Review

Wilma Vritra: Grotto

2022 / Bad Taste
Back

洞窟から、宇宙

02 June 2022 | By Fumito Hashiguchi

アルバム・タイトルは「洞窟」。ジャケットには鍾乳洞の中を進もうとしている擬人化された真っ赤な機関車が描かれている。洞窟は収録曲「One Under」のMVにも登場する。機関車同様つぶらな瞳を持つ男がひとり、砂漠や荒野のような乾いた洞窟の中にいて、無表情でボソボソと例えば「直接でも、携帯電話でもいいから、愛していると言ってほしい /クレジットが落ちたら、どうせ僕らはひとりで死ぬんだから」といったようなことをラップしている。そしてアルバムの冒頭には都会の中の洞窟とも言える地下鉄の駅構内にてフィールド録音された名もなきミュージシャンの声とドラムの音が置かれ、さらにはロンドンにあるグリニッジ・フット・トンネル内の音が数曲の中に溶け込んでもいる。さて、これはいったいどういった作品なのだろうか。

ウィルマ・ヴリトラはウィルマ・アーチャーとヴリトラによるデュオ。プロデュース、アレンジ、ミックス担当のウィルマ・アーチャーはロンドンを拠点に活動する音楽家/作曲家。セレステ、ニルファー・ヤンヤ、スーダン・アーカイヴスといったアーティストへの作曲やプロデュースで知られ、2020年にはソロ作『A Western Circular』を発表。ラッパーとの絡みで言えば、ここにMFドゥームが参加している。

ヴォーカル、作詞担当のヴリトラはアトランタ出身でLAを拠点に活動。タイラー・ザ・クリエイターやアール・スウェットシャツ、フランク・オーシャンらで知られるコレクティヴ、オッド・フューチャーのオリジナル・メンバーであり、ソロでもこれまで10作のアルバムを出しているラッパー、プロデューサーである。

本作は2019年の初作に続く彼らの2作目。前作にはまだギリギリあったラップを乗せるための「トラック」という概念が本作ではかなり後退あるいは消失しており、キックやスネアが強調されることはほとんどなく、穏やかなサンプル・ループ、ギター、シンセ、そしてウィルマ・アーチャーのサウンドの最大の特徴であるストリングスや木管によるオーケストレーションによって構築されている。ミニマル、アヴァン、アンビエント、ニューエイジといった記号の上空にふと現れたり、そこを通過したりしつつも、結局はそのどこにも着地せず回収もされない。そんな無重力状態の中、自己防衛のための避難先として洞窟がイメージされ、その場所からヴリトラはもの憂げに言葉を紡いでいく。自身の身体と宇宙との間に、喜びと痛み、金銭と消費、太陽と雨、神と悪魔といったことが配置されている。そして洞窟の対義語としてだろうか、全体を通して“sky”や“light”といったワードが多発する。表情や感情があるような無いような、内省的かどうかもわからなくなるような洞窟的とでも呼びたい発声表現。

サンプリング音源はおそらくほとんどの曲で使われていて、中にはワールド・スタンダードのファースト・アルバムからの2曲も。個人的に最も印象的だったのがロバート・ワイアット「Memories Of You」(シングル「Shipbuilding」のB面)を使った「Wookey Hole」。ウィルマ・アーチャーがロバート・ワイアットの音楽から強い影響を受けているのは、本作以上にソロ作を聴けばよくわかるかもしれない。

アルバムは全11曲約32分。こういった短めの作品だと、「聴き終えるとまた最初から聴きたくなる」といった類の常套句が頭にちらつきもするが、うっすらと希望めいた雰囲気の最後の曲「Safe Passage 」が洞窟を進む「安全な通路」とその先の新しい光景を示唆してくれているようで、曲が終わると、しばらくはそのまま無音でいるのがふさわしいように思えてくる。聴くべきものがいつだって山のように控えている中で、そんな気分にさせてくれる音楽作品と今年あとどれだけ出会えるだろう。(橋口史人)

More Reviews

1 2 3 62