青春」もドラムはどこか爽やかで、きっといいことがある将来に向かう風のよう。「シャングリラ」のフロアタムは親しく優しく背中を叩く。実際、歩くことや走ることは歌詞によく出てくる。彼女のドラムは、その言葉を躍動させ、今日を自分の足でしっかり歩くためのひとりの行進曲にする。(佐藤遥)


Levon Helm(The Band)

人生で初めて“この人のビートは本当にスペシャル!”と思ったのがレヴォンのドラムでした。そして今でも好きなドラマーです。彼のビートはハイハットを叩く右手のスティックが宙に浮いてる間の特別な遠心力を感じます。これはトニー・アレンやジェイ・ベルローズといった私のフェイヴァリット・ドラマーみんなに言えることではあるのですが、こればかりは言語や数値では本当に説明のつかないあの感じとしか言いようがありません。そういえば何年か前に友人の増村和彦とこのレコードを聴いていて“何十年も何度も聴いてきたはずなのに「In a Station」にスネアが入ってないのに最近気がついた!”という話をしていたのを思い出しました。歌うドラマーらしい型にハマらないけど心地よい鼓動を打つ彼のビートはやっぱりスペシャル!(岡田拓郎)


Madden Klass

《Coachella》をはじめ2023年夏のツアーからBoygeniusのライブに参加し一躍脚光を浴びたが、なんといっても「Saturday Night Live」における、パワーポップ寄り「Satanist」をファンキーにアップデートさせたドラミングの存在感は圧倒的だった。Space Junk is Foreverなるプログレッシブなバンドを率いるほか、マット・マルチーズ、マイク・ドーティ率いるGhost of Vroomなど数々のアクトをサポート。ザック・ファーロ(Paramore)、ジョン・ステニアー(Battles)、スチュワート・コープランド(The Police)、ペリン・モス(Hiatus Kaiyote)、マルコ・ミンネマン、アッシュ・ソーンといった異才をフェイバリットに挙げ、ディラ・ビーツを愛するだけあり、グルーヴとテクスチャーの懐が実に深い。いま最もリーダー作が待ち望まれるドラマーだ。(駒井憲嗣)


Martin Horntveth(Jaga Jazzist)

ノルウェーのエクスペリメンタル・ジャズ・バンドであるジャガ・ジャジストは、ポスト・ロックとIDMの実験が拡張する時代に注目を集めた存在であり、ドラマーのマーティン・ホーントヴェットはバンドでダイナミックな演奏を担う一方でソロではエレクトロニカ作品を発表している。コズミックな感覚をもたらす壮大なポスト・ロックから細やかな電子音楽までを行き来するジャガ・ジャジストのアンサンブルの懐の広さの一端を担っているのは、間違いなくこのホーントヴェット兄(弟のラースもバンドの主要メンバー)の感性でもあるだろう。ジャズ・ドラマーとしての柔軟さや流麗さと、エレクトロニカ・アーティストとしての繊細さを併せ持ったうえで、ときに豪快なドラミングを聴かせてくれる彼の神髄を味わうのなら、やはりライヴ・アルバムの『Live with Britten Sinfonia』(2012)や『The Tower』(2021)を推薦したい。(木津毅)


Maureen Tucker(The Velvet Underground)

なにしろ「モー“レジェンド”タッカー」なのだ。90年代、ルー・リードがアルバム『New York』のリリースに合わせて来日した際、バックのドラマーを紹介する際にルーがそう敬意を込めて名前を呼んだことは、それこそ伝説となっているが、ともあれ彼女は今こそもっと高く評価されてもいいドラマーだ。ハイハットをほとんど使用しない、スネアよりタムタムを強調する、しかも立って演奏する……ボ・ディドリーのビートに夢中になり、ナイジェリアのババトゥンデ・オラントゥジの影響を受けたというモーリンのドラミングは確かに超絶独創的だが、ルーが当時求めていたファンクやR&Bの新解釈にはふさわしいものだった。こんなに淡々としたトライバルなビート・ドラマー、どこを探してもいない。以下の動画は再結成時のものだが、0分27秒付近で間近での演奏を観ることができる。簡単に真似できるようで絶対にできない、それがレジェンドたるゆえんだ。(岡村詩野)


Milton Banana

特定のジャンルの方向性を決定づけたエポックなドラマーとして、ミルトン・バナナはいささか過小評価ではないだろうか。自身のリーダーバンドもさることながら、ジョアン・ジルベルト『Chega de Saudade』(1959年)や『Getz/Gilberto』(1964年)、さらには全米に旋風を巻き起こすきっかけとなった1962年の《カーネギー・ホール》でのオムニバス公演など、ボサノヴァが世界中に広まった黎明期において、彼は非常に重要な役割を果たしている。声とギターを基調とした音楽でありながら、その抑制的なリムショットとハイハット捌きは、ボサノヴァというジャンルが帯びている洗練されたイメージを形作った重要なファクターに他ならない。J・ディラが用いた「Cidade Vazia」など、サンプリングのネタとしても一級品だ。(風間一慶)


