21世紀の“愛の死”へ抗うために
──現代ブラジル音楽の重要人物、ゼー・イバーハが最新作『AFIM』を大いに語る
バーラ・デゼージョの一員として世界を目まぐるしく回るとともに、ソロ・アーティストとしてもミルトン・ナシメントやネイ・マトグロッソなどブラジル音楽史のレジェンドたちとの共演も果たすなど、大車輪の活躍を続けているゼー・イバーハ(Zé Ibarra)。昨年は《FRUE》チーム主導のもとソロ・アルバム『Marquês, 256.』(2023年)を携えたジャパン・ツアーを開催し、シンガーとしてのインティメイトな側面を日本の聴衆に印象づけたばかりだ。
歌とギターによる表現を追求するSSW……地球の反対から近年のゼーの活動を眺めるとそんな風に映るかもしれないが、彼の自認はアレンジャー/プロデューサー・タイプであるという。最新作『AFIM』で表現されているのは、そんな彼の自認を反映した、コンポーザーとしてバンドを率いながら独自の問題意識をサウンドに落とし込む姿だ。
バーラ・デゼージョで共に活動したルーカス・ヌネスを共同プロデューサーに迎え、カエターノ・ヴェローゾの末っ子であるトン・ヴェローゾをはじめとした周囲のソングライターからの提供曲も歌いこなすなど、シンガーとしての幅も強調された『AFIM』。今回は国内盤CDの発売に伴い、ライナーノーツ作成のために敢行したインタヴューの完全版を掲載。これまでのキャリアから『AFIM』で達成したテーマについて網羅的に訊いた。
(インタヴュー・文/風間一慶 通訳/村上達郎 写真/Elisa Maciel)
Interview with Zé Ibarra
──前作『Marquês, 256.』は弾き語りでしたが、今作はバンドやストリングスを入れた豪華なアレンジとなっています。どのようなイメージで全体のサウンドを構築したのでしょうか?
Zé Ibarra(以下、Z):『Marquês, 256.』はイレギュラーなプロジェクトだったんです。僕の音楽のキャリアはドニカ(Dônica)というプログレッシヴなバンドから始まっているわけで、今回の『AFIM』はその音楽性に近いものになりました。そもそも、僕はアレンジャー気質なんですよ。
──たしかに、あなたのキャリアを振り返る上でルーカス・ヌネスやトン・ヴェローゾと結成したドニカは外せませんね。
Z:ドニカは僕がこれまでやった中で最も肩の力を抜いて取り組めたバンドでした。14歳の時に学校の仲間と始めて、「音楽を作りたい」というティーンエイジャー特有の欲求から生まれたものだったんです。僕はそこでコンポーザーやアレンジャーとしての自我を育くむことができました。
──その後のプロジェクトと比べても、ドニカは野心的なサウンドに仕上がっていますよね。プログレッシヴ・ロックを始めとした当時聴いていた音楽が反映されているからでしょうか?
Z:まさにそうです。その頃から、僕は「ブラジル音楽と他の要素を混ぜ合わせる」というテーマに取り組んでいました。特に聴いていたのは英国のプログレッシヴ・ロックですね。ピンク・フロイドにジェントル・ジャイアント、エマーソン・レイク・アンド・パーマーといったバンドに夢中で。でも同時に、それら全部を『Clube da Esquina』(ミルトン・ナシメントらによる1972年のアルバム)と融合させていたんです。
その試みが音楽家としての僕を形作ったんです。ドニカはバーラ・デゼージョ以上に海外からの影響が強いバンドだったんですよね。
──以前ジュリア・メストリにインタヴューした際、「バーラ・デゼージョはパンデミックという特殊な状況の中にあるからこそ生まれたプロジェクトだった」ということを仰っていたのが印象的で。あらためてご自身の目線から振り返ってみて、どのようなバンドだったと思いますか?
