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映画『コンパートメントNo.6』
最悪に思えた旅が人生を変える

18 February 2023 | By Yasuo Murao

列車には様々な乗客が乗り合わせ、束の間、同じ時間を過ごす。もう、2度と会うことはないかもしれないけれど、そんなことを気にはとめたりはしないだろう。でも、寝台列車の個室(コンパートメント)に見ず知らずの若い男女が一緒になったら、お互いを意識せずにいられない。カンヌ映画祭でグランプリを受賞した『コンパートメントNo.6』は、そんなドラマティックなシチュエーションを用意しながら、ありきたりのボーイ・ミーツ・ガールにはしない。

舞台は90年代のモスクワ。フィンランドからの留学生学生、ラウラは、大学教授のイリーナと愛し合っていた。イリーナは友人たちにラウラのことを「フィンランドの友達」としか紹介してくれないが、ラウラは知的で美しいイリーナや彼女の洗練された友人たちに憧れていた。ラウラはイリーナから教えてもらったペトログリフ(岩に彫られた古代彫刻)を見に行くため、北極圏の街、ムルマンスクに向かう寝台列車に乗り込む。そこで彼女と同じ個室に乗り合わせたのが、鉱山で働くためにムルマンスクに向かう青年、リョーハだ。席に座るなり酒を飲んで酔っ払い、「君は娼婦なの?」と話しかけてくるリョーハは、イリーナの友人たちとは正反対のがらの悪さ。うんざりするラウラを乗せて、列車は北の果てを目指してモスクワを出発する。

© 2021 – Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY

『オリ・マキの人生で最も幸せな日』(2020年)で注目を集めたフィンランドの新鋭、ユホ・クオスマネン監督は、様々な出来事を通じて変化していくラウラとリョーハの関係を、狭い列車内にカメラを持ち込んで至近距離で捉えていく。荒っぽくて男性的なリョーハにラウラが怯えるという構図の背景には、大国ロシアを近隣諸国が脅威に感じている姿を重ね合わせることもできるが、それ以上にラウラとリョーハの人間味溢れるキャラクターが魅力的だ。ラウラがイリーナのパーティに参加しているところから物語は始まるが、彼女はなかなか場に溶け込めない。イリーナと友人たちを「美しい世界」と思って憧れ、その一部になりたいと願いながらも、どうしたらいいかわからない。ラウラはイリーナのことを想い、停車駅の公衆電話から度々連絡するが、次第にイリーナの対応は素っ気なくなっていく。

その一方で、リョーハは何かとラウラに絡んでくるが、それほど悪いやつではないらしい。デリカシーに欠けるものの、裏表はなくて子供のように無邪気なところがある。リョーハは働いた金を貯めて事業を始めることを夢見ていたが、どんな事業をしたらいいのかはわからない。次第にラウラがリョーハに対して親しみを感じるようになるのは、コミュニケーションが下手で一人で空回りしているリョーハの様子が他人事に思われなかったからかもしれない。そんなある日、列車が朝まで停車することになり、ラウラはリョーハに強引に誘われて見知らぬ老婦人の家を訪ねる。その老婦人から「誰の声も聞かなくてもいい。自分の心の声に従いなさい」と声をかけられるラウラ。彼女はこのささやかな冒険を通じて、自分の殻から飛び出すことの大切さを知る。

© 2021 – Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY

不器用な2人が不器用に距離を縮めていく様子を、クオスマネン監督はユーモアを交えながら生き生きと描き出す。ラウラ役のセイディ・ハーラ(フィンランド出身)。リョーハ役のユーリー・ボリソフ(ロシア出身)は、どちらも本国ですでに大きな映画賞を受賞している実力の持ち主。緊張感を漂わせたセイデイの繊細な演技に対して、荒っぽさのなかに無垢さを垣間見せるユーリーの緻密な演技も見事。駅のホームでリョーハがふてくされている姿を、車窓越しに見つめるラウラの優しげな表情など、ちょっとした表情や視線から2人の感情が伝わってくる。そんななか、ムルマンスクに到着する前夜、ラウラが取り乱すリョーハを抱きしめるシーンが胸を打つ。そこに感じるのは恋愛ではなく、いたわりに満ちた友愛。ラウラの母性的な優しさも感じさせつつ、彼女が過去の自分を抱きしめているようでもあった。

そして、ムルマンスクに到着してリョーハと別れてから意外な展開が待ち受けているのだが、ラウラがペトログリフに辿り着くシーンでは、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984年)で主人公の3人が湖を見に行った時の顛末を思い出した。旅で大切なのは、たどり着くまでの過程。ペトログリフを誰と、どんな風に見たかが重要だ。旅が終わりを迎えるなか、ラウラの表情から彼女のなかで何かが大きく変わったことがわかる。ラウラがリョーハと出会った時、「フィンランド語で〈愛している〉という言葉はなんて言うんだ?」と尋ねられ、「クタバレ!」という意味の言葉、「ハイスタ・ヴィトゥ」だと教えるのだが、そのやりとりがラストに生かされて、最悪の旅が最高のものに逆転しことを鮮やかに表現している。

© 2021 – Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY

本作はロードムービーとしても良くできていて、時折映し出される車窓の風景は、ラウラの心象風景のように暗くて寂しげ。でも、ある出来事で傷ついたラウラにリョーハが心からの言葉をかけて、苦しい人生を送ってきた2人の心が通い合うシーンでは、車窓から遠ざかる駅の灯りが美しく輝いている。そして、狭い車内の息苦しさ、車体の金属の質感までリアルに感じられる映像を見ていると、決められたレールを走る列車は日常の象徴のようだ。ラウラの旅はレールの外へと飛び出して、世界や自分を再発見することだった。

映画はロキシー・ミュージック「Love Is The Drug」で始まるが、それはラウラがイリーナに夢中になっていることを表してるように思える。そして、「Love Is The Drug」に続いてパーティーのBGMで流れているデザイアレス「Voyage Voyage」が、クライマックスでもう一度、より鮮明に流れる。過去を振り返らずに旅立ちなさい、という力強い歌詞は、明らかにラウラへと向けたもの。そんな風に音楽が効果的に使われているが、パーティー・シーンでは、イレーヌが仲間たちとの会話で、本からこんな一節を引用しているのが聞こえてくる。

「どこへではなく、何から逃げているかを知れ」

きっと、ラウラはリョーハとの出会いを通じてそれを知ったのだろう。そして、他人の人生に憧れるのではなく、自分の人生を生きる覚悟ができた。人は出会いと別れを何度も繰り返す。そんななかで、一瞬の出会いが後の人生を照らし出すことがある。それがムルマンスク行きの寝台列車で起こった小さな奇跡なのだ。(村尾泰郎)

Text By Yasuo Murao


『コンパートメントNo.6』

2023年2月10日(金)、新宿シネマカリテほか全国順次公開

監督・脚本: ユホ・クオスマネン
出演: セイディ・ハーラ、ユーリー・ボリソフ、ディナーラ・ドルカーロワ 他
配給 : アット エンタテインメント
© 2021 – AAMU FILM COMPANY, ACHTUNG PANDA!, AMRION PRODUCTION, CTB FILM PRODUCTION
公式サイト

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