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Vince Staples: RAMONA PARK BROKE MY HEART

2022 / Blacksmith / Motown
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曖昧にされることを拒むために描く、地獄の本質

13 May 2022 | By Daiki Takaku

聴いている間、怒りや、哀しみが、何度も、何度も、沸点に達しては曖昧になった。側から見れば、わたしは凪いでいるように映ったのだろうか。『RAMONA PARK BROKE MY HEART』、これはヴィンス・ステイプルズ史上、最も残酷なレコードである。

アルバム・タイトルの一部となっているラモナ・パークは、インディアナ・アヴェニューとオビスポ・アヴェニューに東西を挟まれる形で、ヴィンス・ステイプルズの地元、カリフォルニア州ロサンゼルス群はノース・ロング・ビーチの北東辺りに位置している。ストリートヴューで見てみると、程々に管理された芝、簡単な遊具、テニスコートやバスケットコート等を備え、周囲には高齢者向けの施設や民家が立ち並ぶ。スクロールすると公園の淵に添うようにぞろぞろと駐められた背の高い車が、芝の跳ね返した陽光を遮って、まどろみに水を差された気分になる。ゆるやかな空気に時折忙しなさの入り混じる、凪いだ街の一角。土地勘のない者が想像できる範囲を出ないが、その公園は、近くに住んでいれば思い出のひとつふたつはある、でも遠方からそこを目的に来る人などはいない、平穏な場所としてそこにあるようだった。

ヴィンス・ステイプルズはこれまで、そんなラモナ・パーク(ノース・ロング・ビーチ)の暗がりに潜む暴力について言葉にしてきた。特にセルフタイトルとなった前作ではそれまで以上に自らの経験を曝け出すことによって、彼の現実は解像度を増してリスナーに迫っている。その場所で起きた歴史に残らない日々を、深く、刻み込むように。そんな前作とほぼ同時並行的に制作されたという本作も同様、巧みなライミングによって厳しい現実が書き起こされている。「殺人鬼を解放しろ 彼は攻撃されてたんだ」(「AYE! (FREE THE HOMIES)」)。「ママはパパに会って、ゲットーに入れられた/38口径を渡されて、俺は特別だと言われたんだ」(「MAGIC」)。Lyves「No Love」(2016年)をサンプリングした「When Sparks Fly」では、銃に擬人化して韻を踏んですらいる。だが、本作の持つ残酷さは、むしろ彼がラップをしていない部分によって強調されているといっていい。

まず、波の音である。アルバムの1曲目「BEACH」は凪いだ波の音で始まり、約50秒後、再び波の音が聴こえ始め、数発の銃声と邪気のない歓声が響く。ストリートの現実を象徴する銃声、純粋な消費を示す歓声、そして全てを忘却へと攫う、波の音。虚しく、心地よいその音は、アルバムを締めくくる「BLUES」のアウトロでも聴こえてくる。そう、本作からは、何度も、何度も、同じ波の音が聴こえてくる。そこにあったはずの現実を飲み込んで、まるで無かったことのようにしてしまう、凪いだ波の音だ。

あるいは、45秒ほどのスキット「THE SPIRIT OF MONSTER KODY」。声の主はMonster Kody、またはMonsterというニックネームを持つ、LAのギャング、クリップスのメンバーとして多数の犯罪に関与し、後に活動家へと転身したKody Scott(Sanyika Shakur)だ。彼は自伝を含む、いくつかの著作を持つ作家でもある。暴力に塗れたコミュニティに生きる若者たちを啓蒙する、規範的な存在だったといっていいだろう。その声にはたしかに、彼の生き様を写したような気迫がある。だが、ここで重要なのは、2021年、ホームレスのテントで、Monster Kodyはひどく腐敗した状態で死亡していたということ。死因は自然死とされているが、享年51歳、あまりにも不可解な死は因果応報だろうか。それとも、人がどれほど変化しても逃れることのできない呪いの象徴なのだろうか。

アルバム本編の他に、先行シングルとしてリリースされた「MAGIC」のミュージック・ヴィデオを観てみてもいいだろう。ここではヴィンスが同曲の流れるパーティーに赴き、不思議そうな視線を向けられ、揉め事を起こしてパーティーから叩き出される様子が描かれている。気になるのは、カメラがヴィンスの上半身を捉えたいくつかのカット。エスカレーターに乗っているような、いや、まるで足の無い、幽霊のような、不自然な移動の描写だ。“Dead Homies”。彼がよく口にするフレーズがすぐに思い浮かぶ。幽霊に足がないことは日本独自の文化と言われているのでそもそも間違った推測かもしれないが、この映像がかつて争いを起こし死んでいった仲間たちが、蘇ったとしても、地元に忘れられ、再び争いを起こす姿を表現しているとしたら……。

本作『RAMONA PARK BROKE MY HEART』がその全体像でもって描くのは、地獄の本質である。痛みが終わらないこと。延々と続くこと。変わらないこと。ヴィンス・ステイプルズがラップする現実は消費され、忘れられ、繰り返されるということ。

《The Guardian》に掲載されたインタヴューでアルバム・タイトルについて問われたヴィンスは冷静にそれが比喩でしかないことを説明したあと、うんざりしたようにこんなことを話していた。「仲間たちはいつも死んでいく。その一方で、揉め事や他人の不幸を楽んでる……貧困や暴力にとり憑かれて、それを知らず、理解しようとせず、全く気にもかけない人々のために、俺たちはトラウマ・ポルノに従事しているんだ」

ヒップホップを聴くことに慣れたわたしたちは、無意識の内にその音楽を天秤にかけている。「どちらがリアルなんだ?」「誰がよりハードなんだ?」「どっちを支持するのがクールなんだ?」って。いや、それと同じようにわたしたちの持つ心の表面的に善良とされる部分が自身に訴えかけているのかもしれない。「どちらが少数派なんだ?」「誰がより虐げられてきたんだ?」「どっちを支持するのが正しいんだ?」と。『RAMONA PARK BROKE MY HEART』は、曖昧にされ繰り返されることの持つ残酷なまでの痛みによって、たくさんの秤を曖昧にする。ヴィンス・ステイプルズにとって、その痛みは、曖昧にされてよいものではなかったということだけを、はっきりと形に残して。

地元と失恋、おそらくはたくさんの人々に届くよう多くの人々の共感しやすいテーマをタイトルに掲げた本作には、ほとんど無名のプロデューサーが何人も起用されている。その事実はいくらか、未来を照らすのだろうか。冷えたレモネードは、まだ苦味を残している。街は今日も凪いだ夜の波に飲み込まれて、また朝が来るだろう。あなたもわたしも、このアルバムのことを、ラモナ・パークの暗がりに巣食う暴力のことを、きっといつか忘れてしまう。ストリートヴューに映る公園は、今も平穏そうだ。ああ、そういえば、今夜はケンドリック・ラマーの新作を聴かなきゃな。(高久大輝)

※文中の歌詞対訳、インタヴュー対訳は筆者による


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