Z:そうですね、話すことが沢山あって……(苦笑)。まず、バーラ・デゼージョは僕の人生を間違いなく変えました。学生時代の友人と共に始めたバンドで、結果的にラテン・グラミーを受賞しました。これまでの人生で一番大きなプロジェクトになったんです。僕自身もプロデューサーとしてやりたかったことを全て実現できました。刺激的かつ上品な作品を作り、それが多くの聴衆に届いて、満杯の会場で仲間たちと歌う……本当に完璧でした。
──先ほど言及したように、ドニカが海外からの影響を取り入れた反面、バーラ・デゼージョがオーセンティックなMPBを追求するプロジェクトであったことは興味深いです。時代の流れからは逆行しているというか、外に向かうのではなく自国に戻る形での実験を試みているという。
Z:そう、それが僕にとっての実験なんです。例えば『AFIM』はブラジル音楽以外の要素にも目を向けていて、先に進もうとしている作品となっています。例えばジャズの要素を組み込んでみたり。一方で、バーラ・デゼージョは1970年代のある時期のブラジル音楽を特定の美学の中で表現するという実験だったんです。
──あなたは『AFIM』のリリース前にミルトン・ナシメントのラスト・コンサートの舞台にも立ちましたよね。MPBの歴史を支えてるレジェンドとの共演ですが、どのような経験でしたか?
Z:まさに夢が叶った瞬間でした。ミルトンは僕にとって最も大きな音楽的影響であり、師匠なんです。
彼のあまり語られない側面として、そのプロフェッショナル性が挙げられると個人的には思います。僕は人生で初めて「雇われる」ということを経験し、サーヴィスを提供する立場としてミルトンのステージに立ちました。そのサーヴィスが歌うことだったとしても、僕は彼に雇われたミュージシャンだったんです。そこで僕は「誰かのために演奏する」という新しい立場を理解し、その場に身を置くことを覚悟できました。自分の役割を理解し、一番美しい形でその仕事を果たさなければならない。それを学べたのは本当に貴重でした。
──『AFIM』におけるジャズの要素を考える上で、ミルトンの功績には目を向けざるを得ません。彼はウェイン・ショーターやエスペランサ・スポルディングといった様々なジャズ・ミュージシャンと共演していましたし、欧米のプレーヤーからもその楽曲は愛され続けています。
Z:えぇ、まさにそうです。僕も幼い頃から父の影響でジャズを聴いていました。チェット・ベイカーにマイルス・デイヴィス、ニーナ・シモン、チャールズ・ミンガスといったミュージシャンに魅了されました。
最近、「君の歌い方にはジャズのアクセントがあるね」とリスナーに言われたことがありました。それはもう自然なことなんです。僕自身ジャズを演奏したことはないし、特に意識したこともないけど、最初からそういう「アプリ」みたいなものがインストールされている感じなんです。常に頭の中でアプリが動いていて、自然にジャズの言語が出てくるようになったんじゃないかと。『AFIM』には節々にそれが反映されています。
──ドニカではプログレッシヴ・ロックに影響を受け、その前はモダン・ジャズを聴いていて……1970年代までの音楽がしきりに参照されていることは、『AFIM』のレトロな仕上がりとも関係があるのではないかと。
Z:間違いなく関係していますね。というのも、僕は1970年代までのミュージシャンたちが身に付けた様式を最初に学びました。それは「楽器を手に取って演奏する」という、極めてシンプルな方法です。僕が人生で初めてコンピューターを買ったのなんて、たった2年前なんですよ(笑)。
ただ、次の作品では、もっと現代の要素を取り入れたいと思っています。というのも、僕は少しずつ現在へ向かって歩んでいる最中なんです。バーラ・デゼージョは1970年代的なプロジェクトでしたが、『AFIM』は1980年代のノリを組み込んだり、現代的なアンサンブルに着想を得ました。たとえば「Transe」ではモダンなアプローチを試みています。
──なるほど。
Z:個人的に、重要視したいのはジャンルじゃないんです。僕の音楽において最も崇高なものはメロディー、ハーモニー、リズム、そして歌詞という4つのエレメントで、それらを複合させることが重要なんです。ニーナ・シモンもピンク・フロイドも、そういったエレメントを感じられるような瞬間があるならどんなジャンルでも構いません。
──では、あらためて『AFIM』全体でのテーマやコンセプトを教えてください。
Z:今回は自分が伝えたいメッセージと対話できる曲を選び、そこから「服を着せる」という工程を経て制作を進めました。つまり、その曲が求めている形にアレンジしていくんです。ある曲は明らかに1970年代のMPBだけど、その次の曲は声とギターだけ。その次はマイケル・ジャクソン的なポップスに寄った曲、そしてその次は1950年代のリオ・デ・ジャネイロの美学をまとったホーン・セクションを取り入れて……美学としてはバラバラの作品なんですよね(苦笑)。
でも、『AFIM』の真のコンセプトは、僕自身に向けてどうしても伝えたかったことなんです。『Marquês, 256.』により、僕は「真面目で高尚なことを語る人」というイメージを抱かれることになりました。だから『AFIM』では全く別のテーマと語り方を選択しています。僕にとっての『AFIM』とは、「自分自身のレトリックを変える」という意味での革命だったんです。
──『AFIM』の制作時にはどのような作品を聴いていたのでしょうか?
