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青葉市子: Luminescent Creatures

2025 / hermine / Psychic Hotline
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光が差す、思いがけない訪問者のように

08 April 2025 | By yorosz

2010年のデビュー以降、ギターと歌による弾き語りをメインとした活動で着実にその存在を広く知らしめてきた青葉市子。彼女は活動10周年となる2020年に自主レーベル《hermine》を設立し、以降は活動領域と音楽性をより自由に拡張させる、いわば第二のフェイズへと歩みを進めている。それは何より、レーベル設立と同年に送り出された『アダンの風』の内容そのものによって、どんな言葉よりも雄弁にリスナーへ伝えられたことだろう。

『Luminescent Creatures¹』はそんな彼女が実に5年振りに送り出すオリジナル・アルバムだ。

本作は水面を映した印象的なカバーアートからも繋がる、海中の発光生物を着想源としているが、この関心は既に『アダンの風』リリース時のインタヴュー²でも語られており、彼女の中に長年留まるモティーフとなっていることが伺い知れる。また、実際の制作体制においても、本作には作曲家の梅林太郎、レコーディング・エンジニアの葛西敏彦、写真家の小林光大、コントラバス奏者の水谷浩章率いるphonolite strings、そして多方面で活躍する音楽家/打楽器奏者の角銅真実など、前作から続く面々がクレジットされており、やはりそれと地続きな要素が多く見てとれる。

そこで本稿では、『アダンの風』からの延長線上に本作を捉えつつ、新たな要素や差異を見出すことでその魅力に迫りたい。

¹ ちなみにこのタイトル「Luminescent Creatures」は、『Live at Ginza Sony Park (July 3, 2020)』や『Ichiko Aoba with 12 Ensemble (Live at Milton Court)』などのライヴ・アルバムでは「アダンの島の誕生祭」に対する別タイトルとして用いられている。
² https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/27030

<楽器編成の多様化>

本作でまず耳を引くのは楽器編成の多様化だろう。青葉市子といえばまず何よりギターの弾き語りによってキャリアを築いてきた音楽家であるが、本作はピアノ、ベース、フルート、ハープ、弦楽アンサンブル、チェレスタ、パーカッションなどといった多様な楽器が、楽曲によって入れ替わり立ち替わり用いられており、その彩りの変化は非常に鮮やかだ。

もちろんこのような多様化の兆候は既に前作『アダンの風』で十分に表れていたものではあるが、そちらでは歌詞と歌のある、いわばアルバムの核となる楽曲においてはギター(やチャランゴ、エレクトリック・ギターなどの撥弦楽器)が伴奏の屋台骨となっているケースが多く、ピアノやその他の楽器による彩りはそれに寄り添うように用いられるか、あるいは多数収録されたインタールード的な楽曲で主要素としてフィーチャーされている印象があった。

本作ではそのようなギターのイニシアティブが手放された楽曲が多く収録されており、青葉市子の音楽のイメージを着実に押し広げる役割を果たしている。 特に冒頭「COLORATURA」における、(『マホロボシヤ』以降の作品でおなじみとなっている声のレイヤーによる導入から)ピアノ、フルート、ハープ、コントラバス、打楽器と徐々に色が足されアンサンブルが形成される流れ³は、まるで本作の「彩り」における挑戦を宣誓するようでもあり、あまりに見事だ。

また、微細に和音の色合いを変化させ続けるピアノのアルペジオが伴奏の中核を成し、ギター、そしてコントラバスやフルートなどが寄り添う「Luciférine」におけるバランスも、本作特有の旨みを感じさせる例といえるだろう。

加えて、本作にはもちろんシンプルな伴奏と歌という弾き語り的な構成の楽曲も多数収録されているのだが、その中の一つである「SONAR」が(おそらく青葉自身が演奏する)エレクトリック・ピアノの弾き語りとなっていることにも注目したい。彼女の過去作におけるエレクトリック・ピアノの弾き語り的な楽曲には2020年にリリースされたシングル「海底のエデン」という先例があるものの、今回の「SONAR」もアルバムの中での新たな彩りとして新鮮な輝きを放つものだろう。そう、本作では彼女の音楽の基盤と言えるシンプルな弾き語りというフォーマットにすら、新たな彩りが見て取れるのだ。

