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kurayamisaka: kurayamisaka tte, doko? #6 「くらやみざかより愛を込めてツアー」 (kawasaki CLUB CITTA’)

2026 / tomoran/bandwagon/chikamatsu
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音を追い越すパッション――ライヴ・バンドとしてのkurayamisakaについて

14 March 2026 | By Ryutaro Amano

kurayamisakaが「farewell」の断片をTwitter(当時はまだTwitterだったのだ)にアップロードした2022年3月2日、バンドは実体を伴っていなかった。正確には、実体を伴ったものとして聴き手の前に現れていなかった。「farewell」という曲は、その時点ではまだ制服を着た少女の鉛筆画につけられた40秒の音にすぎず、それに対してなんのキャプションも付されておらず、謎めいていたと言うほかない。その2週間後にはミュージック・ヴィデオが公開され、曲の全貌が明らかになった。「僕は影の中 君は陽炎」。それは、kurayamisakaという見知らぬバンドのことを言っているかのようだった。

レコード(録音作品)が先で、ライヴがあとだった。初ライヴをおこなったのは「farewell」の正式なリリース後、という順序であり、最初の作品である『kimi wo omotte iru』が翌2023年にかけて海外のナードたちも巻きこんで評価を高めていくなか、バンドのオフィシャル・サイトに記されたライヴの予定はかなり散発的なもので、いわゆる社会人バンドのペースで活動していることが透けて見えた。そもそも、kurayamisakaが現れたときは、“コロナ禍明け”という気分がようやく立ちあがりはじめた頃で、バンドがライヴハウスで通常どおり演奏するということ自体がままならなかった時節だったことも思いだされる。いまや、そのコロナ禍の閉塞感と、“大井町の5人組”という紹介文からなにも見えてこない抽象性、それゆえのミステリアスな魅力すらも懐かしい。

kurayamisakaのレコードでは、内藤さちのヴォーカルに独特の質感がある。力まない発声と儚い響きを持った内藤の歌は、ダブリングを多用することによってそれが録音物であることが強調され、現実感のない浮遊感を幾重にも纏っている。はたして、この歌い手は実在しているのだろうか? ミュージック・ヴィデオを見ても、ライヴ映像を目にしても、あの唯一無二の声が虚構的に重ねあわされているのを聴くと、そんな疑問にいつも襲われる。『kimi wo omotte iru』では、特にその非実在感が濃厚だった。2025年に届けられたファースト・アルバム『kurayamisaka yori ai wo komete』では、プロダクションが変化したこともあって、バンドの演奏はより生々しい肉体性を伴って響くようになったが、それでも内藤の歌に対する印象は以前と大きくは変わらなかった。

ライヴ・バンドとしてスタートしたわけではなかったkurayamisakaだが、彼らはライヴで化けるバンドだということは強調しておくべきだろう。ステージ・アクションは激しく、5人が全力投球で音をオーディエンスにぶつけに来ていることが、たとえフロアの後方から遠目に見ていてもよくわかる。パッションが音を追い越し、フロアに飛び散り、迸っている――それが、kurayamisakaのライヴの常なのだ。

そして、なにより、内藤の歌がちがう表情を見せる。レコードからは想像できないほどにパワフルなそのヴォーカルは、ライヴ・バンドとしてのkurayamisakaの最大の魅力のひとつだと確実に言える。歌いあげる、と表現してもいいほどの情熱的なそのパフォーマンスは、彼女の声がもともと備えている儚なげな情感と繊細さをまったく損なわないままに、力強さや熱を携えてステージ上からフロアの最後部まで突きぬける。また、これまでに何度もライヴを見てきたとはいえ、公式に配信された初のライヴ・アルバムであるこの『kurayamisaka tte, doko? #6 「くらやみざかより愛を込めてツアー」 (kawasaki CLUB CITTA’)』を聴いてようやく気づいたことは、内藤がハイ・トーンもロング・トーンもひじょうに強い安定感とともに巧みに操っているということだった。ほんとうにすごいヴォーカリストだ、と現場で聴くよりも、このライヴ録音を聴いて圧倒された。

「metro」のライヴ・パフォーマンスで内藤は、tの音を意識的に破裂させている。「約束を抱きしめた」、「懐かしい後ろ姿」といったフレーズの最後、「た」は鋭く吐きすてるように切って歌われる。「懐かしい後ろ姿」の直前、「手を解いて」では母音がほとんど発音されず、tの音が跳ねとんでいる。そのスタッカートが、マイクを通して伝わり、ギターとベースとドラムの音の激しさに先行して、軽快に走っている。

最後の曲、「cinema paradiso」ではどうだろう。ツアー・ファイナルのオーラスである。バンドがありったけの思いを音に込めていることは、フィル・インとともに雄叫びを上げる堀田庸輔の様子からも伝わってくる。内藤の歌はここでもっとも感情的な表現を聴かせており、「私は知らなかった」の血が吹きだしそうな絶叫は途方もない飛距離と加速度で疾駆していく。終盤、「かった、かった」と繰りかえすところの掠れて消えいりそうな悲痛な声は、内藤のヴォーカル・パフォーマンスにおいてもっとも素晴らしい瞬間だと言ってしまおう。そして、この直後、3本のギターはこの日最大のノイズの混沌へと突きすすんでいく。

もちろん、内藤の歌だけがライヴ・バンドとしてのkurayamisakaの魅力ではない。アルバムは、ギターのフィードバック・ノイズから始まる。その幕開けの合図に導かれた「kurayamisaka yori ai wo komete」では、ブレイクを経たあとの堀田のカウントがアヒト・イナザワのそれを想起させ、冒頭からすさまじい熱気を発している。「modify Youth」ではオーディエンスのシンガロングが聞こえ、この作品が現場の熱を刻んだ一期一会の記録であることを思いださせる。そこから「curtain call」へと雪崩れこんでいく流れは前半のハイライトで、堀田の手数の多いプレイが最高潮のパフォーマンスを聴かせ、清水正太郎とフクダリュウジのギター、阿左美倫平のベースがそれと見事に同期してグルーヴを織りなしている。心持ちテンポ・アップした「seasons」では、2分52秒からの一瞬の演奏を聴きのがさないでほしい。ドラムの激しいフィル・インに呼応し、ギターとベースが劇的なうねりを生んでいる。一転して、「nameless」と「evergreen」では、ひび割れた感傷が繊細に奏でられる。前者での旋律をハイ・ポジションで歌う阿左美のベースの美しさ、後者でのアコースティック・ギターがもたらすレディオヘッドの「Lucky」のようなねじれた悲壮感。清水の叫びのように生々しい「jitensha」のリード・ギターは、ひたすら圧巻である。

音楽を録音作品としてパッキングし、漂着した先の遠い未来で聴かれることに望みを懸けるkurayamisakaは、かつてのNUMBER GIRLのように、ここに優れたライヴ・アルバムを残した。「kurayamisaka tte, doko?」というのはこのライヴを含めた彼らの自主企画公演のタイトルだが、その疑問符にはごく初期のkurayamisakaの幻想的に揺らぐ掴みがたい像が滲んでもいる。しかし、「kurayamisaka tte, doko?」という問いかけの答えは、もう出ているだろう。それは、ここ、彼らのライヴにあるのだ。そのことが、この72分間ほどの記録のあらゆる瞬間から伝わってくる。(天野龍太郎)


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