Morgan Simpson(black midi)

10代の頃に夢中になったキース・ムーンもジョン・ボーナムも当然好き。高橋幸宏のビートの魅力がいまいちわからなかった私を目覚めさせたのは、YMOの『パブリック・プレッシャー』だった。ザ・ルーツの『Do You Want More?!!!??!』を初めて聴いた時は、このクエストラヴって人、すごい!とシンプルにびっくりした。リアルタイムで驚いたのは、光永渉の藤井洋平バンドでの演奏。ドラマーが主役、と言える状況は最近確実にあって、マカヤ・マクレイヴンから石若駿まで、ジャズ(に近接した領域)ではすごいドラマーを挙げだしたらきりがない。YouTube全盛期だから、ドラマーの演奏動画を見るだけでも楽しい。そんななかいま選ぶなら誰かと考えた時、真っ先に思い浮かんだのがブラック・ミディのモーガン・シンプソンだった。彼は、子どもの頃から教会で演奏していて、アメリカで活躍する教会出身者たちにも近い。彼のすごいドラムを聴けるのが、ロレイン・ジェイムズの「I DM U」。ドラム・マシーンが誕生して以降、新しいドラミングは肉体が叩きだすビートとプログラムされたそれとの相互作用で生みだされていく運命にある。「人力ドラムンベース」みたいな形容は昔からよく見かけるけれど、モーガンのプレイはその最もフレッシュなかたちだと思う。(天野龍太郎)


Questlove(The Roots)

クエストラヴの計算高く軽やかなドラムパフォーマンスは非常に魅力的だ。もちろん、ディアンジェロ「Chicken Grease」のドラムを覚えている人も多いように思えるし、ザ・ルーツのファーストに収録されている「Good Music」の酩酊、あるいは5枚目に収録されているコーディ・チェスナットが参加した「The Seed (2.0)」の激しさを聞いてみても、慎重かつ的確、そして自由にグルーヴを生み出す様に、浸ることができるだろう。そう、ジャズやファンクへの、まさにロウ(raw)な接続が、知的好奇心と音楽的な快楽をもたらしてくれるザ・ルーツの音楽は、自分にとって足の先まで“浸れる”音楽なのである。だから、そういう人間にとって、クエストラヴのドラムは、当然のように、最高に正しく、批評的で、そして快楽的なのである。そんな、ザ・ルーツのライブを2022年に初めて体感することができた。終わりに目にした、彼がドラムスティックを観客の少年に手渡す姿をはっきり覚えている。どれだけありきたりに羨んでしまったことだろう。もしあの歳であの場にいられたら。あの知恵とグルーヴの詰まったスティックを手にしたのが自分だったなら! (市川タツキ)


Ringo Starr(The Beatles)

リンゴ・スターは、ロック・ドラム演奏のスタンダードを作り上げた人物であると同時に、ポップ・ミュージック史上もっとも個性的なドラミングを聴かせる、実に不思議な人だ。本来左利きにもかかからず右利き用セットを叩く彼の8ビートは、その特徴的的な腕の運び(窓を掃除するみたいなあのハットの叩き方!)ゆえか、ジャストの周囲を回遊するような雄大かつ個性的なグルーヴを生み出す。ビートルズ初期から後期にかけえてのスタイルの変遷も興味深い。どんどん削ぎ落とされていく彼のドラムは、その分だけ、打音と豊かな空白のコントロールによって、アンサンブルをずっしり底支えしていく。極限型というべきが、ジョン・レノンの『ジョンの魂』(1970年)と、同作と並行してセッション録音されたオノ・ヨーコ『ヨーコの心』(同年)だ。ミニマルだがボルテージの高い演奏で、ただごとでないムードを醸し出している。どこかポストパンク的ですらある。(柴崎祐二)


Rory O’Connor (Tycho、Nitemoves)

Tychoの音楽をはじめて聴いたとき、ドラム・サウンドはどんな打ち込みを取り入れてるんだろうと思った。そのくらい俊敏でダイナミクスに富んでいたからだ。コム・トゥルーズや自身のソロ・プロジェクトNitemovesでの活動、そしてTychoに『Dive』(2011年)から加入したローリー・オーコナー。そわそわと落ち着きのなかった彼は学生の頃、バンドのプログラムに参加を促された。そこから自然と音楽を身につけていったというエピソードも私には魅力的だった。彼のドラム・サウンドは粘着性のあるタメやレイドバックが効いていて「Montana」、「Spectre」といった電子楽器を用いたインストゥルメンタルに、情緒的な暖かさを吹きこんでいる。あと音楽性は違うけれど、もう一人の好きなドラマーであるザック・ヒルのプログレッシヴなドラミングと近いものを感じるのは、こうしたタイミングの調整によるリズムの張りや重みなのかと思ったりもする。(吉澤奈々)


