Review

Feist: Multitudes

2023 / Polydor
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私の人生はもう、自分だけのものではない

24 June 2023 | By Kohei Ueno

歌は祈りだ──と語ったのはジョアン・ジルベルトだったか?
レスリー・ファイストの音楽を聴くと、そんな言葉を思い出す瞬間がある。

ファイストは昨年、アーケイド・ファイアの中心人物ウィン・バトラーにまつわる性的不品行疑惑を受け、彼らのヨーロッパ&北米ツアーの前座から途中離脱。同じくサポートを予定していたベックもそれに続いたが、アーケイド・ファイアと共にカナダのインディ・シーンを支えてきたファイストにとって、苦渋の決断であったことは想像に難くない。2022年9月1日にSNSへ投稿された長文のステートメントには、次のような言葉が添えられていた(※以下、《Billboard JAPAN》(翻訳文)より抜粋)。

 ツアーを継続することは、私がウィン・バトラーを擁護するか被害者を無視することを意味し、(ツアーから)去ることは、私が裁判官と陪審員であることを意味します。
 この決断を下したのは、この2日間のステージで披露した私の曲です。このレンズを通してそれらを聴くことは、私のキャリア全体を通して自分自身を明確にするためにやってきたことと辻褄が合いませんでした。
 私はいつも自分の些細な難点を挙げ、最高の自分を目指し、必要な時に責任を主張する曲を書いてきました。そして今、私は自分の責任を主張し、家に帰ります。
 レスリー


自分に嘘をつくくらいなら、どんな酷い言葉を投げかけられたっていい。パンク・バンドに出自を持ち、ラモーンズのサポート経験もあるファイストの反骨精神を今さら述べるまでもないが、独立独歩でそのキャリアを勝ち取ってきた彼女にとって、この一件はアーティストとして、人として、女性として、さらには母としての尊厳を守るための選択だったのだろう。

そう、ファイストは母親になった。前作『Pleasure』(2017年)に伴うツアーを終えた2019年末、彼女はティフイ(Tihui)という女の子を養子に迎える。その後、彼女も例外なくCOVID-19によるパンデミックの影響を受けたわけだが、トロント郊外で画家の父親やティフイと共に過ごした隔離生活は、宝物のような日々だったという。「年老いた父は自らのいろんな困難に対処していた。けれど、この小さな赤ん坊を腕に抱くことで、彼の心が動いたのがわかったの」(英《The Guardian》のインタヴューより)。

そんな父は孫娘が1歳半になる2021年の春に亡くなってしまったが、自ら「時間のベルトコンベアー」と表現する隔離期間に楽曲を書き溜めていたファイストは、『Multitudes』と銘打ったコンサートを計画。これは円形のステージをオーディエンスが360°取り囲むユニークなもので、デヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』などで知られるプロダクション・デザイナーのロブ・シンクレアが監修を手がけた。ときに観客はスタッフと同じ搬入口から案内されることもあり、ファイストと共にステージに上がる日もあったそうで、ワークショップにも似た親密でサプライズに満ちた空間が、やがて同名のアルバム……つまり今作『Multitudes』へと結実する(そもそもアルバムが原案にあったバーンとは真逆のプロセスだ)。

ジャーヴィス・コッカーやコリン・ステットソンの手も借りた『Pleasure』が異形のフォーク・アルバムだったとすれば、『Multitudes』は、ファイストが“素材”としての自身の歌声にはじめて自覚的になったアルバムと言えるだろうか。Macの処理速度の限界に挑むようなミュージック・ビデオやジャケ写が象徴するように、執拗なまでにコピー&ペーストでレイヤーを重ねた声、声、声、声。雷鳴のごときビートが蠢くオープナー「In Lightning」で、ファイストはこう宣言する。《稲妻が太陽のように輝くとき/愛とは何なのかを感じる/未来は本当に明るく照らされている》。

共同プロデューサーには盟友モッキー、元R.E.M.のマイク・ミルズ、ファイストの出世作『The Reminder』(2007年)などにエンジニアとして参加経験のあるロビー・ラックリッツ、そして現代アメリカの音楽シーンで最重要人物と称されるブレイク・ミルズがクレジット。ヴォーカルの息遣いがゼロ距離で聴こえてくるアプローチは、ファイストが「ASMRみたいな近接したサウンドが欲しい」と彼らにリクエストしたそうで、顔とギターの間に発泡スチロール製の殻のようなものを装着しながら演奏もしたという。「Hiding Out in the Open」や「Become the Earth」などは、まさにバイノーラル・イヤホンでの聴取に最適化された楽曲だ。また、「I Took All of My Rings Off」の重く張り詰めた低音(ベースとバリトン・サックス)やミックスには、彼女の名曲「Limit to Your Love」を自身のデビュー・アルバムに収録し、ごく最近のライヴでもセットリストに組み込んでいるジェイムス・ブレイクからの影響もあるのでは……と妄想してしまう。

Multitudesには「大勢」「群衆」といった意味があるが、人間なら誰もが避けて通れない生と死、もしくは喪失感を題材にした曲を人々と共有するという行為は、彼女にとって一種のセラピーだったのかもしれない。9曲目「Borrow Trouble」における声が枯れんばかりの絶叫と、デイヴィッド・レイリックによる魂のサックスが吹き荒れるカタルシスは、ほとんどデヴィッド・ボウイの「Heroes」みたいに聴こえる。



トラブルを背負ってきた
借り物の時間の中で

トラブル! (あなたがくれるものなら全部もらうわ)
(あなたがくれるものなら全部もらうわ)
―Borrow Trouble


私の人生はもう、自分だけのものではない。
こんなにカッコいい子守唄を歌ってくれるのは、世界広しといえどもファイストだけだ。(上野功平)



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