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Lil Silva: Yesterday Is Heavy

2022 / Nowhere Music
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過去を照らして、強く照らし返される今

07 September 2022 | By Daiki Takaku

2020年に《Mixmag》が公開したなんとも辛辣なタイトルを冠した記事「WHY DIDN’T UK FUNKY BREAK THE MAINSTREAM?」(なぜUKファンキーはメインストリームに食い込めなかったのか?)では、00年代半ばから2010年辺りにかけてクラブで流行したUKファンキーと呼ばれるジャンルにおける当時の、あるいは現在の重要人物3名(Katie PearlとRoska、MC Versatile)に、どうしてそのシーンが繁栄を続けなかったのかを正面からヒアリングしている。聞き役はUKダンス・ミュージック・シーンを支えてきた、DJ、プロデューサー、レーベル・オーナーのKwame Safo(Funk Butcher)。内容の詳細は元記事を確認いただくとして、ここでは音楽のクオリティやラジオとの関係性の他、“今だから言えるけど”という前置きの上でシーンの内外で起きていた男尊女卑や人種差別についても語られている。中でも黒人女性シンガー、Katie Pearlのこの発言は記事を読み終えた後もしばらく尾を引くことになった。曰く、「私は純粋に“黒人の女の子には市場価値がない”という台詞を作った人と腰を落ち着けて話してみたいんだ、それがどこから来たのかを知りたいからね」。

「誰が悪いんだ?」。ベッドフォード出身、Macabre Unitと呼ばれるグライムのクルーの一員として音楽のキャリアをスタートし、UKファンキー・シーンで大きな役割を担い10年以上に渡って活動してきたDJ、プロデューサー、ソングライターのリル・シルヴァは、本作のオープニング・トラック「Another Skecth」を同様の指摘から始める。“同様の”というのも、言葉の行き先を想像するにこれらは特定の個人を炙り出すために発せられたわけではなさそうだからだ。むしろ、その不在を強調しているとすら感じはしないだろうか。

重力のようだ、と思う。差別や偏見を含む、私たち人間が互いに分かり合えない状況の根源に、おそらく特定の個人は存在していない。たとえ発端に個人がいたとしても、この状況は1人によって作られたものではない。それでも、私たちが再び争い、奪い合うのはどうしてなのか? 分かり合えなかった無数の過去がこの星に生まれた人間の全てに降り注ぎ、操っているからなのだとしか、わたしは考えることができなかった。私たちはただ、それぞれがそれぞれに降り注ぐ過去を全身で受け止める他なく、有無を言わさずそれを浴びせられた私たちは、多かれ少なかれ生まれながら加害者であり、被害者であった。この忌々しい重力に耐えるため、硬くこわばった私たちの魂に、一体何ができるだろう? 私たちが互いを繰り返し傷つけ合うことは、もはやどうしようもない現実のようだった。

アデルやデーモン・アルバーン、BANKSなどとの特定のシーンに留まらない仕事でも知られるリル・シルヴァのファースト・アルバムは、『Yesterday Is Heavy』と名付けられている。《Pitchfork》のレヴューによればこのタイトルは「Yesterday is heavy, so put it down」という古い格言を元にしているようだが、果たして私たちに過去を置き去りにすることなどできるのか。そんなことが、許されるのか。

「Another Skecth」で響くシルヴァの美しいファルセット・ヴォーカルが虚しさの闇へと向かっていくように、本作中にあるリリックは、半分以上がペシミクティックで内省的と呼べるものだ。実際、彼がコロナ・パンデミックの影響で鬱状態に陥っていたことからしても、それらは故マーク・フィッシャーの言うところの“再帰的無能感”と近しい感覚を伴っているのだろう。しかし驚くべきことに、シルヴァは過去を置き去りにするどころか、それでもなお過去を直視するという、勇敢な方法を選択している。