Z:幅広く聴いていました。タイラー・ザ・クリエイターも聴くしカエターノ(・ヴェローゾ)ももちろん聴く。あとはマイケル・ジャクソンとアバですね、この2組は僕にとってのアイドルなんです(笑)。『AFIM』の1980年代的な要素はここから影響を受けていると思います。
──『AFIM』には自作のみならず、トン・ヴェローゾやソフィア・シャブラウ、さらにはマリア・べラルドと周囲のソングライターの楽曲も収録されています。彼らの作風について、それぞれどのような印象を抱いていますか?
Z:トン・ヴェローゾは昔からの友人なので、後に挙げてくれた2人とは少し違った関係性なんです。作曲家として尊敬をしているし、彼の作るメロディーは全て美しい。作曲家として自分も影響を受けています。
一方、ソフィアとマリアはサンパウロを拠点にしていて、自分とは異なるストーリーを持っています。ソフィアはロックンローラーであると同時に、レズビアンというアイデンティティを誇っている。歌詞もアグレッシヴで、強いインパクトを残すような言葉を残すんです。マリアは実験音楽のシーンに身を置いていて、エレクトロニカ的な要素を楽曲に持ち込みます。彼女もレズビアンで、自分にはない才能を持っている。今の時代に必要な存在である2人の女性ミュージシャン、その声を『AFIM』を通じて世界に届けたいと思ったのでコラボレーションを選択しました。
──また、アルバムでは全編にわたってルーカス・ヌネスがクレジットされています。バーラ・デゼージョでの活動をはじめ、長い期間を共に過ごしている彼とはどのようなコミュニケーションを取りながら制作を進めたんですか?
Z:ルーカスとのパートナーシップはとても長く、とても美しいものです。僕とルーカスは一緒に成長し、一緒に演奏してきました。何より、一緒に沢山の音楽を聴いてきた。プロデューサーや共作者の役割って、一緒に同じヴァイブスを感じることだと思うんですよね。共に楽しんで、幸せを分かち合う。ルーカスはまさにそれをやってくれた。もちろんミックス作業や細かい部分でも助けてくれたけど、何より「共に震えてくれる」大きなパートナーだったんです。
──個別の曲についても聞かせてください。冒頭の「Infinito em Nós」は懐かしいブラジリアン・ソウルの香りを感じるホーン・アレンジが印象的です。歌詞もどこかロマンチックで、伝統的なポップ・ソングの作法に則った楽曲かと。
Z:これは僕の人生で最も早く完成した曲なんです、2分くらいで出来たはず。そういう時は大抵、曲の背後に美しい真実があるからなんです。「Infinito em Nós」は当時付き合っていたガールフレンドのために書いた曲で、誠実な気持ちで作りました。
『AFIM』のスウィングするホーン・アレンジは、カリオカ(リオ育ちのこと。「江戸っ子」と近いニュアンス)としての自分らしさが強調されていると思います。そういう意味で「懐かしい」と形容してもらったのかと思います。自分の人生のみならず、リオの音楽史に対するオマージュを込めたかったんです。コパカバーナ・ホーンズのヂオゴ・ゴメスにマーロン・セッチ、そしてジョルジ・コンチネンチーノに参加してもらいました。
──やはりアレンジが素晴らしいアルバムですよね。先行シングルにもなった「Transe」の徐々に高ぶる演奏には感動を覚えると同時に、ヴォーカル・エフェクトやシンセサイザーのさりげないアレンジにアーティストとしてのヴォキャブラリーも感じます。
Z:「Transe」は今の自分をすごく象徴しているような曲で、アルバムの中でもお気に入りなんです。ストーリーとしては、当時連絡をしていた女性から不意に無視をされ、ほっとかれてしまった経験から作った曲で、それを一本の映画のようにアレンジで仕上げました。ドラマチックな失望感を映画音楽のように演出することを目指しました。
──ほうほう。
Z:もっと言うと、ストリングスは僕を無視した女性のことを表しているんですよね(苦笑)。幽霊みたいに、僕の頭の中をずっと彷徨い続ける存在。それと、パーカッションは自分のギターを叩きながら作りました。コンスタントに淡々と、最終到着地点がなく奏でられているのが僕の心情というか。「Transe」にはブラジルっぽさもあるし、80’sポップスの要素もあるし、ジャズの要素もある。21世紀流の悲しい愛、病んでる恋心を象徴した一曲です。だから最後も、解決されないまま終わるという。
