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映画『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』
挑発的なジョークを通して炙り出される野蛮な歴史と現代社会の闇

16 May 2022 | By Tatsuki Ichikawa

先月リリースされたBilly Woods『Aethiopes』を聴いてみると、予想はしていたことだが、鮮烈にハイコンテクストな作品になっていた。数々の引用の中で、Woodsはフィクションと、幼少期を一時期過ごしたジンバブエの政治的、歴史的背景を巧妙に織り交ぜながら、目を背けたくなる真実を直視させようとしてくる。植民地主義、侵略による蛮行、あるいは現在まで色濃く残る人種差別や性差別。4曲目のタイトルには、それらをひっくるめたような「Sauvage」という、フランス語で「野蛮」を意味する言葉が用いられる。そう、まさにWoodsは、ルーツであるジンバブエの記憶と、ニューヨークの現実を、シリアスなラップで行き来しながら、我々に突きつけてくるのだ。人間の歴史の野蛮さを……。

ルーマニアの映画監督、ラドゥ・ジューデもまた、フィクションと現実を織り交ぜ、ハイコンテクスト性を高めながら人間の歴史の野蛮さを描き出そうとしてきたが、そんな彼の作品の特色は「悪い冗談」に溢れているところだろう。ベルリン映画祭で最高賞に当たる金熊賞を受賞した『アンラッキー・セックス またはイカれたポルノ』は、人間の野蛮さ、そして卑猥さを突きつける刺激的でダークなコメディ作品である。

舞台は人々がマスクをするコロナ禍のブカレスト。名門校の女性教師エミは、プライベートのセックスビデオがネットに流出したことによって窮地に立たされている。動画が校内で問題になり、教師生命がさらされる中、彼女は夜の緊急保護者集会に備え、緊張状態で街を歩く。あまりに生々しいセックスビデオから幕を開ける(日本公開されている「監督〈自己検閲〉版」では、全体がモザイクと過剰な文字情報に覆われ、音声だけが流れ続ける。)本作は挑発的な三幕構成になっている。

一幕目はブカレストの街を歩くエミをカメラがひたすら追い続け、彼女が歩く街の風景の中に、マスクの人々や、空虚な広告、浮き彫りになる格差、そして、そこかしこに見られる卑猥なイメージを、フラットに映していく。二幕目は、AからZまでの単語と、そこから連想するイメージを羅列していくモンタージュパート。そして三幕目は、保護者集会の議論の様子を捉えた会話劇となっており、ラストには物語を締めくくる三つのマルチエンディングが用意されている。

例えば、第二幕目における、イメージや切り抜き動画が淡々と流れ続けるモンタージュは、『アワーミュージック』や『イメージの本』などをはじめとする、近年のゴダール映画を思い出させつつ、同時に、インスタグラムのストーリーやTik TokなどのSNSのタイムラインを連想もさせる。あるいは三幕目における、陰謀論者や歴史修正主義をはじめとする様々な思想が匿名性を持って、一個人に向かって吠え続ける様は、さながらSNSにおける「炎上」を見ているようである。

こうしてSNSへの批評性を湛えながら、コロナ禍の世界を記録した本作は、この三幕構成で優れた現代風刺をやって見せるが、最も特筆すべきなのは人を喰ったようなユーモアセンスだろう。19世紀のルーマニアを舞台に、ロマ人の逃亡奴隷を追う2人の男の旅を、ロングショットを多用して描く『アーフェリム!』や、現代の女性演出家を主人公に、第二次世界大戦中、ルーマニア軍がユダヤ人を虐殺した「オデッサの虐殺」を題材とするショーのリハーサルと本番を描いた『野蛮人として歴史に名を残しても構わない』など、過去作でも、極めてシリアスに撮れるような題材を、彼は、滑稽さを際立たせながら、闇を抱えたコメディとして映してきた。本作でもまた、ルーマニアの野蛮な歴史に言及しながら、現在の女性教師が、社会の欺瞞と偽善の中で吊し上げられるまでを、滑稽かつグロテスクに、そして何よりもユーモアを含みながら描いている。

一方で、第二幕の簡易辞書における「映画」の項では、直接目を見ると石になってしまうメデューサの神話を引用しながら、「人は真実を間接的にしか見られない。スクリーンとはまるで光り輝く盾のようだ」と言い、「フィクション」の項では「真実が重要な場所でこそ、私はフィクションを描きたい」と言っている。彼のユーモア性もまた、直視できないものを、我々に見させるためのガードのようなものかもしれない。今の社会が人の野蛮な歴史のもとに築かれてきたこと。セックスビデオの流出を糾弾する世間の方こそ、「卑猥」なもので溢れていること。それらの真実を我々は直視できるのだろうか。

マルチエンディングの三つ目のバージョンは、人を喰ったようなジョークと陽気な主題曲で幕を閉じる。まるでコメディショーを見終えたかのような後味だが、ラドゥ・ジューテのユーモアの奥には、あるいはスクリーンに投影される光の奥には、常に恐ろしい真実が隠れている。または、こうも言っているのかもしれない。挑発的なジョークに溢れる本作で描かれた現実や歴史こそ「悪い冗談」のようだと。(市川タツキ)

 

Text By Tatsuki Ichikawa


『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』

4 月23日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

監督・脚本:ラドゥ・ジューデ
2021/ルーマニア、ルクセンブルク、チェコ、クロアチア/ルーマニア語/106 分/シネスコ/5.1ch/英題:BAD LUCK BANGING OR LOONY PORN/字幕翻訳:大城哲郎/配給:JAIHO R-15

公式サイト

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