Stella Mozgawa(Warpaint)

好きなドラマーと聞かれて真っ先に思い浮かんだのがウォーペイントのステラ・モズガワだ。近年はプロデューサーとしても評価が高く、コートニー・バーネット、キム・ゴードン、ケイト・ル・ボン、カート・ヴァイルらとの共同制作や、インプロ・テクノ・デュオBeliefとしての活動など、各所から引っ張りだこの音楽家である。その魅力は、ダンス・ミュージック由来のストイックな反復性と、ジョン・ボーナムにも影響を受けているという野生味が絶妙なバランスで同居したドラミング。決して派手なプレイヤーではないのだが、自身でプログラムしたビートを織り交ぜて的確にリズムを刻みながら、バンドのベーシスト、ジェニー・リーと共にウォーペイントの音楽に催眠的なグルーヴを作り出す。2022年のスタジオライブで披露した「Bees」では、ミニマルでありながら流れるように様々なパターンを繰り出す表現力豊かなプレイが見られる。独特の湿度を持った音色と、タメ気味のタイム感が気持ちいい!(前田理子)


Stephen Morris(Joy Division、New Order、The Other Two)

ニュー・オーダーの伝説的な映像に、1984年《BBC Radio 1》での「Blue Monday」というのがあって、悪夢のような終始グダグダの演奏からは一切目が離せない。しかしそこではスティーヴン・モリスはドラムではなくキーボードを演奏し、電子パーカッションはピーター・フックが担当している……。ということで、ここでは同セッションでの「Age of Concent」の映像をあげました。バーナード・サムナーのヘロヘロな演奏もまとめてしまう人力ドラム・マシンとしてのモリスの実力が発揮されており、このバンドにおける縁の下の力持ちであることがよくわかる。翌年の『Low-Life』でアートワークを飾っているのも納得だね! 彼のドラミングには常に16分のニュアンスがあって、特にジョルジオ・モロダーから大きく影響を受けていた初期のニュー・オーダーには、彼が不可欠だったのだなあと思う。(髙橋翔哉)


勝浦隆嗣(OGRE YOU ASSHOLE)

OGRE YOU ASSHOLEで近年積極的に導入されているアナログライクなシンセやリズムマシンがもたらす(奇妙な)非人間感と、ライブで特に顕著に現れるバンドの肉体性、そんな非有機/有機的な質感の行き来を探求する彼らの眼差しと勝浦隆嗣のドラムは見事に符合し、体現していると言っていいかもしれない。カンやクラフトワークなどが影響元として度々挙げられる通り、執拗な反復によるミニマルで没我的なプレイは「迫力があるのに無表情」といった印象を抱かせ、一方、ライブでは20分越えも珍しくない「ロープ」や「朝」など、ダイナミクスの大きな変化を伴う曲ではそのピークにあわせてに豪快に叩き、熱狂が立ち現れる。個人的にはテンポのコントロールにやや狂気的なまでのこだわりを感じるのだが、「素敵な予感」でのBPMの絶妙な落ち具合には毎回顎にアッパーを食らったような眩暈を覚える。素晴らしいドラマーはたくさんいる中、どこか「異様」さもたずさえた稀有なプレイヤーだと思う。(寺尾錬)


青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)

洒落たスーツに身を包み、ロックステディ、2トーン、ブギ、R&Bと縦横無尽に駆け巡る東京スカパラダイスオーケストラのサウンドをクールに支えていた姿を思い出す度に、不世出のドラマー・高橋幸宏の系譜を継ぐ筆頭は青木達之だったのでは、という思いが頭から離れない。実際二人はバラエティ番組で一緒にコントをしたり、青木が急逝した際には高橋がスカパラのライブに出演する関係でもあった。そんな青木のドラムを最も堪能できる作品は小沢健二のファーストアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』だろう。中西康晴、井上富雄という手練のミュージシャンによるうねるような演奏をステディなビートで引き立てつつ、まだ青く不器用な小沢のボーカルをさりげなく支えるフレージング。リリース当時中学生だった私は、ハイハットのわずかな開閉にも思いを込めるようなプレイに、ドラムが聴き手の肉体だけではなく感情にも作用する楽器であることを知った。(ドリーミー刑事)