21世紀に生きている僕たちにとって、「愛の死」みたいなことが起きていると思うんです。だからこそ、逆に今、愛について語ったり実践することも、これまで以上に必要なんじゃないかと感じています。
──作詞の面では個人的なテーマが歌われている一方、カヴァー曲ではシンガーとしての魅力がダイレクトに反映されている印象です。例えば「Transe」の次に収録されている「Retrato de Maria Lúcia」はイタロのカヴァーで、ジュリア・メストリも自身のEPで取り上げるなどリオの音楽家の間ではスタンダードのようになっていますよね。
Z:僕はイタロの大ファンなんです。曲は美しいし、歌詞も知的でユーモアがある。中でもとても美しいラヴ・ソングが一つあって、僕はそれをずっと昔に聴き、恋に落ちたんです。それが「Retrato de Maria Lúcia」でした。
この曲は『Marquês, 256.』とも繋がっています。アルバムで唯一、声とギターだけの曲なんです。ブラジルにはギターのみで歌う伝統があり、その美しさは普遍的です。「Retrato de Maria Lúcia」はそのスタイルに沿ったものであるからこそスタンダード然としている。もちろん「Transe」のように複雑なアレンジを作ることもできるけど、ギターだけで魔法のように響かせることに喜びを見出したかったからこそ、ここではシンプルな演奏を選択しました。
──また「Essa Confusão」はドラ・モレレンバウムとの共作です。アウトロのピアノを含め、ゆったりと歌われている『Pique』収録のヴァージョンよりもアダルティな印象だったのですが、そのような差異を意識して制作を進めたのでしょうか?
Z:そもそも、「Essa Confusão」は『Pique』のアレンジを手伝った時に出来た曲なんです。彼女のお父さんであり偉大なアレンジャーでもあるジャキス・モレレンバウムと一緒に作ったアレンジは、雄弁なものでした。でも僕は「曲そのものに寄り添いたい」と常々思っていて、曲が求めていないことを余計に言いたくはないという気分があった。だから僕のアレンジでは、できるだけ曲に忠実で、歌詞とサウンドが一体になることを意識しました。ホーンのアレンジもシンプルにして、昔から大好きなチャールズ・ミンガス風に仕上げたんです。
それと、この曲は『AFIM』の中で唯一、というか僕の人生で唯一、僕自身がドラムを叩いた曲なんです。本当はトーマス・ハーヘスが叩いた素晴らしいテイクもあったけど、時には「巧さ」じゃなくて「荒さ」が必要なこともある。だから僕が叩いたヴァージョンを使ったんです。
──面白いです。『AFIM』がリリースされた際のコメントで、録音を一度白紙にして再構築をしたというエピソードを明かしていましたよね。自分をさらけ出すための作品へとどのように迫っていったのか、そのプロセスを教えてください。
Z:とても主観的で、個人的なプロセスでした。アルバムに参加してくれた人の多くは「なんであの曲を出さなかったの?」って思っていたはず(苦笑)。でも、僕にとっては、そうじゃなかった。僕は時々、同じ曲を3つのヴァージョンで作っては捨てて、また戻って……みたいなことをするんです。多くの人はそれを「狂気だ」とか「いつも不満足そうだ」って思っているけど、そうじゃないんです。僕には「ここにたどり着きたい」というハッキリした場所があって、そこに着けてようやく安心できる。ただ、そこに行き着くまでに時間がかかることもあるんです。
しかも、僕は自分が好きじゃない作品と共存できないんです。だったら、そんな曲は出さない方がいい。だって曲が僕を待っているだけかもしれないから。2年後に自分がようやく理解できて、それで「正しい形」でリリースすることだってあるかもしれない。
──『AFIM』のジャケットはバスルームで歯を磨いている写真です。あなたは以前からステージの上で自分自身を見られること、それもペルソナや虚飾を外して裸の自分をさらけ出すことについて言及しており、そのような心情が反映されているようにも思いました。今の話とも共通する部分があるとも思うのですが、どのようなイメージでこのカットをジャケットに選んだのでしょうか?