「Vera(Judah Speaks)」の瑞々しく爽やかなサウンドのテクスチャ。BADBADNOTGOODを招いた「To The Floor」の弾けるファンク。例えばIceboy Violetとも並べて聴きたいような憂いを帯びた声質を持つモントリオールのラッパー、Skiifallのラップが冴え渡る「What If?」のオルタナ・ヒップホップ。勘のいいリスナーならば、アルバムというキャンバスを彩るこの多様な音楽に、同時代的あるいは流行の音の類を見つけ出すのが容易でないことを感じ取っているかもしれない。事実、シルヴァは約2年間、DJをせず、積極的に外部の音楽を摂取するのをやめていたと話している。その代わりに彼がフォーカスしたのは、活動の間に積み上がった山のような音の素材たちとジャム・セッションだった。つまり過去の活動の集大成であり、自らの身体に蓄積された音楽の反射と築き上げた人脈の“現在”における交錯である。そうしてシルヴァは過去へと焦点をあて、あくまで冷静に、渦巻く虚しさと同等のレベルで魂が躍動した/する瞬間を捉えんとしたのだ。結果として『Yesterday Is Heavy』は、彼のこれまでの活動を映すように、UKファンキーをはじめとしたクラブ・ミュージックとポップ・ミュージックに強固な橋を渡している。

また、シルヴァはこの“過去”という手垢のついたテーマを据えた本作を補強するように、さらに凡庸とも受け取られかねないモチーフを選んでいる。「Another Skecth」のMVにモノクロで描かれるのは、楽しげに踊る人々の姿だ。これは本人もコメントしている通り家族であり、過去から現在まで世界の縦軸において連続して輝き続ける魂を、受け継がれる血によって表現することを試みたものであろう。もしくは、ブリアルを思わせるクラックル・ノイズの張りついた「Colours」はどうだ。浮かび上がるのはレイヴの残穢だけではない。私たちの皮膚の下を流れる血の色は同じだと説くシルヴァの柔らかな歌声が聴こえるはずだ。ありふれた真理は美しく乱れる音の中で咲いて、世界を横に繋いではいないだろうか。ここでの“血”がもたらすものは遺志と他者への敬意であり、それによって本作は過去、現在、未来と私たちを滑らかに結びつけている。

そう、本作が手招きする先にあるものは、過去を無かったことにした空想の世界でも、虚無のスペクトラムでもない。過去に対する辛抱強く丁寧な手つきで、シルヴァは何より可能性を秘めた“今”を洗い出しているのだ。「私がたどり着けるのはここまで/私の手が届くのはここまで/私の目で見ることができるのはこれだけ/もう限界なんだ、私は弱いのだから」。「About Us」の控えめな、それでいて豊かなハミングに囲まれて響くElmieneのスポークンワードに耳を澄ませて欲しい。硬くこわばった私たちの魂に虚しさを持ち寄って触れ、そして、名声やプライドなど取るに足らないものだと明らかにしたのち、Elmieneはさらに続ける。「ただ心を開いて、君だけが感じることを感じるんだ/誰もそれを変えることはできない、それは君だけのものだ」。クラブのサウンドシステムと自宅の安価なスピーカーを繋ぐように本作から押し寄せる興奮と癒しの中で、わたしは、あなたは、いつの間にか未来を幻視する。

『Yesterday Is Heavy』とは、過去を照らすことによって強く照らし返された今であり、明日である。どうしようもない現実に突き当たったとき、あなたが感じる何かであり、あなたの持つ願いのような何かであり、祈りにも似た何かである。全ての人間を逃さず縛りつける重力から、唯一逃れることができるもの。軽やかな明日を、今、信じるということ。“今だから言えるけど”という前置きにある“今”は、たくさんの誰かの“今”が連なった先にあったものではなかったか。サーペントウィズフィートとのラスト・ソング「Ends Now」では、何度となくこう反復される。「もう終わりにしよう/このままじゃ終われないんだ」。きっと人は争い、奪い合い続けるだろう。だが、未来は決まっていない。過去に照らし返されて、可能性の熱で爛々と燃える“今”が、絶え間なく過ぎていく。(高久大輝)

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