久下惠生

久下惠生の自由奔放でジャンルに縛られないドラミング、またその音色が僕は好きだ。リズムと音色は常に絶妙な間合いと共にある。久下惠生という偉大なドラマーが携わった楽曲やライヴ録音を聴き、多岐にわたる活動を振り返ることは、1970年代後半以降の、この国の豊饒なオルタナティヴ・ミュージックの歴史の一端に触れる歓びを味わう貴重な経験でもある。1958年に大阪・南河内に生まれ、地元のだんじり祭りの影響でドラムをはじめたという彼の古くからのファンは真っ先にPUNGO、コンポステラやストラーダの作品を推薦するかもしれない。2001年にはその名も『KUGE.』というソロ・アルバムを出している。一方、遅れてきた世代の僕にとっての久下惠生のドラムは、クラブ・カルチャーとヒップホップと共にあった。00年代中盤にハウス/ディスコ・ダブで踊る遊びの中で出会った、ラティール・シーと内田直之とのFLYING RHYTHMS、ECD×illicit TSUBOIとの見事なセッションを記録した『session impossible』(2004年)、そして奇才、KILLER-BONGらとのフリー・インプロヴィゼーション。つい先日も《JAZZ NINO》でKILLER-BONGらとのスリリングなライヴを目撃できたし、FLYING RHYTHMSも活動を再開した。錦糸町河内音頭では、江州音頭のドラムや和太鼓を叩いていた。久下惠生のドラムのリズムに誘われて、いろんな旅ができる。若い世代の人にもぜひ体験してほしい。(二木信)


北山ゆう子

キセルも三輪二郎もエクスネ・ケディも王舟もINO hidefumiも流線形も。様々な音源やライヴで北山ゆう子のドラムを聴くことがある。とりわけ近年だと、寺尾紗穂の「北へ向かう」(2020年)と、曽我部恵一の「カモン」(2023年)のドラムが好きだ。「北へ向かう」はキセルの辻村友晴と、「カモン」は伊賀航とのリズム隊。いずれも旧知のベーシストとの演奏が素晴らしい。そして何より、この二曲でのドラムが曲中の移動するイメージを浮かび上がらせるように感じて心惹かれる。北陸新幹線で書き上げられた「北へ向かう」、環状線を歩く「カモン」。それぞれのシンガー・ソングライターの歩幅や速さ、それぞれの目の前でどのように景色が流れていったかを私は知る由もない。けれど、ときに緩急がありときに坦々と刻むビート、そして景色が変わることを知らせるようなフィルを聴くと、まるでその様子を眺めているような気がしてくる。その技術を曲に宿った感情を立ち上がらせるために使い分け、傾けている。私にとってはそう思える、好きなドラマーだ。(加藤孔紀)


Yussef Dayes

残念ながら先日の来日公演は観に行けなかったのだけれど、「好きなドラマーは?」と言われてパッと思いつくのがユセフ・デイズだ。昨年リリースの作品で言えば、サンファの最新作『LAHAI』収録「Spirit 2.0」やノーネームの最新作『Sundial』での「potentially the interlude」でのプレイも忘れがたいし、ソロ・アルバム『Black Classical Music』もすばらしい。ちなみに自分はデイズと同い年で少しの親近感を覚えているのだが、彼の存在を初めて意識したのはUKはコヴェントリーのラッパー、パ・サリュが2020年にリリースした傑作『Send Them To Coventry』収録の「Frontline」のリミックスだった(同作収録の「Pile Up (Interlude)」という曲にもデイズは参加している)。もともと原曲が好きなのもあるかと思うが、原曲のレイドバックしたノリをつんのめったようなグルーヴに書き換えつつ、不穏さを保ってもいて超かっこいい。この曲を叩いている映像はなかったのですが……。今年のフジロックはサンファもノーネームもユセフ・デイズも同日の出演。コラボがないか密かに期待しています。(高久大輝)


映画『COUNT ME IN 魂のリズム』よりチャド・スミス © 2020 Split Prism Media Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.

映画『COUNT ME IN 魂のリズム』よりスティーヴン・パーキンス © 2020 Split Prism Media Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.

Text By Ryutaro AmanoHaruka SatoToshiaki YamadaKenji KomaiShoya TakahashiRiko MaedaNana YoshizawaTatsuki IchikawaIkkei KazamaMasamichi ToriiYu TaniguchihiwattttRen TeraoShin FutatsugiKentaro TakahashiYasuo MuraoDreamy DekaTakuro OkadaTsuyoshi KizuShino OkamuraYuji ShibasakiKei SugiyamaNami IgusaDaiki TakakuKoki KatoYasuyuki Ono


『COUNT ME IN 魂のリズム』

全国順次公開中

監督:マーク・ロー
出演:ロジャー・テイラー、スチュワート・コープランド、ジム・ケルトナー、イアン・ペイス、スティーヴン・パーキンス、ニック・メイソン、チャド・スミス、ニック“トッパー”ヒードン、サマンサ・マロニー、テイラー・ホーキンス、シンディ・ブラックマン ほか
配給:ショウゲート
公式サイト
https://countmein.jp/
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