Z:まだ誰にも話していないのですが……これは『AFIM』のもう一つの側面を表しています。このアルバムはある意味で「隠れること」と「現れること」のダイナミクスを扱っているんです。今の世の中はSNSによって表に出すぎているように見えるけど、本当は「自分を編集する」ことで隠れてもいる。イメージの操作、フィルター、トリミング、角度の選び方……そういうものが何かを隠している。だからこそ、僕は「その逆をやってみよう」と考えたんです。つまり、普通なら見せたがらないものを見せたかったんです。
そこで思いついたのが、歯を磨いている自分のポートレートなんです。ちょっとグロテスクにすら見えるかもしれないけど、同時に親密さも伝わる。大切な人なら、歯を磨いてる姿を見られても全然気にならないじゃないですか? これは自分を剥き出しにする遊びでもあったんです。もちろん写真の中で僕はカッコよく写ってもいるけど(笑)……でも決してインスタ映えするようなイメージじゃない。修正や加工だらけの世界の中で、こういう写真をあえて出したかったんです。
──「見せたくない部分を見せる」という点では、ラストの「Hexagrama 28」は示唆的です。ソフィア・シャブラウ作の、タイトルの通りタロットを通じた独白のような内容であり、『AFIM』の発表時にあなたが語っていた「ある種の“闇”(a certain darkness)」に近づいている楽曲のように感じました。
Z:「Hexagrama 28」では未来への謎と不安、そして“かよわさ”のようなものが語られています。僕はアルバムに必ずライヴ録音で一発録りされたものを入れたいと思っていて、これはまさにそうです。ちょっとジョルジ・ベンっぽい雰囲気を入れたくて、そういうニュアンスを組み込みました。
そして同時に、「Hexagrama 28」はちょっとしたジョークなんです。この曲は“人生の道”を歌っているのですが、アルバム全体は愛についての作品で、最後に「この曲は愛とは何の関係もない」って歌ってしまうという構成(笑)。つまり、愛以外のテーマについて歌おうとした遊びなんです。
──最後に、アルバム全体として、『AFIM』がどのような意味を持った作品になったのか教えてください。
Z:正直、みんなの反応に驚いています。思っていた以上に聴いてくれていて、本当に嬉しい。実はこのアルバムには迷いがあって、何度も「出さない方がいいのかな」と思った瞬間があったんです。だから、いざリリースして「YES」って世間が言ってくれた時に、自分に対して「やっぱり僕には言うべきことがあるんだ」って思えたんです。僕は行きたい場所が分かっている、僕にはまだ貢献できることがある……そういう感慨を抱かせてくれました。
そのおかげで、もっと制作やライヴをしたいという気持ちが大きくなっています。特にライヴはアルバム以上に良くなっていると思うので、ぜひ日本のみなさんにも呼んでもらって、最高のショーを一緒に楽しみたいですね。
僕にとって『AFIM』は“再生”なんです。音楽との関係がすごく不安定だった時期もあったけど、今はまた幸せな気持ちで音楽と向き合えています。
<了>
Text By Ikkei Kazama
Photo By Elisa Maciel
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