Review

Vagabon: Sorry I Haven’t Called

2023 / Nonesuch
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内省を手放すためのダンス・ミュージック

25 October 2023 | By Koki Kato

誰かの表現や言葉による内省が、それが感傷的であるほど、私は今それらを避けることが多くなっている。2010年代は、そういった音楽や言葉を聴いて共感したり、孤独を払拭することもあったりしたけれど、今はそれがどうも難しい。コロナ禍で思考する時間を得て、争いや競争が避けられない現実をあまりにも認識してしまって、それが当然ながら私自身を含む人と人との間で起きる摩擦であり、希望を持つことが難しいと感じたからかもしれない。そして、この社会のカネで駆動し続ける資本主義は、私自身が死ぬまでには無くなることもないのだろうと思うからだ。だから、諦めが肝心なこともあると今は思う。

カメルーン育ちでニューヨーク拠点のマルチ楽器奏者、プロデューサー、シンガー・ソングライターであるヴァガボンことレティシア・タムコの前作、2019年のアルバム『Vagabon』は内省的だった。一方で、最新作『Sorry, I Haven’t Called』の制作についての本人の発言を引くと「内省的になっている気分じゃなかった。ただ楽しみたかっただけ」という。

正直、歌詞だけについて言えば、本作は幾分か内省的で感傷的だと感じる。会話のようなソングライティングを目指したという本作のその会話の中からは、悲しみが滲み出ていると思えるから。その悲しみがどこからやってくるのか。それは、このアルバムがタムコの友人でありプロデューサーのエリック・リットマンの死をきっかけに、その喪失から逃避するために制作されたということが挙げられるだろう。

エリック・リットマンという存在の喪失は、今年にリリースされたジュリー・バーンの最新作『The Greater Wings』にも表れていた。そしてバーンは、本作の1曲目「Can I Talk My Shit?」にバッキング・ボーカルで参加してもいる。こういった音楽家同士の繋がりや表現からリットマンの存在の大きさが折に触れて伝わってくる。

『Sorry, I Haven’t Called』は、歌詞だけを読めばやや内省や感傷があるように思えるのだが、音と一緒に聴けばその印象は変わってくる。ドイツで制作され、その後、ロサンゼルスでプロデューサーのロスタムと共に仕上げられたという本作は、ダンス・ミュージックと会話を共振させながら、運動を生み出している。

そして、それはどこかロサンゼルスの空や海といったオープンな印象を連想させる。ロサンゼルスについてのこの手の印象はありふれたものだけれど、アーロ・パークスが今年の5月に発表した『My Soft Machine』がロサンゼルスに移住して制作された作品であり、風が吹き抜けるような疾走感のあるサウンドへと変化を遂げたように、ロサンゼルスという土地が音楽と共鳴するその影響は、未だに存在すると思える。タムコとパークスが友人同士であることも関係があるかもしれないが。

また、ロサンゼルス拠点のロスタムがプロデューサーであることも大きく影響しているはずだ。「It’s a Crisis」を聴けば、トライバルなビートの上で吹かれるサックスのフレーズが、例えばハイム「Summer Girl」(2019年)やロスタム『Changephobia』(2021年)などから聞こえてくるヘンリー・ソロモンの音だと気づくことができる。ソロモンのサックスは、私にとっては今のロサンゼルスを連想させる個性的な音で、ソロモンとロスタムの共演がそういったアイコニックな音を形作っていると思えるのだ。

このダンスなアルバムの中でも「Carpenter」を聴いたとき、ポール・サイモンの「You Can Call Me Al」(1986年)のようだと思った。アフロビートと誰かに話かけるような歌詞が印象的ゆえだ。「Carpenter」は「You Can Call Me Al」ほど気楽な曲ではないが、このダンス・ビートと会話は、聴く人を内省から遠ざける。ダンスの身体的な快楽は、自室に留まって思考させ続けることに待ったをかけるし、独白ではなくこの二曲のように誰かに話しかけるような歌詞は、自意識の外の他人との交流に向かう運動になる。様々な行動にまつわる準備不足を歌う「Carpenter」は、曲が終わる頃には、準備ができていることを宣言し、やがて外へ、どこかへ、向かっていく。

他にもテック・ハウスを思わせるサウンドの中で自身のルーツであるフランス語と英語を行き交わせながら出発を歌う「You Know How」や、ドラムンベースにのせて連れ出してほしいと語りかける「Do Your Worst」など、ダンスと会話によって運動が表現されていく。

そんな風にこのアルバムでは、ダンス・ミュージックがひしめき合っているのだが、気になるのは12曲中10曲目に配置された「Interlude」のアンビエンスだ。聴く人を一旦、その場に落ち着かせかねないそのサウンドは45秒で終わり、すぐさま次の11曲目「Made Out with Your Best Friend」での唐突な歌い出しに突入する。アルバム全体が前へ前へと向かう運動を、こういった緩急によって表現してもいる。楽曲単体ではなく、まるでDJによって考えられた細やかで驚きのあるミックスのように。

私はこのアルバムが、悲しみを振り切るように運動する様子が好きだ。喪失や悲しみにとことん向き合うことは大切だが、内省は自身を自らの手によって疲弊させかねない。向き合い続けることには終わりがない。だから、内省を手放すことが肝心なときもある。この音楽には内省から逃避するための、軽快な運動としてのダンス・ミュージックが映し出されている。(加藤孔紀)


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