³ 顧みれば、ここで織りなされる楽器編成は、青葉市子と梅林太郎の初の共作である「守り哥」に端を発したものである。「SONAR」の前に「海底のエデン」という先例があることも踏まえれば、本作のサウンドの彩りは、『アダンの風』以降というよりも、それや本作に含まれていないシングル群の作風も抱き込んだ「自主レーベル《hermine》発足以降」の音楽的探求が、総ざらいされつつ洗練されたかたちで発露したものと捉えるのが自然かもしれない。

<三拍子の扱い>

また、楽曲構成の面では、三拍子の扱いが筆者の耳を引いた。彼女の作品において三拍子が用いられること自体は別段珍しいことではなく、これまでのどのアルバムにも三拍子(系)の楽曲は収録されている。しかし本作における三拍子が用いられた楽曲(「tower」、「Luciférine」、「COLORATURA⁴」)はどれも先に言及したギターのイニシアティブを離れた、チェンバーアンサンブルによって奏でられるものとなっており、これまでのアルバムにあったギターの弾き語りによる三拍子とはやや異なる力感を感じさせる。具体的にはより軽やかな舞踊性が付されている印象で、楽器編成による彩りと相まって、これらの楽曲はアルバムの中でもどこか外交的な、風通しのよさや陽光の暖かみを感じさせる空気感を醸し出す。

中でも「Luciférine」の三拍子は、楽曲のサビのパートで(それまでの四拍子から)切り替わるかたちで用いられているためその効果が鮮やかだ。このような楽曲の特定のパートのみが三拍子となる構成は、2023年リリースのシングル「meringue doll」においても見られるものであり、すなわち『アダンの風』以降の探求の一つの表れといえるだろう。この楽曲の間奏パートで弦楽アンサンブルが奏でる三拍子の柔らかに弾むような聴き心地は、本作収録曲におけるそれが生む軽やかさと密に響き合うものに思える。

⁴ 「COLORATURA」は四拍子系の前奏からメトリック・モジュレーションによって6/8拍子が表れる構成となっている。6/8拍子は二拍子系と分類されるため厳密には三拍子系ではないのだが、ここでは八分音符3つ(すなわちパルス3つ)の連なりが強く意識され、他の三拍子の楽曲に近しい軽やかさが感じられるため、便宜上ここに加えている。

<引き込むものと寄り添うもの>

島流しとなった少女が新たな地でクリーチャーと出会うというプロットを持ち、「Dawn in the Adan」という筆舌に尽くしがたいクライマックスを持つ『アダンの風』に比すると、本作は(発光生物というコンセプトが明示されてはいるものの)そこへ聴者を引き込むような力よりもむしろ、聴者の日常へと入り込む柔らかさをこそ、その魅力としているように思える。

特定の楽器が持つイニシアティブが曖昧となっただけでなく、本作ではどの楽曲がアルバムの中でクライマックスを担うかといった、ある種のストーリーテリング的な抑揚もどこか不明瞭で掴み難い。しかし逆説的に、ここでは収められた楽曲の全てが、聴者の置かれた環境に深くフィットすることでクライマックス足り得る力を持っているように感じられる。

ある時は先述した外交的な風通しのよさを持った楽曲が、あなたの歩みの追い風となるだろう。

またある時は、物音すら耳に届く「mazamun」の静けさが、虚脱感と情緒の入り混じる「FLAG」のギターの響きが、明かりを消した部屋から、雨粒のついた窓越しに、休みなく働く信号機の灯りを眺めるような「SONAR」の寂寥感が、あなたの夜に寄り添うだろう。

どの楽曲が、どのような時間に、どのように光を(または影を)差すか、『Luminescent Creatures』が持つ真価は、まるで水面が反射する光のスペクトルのように掴み難いが、故にそれはきっと、生活の中で、思いがけない瞬間に、強力に立ち表れるに違いない。(よろすず)

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