振動を伝える声、記憶を語る言葉
まさに“奇跡の復活”と言っていいだろう。前作『んの次』以来実に17年ぶり。近年はライヴ活動も完全に休止しており、身辺を知るよほど身近な関係者ではないかぎり、breath markこと二羽高次は消えた音楽家となっていた。だが、彼はふたたび新しい歌を携えて私たちのもとに戻ってきたのだ。まずはそのことを心から祝いたい。
breath markの名前が初めて世間に知られるようになったのは90年代後半、SILENT POETSの『Firm Roots』(1996年)や『For Nothing』(1997年)といった作品にフィーチャーされたこと、あるいはLITTLE CREATURES監修のコンピ『Sign Off From Amadeus』(1996年)に楽曲が収録されたことがきっかけのひとつだったように思う。1999年には当時SILENT POETSのメンバーだった春野高広との共同プロデュースによるデビュー作『Dynamo』をリリース。以降の作品にも春野や土生“TICO”剛(LITTLE TEMPO)らが参加しており、当初のbreath markはダブとトリップホップとジャズが混ざり合った90年代後半~2000年代前半の東京インディー・シーンから出てきたアーティストという印象があった。
breath markというアーティストはまた、常に孤高の存在であった。2010年代、私は彼のライヴを幾度となく観る機会に恵まれたが、ギター1本を抱えて歌を紡ぐその鬼気迫る表情は、今も脳裏に焼きついている。この時期の二羽はジャンルはおろか、音楽という枠組みからもはみ出しながら唯一無二の歌の世界を構築していた。江州音頭や「会津磐梯山」といった民謡を独自解釈のもと歌い、「ヨイトマケの唄」を貧しい土方の魂を慰めるかのように歌った。東日本大震災以降の日常のなかで、その歌はまるで祈りのように響いた。
だが、凄まじかったあの時期の二羽のライヴを目撃できたリスナーは決して多くない。17年ぶりの新作『vocal guitar contrabass』は、孤高を極めつつあった2010年代の二羽の姿を収めた貴重な記録とも言えるだろう。収録曲は6曲。詳細な録音時期は不明だが、活動休止期間中、二羽は地道な録音と制作活動を続けていたのだという。確かに何人かの関係者から「二羽さんが何か作っているらしい」という噂話を聞いたことがあったが、その“何か”がこの6曲だと思われる。
冒頭曲「カラス」からあまりに純度の高い歌世界が広がっていて、思わず息を呑む。日本語の歌の定型から逸脱しながら、その本質を突くようなこの感覚こそが二羽の歌である。続く「クラヤミ」のあまりに自由な節回しはどうだろう? 淡々としたアルペジオの上で、声と言葉がぴょんぴょんと跳ね回っている。「シタッタラズ」は滋賀県を中心に歌い踊られる江州音頭をモチーフとした楽曲だが、こちらもまた自由奔放なアプローチに思わずニヤリとしてしまう。本人いわく「町内会の神輿の音がする時に雨が降って来て作りました」という「コウモリ」、二羽自身が弾くコントラバスのアルコ(弓弾き)が独特の効果を生む「アタリマエ」、そして実父の死をきっかけに作られたという「イノチノヒ」。
一聴後、耳の奥に残るのは身体全体を震わせるようなその歌声である。声は空気を震わせ、私たちの鼓膜を震わせる。振動が伝わることで、誰かの心が震える。歌の伝播についてのシンプルな真実をあらためて実感させられる。
また、全曲が二羽高次という人物の個人的記憶やイメージ、あるいは彼自身の身体感覚と結びついており、これまでの作品でももっともパーソナルな内容となっている。数年に渡る制作期間中、二羽は楽器や機材の修復や改良を重ねに重ねた。記録されている音数は少ないが、音の狭間に漂うものはあまりにも濃密で、そこにかけた二羽の思いの強さも伝わってくる。
なお、本作のリリースに合わせ、二羽は同名の短編小説も執筆している。後半、「それで結局君はそのアルバムをリリースした後もまだ音楽を続けるつもりなの?」という問いかけが出てくる。その問いに対する返答は小説のほうをお読みいただければと思う。数年ぶりに私たちの前に姿を現したbreath markは、また霧の向こう側に消えてしまうのだろうか? 今はただ、彼の歌が伝える振動だけを感じていたい。(大石始)