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フジロック出演!
ヒップホップ・シーンきってのへそ曲がりな男が提示する、ぼんやりと、だが確かに存在する可能性

08 July 2019 | By Daiki Takaku

ヒップホップという音楽ジャンルはたびたび“競争”や“ゲーム”と呼ばれることがある。それは類似した無数の音楽がその優劣を競うこと、アーティストが地元に根を張りその地域を代表せんとプロップスを高め合うことなどが特徴とされるためであろう。無論、そうして数々のクラシックが生み出されてきた。しかしながらヒップホップがチャートの上位に居座るようになってからというもの、その概念は急速に拡張してもいる。先日、米ビルボード・カントリーチャートへLil Nas X「Old Town Road」がランクインしたことを発端とする一連の議論もそれを象徴する話題のひとつだ。かくいう本稿の主役=ヴィンス・ステイプルスという1人のへそ曲がりな男も、拡張するヒップホップの一翼を担う存在である。(「音楽を聞くのが好きじゃない」発言や、アーティスト活動をやめさせたいなら金をくれとクラウドファンディングするような、筋金入りのへそ曲がりでもあるのことも頭の片隅に置いておいてもいいかもしれない)

少し、時間を巻き戻そう。1993年、カリフォルニア州コンプトンでヴィンス・ステイプルスは誕生する。クリスチャンでもある彼の母親はその街の犯罪率を危惧し、逃れるようにロングビーチのノースサイドへと居を移すものの、現実は思い通りにはいかない。彼は年上のいとこであり、現在はラッパーとしても活動するジョーイ・ファッツと共に行動するようになり、ロングビーチのギャング、2N Crips(a.k.a The Naughty Nasty Gangster Crips)へと加入。多くのアフリカンアメリカンが経験するであろう負のスパイラルへ、つまりドラッグを売りさばいて金を稼ぎ、銃を持ち歩き、若くして刑務所か棺桶の中にいるような生活へと徐々に引き込まれていく。そんな環境で彼は14歳の友人が撃ち殺される現場に遭遇することになる。その衝撃は少年の彼にとってはあまりに大きく、母親はそんな彼を案じ環境を変えようと数ヶ月間アトランタの親戚の元へ預けたほどだ。そんな母の想いとは裏腹に、血に濡れた記憶は彼の年齢からは考えにくいほどにその無垢さを奪い取り、代わりに思慮深さを与えた。のちにファッツはステイプルスの少年時代についてこう語る。「彼はとても静かで、彼の思考のプロセスは他とは違っていた」そう、ステイプルスは静かに考えていた。頭の中を反芻する耳に焼き付いた銃声とともに、自らの置かれた状況とそこに隠された可能性について。

運命は不意に動き出す。LAへの旅行の際、ステイプルスはタイラー・ザ・クリエイター率いるヒップホップ・コレクティブ、Odd Futureのシド・ザ・キッドらと出会い、それをきっかけに音楽活動をスタート。優秀な成績だったという学業もドロップアウトし、シドの自宅スタジオで制作に明け暮れる。いくつかのミックステープの発表やOdd Futureのアール・ウェットシャツ『Doris』(2013年)への参加などを経て、名門《Def Jam Recordings》と契約し正式なデビュー作となる『Hell Can Wait』(2014年)をリリース。続いて翌2015年にリリースされた初のフル・アルバム『Summertime’06』(2015年)ではおおよその楽曲をプロデュースしたNo I.D.と共に数々のメディアで高評価を獲得する。決して明るいとは言えないトラックの上にリズミカルにそしてどこか引き摺るようなラップ。スピットされるリリックは、トピックとしてはドラッグディールなど一見ヒップホップ的だが、金、女、名声などのラッパーを価値づけるあらゆる事象に対して皮肉が散りばめられ、実に懐疑的だ。これが、彼がこの群雄割拠のラップ・ゲームの世界からはみ出した存在感を見せつける理由であり、それは成功を収めてもなお消えることはなく…いや、より鋭さを増していく。

2作目のフル・アルバム『Big Fish Theory』(2017年)で彼は音楽的にも大きな成長を見せた。ジェームス・ブレイクやソフィー、フルームが参加していることからも想像がつくように、音像は研ぎ澄まされミニマルでありながらよりエッジーに。時間的、空間的にデザインされている。そして飄々と乗せられる幾何学的なフロウも重なれば、しばしばインダストリアル・テクノやハウスへの傾倒を感じさせ、「踊りたい」というプリミティヴな欲求が身体の底の方からじわじわと込み上げてくるだろう。このアルバムは純度の高いクラブ・ミュージックとしても機能するのだ。また、テーマも彼の存在を象徴しているといっていい。アルバム・タイトルを直訳してみよう。「デカい魚の理論」=魚は水槽の大きさに合わせてしか大きくなれないことを意味する。ギャングになる道しか選べず、若くして銃弾に倒れてしまうような地元という小さな水槽とOdd Futureと出会い水槽を大きくした過去。そんな彼の半生を的確に描写しているだろう。そして彼の懐疑的な眼差しの先には生まれ育った環境で知る僅かな選択肢とそこからは気がつくことのない(できない)可能性の存在、つまり絶望と希望が表裏一体となって紡がれていく。強引にまとめるならば、彼が作品を通して伝えたいことは「他にも道はある」という単純なことなのかもしれない。だが、記憶に焼き付いた銃声のリアリティと成功を手にしてもなお加速する芸術性、あるいは世に言う成功のみに価値を見出していない彼の姿勢が強靭な説得力を持って鼓膜を打ち、ヒップホップの枠組そのものを拡張していく。そして我々に問いかけるのだ。ビートに合わせて揺れている身体を突き刺すように。あなたのいる小さな水槽は自らが生み出した幻想なのではないか、と。

才能や努力が実を結ぶ影には往往にして環境の優劣が存在している。生まれた国や肌の色、性別さえもその限りだ。家父長制や白人至上主義といった世に蔓延る差別もその優劣を内面化し続けた結果でもあろう。ステイプルスの疑いの眼差しが捉えるのはその環境を作り出す評価軸で、だからこそ人によっては不快でもある。だが恐れずに進んで欲しい。価値観が壊れる音はいつだって不安と恐怖とともにあるのだから。その先にあるのは、あなたが自らで見ないように、知らないようにと距離をおいた可能性そのもの。ぼんやりとした、でもたしかにそこにある、無限の可能性だ。他人から見たら全く無価値で、“へそ曲がり”などと呼ばれるかもしれないけれど、そんなもの、言わせておけばいいじゃないか。

些か前置きが長くなったが、そんなヴィンス・ステイプルスは今年のフジロックの3日目《ホワイト・ステージ》への出演が決まっている。昨年はジャケットのアートワークに日本人デザイナー、VERDY(「Girls Don’t Cry」や「Wasted Youth」などのブランドを手掛けていることでも有名)を起用し、全編にわたりKenny Beatsがプロデュースを手掛けたアルバム『FM!』をリリース。日程的にはアイルランド→フランス→アメリカとライブを周ったの後の来日となる。とても脂の乗った状態の彼を日本で観られる貴重な機会だろう。例年、雨の多いフジロックだが、雨上がりに掛かる虹のように、あなたの未来に明るい希望を与えるステージになることを願っている。(高久大輝)

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【REVIEW】
Vince Staples『Big Fish Theory』
http://turntokyo.com/reviews/big-fish-theory/

Text By Daiki Takaku


FUJI ROCK FESTIVAL’19

2019/07/26(金)〜28(日) ※ヴィンス・ステイプルスは28日(日)出演
新潟県湯沢町苗場スキー場
https://www.fujirockfestival.com/

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